第41話 光の滴
天候にも恵まれ、航海は順調だった。
リーファは船員とも積極的に話をして、仕事の幅を増やすと、持ち前の明るい性格もあって一躍船内で人気者になった。調理もコックさんやマキに教えてもらいながら、少しずつ覚え、簡単な料理の補助はこなせるようになった。
「どお? 私だってやればできるんだから」
周りからしてみれば、まだまだのレベルだが、得意顔で調理場を駆けまわるリーファには周囲から温かい目が注がれた。
リーファとマキの存在は、肉体労働の多い船員にとって、かかすことのできない癒しの対象になっていった。
カミーユとハイドライドは、次から次へと言い渡される仕事に暇なく動き回っているが、理解が深まるにつれ、体力的にも精神的にも少しずつ余裕が出てきた。船の仲間ともだんだん打ち解け、一緒にトランプをしたり、馬鹿話をしたりして仲良くなっていった。
そうして、船での生活が慣れるに従い、ソロモンへの距離も近づいていった。
既にソロモン領海内に入っている。大型の船や軍船を見かける機会が多くなった。なるべく刺激しないようそれとなく距離を置いて進んでいたが、それでも不審船と見なされ、ソロモンの哨戒船によって停船させられることがあった。船員が固唾を飲んで状況を見守る中、船長が手形のようなものを渡すとそのまま通してくれた。
ソロモンの哨戒船をやり過ごすことはできたが、皆の緊迫感は一気に高まった。
ある夜、カミーユは早めに片づけが終わったので、甲板に外の空気を吸いに出てみた。
少し冷えた夜気が疲れた体に心地良さを与えてくれる。
ゆったりとしたリズムで響く波の音を感じながら空を見上げると、満天の星がそこにあった。幾百、幾千とも見える星たちは漆黒の中で、儚くも強く光を放っている。手を伸ばせば届きそうなほどだ。星をこんなに間近に感じるなんて久しぶりだった。
こんなにも綺麗ならもっと早く夜の景色を眺めにくればよかったと一瞬後悔したが、「後悔はよそう。今この景色に出会えたこと。その出会いに心から感謝しよう」と考えを改めた。
星々の瞬きをぼんやり眺めていると、流れ星が見えたので、流れ星に今回の旅の無事を祈った。
すると、背後から急に声をかけられた。
「わっ!」
びっくりして、海に落ちそうになる。
振り向くと、リーファがお腹を抱えて笑っていた。
「ちょっと脅かさないでよ。あー、びっくりした。心臓が止まるかと思ったよ」
「あはははは。今のリアクション最高! もう一回やってみて」
「勘弁してよ。危うく海に落ちるところだった。本当、心臓に悪い」
「大丈夫だよ。海に落ちたら、私がすぐに助けてあげるから」
「そういう問題じゃないんだけどな」
リーファとは、以前は丁寧語で話していたが、船で再会した辺りからお互いタメ口で話すようになった。
「ねえ、何してたの?」
「星を見てた」
「星?」
カミーユは空を指さす。
リーファは顔を上げて、空を見る。
「わあ。きれい。こうして星を眺めるのって久しぶりかも」
リーファはうっとりした表情で星を眺める。
カミーユは、高校の時、寮を飛び出してハイドライドとイースと3人で、流れ星を見に行った時のことを思い出し、その話をリーファに聞かせた。
星を見ながら、学校のことや級友のこと、親や家族のことなど取り留めのない話をしたが、ハイドライドが突然「将来、別々の道を歩むことになるだろうけれども、3人の内誰か1人がピンチに陥った時は、残った2人で全力で助け出すことにしようぜ」と言い出すと、それをきっかけに3人で将来を熱っぽく語り合ったことなどを語った。
語りながら、カミーユは自分がブエナビスタの王子であることを明かした方がいいのか、迷ったが、結局先延ばしにすることにした。自分の勇気のなさを自覚したが、 縮まりつつある心の距離がその一言で遠ざかってしまうのが怖かった。
きっと今のタイミングよりももっと自然にそう言える時が来るだろう、焦る必要はない。そんな風に漠然と感じてもいた。
高校の時の話が終わって、二人の間に沈黙が流れた後、リーファが不意に尋ねてきた。
「ねえ、あの時、なんであの場所に来たの?」
カミーユは話しかけられたことで視線をリーファに向けた。
「?」
質問の意味を測りかねて考えていると、「石碑」と言葉を補足してくれた。
「あっ」
カミーユは答えようとしたが、リーファが瞳を空に向けてそのまましゃべりだしたので、リーファの話に耳を傾けることにした。
「あの石碑は、お母さんにとってとても大事なもので...。ああ、あの時一緒にいたのが母です。石碑には母の先祖が関係しているらしいの。それで娘である私も一度は見ておいた方がいいって言って、母と一緒に先祖の供養をしに行ったの。母にとっての先祖は、私にとっての先祖でもあるから」
そして、星を見つめていた顔をカミーユに向けて再び尋ねた。
「あなたもあの石碑に関係する人なの?」
リーファの問いかけにカミーユが答える。
「いや、僕は石碑とは関係ないし、先祖も関わりがあった訳じゃない」
「たまたま、前の日にあの石碑にまつわる話を聞いたんだ。それで自分の目でその石碑を確かめてみようと思った」
「石碑にまつわる話?」リーファが訝し気な表情を向ける。
「そう。デグレトに伝わる魔女狩りの悲劇と人魚伝説」
カミーユは、ギル・マーレンから聞いた話をリーファに話して聞かせた。
「へえ、知らなかった。そんなことがあったのね」
リーファの長い髪が夜の風になびく。視線は星空ではなく漆黒の海に向けられている。どこか寂し気だ。
聞こえるか聞こえないかくらいの小さい声で、リーファが聞いてきた。
「カミーユは、人魚の存在って信じる?」
瞬間、過去に助けてもらった女の子の人魚が脳裏に浮かんだ。
どう応えればいいのだろう、はっきりした答えが思い浮かばないまま質問に応える。
「人魚は、人の心の中で信じたいと思う人の中で生きている存在だと思う。僕個人は人魚は存在すると思っている。本当にいるのなら、会ってみたいし、言葉も交わしてみたい」
人魚に助けられたことは言わないでおいた。言えなかったと言っていいのかもしれない。あの頃からずっと温めておいた僕にとっての大事な思い出を荒唐無稽な話と突き放される可能性がゼロではない、自分の大切な思い出を否定されるのが怖かった。リーファとの関係は大事にしたいと思う反面、大事な関係と意識すればするほど慎重になり過ぎる自分がいることに気が付いた。
「そっか。ふーん。人魚を信じるっていう人の気持ちを否定はしない。けど、私はやっぱり伝説だと思っている。人々の心が作り出した拠り所が伝説という形で伝承されていく、そういう意味では尊いけど、現実的には存在しないっていうのが私の考え」リーファは滔滔と自分の考えを語った。
「・・・・・・」
彼女が自分と同じ考えであることを心のどこかで期待していたが、その期待は見事に打ち砕かれた。彼女が悪いわけではない、勝手に期待した自分が浅はかだっただけだ。分かっているが、正直がっかりした。それが顔に出ていたのだろう、リーファが上目遣いで見つめてきた。
「ごめんね。気を悪くした?」
「いや。君の言うことは筋が通っている。その通りかもしれない。それでも僕は人魚はいると信じる。そう信じて生きていたいんだ」
カミーユとリーファの会話が満天の星に浮かび、そして漆黒の海に吸い込まれていく。
「馬鹿みたい。いないって言ってるじゃん」
リーファは強い語気で言い放った。しかし言葉とは裏腹に、表情はどこか哀し気で目には涙を浮かべている。
頭上の空に目を向けると、無数の星々の間を縫うように流れ星が一筋、二筋と地上に降り注ぐ。
軽やかな声が波の音の合間に聞こえてきた。
「私もさっき、流れ星にお願いしたよ」
「何を?」
「内緒!教えません」
「いいじゃん。教えてくれたって。ケチっ」
カミーユは鼻にしわを寄せて抗議したが、軽く無視された。
「叶うといいな。私の願い」
リーファは両手を胸の前に合わせて、星空に願いを込めていた。
そして、船べりから離れると、「じゃあ、またね」とカミーユに声をかけて軽快な足取りで船室へと戻っていった。
カミーユはリーファの後ろ姿を見送ると、もう一度満天の星を見上げる。しばらくすると流れ星が現れた。一筋の流れ星にさっきとは違う願いを込めると、満足した表情で船室へと向かった。
(叶うといいな。俺の願い)
<第一章 完結>
いつも「永遠の人魚姫」を読んでいただき、ありがとうございます。
第41話にて「第一章 人魚姫リーファとカミーユ王子の出会い編」が終了し、次回から新章「第二章 人魚姫リーファとカミーユ王子のソロモン潜入編」がスタートします。
引き続き、応援のほど、よろしくお願いいたします。
来週 第42話 異邦の地 をお届けします。




