第39話 太陽と海
カミーユは食堂に野菜を運び終わると、見張りを終え甲板で一息ついているハイドライドの横に並んだ。
「船の仕事ってしんどいな」
カミーユは隣で海を眺めている友に愚痴った。
海から流れ込んでくる潮風が頬を吹き抜けていく。
水平線の遥か先まで続く海は、照りつける太陽の光でキラキラ輝いている。
船は波をかきわけながら、穏やかな風の力でゆらゆらと進んでいく。
平穏な顔をのぞかせている海は、どこまでものどかに感じた。
「ああ、俺らには務まらねえな」
ハイドライドが応じる。
「悪かったな。無理に誘って」
「いいよ。デグレトにいたって、観光する以外やることがないから。それに、お前の誘いに乗っかったとしても、俺が自分で決めたことだ」
ハイドライドはキラキラ輝く海を見つめながら続ける。
「船の仕事は予想以上にしんどいけど、あの時の決断が間違っていたとは思わない。って言うか誇りにさえ思っている。いろいろあったけどさ...」
「お前だってそうだろ。カミーユ」
カミーユは無言で頷いた。
「カミーユ。俺は今まで決められた道をほぼ決められた通りに歩いてきた。親は高級官僚でお金には不自由しない。大学でもそこそこいい成績を収めている。言わば順風満帆に過ごしてきた。そして、これからもそんな人生を送るだろう。やがて親父のように高級官僚になって、国の政治か経済に関与する。それが俺の人生の未来図だ。それでいい。それはそれで悪くない」
「だけど、何ていうか。最近よく思うんだ。俺が俺であること。俺にしかできないことって何かなって。あの娘達があの時、ソロモンへ行きたいと言った。みんなが反対する中、自分の希望を押し通し、現実に行くことになった。そして、お前も王子という立場でいながら、行くと言った。スゲーなとは思ったが、俺はどうしたいのか、どうすればいいか分からなかった。正直、お前に言われるまで、ソロモンに行くなんて考えることはしなかった。っていうか、知っての通り、お前みたいにスッパリ決断することはできなかった。随分迷った」
「俺はお前やイースが羨ましかった。王子の立場がとかそういうんじゃなくて。お前たちはしっかり自分の意志で生きている。それに比べて俺は、さっきも言った通り自分がどうしたいのかがないから、いざって時にあっちへこっちへと迷走してしまう。人間的に差がついている感じがずっとしていた。だけど今回の件で気付いたんだ。なんとなくだけど、お前たちにあって俺になかったもの」
「それは、大事なことに直面した時の考え方なんだって。それが行動にそのまま反映してる。お前にしてもイースにしても、たぶん根底にあるのは、あの娘達に協力してあげたいって想いなんだろ」
「俺は、今まで他人のために自分が不利益を被ることを避けるようにしてきた。自分が得をするか、損をしないか、そうやって計算して、導き出した答えを判断基準にしてきた。何の準備もなしにソロモンに行くことは、リスク以外の何物でもない。得なことなんてなにもない。今でも怖いし、こんな船の中でこき使われるなんて冗談じゃない。来なきゃよかったと思うこともある。さっきは自分自身を誇りに思うって言ったばかりだけどな。それも本当。来なきゃよかったというのも本当。どっちも本当だ。仕方ないよな。人間だもの」
カミーユは友の独白に黙って耳を傾ける。視線は海に向けながらも、今までの出来事を脳裏に浮かべていた。
「どうしていいか分からない。迷うんだ、常に。だから、どうしても損得勘定に答えを求めてしまう。でも、そうやって損得で考えた先にあるのは、今あることの延長線でしかない気がする。悪くないけど、俺自身の在り方を考えた時に、そんな人生でいいのかなと。自分が本当は何をやりたいのか、損得を考えないで始めることで、何かが変わる気がするんだ」
「今度のことはいい機会だと思った。損得抜きで誰かのために、全力で当たってみる。そうやって無理にでもきっかけを作って、今までの自分を変えようとしなければ、お前たちのいるところまで追いつけない。だから、飛び込んだ」
「お前が、あの娘の力になりたいと感じて行動したように、俺も感じたんだ。俺の人生の中で、今が正念場なんじゃないかって」
「お前に最初に誘われた時、いろいろ否定的なことも言ったが、思い返してみると自分を守るための言い訳でもあった」
ハイドライドは思い出したようにカミーユに顔を向けた。
「ごめん。話が長くなってるけど」
「いや、いい」カミーユは表情を変えずに答える。
ハイドライドは視線を海に向け、再び話し始めた。
「大事なことと感じていながらなんだかんだと言い訳して、大事なことから目を逸らし、ひたすらリスクを避ける。リスクを冒すこと全てが素晴らしいとは言わないけど、リスクを恐れて何も考えられない。そんな大人にはなりたくない。そう思った。それが言いたかった」
二人は波に映る太陽の光を何とはなしに見つめている。
ハイドライドが照れたように鼻の下を手でゴシゴシこする。
「変かな。そんな風に感じるのって」
「変じゃない。俺らは子供から大人へと成長している時期だ。その過程で精神的なところでいろいろな葛藤が起こってくる。1つを解決しても、次から次へと、今まで経験したことのないことを自分で決断していかなければならない。失敗もあれば成功もある。その全てが経験だ。そうやって、大人になっていくんだ。今は何が正しい、何が間違っているなんてない。自分が正しいと思ったことが正しいんだ。そうやって俺らは自分を信じて前に進んでいくしかない」
カミーユは、ハイドライドに話しながらも、自分に言い聞かせるように言った。
「1つ言っておくが、イースはともかく、俺はお前が思っているほど立派な人間じゃない」
カミーユの頭には、先程のリーファとのやり取りが思い起こされた。
『卑屈にならないで』
(俺はまだまだだ)
「俺から見れば、たいしたものだよ。お前は」
ハイドライドの言葉には若干自嘲が込められている。
ハイドライドが、ふと思い出したように話を振ってきた。
「ごめん。俺ばかり話してた。どうした? 何かあったか?」
「ん。ばれた」カミーユは抑揚のない声で答えた。
「ばれた?」
「さっき、リーファさんと廊下ですれ違って。帽子を脱がされた」
カミーユは手に持っている帽子をハイドライドに見えるように示した。
「そうか。限られた空間に一緒にいれば、いつかは感づかれると思っていたが、もうばれちまったか」
「案外冷静だな」
「で、話はしたのか?」
「いや。丁度荷物を運んでいる最中だったから、詳しいことは話していない」
「一人じゃ、話しづらいんだろ。付き合うよ」温かみのこもった声だった。
「ついでに、イースにも...」
「奴はもう知っている」意外な答えが返ってきた。
「知っている?」
「ああ。知っていて知らないふりをしてるんだ」
カミーユは、自分達の潜入がイースに既に知られていることに一瞬驚いたが、勘のいいイースなら有り得るなと思いを巡らせた。
「あいつなりの優しささ」
「正体を明かすことができない以上、俺達だけ特別待遇するわけにはいかない。この船の中じゃ、俺らはただの船員。それ以外の者ではないってことさ」
「そろそろ戻んないとな。上司に叱られる。彼女達との話は、今夜の料理の片づけが終わった頃ならお互い体も空くだろう。その頃声かけてくれ。じゃあな」
そう言うとハイドライドは、舳先の方へ向かっていった。
カミーユは、ハイドライドの後ろ姿を見送りながら、ハイドライドの見せた気遣いに驚いていた。どちらかというと自己中心的なハイドライドが、周囲に目を向けるようになった。環境の変化が心境に影響を及ぼした結果なのだろうが、この旅が彼を大きく成長させるきっかけになっている。そして、今後さらなる成長を彼に与えるだろうと確信した。
はぁぁ・・・。
皆さん、こんばんは。伊奈部たかしです。
いつも、「永遠の人魚姫」を読んでくださり、ありがとうございます。
外は激しい雷雨、私の心も雷雨でごぜーます。
この物語は、人魚姫の物語であると同時に、登場人物達の成長物語でもあります。そう思ってどうか温かい目で見守っていただけると、とてもうれしいです。
次回、40話 友達だもんな をお届けします。




