第37話 また会えてよかった
肩の力を抜く。すると全身から強張っていた力が抜けていくのを感じた。
目の前にいるカミーユを見つめる。
なんで作業服姿なのか、なんてどうでも良かった。カミーユがいて自分と向き合ってくれていることが、ただうれしかった。安堵の息とともに目が潤んでくる。
「また会えてよかった。もう会えないかもと思っていたから」
「会えないって...、どういうこと?」
カミーユがリーファの言葉を聞き返す。
「ううん。何でもない。何となくそう思っただけ」
後ろに束ねた髪を揺らして、にっこり笑って見せるが、目から涙が溢れだし、頬を伝って落ちた。
(涙? 私は泣いてるの? カミーユに会えたから? うれしいから? それとも悲しいから?)
リーファは自分がなんで泣いているのか分からないまま、手で涙を拭った。
(涙が...。どうしちゃったんだろ私。自分の気持ちが分からない)
焦点の定まらない感情に戸惑っていると、カミーユの手がそっと肩に添えられた。
温もりが肩を通して、心臓に伝わってくる。
「大丈夫?」
カミーユが心配そうに言葉をかけてくれる。落ち着きを取り戻させてくれる優しい温かみのある声だった。声を聞いてリーファは、コクンと小さく頷いた。
(ありがとう。心配してくれて)
心の中でそっと呟いた。
「ごめん。ちゃんと話がしたいけど今は説明している時間がない。仕事が落ち着いたら改めて部屋に行ってもいいかな」
カミーユが提案してくる。リーファは、顔を上げるとカミーユを見つめながら、しっかり頷いた。
カミーユが肩に置いた手を離すと同時に、自分がカミーユに対してとんでもないことをしたことに気が付いた。
一旦落ち着きを取り戻した心が、再び落ち着きをなくす。頭の中が真っ白になっていく。
「ごめんなさい。私ったら、あのとても失礼なことを...つい、手が出てしまって。さらにカミーユさんの事情もろくに聞かず言いたい放題言ってしまって」
謝りながら顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かった。カミーユの顔をまともに見れなくなった。
カミーユは、自分に手を上げ強気で迫っていたリーファが、突然示した謙虚な態度に一瞬キョトンとしたが、目を細めて笑った。
「君は正しいことを言った。僕が間違ってたんだ。間違いを教えてくれた君には感謝している」
こんな女嫌われて当然、と思って内心ドキドキしていたが、想定外の優しい言葉が返ってきた。
「感謝? 私に?」
「ああ、君に」
この人は自分が感じていたより、ずっと優しくて器が大きい人なのかも。そんな想いで、カミーユを見つめる。
頭に血が上ると、自分の感情を抑えきれなくなり、自分でも訳が分からない状態に陥る。我がままで、気性が荒くて、自分が正しいと思ったことは相手の都合に関係なくぶつけてしまう、そんなため息が出るほど不器用な私。そんな自分の性格に嫌気が差したのも一度や二度ではない。
こんな性格なのは今に始まったことではない、うじうじ悩まないのが私、と開き直る気持ちで生きてきた。でも、本当は...。
目の前のこの人は、私自身も持て余す私の欠点を眉を顰めるでもなく、肯定的に見ようとしてくれる。私の欠点に歩み寄ろうとしてくれる。不思議な人だ。
「ごめんなさい。痛かった?」
今更ながらだが、カミーユを気遣う。
「うん。少しね。手加減なしだったね」
左の頬が赤く腫れている。自分で叩いておきながら、すごく痛々しく見える。胸がチクリと痛んだ。
「本当にごめんなさい」
「でもよかった。平手打ちで。あの時と同じスクリューパンチだったら、今頃海まで吹っ飛ばされていたかも」
私の中で何かが切れる音がした。
「はあ? 何ですって!」
右手をグーにして、パンチの構えをする。
「うわっ。冗談。冗談。それは勘弁して」
ぷくーっとほっぺを膨らませてみせる。
「もお!」
「知らない」
そのまま顔を背けてしまう。
「ごめん。久しぶりに君と話が出来て、つい楽しくて。冗談のつもりだったけど余計なことを言ってしまった。ごめん」
カミーユは謝ると、そっとそっぽを向いてふくれっ面いるリーファの表情を窺う。
「君が元気でよかった。ずっとずっと気になってた」
リーファは背けていた顔を戻す。カミーユの目が笑っている。
とらえどころのないほんわかした笑顔につい引き込まれる。
「私も。私だって感謝してる。あなたが来てくれたことに。あなたがここにいることに。あなたに出会えたことに...」
リーファははにかみながらも、とびきりの笑顔を見せた。
今度は自然と口に出せた素直な気持ち。
(本当に、また会えてよかった)
「じゃあ。また後で。お仕事頑張ってね」
そう言ってカミーユをその場に残して食事の説明会に向かおうとしたが、振り返って大きく手を振る。
「カミーユさん、その服、それはそれで似合ってますよ」
リーファは通路を走って食堂のドアを開けると、後ろ手にドアを閉めた。心臓がドキドキしている。そのドキドキは食事の説明を受けている最中もなかなか消えなかった。
基本的に「人魚姫」の童話を基に小説を書いているのですが、1つだけ全く違う内容に変えている部分があります(他にもあるだろ、というツッコミはこの際おいておいて)。
それは、人間に変化した人魚姫がしゃべれるというところ。
原作では、人間に変身するのと引き換えに声を失うことになるのですが、その設定は物語を書く上でどうしてもつまらなくなってしまうと思ったので、声を失わない人魚姫で話を進めることにしました。
原作でももし人魚姫がしゃべることができたら、どういう結末になったんでしょうね。
と言うことで次回、38話 カミーユの事情です。




