第29話 眩暈(めまい)
「お祖父様。お身体の方は大丈夫ですか?」
「問題ない」
「無理言って、申し訳ございませんでした」
会長の車椅子を引く青年が、体調を気遣いながら頭を下げる。
「いや、むしろ感謝しとる。こうしてバラリスを追い出すことができた。お前のお陰だ。イース。いいきっかけを作ってくれた」
会長は、すっきりした表情でそう言うと、後ろの青年に向けて笑みを浮かべた。
「そういうことなら、私ではなく、彼女達こそが今回の立役者です」
イースはリーファ達の方へ視線を向けた。
リーファとマキは、シェルを抱きながらじゃれ合っている。
「おお。豪快な娘さんじゃな。バラリスが吹っ飛ばされるなんて初めて見たぞ。大したものだ」そう言って会長は手を叩いて大きく笑った。
「一言礼を言いたい。車椅子をやってくれ」
イースが車椅子を押しながら、リーファとマキの前にやってきた。
リーファとマキは突然現れた老人に対して、怪訝な顔をしながらも正面を向いて出迎える。
「やあ、わしの名はダルクファクト。ジャッカルの親会社ウルフソサエティの会長をしておる。うちのヘルマン・リックが大変お世話になり、わしからも礼を言いたいと思ってな」
「ありがとう」
ダルクファクトはよく通る声で礼を言うと、リーファに対して丁寧に頭を下げた。質実剛健を第一に生きてきた老人らしい実直な態度だった。
「えーと?」リーファは会長とイースの顔を交互に見て不思議そうな顔をした。
「ぼくのお祖父ちゃんです。リーファさん」
「ああ。あなたは昨日の! えーと、ハイドライドさん?」
「違います。イースです」
「ごめんなさい」リーファは顔を伏せて謝る。恥ずかしさがこみ上げる。
「ははは。何だ、イース。お前ともあろうものが、名前を覚えてもらえないとは影が薄いんじゃな」
ダルクファクトは楽しそうに声を上げて笑う。
「いや、充分アピールはしたはずなのですが」
イースは苦笑いで応じる。
「カミーユさーん、ハイドライドさーん」マキが手を振って声をかけた。
ダルクファクトの部下が2人、持ち場を離れてこちらに向かってきた。暗くて分からなかったが、近くにやってくると昨日会った2人と認識できた。
リーファは、目の前にやってきた2人の青年をぼんやりと眺める。
(へえ。カミーユさんか。そう言えば、名前聞いてなかったな)
リーファは昨日の場面を思い浮かべながら、自分より少し背の高い男性を碧い瞳でじっと見つめた。
ぼーっとしていたリーファにカミーユが声をかける。
「こんばんは。リーファさん」
「あっ、こんばんは」
リーファは慌てて挨拶を返した。
「お怪我はありませんか?」
カミーユがリーファを気遣う。
「大丈夫です。ピンピンしてます」
ガッツポーズを取りながら、腕をリズミカルに動かしてみせる。
ハイドライドが、バラリスに体当たりした場面を見ての感想を言う。
「見てましたよ。豪快な体当たり。お見事でした。かっこよかったなあ」
「ああ。逃げるのに必死で。なんか恥ずかしい」
リーファは照れて見せる。その仕草に場が和む。
「でも良かった。無事で。僕らが食事をしようとしていたところに、マキさんが偶然現れて、リーファが危ない力を貸してほしいって。ビックリしたよ」
「それで慌てて出て行こうとしたんだけど、イースに止められて」
ハイドライドがここに来る前の状況について教えてくれる。
「あのまま飛び出しても、どこに行っていいかわからなかっただろ」イースが反論する。
「まあ、確かに」
「だから、会長であるお祖父様に相談して、バラリスの部下にバラリスの行先を問い質してから動いた。急がば回れ。適切な判断だったと俺は思う。少し時間はかかったけど、こういう時は闇雲に動いてはダメなんだ」イースが落ち着いた口調で、ここぞとばかりにハイドライドに説諭する。
「お前の家が資産家とは知っていたが、事件がお前の会社がらみだったとは、全く世の中狭いな」
「オレの会社じゃなく、お祖父様の会社だ」
イースはやれやれという顔をハイドライドに向ける。
リーファは応援を呼びに行ってくれたマキに礼を言うと、マキはうれしそうに首肯する。
「ありがとう。マキ」
「無事でいてくれてよかったわ」
リーファは駆けつけてくれたみんなに感謝の言葉を示し、お礼を兼ねてのお辞儀をした。
「ありがとう。皆さん」
「ところで、バラリスに対するセリフで気になるところがあったんだけど。ごめん、つい声が聞こえちゃって」
カミーユがリーファに聞いた。
「何?」
「わざと効きの悪い薬を投与してるって」
「この薬のことね」手にもっていた瓶を差し出す。茶色い粉末が入っている。
「何かつかんだの?」
「何も。そんな気がしただけ」
リーファはあっけらかんと答えた。
「ちょっとその薬見せてもらっていいかな?」
イースが薬を観察する。
「お祖父様。この薬、お祖父様の飲んでいる薬に似てますねって言うか、同じじゃありませんか」
イースは瓶を会長に手渡す。
「どれ。うーん。同じじゃな。見た目は」
「お祖父ちゃんの病気とヘルマンの子供さんの病気は同じなの?」リーファが尋ねる。
「全然違うけど」
「・・・」
イースの目が俄かに険しさを増す。
「薬、少しもらうよ。なんか気になるな。調べてみよう」
リーファは、イースが瓶の中の薬を採取し、その瓶を受け取った直後、突然、膝から崩れ、身体がよろけた。
「あれっ」
(膝に力が入らない。どうしたの、私?)
気が付いたら、隣にいたカミーユに支えられていた。
「大丈夫?」カミーユが心配そうにのぞき込む。
「大丈夫。ごめんなさい」リーファはカミーユに体を預けながらつぶやいた。
「リーファ?」
マキが心配そうに見つめる。
「やっぱりちょっと疲れたのかも。お腹がすいてるところで、走ったり激しい運動したから」
リーファはマキにそう答えると、体を支えてくれているカミーユに、(心配ありません、大丈夫です)という意味での微笑みを向けた。
直に足が回復したので、よろけていた体を元に戻した。
「ありがとうございます。大丈夫です。突然失礼しました」
体を支えてくれていたカミーユに礼を言ったが、カミーユはまだ心配なのか、ギュッと腕を掴んで心配そうに見つめている。
「無理しない方がいい」
マキも気丈に振舞ってはいるが、なんとか立っているリーファに心配そうに声をかける。
「そうよ。無理は禁物」
マキは、リーファの身体の疲労が自分が思っている以上であると感じている。
(リーファ。疲労が相当蓄積しているようね。私達人間の形をしているけど、筋肉も肺も人間に比べると、未熟なまま。海の中では疲れ知らずだったかもしれないけど、勝手が違うんだから。無茶もたいがいにしないと本当に倒れるわよ)
「お二人さん。良かったら一緒に食事なんかどうじゃ。わしからのお礼も兼ねて。おいしいものを食べれば体力も回復するじゃろ。これも何かの縁、是非、ご馳走させてほしい」
「カミーユさん、ハイドライドさん、あなた方ももし良かったら一緒にどうですか?」
ダルクファクトは、にこやかに声をかける。
リーファとマキはお顔を見合わせる。リーファがこれでもかという程の期待を込めた笑顔を見せる。
(行きたいのね)
それを見たマキが、会長に返事をした。
「では、丁度お腹もペコペコだし、お言葉に甘えます」
「よし、それでは飛び切りのデイナーをごちそうしよう」
ダルクファクトは、自分の一番のお気に入りの店にみんなを連れて行くことに決めた。
-自分が自分であるために大切なこと-
自分が好きなこと、心からやりたいと思うことに注目し、集中すると運が開けてくるように感じる。
他人の顔色を窺ったり、他人のために力を尽くすことは人間関係を円滑に進めるために必要なことだけれど、それに囚われ過ぎると本当の自分が見えなくなってくる。
自分を見失いそうな時は、一度立ち止まって自分の心に問いかけてみる。
「本当にやりたいことは何? 自分がうれしいと思うことは何?」
答えが出たら、周りを気にせずその答えに向かって突き進む。
自分の人生、自分らしく思い切り生きてみよう。
そんなオーラが響運を引き寄せる、そう思います。




