第22話 市場回遊
紺碧の空に高らかに鐘の音が響く。
日曜の朝、港町イエローシティの大通りには、色とりどりの物品が並ぶ市場が開催される。
リーファは、朝から興奮が治まらない。
朝ごはんを食べながらも、心は既に市場へと向かっていた。
「リーファ。いい? 市場には行くけど、人前でお金を見せたり、お金をたくさん持ってるからと言って、何でも買ったりとか注意してね。昨日みたいに怖い思いをするなんてたくさんだからね」
「聞いてる? リーファ」
「聞いてるよ。お金を持っていると悪い人間を引き寄せるから、お金をあまり持ってないように振舞えばいいんでしょう」
「なんかちょっと違うけど、まあ、そういうことね」
「ちょっと怖かったけど、人間社会にはそんな一面もあるって、やっぱり海の世界とは違うのね。勉強になりました」
「今日は、大人しくあまり目立たないように市場を楽しみましょう」
「うん」
リーファは、右手の拳を見つめながら、昨日の出来事を思い出していた。
(昨日のパンチ。やはり空中だと威力が半減する。空気の渦と気圧を利用して威力は増したはずなのに。破壊力は海中の1/4くらいか。これも海中と同じという訳にはいかない。しっかり頭に叩き込んでおこう)
(そう言えば、昨日助けてくれた人。最後何か言いかけてた気がするけど。何だろ)
(......)
(ま、いいか)
朝食を食べ、着替えとメイクを手早く済ませたリーファは、まだメイク中のマキに声をかける。
「マキ。早く早く。出発出発」
マキはリーファをじっと見つめると言った。
「リーファ。そんなメイクじゃダメよ」
「?」
「こっち来て。全く。人間社会では、メイクは女性の嗜みなのよ。昨日教えたでしょ」
「んー、面倒くさい」
「はい。鏡の前に座って。もう一度教えるから」
マキは丁寧に教えてくれる。
このマキの根気良さは彼女の最大の長所だ。そうやって個性派揃いの姉達にも手を焼きながら、手懐けてきたのだろう。マキの温厚で忍耐強い性格は教育者に向いていると思う。
「よろしくお願いしまーす」
そう言って、リーファは素直にマキに応じた。
ようやく準備が整い、ドアを開ける。
陽射しがまぶしい。
(今日もいい一日でありますように!)
リーファは太陽に祈りを捧げ、前に進もうとすると、前方に毛の生えた何かがうずくまっているのが見えた。
「何? あれ?」
「ああ、猫よ。野良猫」
「猫?」
「毛並みが気持ちいいわよ。触ってみたら」
リーファは恐る恐る手を伸ばし、猫に触ろうとすると、猫は不意に振り向いて顔を向けてきた。リーファはビクッとする。そのまましばし猫との睨み合いが続く。
「無理! 怖い! あのふてぶてしさ、私には無理!」
そう言って一歩後退る。
「そお? 怖くないわよ」
そう言って、マキはいとも簡単に猫の背をなでた。
「ほら」
「いやいや。私には無理」
「なら、アザラシだと思えば、アザラシなら触れるでしょ」
「アザラシ大好き。かわいいし、超癒される。でもこいつからは挑戦的なオーラしか感じない。アザラシと同列にはできない」
目の前の猫に敵愾心丸出しで指さすリーファを見て、マキも半ばあきらめ気味の顔をする。
「はいはい」
マキは、これ以上言っても仕方ないという感じで、すっくと立ち上がり歩き出した。
リーファはうずくまっている猫を避けるよう距離を置きながら歩き、マキの後に続いた。
「ねえ、マキ。アザラシ飼いたいな」
「無理!」
「えー!」
「じゃあ、ラッコ」
「もっと無理!」
野良猫は、遠くで聞こえる会話を耳にしながら、人間など無関心といった感じで、ゆっくり目を閉じた。
この日の市場は、晴天ということもあり、人で溢れていた。
「リーファ、勝手にどこかに行こうとしないで」
マキに手を握られる。
「迷子になるわよ」
なるほど、これが市場か。
ちょっと人が多すぎる。
二人は、人混みの合間を縫ってお店に並ぶ品を眺める。
それでもリーファは見るもの聞くものに目を輝かせていた。
マキは、今後の生活に必要なものを手際よく買っていく。
野菜、果物、お肉、そして魚と順々に店を巡る。
魚屋で思わず立ち止まる。魚がボールやカゴに入れられて売られているのを見て、なんとなく切ない気分になった。
(海の中なら自由に動き回れるのに、陸上では動くことはおろか息すらできない)
「どうしたの。元気ないみたい」
マキから声をかけられた。何も答えないでいると、
「魚が売られているのを見てショックを受けているのね」と胸中をズバリ言い当てられた。
「やっぱりね。リーファは人一倍優しいからね。姉妹の中では、サイファとオルファが同じようにショックを受けてたわね。スーファとエルファとカラファは普通のことのように眺めていた。同じ姉妹でもそういう感覚は全然違うのね」
「あまり深刻にとらえても仕方ないわ。サメに食べられるか人間に食べられるかの違いっていうだけ。私達人魚だって、魚を食料にしているし、同じことよ」
「さあ、次行くわよ」
理屈では分かるけど、同じ海に生きるものとしては、やっぱり切ない。市場を楽しいものとして浮かれていた自分の浅はかさに気が付く。
お店では、お客さんに魚を手渡し代金を受け取るやり取りが行われている。
(そうね。市場は楽しいものだと思っていたけど、ただ楽しいだけの場所なんて存在しない。そこに至るまでの苦労とか努力とか、そういうのも含めて人々の頑張りによって市場は成り立っている。だから市場は賑わっている)
市場で売られている魚を憐れむことは、正しいことかもしれないけど、別の見方では正しいことではないのかもしれない。
そう考えて、ボールやカゴに入れられて売られている魚の店を後にする。
小一時間の買い物の後、マキとリーファは、ぐったりしながら歩いていた。
市場で買った荷物を両手一杯に持っている。
(重い。重い。買い過ぎた。こんなに買うんじゃなかった)
楽しい市場が、全く楽しくなく苦痛に満ちたものになってしまった。
(これが重力なのね。侮っていたわ。重力ってこんなに大変だなんて。手がちぎれそう)
荷物を置いて休んでいると、突如影に覆われた。何⁉ と思って顔を上げてみると目の前に男が立ちはだかっていた。
見覚えのある顔。
「あなたは、昨日の!」
マキがリーファをかばって身構える。
男は、先日リーファとマキを脅し、お金を掠め取ろうとした男達のリーダー、ヘルマン・リックだった。
【人物紹介】
リーファ
性別 女
年齢 18歳
誕生日 3月3日(うお座)
種族 人魚(王族)
身長 157cm(人間の姿) 217cm(人魚の姿)
体重 秘密
好きなもの アザラシ、イルカ。
・女王ルナの六女。父親は物心ついた時には既にいなかった。
・イルカのシェルをペットにしている。シェルの散歩はリーファの日課。
・割と飽きっぽい性格で、コツコツ知識を積み上げるような勉強は苦手。
・愛されキャラで、姉妹とは仲がいい。
・美声で歌う歌は、聞く者を魅了する。




