第2話 脱出
この度は数多くの小説の中から、「永遠の人魚姫」をお選びいただき、ありがとうございます。
一度きりの人生、充実したものにしていきたいと思ってます。
頑張りますので、応援よろしくお願いします。
「面舵45度」
「面舵ーーー」
船長の指示が船の命運を握っている。
船は、マスト程の高さの高波に揉まれながらも正確なタイミングで波間、波間を縫うように進む。時折船を叩きつける大波によって船は右に左に大きく揺れたが、大事には至らなかった。甲板上は高波と打ち付ける雨で一面水浸しになり、歩くこともままならない状態であることは、艦橋からも見て取れた。先程まで一緒にいたセイジや他の船員も既に船内に避難している。
艦橋では船を守るため、全員が自分の役割に意識を集中している。ギルも状況を観察しながら、時に指示を出し、時に率先して雑用をしながら忙しく走り回っていた。
波が勢いを増すにつれ、船の揺れが激しさを増す。嵐は収まるどころか、さらに勢いづく。メリメリという軋む音がどこかから聞こえてくる。
ふと外を見ると戦慄を覚えるほどの大波が迫っていた。
呑み込まれると覚悟を決めたが、船は寸でのところで、波をかわす。
九死に一生を得たと安堵していると、
「船長ーー」
操舵手が突如大声をあげる。
「どうした?」
船長は真っすぐ海に目を向けながらも操舵手に負けないくらいの大声で返す。
「舵が効かねー。コントロールできねー」
「ちっ。舵がやられたか」
艦橋にいた者全てが最悪の事態を想起し、固唾を飲む。
「このままでは横転するかもしれん」
船長がギルに向かってつぶやいた。
船長の声が悲痛さを帯びる。状況は最悪になりつつあることを悟った。
船長が、ギル・マーレンに真剣な眼差しを向けて言った。
「ギル、王子の命が最優先じゃ。至急王子を連れて小舟で脱出してくれ」
「ああ、分かった。...もうダメなのか?」
「舵の利かない状態では、この規模の嵐は乗り越えられん。横転する前にみんなを脱出させる。今から総員退去の指示を出す」
その言葉を聞くや否や艦橋を抜け出して、王子の居室に向かう。
船が揺れる度に、身体が壁に打ち当てられ、真っすぐ進むことさえ難しい状態だったが、息を切らせながらもなんとか王子の居室の前にたどり着いた。
勢いよくドアを叩く。
するとドアが開き、付き添いの医者が顔を見せた。
「おおっ。フレディ」
「ギル。揺れがひどいな。立ってられない」
医者のフレディは壁に手をつきながらギルを迎え入れる。
「王子はどうだ?」
「ダメだ。熱が引く気配がない。額のおしぼりもあっという間に温まってしまう」
ベッドには、顔を真っ赤に、ハァハァと苦しそうな表情で呼吸する王子がいる。
「急いでここから脱出する」
「脱出?」
フレディは怪訝な表情でギルの言葉を聞き返す。
「直に船長から、退去命令が出る」
「なるほど。そういうことか」
怪訝な表情は、沈鬱な表情へと変わる。
「手伝ってくれ。責任は私が負う」ギルは力強く言い放った。
「分かった」
ギルは横目で、この実直な医者の表情を窺った。
(高熱の王子を嵐の海に送り込むなど有り得ない。それは自殺行為に近い。王子の命を預かる医者としては、認めがたいだろう。気持ちは分かる。だが、船がもうもたない状況ではそうするしかない。 ...済まないフレディ)
ギルは、フレディの心情を察するとやるせない思いでいっぱいになった。
真っすぐにフレディを見つめ、そして言った。
「必ず王子を助けよう」
フレディは無言だったが、瞳に宿る決意がギルに強く伝わってきた。
「急ごう。予断を許さない状況だ」
ギルは居室へ来る途中、いくつか浸水箇所があったことを思い出していた。
フレディはあらかじめ、このことを予見していたのか、カバン1つを持って立ち上がった。
「私の荷物はこれでいい。王子にウェットスーツを着せるのを手伝ってくれ」
二人がかりで、王子の寝間着を脱がし、ウェットスーツに着替えさせる。触れるたびに感じる身体の熱さに心を引き裂かれる思いがする。
そうこうする内に王子が目を覚ました。
「ギル。どうしたんだい」
「王子、嵐で船が航行不能となりました。私の不徳と致すところで申し訳ございません。今からボートに移動して船を脱出します」
「不安はあると思いますが、脱出の件は私にお任せを。王子は何も心配なさらずに心安らかに、その身を私にお託しください。責任をもって王子を国へお返しいたします」
「うん。ギル。ありがとう。僕は思うように身体が動けないから、ギル、いざとなったら僕を置いてでもみんなが助かることを考えて。僕一人のために、あなたや船の人達が犠牲になるようなことがあってはならない。みんな王国に欠かせない人だから」
「王子、もったいないお言葉。あなたこそ国にとって欠かせないお方です。命に代えてもお守りします」
ギルは熱を込めて、王子に訴えた。
「うん」と言って王子は静かに微笑んだ。
自分が苦しい状況にありながら、自分以外の周囲を気に掛ける優しさにギルは感動を覚えた。
(王子、このギル・マーレンが必ずお守りいたします)
ギルは、ウェットスーツに着替えた王子を背負うと、フレディに「行こう」と促した。
居室を出た廊下に先程までなかった水溜まりが見られた。
(浸水しているのか)
今気がついたが、船体が斜めに傾いている。
そのため、通路を通じるドアが開きにくくなっていた。ドアの前で四苦八苦していると、丁度、後ろから船員達がやって来て、ドアを体当たりして開けてくれた。
既に、船長から総員退去命令が出ており、それぞれに持ち場からボートの場所へ向かっていると走りながら簡単に状況を説明してくれた。船員が迷路のような空間を先導してくれる。
船は横から波を受ける度に大きく揺れ、揺れが起こる度に、一旦立ち止まらなければならなかった。そして、揺れが収まると駆ける。それを繰り返しながら、ようやくボートのつながれている場所にたどり着いた。見回すと、既に乗員は半分くらい集まっていた。船長と副船長はまだ来ていないらしく、姿は見えない。
ギルと王子の姿を見つけると、船員達から歓声があがり、今まさに出発準備が出来ているボートに優先して乗せてくれた。
王子とギル、医者のフレディ、その他屈強の船乗りが選別され、計12人が乗り込んだボートが嵐の海に投げ出されるようにして、飛び込んだ。
ザッパーン
荒れた海に浮かぶボートは、右に左に潮の流れのままに為す術もなく漂う。乗員は10秒もたたない内に全員が水飛沫でずぶ濡れになった。
最後方で櫓を操る船乗りが、何度も体を持っていかれそうになりながらも、懸命に舵を切っていた。気が付けば元々乗っていた船は見えなくなっている。ボートが遠くに流されたのか、既に沈んでしまったのか、確認する余裕もなかった。
王子はボートの中央に寝かされ、医者のフレディとギル、そして手の空いた船員によって、はじき出されないように押さえられていた。フレディは心配そうに王子を見つめている。王子の呼吸は荒い。
櫓を操る者以外、全員がボートのヘリにつかまっている。そして、振り落とされないようにボートの動きに意識を集中させている。
後ろの方で「ゴトッ」と音がしたので、振り返ってみると、櫓を操る船乗りが足を滑らせたのかひっくり返っていた。と、その直後、ボートが傾き、身体が宙に浮く感覚があった。
(しまった!)
次の瞬間には、ボートは波のてっぺんから真っ逆さまに落ちていた。
幸いボートはひっくり返ることはなかったが、何人かは投げ出されて海に落ちた。泳げる者は泳いで、自力でボートにたどりつく。
だが、ボート内の光景を見て、ギルは青ざめた。
(王子とフレディがいない!)
目線をボートから海面へすばやく移すと、5m先に浮き輪につかまって浮かんでいる人影を見つけた。
急いで浮き輪につながるロープを引っ張り、浮き輪を引き寄せる。浮き輪につかまっていたのは、フレディだった。フレディをボートに引き揚げると同時にギルは「王子はどうした?」と大声で叫んだ。
フレディは何も答えない。
ギルは、もう一度、大声をあげた。
「王子はどうした?」
「すまん。ボートから投げ出された瞬間、咄嗟に右手で浮き輪を掴み、左手で王子の腕を掴まえたんだが、海に落ちた瞬間、王子が...。すまない。俺のせいだ」
フレディはうなだれ、途中から激しく嗚咽し、言葉にならなくなった。
「なんたることだ」
ギルは自分の迂闊さを呪いたくなった。
フレディのいた付近の海面を見つめる。見えるのは荒れ狂う波のみで、他には何も見ることができなかった。
ギルは、そのまま海へ飛び込もうとしたが、船乗りに下半身を抑えられる。
「離せ。俺は王子と約束したんだ。命に代えてもお守りすると。離せ。離せ。離せ」
最後は怒号に近い声で、叫んでいたが、ギルを掴んでいた船乗りは、そんなギルの願いとは裏腹に、決して手を離さなかった。
「王子...」
そして、ギルは、力なくその場に崩れ落ちた。
本作品をお読みくださり、本当にありがとうございます。
ブックマークの追加または「☆☆☆☆☆」の評価、感想、コメントなど、いただけたら嬉しいです。お気軽にお願いします。