第196話 命の灯
斜め上を見るとリーファが僕のことをじっと見つめていた。
手を動かし足をバタつかせて水中を泳ぐような動作をすると体が水中を移動し、リーファの元に近づくことができた。
リーファは優しい笑みで僕を迎えてくれた。
「初めてにしてはなかなか上手じゃない」
「運動神経は悪い方じゃない」
「悪い方じゃないって、いいって言わないところがカミーユらしい」
「久しぶり」
「ああ。久しぶりって。6時間前に会ってるけど」
軽く突っ込むと目の前の女の子はあっと言う顔をして口をポカンと空けた開けた。
「そうだった」
お互い顔を見合わせて笑い合う。
リーファは自身の憔悴した体を見て呟いた。
「ごめんね。こんな姿で。本当はもっと元気な姿でいるところを見てもらいたかったけど」
(女性はどんな状態でも自分の容姿を気にするものなのだな)
「大丈夫。どんな姿だろうと君は君だよ」
リーファがはにかむのを温かい目で見守る。
「驚いた?」
「ああ。ちょっとね、っていうかだいぶね。ビックリした」
始めて人魚をこの目で見たが、下半身の鱗が光に照らされ七色に輝いている。その姿はため息が出る程美しい。
「ごめんね、黙ってて」
今まで黙っていたことへの罪悪感からか表情が陰る。
「いいよ。初めて見たけど人魚姿のリーファも素敵だよ」
お世辞ではなく本心からの言葉だった。
リーファは顔を輝かせる。
「本当っ⁉ よかった。この姿を見られることに少し抵抗があったんだ。ドン引きされたらどうしようってずっと思ってた」
「引くなんてとんでもない。こんなに美しい姿なのに」
「いやいや。もう。褒め過ぎだってば」
言葉では謙遜しているが満更でもないようだ。
「船の上で言っていた秘密ってもしかして」
「そう。カミーユには私は人間の姿をしてるけど人魚なんですっていう話をしないとって思ってた。これが本当の私です」
「もしかしてずっと気に病んでた?」
「うーん。ソロモンからの帰りの船でカミーユに国王に会って欲しいと言われた頃から、言うべきか悩んでた」
「アクアマリン王国っていうのは?」
「私達人魚の暮らす実際にある国の名前。南の島っていうのはごめん、嘘でした」
「なるほどね。ずっと不思議に思ってたんだけどようやく納得できた」
「船で別れてからいろいろあってさ。その話もしたいんだけどまた今度」
また今度と言ったけど、また今度はもう訪れない。
そういう哀しさを秘めた逢瀬だったが、おそらくそういうことを意識したくないのか、意識させないようにしているのか。淡々と話す彼女の意思はできるだけ尊重しようと思う。
今の僕にできることは、リーファの意思を汲んで気持ちに寄り添う、それだけだ。
そんなことを考えていると涙が滲んできたが、泣きたい気持ちをぐっと堪えてリーファの話に耳を傾ける。
普段の会話のような取り留めのない話を続ける。余命10分の宣告が嘘かのように平穏な雰囲気に包まれている。
「ねえ。最初に会った時のこと覚えてる?」
「ああ。ピエード岬の満開の桜の下で君は石碑に向かって祈りを捧げていた」
「あのタイミングであなたが現れるとは思わなかったわ」
「僕だって、あんな道なき道の果てに先客がいるなんて、すごく意外に思った」
「石碑は君の先祖が関係していると言ってたね」
「それ、覚えてたんだ」
「あの場所は私達にとっての聖地であり、思い出の地でもあるの。だから余計に驚いた」
リーファが目を細める。
「懐かしいな。遠い昔のことのようでもあり、つい昨日のことのようでもある」
カミーユは頷くと穏やかな目をリーファに向ける。
未来が失われたリーファにとって、残された今という時間がいかに大切か。それを十分理解している。だからこそ、今できる今しかできないおしゃべりを一語一語噛みしめながら、心に刻みつけている。そんな印象が伺える。
本当ならそんな状態を満足することなんてないんだろうけど、現状に不満を抱いて感情的になるより、限られた時間を一瞬たりとも無駄にしないという選択をしている。賢い選択だ。
こうして今、会話ができることに感謝している。
そんな風に自分を納得させているんだろう。
憐みの目で見れば却って彼女を傷つけるだけだ。
だけど...。
(限界だ)
とてもじゃないが、普通でいられない。
刻一刻と君が消える時間が迫っている。そんな君が消えようとしているのに普通でいられる訳がない。
「いよいよその時が来たみたい」
スーファの魔法で時間の進行を抑制していたが、魔法の力が弱まってきている。
約束の20分はとっくに過ぎていた。
体から浮き上がる泡の数が増えている。
リーファの命の灯ももうもうじき終焉を迎えようとしている。
深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着けようとしていたリーファの顔がくちゃっと歪んだ。
「本当言うと消えたくない。消えたくないよ。このままで終わってしまうなんて悔しいよ」
「もっともっと生きていたいし、楽しいことしたい。カミーユとももっともっといろんな話をして笑いあったり、ケンカしたり、ドキドキしたり、触れ合ったり、これからも思い出をいっぱいいっぱい作りたかった。なのになんで...」
心にため込んでいた感情を吐き出すと、目尻から止めどなく涙が滴り落ちてきた。
「リーファ...」
手をそっと差し出す。
君に触れたい。君の哀しみを涙ごと拭い取ってあげたい。
「ごめん」
リーファが顔を伏せながら呟く。
「こんなこと言われても困るだけだよね。お日様みたいにキラキラした存在でお別れしたかったけど...無理みたい」
「淋しい。どうしようもなく淋しいよ」
手を差し出し、リーファの手を握る動作をする。
するとリーファが手を僕の前に差し出してきた。
結界ごしに手のひらを重ね合わせる。
もう耐えられなかった。心が悲しみに満ちる。冷静ではいられなくなった。
涙が一滴頬を伝うと、堰を切ったように次々と涙が溢れ頬を濡らしていった。
「実はもう一つ言ってなかったことがあって」
涙顔でリーファが呟く。
「何⁉」
「あのね...」




