第18話 ピエード岬
行きに来た道を戻り、岬へ続く道へと足を向ける。
林を抜けたところが小高い丘になっていて、東屋が1つポツンと建っていた。その先は一面の青い海が広がっている。
岬の先端から海を覗き込んでみる。
風が弱いせいか海は穏やかだ。波が崖にぶつかる音がリズミカルにこだまする。
高いところは苦手ではないが、それでも足がすくむ。
(こんなところから飛び降りたのか。追われていたとはいえ相当な覚悟が必要だったろうな)
過去の出来事に思いを馳せる。
岬の先端で、カミーユが海を眺めている頃、ギル・マーレンは東屋で潮風に吹かれながら、物思いにふけっていた。
と、そこに先程の女性が現れて、ギルの斜め前の席に座った。
「こんにちは、また会いましたね」
にっこりと微笑みかけてくる。
「こんにちは」
ギル・マーレンは折り目を正して挨拶した。
「ギル・マーレンさんですよね」
ギル・マーレンは、名前を呼ばれて目を瞠った。
「どうして、私の名を? 初対面のはずですが」
「あら、デグレト海戦の英雄を知らないなんて人は、このデグレトにはいませんわ」
「私はルナと申します。デグレトの人間です」
ギル・マーレンが辺りを窺うようにしていると、「リーファは先に帰りました」とギルの思考を先読みして言った。
「少しお話したいことがあるのですが、よろしいですか?」
窺うような目で問いかけてくる。
「私をギル・マーレンと知って、ここで待ち伏せしてたのですか?」
「さあ、どうでしょう?」
ルナは少女のように愉快そうに笑った。
「で、私に聞きたいこととは?」
「ソロモン国との国境付近の魔の海域と呼ばれる地域に、最近漁船ではない大型船が現れています。あんな危険な海域にわざわざ大型船を派遣するなんて、ソロモンとの間で戦争を準備しているのではないかと皆、不安がっております。前のようにいきなり奇襲を受けないように事前に手を打ってのことだろうと思いますが、戦争が近いうちに始まるのなら、私達も覚悟を決めておきたいと思いまして。誰か詳しい者はいないかと案じていたところで、先程あなた様をお見掛けすることができましたので、少し厚かましいとは思いましたが、折角の機会でもありましたので、声をかけさせていただきました。勿論、国防のことは国家の重大事項なので、大事なことは伏せたままでいいのです。差し支えなければ大型船を派遣して何をなさっているのか教えてくださいますか?」
ギル・マーレンはそっと目を閉じた。
ルナは口を閉じて、ギル・マーレンの決断を待つ。
沈黙が訪れる中、遠くで響く波の音が、二人の間に流れては消え、流れては消えていく。
ギルは瞼を開けると、ルナに目を向けた。
「あなたの素性が掴めないので、本当ならお話しすることはないと突っぱねる所だが、あなたに協力すべきだと私の直感が訴えている。なので、国家機密に触れない範囲でお話する」
「ありがとうございます」
女性は神妙な態度で礼を言った。
「まずはソロモンとの間に戦争が始まるかどうかについて、少なくともこちらから仕掛けるつもりはないし、ブエナビスタは戦争を望んでいない。ただ成り行きによってはどうなるか分からない」
「それと魔の海域で蠢動している大型船について、誤解しているようだが、それらはブエナビスタの船ではない。あれはソロモンの船だ。ブエナビスタも警備のため船を出動させたりもするが、もし漁の最中に大型船に出くわしたりしたら、危険だから近づかず逃げることをオススメする」
「ソロモンの船? あんな遠いところから何をしにこんなところまで」
「分からない。探りを入れ、情報を集めている。ブエナビスタを攻める準備と言う者もいるが、私は違う別の思惑があると思っている」
「・・・・・」
女性は呆気にとられた表情をしている。自分の想像とは違った内容に、思考が追い付いていないようだ。
「・・・あなたは一体、何者なのですか?」
ギル・マーレンは正直に言わないと分かりながらも敢えて聞いてみた。
「ソロモンの手の者と言ったら?」女性はこちらの目を真っすぐ見て言った。
「!」
ギル・マーレンは一瞬顔を強張らせたが、すぐに表情を柔らかくした。
「違いますね。悪い冗談だ」
「密偵はどこか後ろ暗い雰囲気を持つ。巧みに隠すが、何かの拍子に表に出るんです。ですが、あなたからはそういったものは感じられない。だから私はあなたを信用した」
「さすがね」
「ただ...」
「ただ?」
「ただの村人ではないですね」
「・・・・・」女性はそこの部分では、口を閉ざした。
ギル・マーレンはルナの瞳に向かって語りかける。
「いいでしょう。あなたの素性は敢えて問わない。何か事情があるのだろうと思っている」
「こちらからも1つ、確かめたいことがある。知っていたら教えて欲しい」
「あの海域の海底にソロモンが執着する大事な何かがある。それの情報が知りたい。直近でソロモンの船が沈没したという噂が流れたことはありませんか? あるいは海底に何か落としたとか」
「ごめんさい。知らないわ」
「...そうですか」ギル・マーレンは仕方がないといった表情をした。
「ありがとう。ギル・マーレン。無理言ってごめんなさい」
女性は立ち上がると、声に明るさ含ませて言った。
「あそこにいるのカミーユ王子でしょ」
「!」
「どういう事情があるか知らないけど、王子がここにいることは内緒にしておいてあげる。ふふっ。これでお相子ね」
女性はギル・マーレンが困惑するのを見て子供っぽく微笑む。そして、踵を返して歩きだした。時折吹く突風が髪をなびかせる。
ギル・マーレンは、女性の後ろ姿を見送りながら考える。
(何者なんだ。あの美貌、聡明さ、私を前に全く物怖じしない度胸。それにただの村民にしては洞察力があり過ぎる)
(ルナと言ったな。念のため調べてみるか)
王子が、岬から引き返してきたところで合流すると、ギル・マーレンは何事もなかったように、そのまま来た道を戻っていった。
最近、小説家になろうがきっかけで出版化された「本好きの下剋上」を読み始めました。
とても読みやすくサクサク読めます。主人公の悪戦苦闘ぶりが楽しめるのも自分の中では高評価です。
やっぱり書籍化されている小説はレベルが高いな、と感じた今日この頃でした。
次週は「ドッグレース」をお届けします。




