第148話 誰かの子供(シュラの過去編⑤)
子供は突然の病状悪化によって死んだと病院関係者から聞いた。誰も他殺を疑っている様子はない。心の中で冥福を祈りつつ、次のターゲットを見回ったが、症状の重い病気の子供は他にいなかった。
酒場で酒を飲みながら食事をしていると、隣のテーブルの話し声が耳に入ってきた。
「本当。子供なんて邪魔なだけ。生まなきゃよかったわ。うるさいし、お金はかかるし、汚いし、いいことなんて1つもない。いっそどこかいなくなってくれないかしら」
若い女性が二人、酒を飲みながら愚痴を言い合っている。というか化粧の派手な女性が日ごろの不満を一方的に捲し立てている。品のないしゃべり方はそれなりの環境で生活しているからなのかもしれない。
ネガバラックはなんとはなしに聞き耳を立てる。
「子供? 家で留守番してるわ」
「たまにはお酒飲んで憂さを晴らさないと、とてもじゃないけど精神的にもたない」
若い女性はテーブルのお酒を一気に飲み干して、自分の中の不満をまき散らすように喋り続ける。
「あんたって昔から家事苦手だったもんね。子育ても向いてない気がする。どうして子供なんか生んだのさ」
「だって、出来ちゃったもんはしょうがないでしょ。堕ろすお金もなかったし」
聞き手の女性が溜息交じりに応じる。
「あんたみたいなのが親だと子供も不幸だね」
「私もそう思う」
「自分で言ってりゃ世話ないわな。私に愚痴るのは構わないけど、溜まってるもの吐き出したら、ちっとは優しくしてやんな」
「うーん。どうかな」片肘つきながらあっけらかんと答える。
「全く」
過激な内容だが、もう一方の女性がそれほど意に介してない様子を見ると、おそらくいつもの会話なのだろう。それにしても...。
ネガバラックは気付かれないように隣のテーブルをチラッと見て嘆息する。
(子供を産んだものの、子供への愛情を感じることができない女性がいるとは聞いたことがあるが、隣の女性はそういう性質の女性なのだろうか?)
(子供はどうなんだ? 親から邪魔者扱いされながら育てられているってのはどんな心境なんだ。この母親と一緒に暮らすって息が詰まるだろうな。あるいは恐怖による支配でビクビクしながら生きているとか...)
(子供は親を選べないと言うが哀れだな)
隣のテーブルが静かになったと思ったら、声を抑えてヒソヒソ話をしている。それでも話の内容は聞こえてしまう。
「闇ルートで子供を高値で引き取ってくれる団体があるって聞いたことあるけど、知らない? 知ってたら紹介して欲しいんだけど」
「ちょっと、本気かい?」
相手の女性は顔をしかめながら女性を睨んだ。
「うん。本気」
「ねえ。どうなの?」
身を乗り出す女性に、もう一方の女性はうんざりした様子で答える。
「聞かないね。都市伝説でしょ。人魚がいるとかと同じ。どっかの誰かが面白可笑しく話を盛っているのよ。根拠のない話」
「そっか。なーんだ」
女性は幼さをのぞかせながら唇を尖らせ残念がった。
ネガバラックは心の中で罵りながら、素知らぬ顔で酒をグイッとあおった。
(本当。クズだな。この女。酒がまずくなる)
だが、と考える。
子供の売買をする闇ルートは存在する。法に抵触するので、決して表には姿を見せない。一般人が興味本位で足を踏み入れられる領域ではない。
会計を済ませ、外で隣のテーブルのじょ女性達が店から出てくるのを待つ。
待つこと15分。女性2人が店から出てきた。
店の前で「じゃあ、またね」「気を付けて」と挨拶を交わし、2人は分かれて歩き出す。
さりげなく女性の後をつける。
住宅街を外れ、電灯のない道を進んでいく。
やがて小さな集落の中にあるあばら家に入っていった。
ネガバラックはそこで足を止め、女の入ったあばら家を見る。
(なるほどな)
女性の荒んだ性格は環境に起因していると言える。
余裕のない生活での不安や焦りが思考を支配して、対人関係の構築や言動に影響を及ぼしている。
彼女はここで生活する自分に常に劣等感を抱いているのだろう。だから余計他人に対して攻撃的になる。子供も例外ではない。
(後は子供がどんな生活を送って、親に対して何を感じているかだな)
(場所は分かったし、一旦出直して明日以降張り込んでみるか)
ネガバラックは踵を返し、闇に消えていった。
ネガバラックはそれから通りがかりを装って、何度かあばら家内の親子の様子を観察した。
この親子には父親がいない。近隣の人の話では子供が生まれてすぐに出て行ったそうだ。定職につかずに夢みたいなことばかり言っていたらしい。母親の苛つきは子供のせいばかりではないようだ。
子供は男の子が1人、推定3歳あるいは4歳。体つきは華奢で性格は内向的。元々内向的なのか母親のせいで内向的になっているのか分からない。
(可哀想な子だ)
母親に疎まれながらも懸命に母親の機嫌を損ねまいと努めている。彼にとって母親の感情が全てなのだろう。
ある日の夕方、外に出て寂しそうに蟻の行列を眺めていた子供に声をかけてみた。母親が仕事でいないのは確認済だ。
「蟻さん、好きか?」
子供はいきなり声をかけられたことでびっくりしていたが、コクリと首を下げて返事した。
知らないお兄さん(おじさん?)からいきなり声をかけられればびっくりするし、顔も強張る。それは致し方ない。
知らないお兄さんには興味がないらしく、再び蟻のいる地面に目を向ける。
「坊や。お母さんは好きか?」
子供の背中がピクンと震える。そしてか細い声で答えた。
「好き」
ネガバラックは子供の背中を見つめる。
(好き...か)
本当のところはどうなんだろうな。母親が世界の全てなら思う所はあっても「好き」と思い込むしか選択肢はないだろう。一生懸命「好き」と思い込むことで事態が好転すると信じているのかもしれない。
そんな訳ないのにな...。
(お前がどんなに顔色を窺っても、努力しても、我慢してもそれは決して報われない。それどころかそれさえも癇癪のきっかけとなり得る)
ネガバラックは酒場での女性のセリフを思い出す。
(お前がどんなに慕ったってあの女には1mmも届かない)
(お前の生まれてきた意義って何なんだろうな)
俺の家も極貧だったから。お前の境遇は他人の気がしねえ。余計なお世話かもしれねえが。
子供の小さな背中に語りかける。
(子供の幸せは親と一緒に生活することだと思うけどさ。本当にそうか?)
(大好きな人にその存在を否定され続けて、本当に幸せなのか?)
本当。余計なお世話かもしれねえが。
「お前...」
子供の肩に手をかけ、手を引いて子供を立ち上がらせる。
「来い」
ネガバラックは強引に子供の手を掴んで歩き出す。
子供は急に手を引かれ、半ばパニックになりながら喋りかける。
「えっ、何? どうしたの? おじさん誰?」
「俺が誰かなんてどうでもいい。お前はここにいたら不幸になる。俺と一緒に来い」
「やだよ。なんで一緒に行かないとダメなの?」
必死の形相で訴えかけてくる。
「お前の母ちゃんは...」ネガバラックは言いかけて口をつぐんだ。
(母親に愛されてない事実なんて話したところで意味がない。子供を傷つけるだけだ)
「くそっ!」
「お母さん? お母さんがどうしたの?」
「ああ。お前の母ちゃんに頼まれたんだ。母ちゃん、重い病気にかかっちまって、急に病院に入院することになった。お前のこと、よろしく頼むって」
子供を傷つけないようにと思って、その場で思いついたことを子供に伝えた。咄嗟の思い付きなので、雑さは否めない。
「ええっ、お母さんが病気? 嘘だ。朝は元気だったよ。お母さんなんで?」
子供の感情が高ぶってきた。
「母ちゃんの病気は人にうつる病気で子供は特に危険なんだ。だからしばらくは俺がお前の世話をする」
子供は立ち止まるとついに泣き出し、泣きじゃくりながら手を引くネガバラックに渾身の力で抵抗する。
「嫌だ。僕はどこにもいかない。お家でお母さんが帰ってくるのを待ってる」
周囲の目があるから、この状態のままぐずぐずしている訳にはいかない。
ネガバラックは子供の口にハンカチを突っ込むと、子供を抱きかかえてその場から移動した。
子供は足をばたつかせながら、尚も抵抗する。
「ちっ! 面倒臭せーガキだな」
仕方なしに、草むらで一旦下ろし、手足を縛り目隠しをする。そのまま麻袋に子供を入れ、麻袋を担いで移動した。
ネガバラックは自分のアパートに着くと、麻袋の中の子供を解放した。
「悪かったな。苦しかっただろ。勘弁してくれ」
荒っぽいやり方を反省しながらも、あれしか方法がなかったと自分に言い聞かせる。
子供は何か言いかけたが、力を使い果たしたらしく、ぐったり横になって、そのまま寝てしまった。
「さて、ここからどうするか」
勢いで子供を連れてきてしまったが、ネガバラック自身子供を育てた経験がない。
「ま、子供一人くらい、なんとかなるか」
そう独り言をこぼすと、横になりながら、いつの間にか寝てしまった。
 




