第146話 母の目(シュラの過去編③)
ハルさんはわたしのことを不思議そうに見ている。
私がここに置かせてくださいと言った真意を測りかねているのかもしれない。
「助けてもらったお礼をまだしてなかったから。何か力になれることをしたいんです。あの頃は小さかったので何もできなかったけれど、今ならいろいろ手伝えることもあると思うので。でないと私の気が済みません」
私の言葉を聞いて、そういうことか、と納得したようだが、まだ迷いの感じられる表情をしている。
「んー。まあ、少しの間なら構わないけど。家族の方とか大丈夫なの?」
「はい。そっちは心配ありません」自信満々に言い切る。
それでハルさんも吹っ切れたようだ。
「了解。狭い家だけどこんなところで良ければ。それと私も仕事したり家のことをしたりで忙しいから、私のペースで生活してもらうことになるけど、問題ないかしら?」
「はい。生活は合わせます。家のことも問題ありません」
「いいわ。じゃあ、よろしくね。えーと、名前は?」
「シュラです」
「シュラちゃんね」
ハルさんが手を差し出してきたので、ぎゅっと握手を交わした。
「ところでシュラちゃんは何ができるの?」
「はい。実は人間の生活のことはあまり分からなくて...。いろいろと教えてもらいながら頑張ろうかな、と」
私の返答に一瞬驚きの表情をしていたが、すぐに大笑いしだした。
「あはは。なるほど。そっか、人魚だもんね。分かった。分かった。じゃあ、全部一から教えてあげるから、一緒に頑張ろ」
「はい」
やっぱりハルさん大好き。
ハルさんは何も知らない私を快く受け入れてくれたばかりか家事全般を丁寧に教えてくれた。
驚いたことにハルさんにはショウくんという子供がいた。年齢は4歳だそうだ。目のクリクリしたかわいい子だ。初めは私の事を警戒してハルさんの後ろに隠れていたが、1日ずっと一緒にいて安心したのか、挨拶くらいは交わせるようになった。家事の方はまだまだ役に立っているとは言い難いけど、三人での生活は楽しかった。
「ただいま」
男の人が帰ってきたので、早速挨拶する。
一瞬、ショウくんのお父さんかと思ったが、ハルさんの弟さんだそうだ。そう言えばかすかに記憶がある。名前は「フユリ」さんだ。フユリさんは突然現れた私のことをかなり怪しい目で見ていたが、そこはうまくごまかしきることにした。私の正体が人魚ということはハルさんと私だけの内緒にしてある。
フユリさんは腑に落ちないという顔でずっと私を見ていたが、ハルさんのフォローのお陰もあって、不承不承という態で納得すると、それから後は気さくに応対してくれた。
ショウくんもフユリさんには懐いていて、傍から見ると親子のようにも思えた。フユリさんとシュウくんがじゃれ合って遊んでいる様子を微笑ましく眺める。
「なんか、いいですね。ああいうの」
ぼそっと言った呟きにハルさんが反応した。
「フユリはがさつなんだけど、シュウの面倒は良くみてくれるのよ。シュウもフユリには懐いているから、こっちが忙しい時なんかはいてくれると助かるのよね」
ハルさんの目は子供を持つ母親の目になっていた。
《町から外れた郊外のとある施設》
暗闇に炎が激しく揺らめいている。
「サーサーレーザン、ランランゼーゼー」
バチバチと燃え盛る炎に重なるように野太い声が発せられている。
盛大な炎の祭壇の前で七色の袈裟を身に着けた派手ないで立ちの祈祷師が、椅子に腰かけて一心に祈りを捧げている。
装飾の施された祭壇の中央手前には手のひら位の大きさの水晶玉が6つあり、それぞれが炎をかたどった台座に置かれている。
6つ並んだ水晶玉のうちの5つは普通の水晶玉だが、1つだけ妖しい炎の光を内面に映し出している。水晶玉内の炎は彩り豊かに赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫、黒、白と色を変化させながら揺らめいている。
祈祷師が唱える祈祷の熱量が増すにつれて、祭壇の炎も大きく燃え上がる。
その祈祷師の背後に、20代半ばを思わせる身なりを整えた男性が現れた。男性は祈祷の邪魔をしないように静かに祈祷師が祈祷を終えるのを待つ。
「サーサーレーザン、ランランゼーゼー」
祈祷師は男性の気配を感じていたが、そのまま祈祷を続ける。
待つこと10分、祈祷師の結びの言葉によって祈祷は終わった。
祈祷師は後ろを振り返らずに尋ねた。
「状況はどうだ?」
「はい。問題ありません。関係は良好です」
祈祷師の問いに男性が答える。
「いつ頃できる?」
「近いうちには」
男性の答えに満足気に頷くと祈祷師は自身の尊大さを誇示するように男性に対して宣告した。
「期待している。6つの玉のうちようやく1つに気が満ちた。全ての玉に気が満ちたその時、偉大な力が我らの下に降臨する」
「我らが思い描く尊き理想の実現がすぐそこに迫っている」
「頼りにしている。ネガバラック」
男性は教祖に向かって恭しく頭を下げる。
「はい。教祖様。教祖様の理想とする戦争も貧困もない世界の実現のため、私ネガバラック犬馬の労も厭いません」
「よくぞ言った。成果を期待している」
ネガバラックと呼ばれた若者は目を伏せながら、教祖に不安を抱かせないように、声に重厚感を含ませて返事をした。
「はい」
教祖は満足そうに大きく首を縦に振った。
「よい。下がれ」
ネガバラックは一礼すると祭壇から身を引いた。
ネガバラック・バーボン 27歳(独身)
私はこの土地の者ではない。ある土地で犯罪を起こし、逃げるようにしてこの土地にやってきた。
仕事もなく生活に窮していたところで、勧誘されるまま退屈しのぎに宗教に入信した。宗教には興味はなかったものの集会に参加すると軽食や飲み物を振舞われたため、暇な時は可能な限り顔を出していた。集会への参加率はいい方だったと思う。
ある日教祖様に呼ばれ、勧誘して入信者を増やせば、生活を保障すると言われた。最初こそは仕方なしに声をかけていたが、自分の声掛けによる入信者が増えてくるといつしか無我夢中で勧誘を行うようになっていた。強引な勧誘に不満や非難が殺到し、トラブルに発展することもあったが、そんなことお構いなしでどんどん入信者を増やしていった。
入信者の増加と共にネガバラックは教団に認められ、幹部へ昇進する。
ある時、教祖からある相談を持ち掛けられた。
人間では持ち得ないある特殊な力を得る方法があるらしい。
他を圧倒する力、と教祖様はおっしゃった。
それがどんなものか皆目見当がつかないが、教祖様は嬉々とした顔で、差別も貧富の差もないみんなが幸せに暮らせる世の中を自分の手で作り上げたいはおっしゃった。その力があれば実現可能だと。
教祖様のおっしゃる差別も貧富もないみんなが幸せに暮らせる世の中の実現には半信半疑であまり興味は湧かなかったが、教団を利用することで自身の権力が増し、実入りが増えるなら、好都合だと思った。
教祖様の言葉に調子を合わせつつ、耳障りの言い言葉を並べて、従順を装った。
だが、その後の教祖様からの相談内容を聞いて驚愕した。
偉大な力を得るためには人間の子供の霊魂が必要だと言う。その霊魂を水晶玉に封入し、神にささげることで願いは成就する。そのために準備された水晶玉は6つ。つまり6人の子供の魂が必要ということになる。
人の命に関わる大切なことをまるで他人事のように笑みを浮かべて話す。
教祖の普段見せている穏和な表情とは異なる冷徹かつ狂信的な本来の教祖の姿を見た気がした。
興奮した教祖は何かに取り憑かれたように理想の世界の在り方をつばを飛ばしながら滔々と話す。
その姿は自己陶酔以外の何物でもない。
(なんとなく普通じゃないと思っていたが、こんなにもやべー奴だとは)
そんな俺の心中を見透かすように、突如話を振ってきた。
「そうそう。君は確かここに来る前はカントマリーにいたとか。君が過去何をしていたかは問わないが、君はとても優秀だ。過去のたった1回の過ちで全てを失うのは実にもったいない。そうは思わないか?」
(こいつ、俺の正体を知っていやがる)




