第144話 傷だらけの人魚(シュラの過去編①)
《遠い過去の話》
デグレト島のさびれた漁村。
「お姉ちゃん。フッコの入り江に女の子が漂流してるんだけど、それが変なんだ。下半身が魚みたくなってて。あれが噂の人魚なのかなぁ」
ハルは破れた網の補修の手を止めて、3歳年下の弟をまじまじと見た。
「へえ。面白そうだねえ。行ってみるか。人魚とやらの見物に」
二人は漁師小屋を飛び出して、フッコの入り江と呼ばれる入り江に向かった。フッコの入り江の周辺は大小の岩によって人が踏み入れられない地形になっている。ただ一箇所だけ抜け道のようになっている所があり、そこを通ると天然の小さな入り江に出られる。それは姉弟だけが知っている秘密の入り江でもあった。
いつもの通り抜け道を抜けると、入り江の端に何かが見えた。
「あれか?」ハルは弟に確認する。
「そう」
二人で砂浜を歩いていく。入り江の中だけあって波は穏やかだった。
5歳くらいの女の子が波打ち際にうつ伏せに倒れていて、打ち寄せる海水が彼女の体を時折覆うように浸している。近づいてみると確かに弟の言った通り、上半身は紛れもなく人間だが、下半身が足ではなく尾ひれだった。尾ひれは鱗に覆われている。
女の子をよく見ると左手から背中にかけて大きなひっかき傷と深い刺し傷が数か所あり、背中はほぼ血まみれだった。
「死んでるのかな?」弟が呟く。
ハルは弟をきっと睨む。
(嫌な事言うな。さては一人で死体の処理をするのが嫌だから私を呼びにきたな)
弟はハルに睨まれて狼狽える。
「ごめん」
ハルは謝る弟から倒れている人魚に視線を移して観察する。
人魚はまだ幼い。
(何があったんだろ。この傷普通じゃない)
見れば見るほど痛々しい傷だ。
手を取って脈を確認してみる。
もし死体だったらどこかに埋葬してあげなければならない。
「あっ。脈がある」驚いた。
トクントクンと脈がリズムを打っている。
(生きているのか)
良かったと思う反面、生きているなら生きているでどう対応していいか分からない。
近くで鳥の羽音がした。ビックリして岩場を見上げると1羽のオオワシが岩場の上からこちらの様子をうかがっている。
(海面近くを泳いでいた時にあいつに襲われたんだな)
傷口からはいまだに血が流れている。
(可哀想に)
「フユリ。この子、家に連れ帰って傷の手当をするから。運ぶの手伝って!」
「えーっ」
「えーじゃない。手伝いなさい!」
二人で人魚の女の子を家に運ぶと、弟に人魚を助けたことを絶対に人に言わないことを誓わせた。
「例えお父さん、お母さんであろうとも絶対内緒にして。分かった?」
「お姉ちゃん。怖い」
「そうよ。約束破ったら、もっと怖くなるわよ」
必要以上に顔を近づけて、弟に圧をかける。
弟に言うこと聞かせる時に使ういつもの手だ。弟は圧に弱い。
「分かった。絶対人に言わないよ」
「よろしい」弟に笑みを向ける。
「さて、お父さんたちが帰ってくるまでまだ時間があるわね」
「フユリ。救急箱持ってきて」
弟が持ってきた救急箱を開ける。
「お姉ちゃん。傷の手当できるの?」
「できるわよ。学校でやったことあるもん」
とりあえず傷口を水で洗い流してカーゼで汚れや血をふき取る。消毒液を傷口に注いで、きれいな布を当て包帯をグルグル巻いた。
「これでよし。フユリ、ふとん敷いて」
弟にふとんを敷かせて人魚をふとんに寝かせた。
「人魚の治療なんてよく分んないけど、安静にさせておけば良くなるでしょ」
一仕事終えたハルは額の汗を拭った。対処がちょっと雑だなと思ったが、医者じゃないからそこは仕方ないと自分を納得させた。
「後は、お父さんたちがこの部屋に入って来ないように何とか頑張るしかないか!」
人魚は時折顔を歪めながらも、スースーと寝息をたてて寝ている。
「ただいま」
「おう。ハル、フユリ、帰ったぞ」
両親が帰ってきたところで玄関に顔を出す。
「お帰り。お父さん、お母さん。今日はどうだった?」
「ええ。今日は大漁だったわよ。ほら」母はバケツの中の魚を二人に見せた。夕食分だけ家に持ち帰り、他は外の小屋のボックスに入れておくのがいつものパターンだ。
「よかった」ハルは大漁と聞いて素直に喜んだ。
「どうした。フユリ。そわそわして」
「な、何でもないよ」
父が落ち着かない様子の弟に話しかけているのを見て慌てて遮る。
「じゃあ、私とフユリは勉強があるから。夕食が近くなったら手伝いに来るね」
言うや否や弟を連れて自分達の部屋に飛び込んだ。
「もう。フユリ。何やってんの。別に悪いことしてる訳じゃないんだからもっと落ち着きなさい」
「だって、姉ちゃん。俺自信ないよ」
「男のくせにだらしないわね」そう言って弟の頭を軽く小突いた。
ふとんの方を見ると目を覚ましてこちらを見ていた人魚と目が合った。
人魚は顔を引きつらせて今にも泣きそうな顔でいたが、泣いてはまずいと思っているのか、必死に泣くのを我慢している。
「あ、あー。大丈夫。大丈夫だよ。私達はあなたの味方だから。だから怖がらないで。怖がらないでいいんだよ」
「あなたは怪我をして海岸で倒れていたの。そのままだと危険だったから家に連れてきて傷の手当てしたんだけど。怪我は大丈夫? って言葉分かるのかな?」
少女は自分の体に巻かれた包帯を見て手で触った。傷口が痛むのか時々顔を歪める。
「寝てて。その方が早く治るから」
「大丈夫。傷が良くなったらすぐ海に返してあげるから、だからさ、大丈夫。不安にならなくていいんだよ」
ハルは少女を安心させるために、分かりやすい笑顔を見せた。
「あ、ありがとう」少女はぼそっとつぶやくとふとんにもぐってしまった。
ハルは目の前で起こった出来事に意識がついていかず、頭が混乱状態になった。
「えっ⁉ しゃべった⁉ ありがとうって言った⁉」
興奮して弟に詰め寄る。
「聞いた⁉ ありがとうって」
「もう。そう興奮すんなよ。そううるさくしてたら落ち着いて寝られないだろ」
「そ、そうね。その通り。静かにするわ」
ご飯の残りを人魚の少女に差し出すと最初は警戒していたが、口に合ったみたいで「美味しい」と言って食べてくれた。
人魚の少女は3日間、傷の療養のため家に滞在していたが、家族が心配するからと言ってまだ傷が完全に治りきらない状態であったが海に帰ることになった。
フッコの入り江で少女の人魚と最後の会話を交わす。
「ほんとに大丈夫?」
「はい。まだ痛みはありますが、泳いでいる内に治ります」
「ならいいんだけど」
「いろいろとお世話になりました」
「じゃあ。元気でね」
「はい」
「海面を泳ぐ時はくれぐれも気を付けてね」
「ありがとうございます」
少女の人魚はハルに笑顔を見せるとそのまま振り返らずに海に帰っていった。ハルはその様子を夢の中での出来事のように感じながら温かく見守った。
「行っちゃった」
(人魚。言い伝えだけの存在だと思ったけど...いたんだね)
(フユリには私達が人魚を保護したことを内緒にするように再度釘を刺しておこう)
(お姉ちゃんが怖いからじゃなくて、あの子があの子の世界で安心して暮らせるように。だから他人には内緒にしておく必要があるんだよ、と)
いつもご愛読ありがとうございます。
梅雨も明け、暑い夏がやってきました。みなさんいかがお過ごしでしょうか?
今週からシュラの過去編に入りました。しばらく過去編が続きます。
シュラとハルの壮絶な物語です。シュラが何故人間を殺さなければならなかったのか、記憶をなくしたシュラがどうやって記憶を取り戻したのか、そこの謎もはっきりしていきます。
クライマックスに向け頑張っていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。




