第141話 レムリアの王
《とある洞窟内》
両手サイズの炎の前で、白装束の女性が祈祷に集中している。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
女性は最後の言葉を吐き出すと、目の前の炎に念を送り込む。
炎は一瞬大きく燃え上がったが、その後元の大きさに戻り、ゆらゆら揺れながら洞窟内を照らしている。
「何をしてるんだい。シュラ」
シュラは閉じていた目を開くと、脳裏に飛びこんできた声の主に返事をした。
「これはショウカク様。世界を平和に導く祈りをしておりました」
「そうか。声をかけてはまずかったかな?」
「いえ、丁度終わったところです」
「今度は何をしようとしているんだい?」
「私はある人との邂逅によって、人魚と人間は共存できると本気で考えてました。しかし、今まで人間達の動向を見てきてそれが儚い望みであることを思い知らされました。人間は未知なる存在に接すると不安を抱きます。そしてその不安の根源を未知なる存在のせいと断定し、不安を取り除きたいがために攻撃的にすらなります。一方、人魚達は必要以上に過去を引きずり、人間との共存を避けています。人間と人魚の出会いはお互いを不幸にします。人間及び人魚がそれぞれ幸せでいられるために、私は私のやるべきことをするつもりです」
シュラは厳しく言い放つ。そこには一片の迷いもない。
声の主は決意を秘めたシュラが過激に進もうとするのを抑えるようにやんわりと言葉を伝える。
「人間とは罪なるものだ。一部の人間の暴走が他の大勢の人間に悲しい思いをさせる。残念なことだが、それはどうすることもできない」
「私は残念なことで済ますつもりはありません」
「・・・」
シュラの決意が予想よりも固く、抑えることができないことを悟って声に主は押し黙った。
「ショウカク様。私のことを気にかけてくださっていることには感謝いたします。しかしこれからの私は私の信念に従って行動します。介入はなしにしていただき、温かい目で見守っていてくださると助かります」
しばしの沈黙があって、声の主からの返事があった。
「分かった。もう口出しはしない。君の思うままにすればよい。ただ事態を見守るにも限度がある。限度を超えると判断した場合には我々の力を使わせてもらう」
「はい。それで結構です。ありがとうございます」
シュラは宙へ向かって、丁寧に頭を下げた。
「そうそう。グロティアが死んだ」
「そうですか...」
「やけにあっさりしているな」
「別に。私にとっては既にどうでもいい存在でした。生きているなら生きているで利用価値はありましたけど、死んだなら死んだで仕方のないことです」
「いてもいなくても同じってことか。感情にとらわれない君らしい考え方だ」
「レムリアの王ショウカク様。私が今あるのはあなた様のお陰です。ご恩は片時も忘れたことはございません」
「どうした。改まって。お互い様の話だ。記憶を戻した君は見事に我々の期待に応えてくれた」
「それは記憶を戻してくれたことへの感謝の証です」
「少々のことには目を瞑るが、暴走は自分が絶対の正義だと思い込むことから始まる。自分の信念に従うのもいいが、程々にな」
「はい。分かりました。お言葉、肝に銘じておきます」
「また、会おう」
声の通信は途絶えた。
シュラは炎を手で消すと暗闇に包まれた洞窟を外に向かって歩き出した。その姿は今までのシュラではなく、うら若き乙女そのものだった。
《ブエナビスタ王国》
舞踏会の帰り道、スノー伯爵夫妻を乗せた1台の馬車が、小気味良いリズムで大通りから自邸へと向かっていた。
スノー伯爵家は名門の家柄で王家とも関係が深い。当主のスノー伯爵は来年には還暦を迎える年齢だが、舞踏会を見るのも踊るのも大好きで、スノー伯爵の舞踏会好きは貴族の間では誰もが知っている事実だった。既に政治の世界から身を引いて、悠々自適に貴族生活をエンジョイしている。夫妻の仲はとても良かったが、二人の間に子供はできなかった。王の斡旋で養女をもらったが、事故で亡くしている。以来は名家を惜しむ声があったが、養子の話は全て断り二人だけで生活している。
御者は道の真ん中に人が倒れているのを見て慌てて馬車の手綱を引いた。馬は大きくいななきながらも、取り乱すことなく静かに止まった。
「何事ですか?」
スノー伯爵夫人が急停車した馬車に驚いて、窓から御者に尋ねた。
「はい。道の真ん中に人が倒れていたので、慌てて馬車を止めました」御者は人が倒れている方向を指さした。
言われてスノー伯爵夫人は頭を窓から出した、が見えなかったので、馬車の扉を開けて外へ出ることにした。
道路の中央に若い女性がうつ伏せで横たわっている。汚れてはいるがドレスを纏っているので貴族の娘なのかもしれない。
見れば美しい顔立ちをしている。
スノー伯爵夫人は近づいて、手で体に触れてみた。
脈はある。死んでいる訳ではなさそうだ。
次に揺すりながら声をかけてみた。
「もし? どうしたの? 大丈夫?」
強く揺すっても声をかけても女性に反応はない。
「どうしたんだい?」
夫人が振り返るとスノー伯爵が心配そうな目でのぞき込んできた。人のいい好爺々でおっとりとした性格をしている。
「道路に倒れていた娘さんに声をかけているのだけれど反応がないの。脈はあるから死んでいる訳ではないのだけれど...」
夫人は困惑した顔で夫であるスノー伯爵に訴えた。
「どれどれ。私が声をかけてみよう」
伯爵も夫人と同じように体を揺すりながら声をかける。
「もし!」
「もし! お嬢さん、どうしましたか?」
伯爵が声をかけても同じ結果だった。夫人に向けてお手上げのポーズをする。
「声をかけても意識が戻らない。これは困ったね。このまま放っておく訳にもいかないし...。仕方がない。屋敷に連れ帰って医者に診てもらおう」
渋々という感じではあったが伯爵は意を決した。
「そうね。放ってはおけないものね」
夫人は御者を呼んで、倒れている女性を馬車に運んでもらった。
伯爵は女性の額に手を当てる。
「熱はないみたいだ。どうしたんだろうね」
「大丈夫かしらね? 心配だわ」
そのまま馬車を出発させ、スノー夫妻は女性を屋敷に連れ帰った。
屋敷の空き部屋内のッドに女性を寝かせると、連絡を受け早々に到着した医者に診察をお願いする。
医者は女性の体に触れながら慎重に診察を行う。
一通りの診察が済むと医者は腕を組んで眉をひそめた。
伯爵夫人は恐る恐る尋ねてみる。
「あの...何かの病気でしょうか?」
医者は静かに首を振った。
「いえ。体には異常はみられません。何が原因でこのように意識を失ったのか、そして目覚めないのか、そこが不明なのですが、とにかく異常なしです。このまま寝かせておきましょう。昼になっても目覚めなければ教えてください。その時はまた様子を見させていただきます」
「そうですか。ではこのまま寝かせておきます。急にお呼びだてして申し訳ございませんでした」
「いえ、ではお大事に」
医者を玄関まで見送った後、伯爵と夫人は女性の寝ている部屋に戻り、改めて様子を見る。
顔立ちは整っているが、見たことのない顔だった。もっとも目を開ければ印象も変わるので、結論を出すには早急だが。
「そっとしておきましょう」
夫婦で頷き合った後、静かに部屋を出た。
翌日、夫人は昨日連れ帰った女性の部屋をノックし、ドアを開けて中に入る。女性は既に起きていて、ベッドの上で半身をこちらに向け、何か言いたげに目をパチクリさせた。
「おはよう」 夫人は努めて明るく声をかけた。
「おはようございます」
夫人が声をかけると女性も挨拶を返してきた。
「気分はいかが?」
「あの? 私...」
「失礼ですがここはどこですか? あなたはどなたですか?」
「私の名はイリ・フォン・スノー。スノー伯爵夫人と言った方が分かりやすいかしら。そしてここは私の家」
「・・・」
「あなたは昨日、道路に倒れていたの。体を揺すったり声をかけたりしたけれど、全く起きなくて。そのまま置いていくわけにもいかず私達の家に運んで様子を見ようということになったの。それにしてもどうして道路なんかで倒れていたの?」
女性はキョトンとした顔をしていたが、自分が迷惑をかけたことを知って慌てて謝った。
「それは御迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。ただ、私にも分からないのです。自分が誰なのか、何故昨日倒れていたのか、全く覚えていないのです」
「まあ。本当? 自分の名前、分からないの?」
「はい。一生懸命思い出そうとしているのですが、過去のことを全く覚えていないのです」
「記憶喪失なの...かしら?」
女性は苦し気な表情をしながら、首を縦に振った。
新章スタートです。
人魚と人間、異なる2つの種族がお互いを受け入れ尊重し合っていくにはどうすればいいのか?
簡単ではない問題に向き合い葛藤する人魚姫と王子。
お互いを思いやる気持ちが強い決意をともなった時、小さな奇跡を起こしていきます。




