第129話 民衆の圧力
『ブエナビスタに平和を』
『平和を乱す暗殺者に死の鉄槌を』
プラカードを持った人々がざっと30人ほど大通りを城に向かって歩いていく。城に到着した彼らはそこで1時間ほど抗議の声を上げて、やがて帰っていく。それは毎日繰り返された。
「毎日毎日、飽きもせずよくやる」
ガーナ王は城壁の上から、民衆のデモの様子を眺めて独り言ちた。
「いくら正論とは言え、何も知らない民衆の言うがままに刑が行われるなんてことはあってはならない」
横で同じようにデモの様子を観察していたルイス・ザックバーンがガーナ王の言葉を継いだ。
「おっしゃる通りです。刑の執行は民意ではなく論理の積み重ねで導き出さなければ、何をもっての司法だか分からなくなります」
王はデモ隊に鋭い視線を向ける。
「好き勝手に騒ぎおって。独りよがりの正義をかざして城に圧力をかけるなど言語道断だ」
「デモに加担した者を密かにリストアップしておけ」
「はい」
ルイス・ザックバーンが王の意向を受け止め返事をする。
ガーナ王は険しい顔でさらに問いかける。
「城内の一部の連中が、世論を盾に圧力を加えているとか」
「全くけしからんですな。司法は政治や民意から独立しているからこそ司法が司法として存在するのです。行き過ぎた正義というのは本人たちに問題意識と自覚がないだけに歯止めが効かずエスカレートしてしまう。そこは私が責任をもって制御します」
ルイス・ザックバーンが語気を強めて返答すると、王が声のトーンを変えて困惑気味に呟いた。
「ルイス。王妃からも容疑者リーファの極刑を強く要望されている」
「王妃様のことは聞いています。極刑ですか...。民衆もそう叫んでいます」
「王妃のは世論とは違う」
「どう違うのですか?」ルイス・ザックバーンが聞き返す。
「カスティーナ伯爵主催の舞踏会があっただろ」
「王と王子が揃って参加された例の舞踏会ですね。王妃様はミランダ様の付き添いで海外に行かれてご不在でした」
「あの時、最期にリーファとリーファの母親とダンスを踊ったのだが、それがあいつの知るところとなった」
「・・・嫉妬ですか?」
「儂に対しては勿論だが他の物に対しても当たりが強い。ちょっとな、面倒なことになっておる」
「帰国以来、王妃様は終始ご機嫌斜めのご様子で言動も支離滅裂でしたが、なるほど。そんなご事情が...納得しました」
「ルイス。そなたには何かあった場合に対処できるように打ち明けたが、このことは絶対誰にも言うな」
「かしこまりました。で、王のお考えは?」
「刑については検察の判断を尊重する。素人が口を挟むもんじゃないと思っている」
「夫婦間のことは王にお任せします。王妃様の個人的な要望は申し訳ございませんが無視させていただきます。勿論表立ってそうは言いませんが。それでよろしいですか?」
「ああ。うまくやってくれ」
「では、この話はこれで」
ガーナ王が頷いたところでルイス・ザックバーンから別案件について問われる。
「ところで、ガイル・コナーから申請の上がっていた魔の海域の海底調査の件はいかがいたしますか?」
「目的は資源調査だったか?」
「はい。ソロモン船があの海域で調査を行っていた事実が分かり、資源が存在するかは分かりませんが、念のため確認はしておいた方がいい、という内容でした」
「ガイル・コナーにしては詰めが甘いな。資源探査もいいが、あの海域は元来嵐が頻発して船が足止めを食ったり、迂回を余儀なくされたりする海域だ。資源探索と並行して嵐発生のメカニズムの調査も行う条件で許可しよう。事前に嵐の発生が分かるようになれば船乗りたちも仕事がしやすくなる」
「かしこまりました。ガイル・コナーにはそのように伝えます」
ルイス・ザックバーンが一礼するのを見届け、遠くに目を向ける。
(海底資源が見つかったところで今の我々の技術では採掘には至らないだろう。ならば嵐の多いあの海域で危険を冒してまでやる必要はない。今回はガイル・コナーの顔を立てて許可したが、成果がなければ即刻中止させよう)
(そう言えばガイル・コナーの元にはグロティアがいたな。もしや何か掴んでいるのか?)
「ルイス、もう一つ。魔の海域についてグロティアの持っている情報を全て聞き出し報告させるよう、ガイル・コナーに伝えよ」
リーファはどう返事をすればいいのか、迷った。
美しい顔立ちをした髪の長い女性から声をかけられたが、記憶にない。
「こんにちは」咄嗟に挨拶を返したが、やっぱり見覚えのない顔だ。
「元気そうでよかったわ。私の名はリ・アスラ。カミーユ王子からの伝言を伝えに来たの」
リ・アスラと名乗る女性は、そう言ってカミーユが所持している短剣をリーファに見えるようにかざした。
「カミーユの伝言?」
「そう」
「興味ある?」
「はい。とても」
「あなたにとってはつらい内容かもしれないけど、仕方ないわね。自分が何をしたか、それを考えればあなたには受け入れる以外の選択権はない、そういうことでもあるから」
(私にとってとても都合の悪い内容ってことかしら?)
リーファはゴクリとつばを飲み込んだ。
「聞かせて下さい。覚悟はできています」
リーファはかなり動揺していたが、リ・アスラよ名乗った女性はどうでもいいと言わんばかりの口調で話を続ける。
「分かったわ。では伝えます。しっかり聞いて。いい?」
(『しっかり聞いて。いい?』このフレーズどこかで?)
「リーファ。僕は君を信頼していた。かけがえのない友だと思っていた。あの瞬間までは。もう君のことを信じることができなくなった。このまま裁判になって公衆の面前で恥をかくよりはこの場で全てを終わらせて欲しい。それが僕の願いだ」
そうしてリ・アスラと名乗った女性は手に持った水筒からコップに水を注ぎこんでリーファの前に差し出した。
(嘘...でしょ⁉)
覚悟はできているとは言ったものの、内容の酷薄さに全身から力が抜けた。
(カミーユ。本当なの?)
虚ろな表情で、差し出されたコップを見つめる。
(『君がどこにいようと僕は必ず君を迎えに行く。時間はかかるかもしれないけど信じて待っていて欲しい』 あの言葉はもうあなたの言葉ではなくなったの? 私のことが邪魔になったの? だから...)
涙が一筋頬を伝う。
落ち込むリーファにリ・アスラが追い打ちをかける。
「あなたがもし私の伝言を信じないというなら、それでもいいけど。カミーユ王子も随分悩まれた末の決断ということも伝えておくわ。私としても彼を失望させるのは本意ではないけど、どうしても拒否すると言うなら仕方ないわね」
「さあ、どうする? リーファさん」
そっと目を閉じる。
(カミーユ...それがあなたの答えなら)
「分かりました」
意を決すると、リ・アスラからコップを受け取った。
リ・アスラの手とリーファの手が一瞬重なる。
「!」
「さようなら。カミーユ。迷惑かけてごめんなさい」
リーファは最後の言葉を残すと、コップの水を一気に飲みこんだ。目を閉じてそのまま倒れ込む。
リ・アスラは微動だにしなくなったリーファを冷ややかに見下げる。
(呆気なかったわね。人間を信じるなんて愚かな女)
(邪魔者は始末した。これで心置きなく仕事に集中できる)
カタン。タンタン。
リ・アスラは遠くに聞こえる足音に気付き眉を顰める。
(誰か来たようね)
女性は慎重な足取りで、リーファの元を去って行った。




