薄布
目的のものはすぐに見つかった。
まだ、それは校舎から出ておらず、階段を下っているところだった。
それもそうか、別れたのはついぞさっきなのだから。
息を呑み、その対象物にむかって右手を伸ばす。
その手が対象物、少女の肩に触れようとしたその時だった。
「触らないでください!」
警戒を孕んだ声。
伸ばした手は、少女の咄嗟の回避によって空を切る。
「って、あなたですか。また殴れにきたんですか。」
「いや、そうじゃなくてだな。」
少女は俺を見るや、次は呆れたような声でそうこぼす。
その言葉に嘘はないようで、鞄を地面に置き臨戦態勢に入ろうとしているようだ。
「だから、そうじゃなくて。これ。」
なんとか喉から声を絞り出し、鞄の中から例のものを取り出そうとする。
例のもの、ついさっき拾った薄桃色のハンカチだ。
「このハンカチお前のものじゃないのか。」
少女は一瞬止まって、考える素振りを見せる。
「...いえ、違います。」
少女はそうはっきりと告げた。
「用はそれだけですか。早くしないと怪我をしますよ。」
「ああ、それだけだ。」
少女はその返事を聞くと同時に背をむけ、階段を降り始めた。
そこで、そう言えば聞きそびれていたことがあったな。と思い、少女に言葉を投げかける。
「お、おい。お前名前なんていうんだ。」
力のない声だったと思う。
「...都張朝菜。」
少女は振り返りもせず、独り言のようにつぶやく。
何故か聞く前から知っていたような、そんな気がした。
☆
「ただいま。」
返事はない。自分以外に住人のいない玄関に靴を脱ぎ捨てる。
長い廊下を抜けると、一人暮らしにしては大きすぎるリビングがある。
親が不自由しないように、広いマンションを借りてくれた。
当たり前だが、一人暮らしは人生で初めてだ。
越してきてから2週間程度経つが、脱ぎ捨てられた服や飲みかけのペットボトル、まだ開けていない段ボールが乱雑に配置されている。
このまま行けば、数ヶ月後にはゴミ屋敷と化するだろう。
足元に散らかっているそれらを器用に避けつつ、自室の扉を開ける。
鞄をベッドに投げ、そのまま自分の体も同じ場所に投げ出す。
するとその衝撃で、鞄の中身がこぼれ、薄桃色のハンカチが半分顔を出す。
「そういえば、これ。」
本来なら、持ち主があの少女でないとわかったら、職員室に預けて帰る予定だったのだ。
しかし、あの少女の名前が頭から離れず、そのまま家に着いてしまっていた。
鞄から、持ち主不明のそれを取り出し、もう一度観察する。
このハンカチは、あの少女、都張朝菜の持ち物でないとすると、必然としてもう一人の、西咲日向のものということになる。
そう思いながら、ハンカチの下の方に何か刺繍されていることに気がつく。
目を凝らしてみてみると、そこには小さな文字で“Asana”と刻銘されていた。
「Asanaって、あいつのことだよな。」
頭の中に疑問符が浮かぶ。
あの少女は別れ際にそう名乗った。鮮明に覚えている。
「でも、どうして。」
しかし、当の少女ははっきりと自分の持ち物ではないと否定したのだ。
そのことが、さらに謎を深める。
とりあえず家に持ち帰ってしまった以上、何もしないわけにはいかないだろう。
体を起こし、その謎の中心点を割物を持つように丁寧に持ち直す。
「とりあえず、洗濯はしといた方が良いよな。」
誰に言うわけでもなくそうこぼし、その足で脱衣所に向かう。
洗濯機の中に衣類やら下着やらが鎮座していたため、それらを放り出し、その布を優しく入れる。
部屋を出てから、洗濯のボタンを押すまでに小一時間は要しただろう。
部屋に戻ると、気が抜けたのか今度は気がつくとベッドに倒れ込んでいた。
「都張、朝菜、か。」
あの少女の名を忘れないように口に出し、しばらくして意識は闇の底に沈んでいった。
4日目突入!
これからは19時〜20時を目処に投稿しようと思います。