特別編 野営地の夜
本話は性的な表現を大幅に弱めた(または削除した)修正版です。
十八歳以上の方で、オリジナルを読みたい方は、カクヨム版、またはミッドナイトノベルズに移動してください。
https://novel18.syosetu.com/n9309hv/
ヒィィィーーーーーーーン!
耳をつんざくような鏑矢の音が地獄の到来を知らせる。
敵の戦意を喪失させるためだけに、この耳障りな高音を響かせる矢をまっ先に放つのだ。
帝国兵たちは一斉に盾を頭上に掲げ、ケルトニアのロングボウに備えた。
硬い木の円盤に分厚い革を張っただけの盾に、長弓の矢を防ぐだけの防御能力はない。
それでも、兵士たちは何かに縋らずにはいられなかった。
やがて戦場に立ち込める霧を突き破って、無数の矢が降ってきた。
ズドズドズドッ!
鈍い音が一斉に響きわたり、矢の半数以上は地面に突き刺さった。
それらは黒い烏の矢羽根を風にさらし、何の成果も上げることなくその一生を終えたのだ。
だが、三割近くの運のいい矢は、自分たちの存在意義を誇らしげに世に示すことができた。
盾を貫き、革の鎧に穴をうがち、彼らは人間の身体をやすやすと地面に縫いつけたのだ。
頭や心臓に刺されば即死するが、たいていの場合、矢は胸や腹、太腿など、面積の大きいところに突き立つ。
肺を貫かれれば、自らの血に溺れて呼吸ができずに死ぬ。
内臓を傷つけられれば、傷口から入った雑菌が臓腑を腐らせ、耐えがたい苦痛を味わいながら死ぬ。
太腿ならよいかと思えば、動脈を断ち切られて止まらぬ血に絶望して死ぬ。
たちまち多くの兵士たちが斃され、その呻き声が戦場に満ち溢れた。
だが、それで終わりではない。
女の悲鳴のような鏑矢の音とともに、第二射、第三射が次々と襲いかかってくるのだ。
中隊長が怒鳴った。
「魔導士は何をやっておる! さっさと反撃せんかっ!」
罵声を浴びた小柄な女が、怯えた表情で上官を振り返る。
「しかし中隊長殿、この霧では敵の位置が掴めません!」
中隊長は軍靴で女魔導士を蹴り飛ばした。
「矢の軌道で敵の位置など計算できるだろう!
貴様、養成所で何を習ってきた?」
無茶だった。
確かに矢が描く放物線から弾道計算はできる。魔導士はそもそも常人とは桁違いの計算能力を持っている。
そのくらいは朝飯前だった。
だが、それはあくまで矢の軌道が見えていればの話である。
この戦場は両軍が川を挟んで対峙している。川から蒸発する水蒸気が、厚い朝霧となって地面を覆っているのだ。
敵の矢はその雲のような霧をついていきなり現れる。そんなもので弾道計算ができたら天才である。
しかし、それを理由に中隊長に抗弁するわけにはいかない。
女魔導士は当てずっぽうで、およその方向に向けてファイアボールの魔法を放った。
彼女は相当の魔力量を保持しているのだろう。見たことのない大きさの火球が、白い霧の中に突っ込んでいった。
すぐに前方の川の方角から絶叫が聞こえてきた。
「馬鹿もん! 味方に当ててどうする!」
中隊長が怒号を発し、魔導士を鉄拳で殴り飛ばした。
軍帽が吹っ飛び、きっちりと結い上げた赤毛の髪がばらりと乱れ、癖っ毛が広がった。
「もういい!
誰かこの役立たずを連れていけ!」
中隊長が腹立たし気に吐き捨てた。
すぐに二人の兵士が女魔導士の小柄な体を両側から抱え、後方に下がらせた。
引きずられていきながら、彼女は涙でかすんだ目で後方を振り返る。
鼻の骨が折れたのかもしれない。だらだらと流れる熱い鼻血が止まらなかった。
これが、後に〝帝国の魔女〟と謳われるマグス大佐の初陣であった。
* *
「ぶっ! 何だよミア、その顔は?
男はマグス准尉の顔を見るなり、思わず吹き出した。
「……味方を誤爆して中隊長に殴られた」
准尉はぶすっとした顔で答えた。
鼻に大きな絆創膏を貼り、口の端が切れて紫色に腫れあがっている。
彼女は喋ったことで傷が沁みたのか、顔をしかめてかがみ込むと、かちゃかちゃと音を立ててズボンのベルトを外した。
「ああ、あのファイアボールはやっぱりお前だったのか。
そいつを喰らったのは俺の小隊だぜ?
二人が全身火傷の重傷、三人が中傷で戦線離脱だ。
運のいいことに死人は出なかったし、重傷の二人はこのまま名誉除隊になるだろうさ。
年金付きで生きて帰れるんだ。きっと今ごろ涙を流してお前に感謝しているぞ」
「それは……済まなかった。
オーリーは無事だったのか?」
「ああ、残念ながらな。
どうせ死ぬなら、ミアに焼かれて逝くのも悪くないと思うがな。
ケルトニアの矢に串刺しにされて、苦しみながら死ぬのはご免だよ」
オーリーと呼ばれた男――オーランド・ヴァイクス二等兵も軍服のベルトを外してズボンをずり下げた。
二人は兵科こそ違うが同期であり、一緒に訓練を受け、同じ部隊に配属されていた。
魔導士であるミアは任官時点で准尉という士官であるが、一般兵のオーランドは最も下っ端の二等兵だった。
公的な場では士官に対してため口など利けないが、今この場ではただの男と女である。
もう夜はとっぷりと更けており、ほとんどの兵は疲労で泥のように眠りこけていた。
二人だって疲れていたし、睡眠時間は黄金よりも貴重である。
だがまだ十代の二人には、それよりも二人きりで逢うことの方がずっと大切だったのだ。
そこは野営地から少し離れた雑木林の中で、誰にも見咎められる心配はなかった。
「ミア、木に手をつくんだ」
オーランドはそう指示して、腰を突き出した准尉の少し汚れたズロースを足首まで引き下げた。
闇の中に女の丸く白い尻が幽霊のように浮かび上がり、彼の情欲を掻き立てた。
だが、それと同時に異臭も漂った。
オーランドは顔をしかめ、思わずつぶやいた。
「臭えな……」
准尉が頬を膨らませて振り返った。
「最後に水浴びをしたのは五日前だ。仕方ないだろう。
オーリーだって十分汗臭いし、腋臭で鼻が曲がりそうだぞ!」
「違えねえ」
オーランドは苦笑して、赤毛の女の小さな身体に覆いかぶさった。
自分の意思とは無関係に、ミアの口からあられもない声が洩れる。
つい二週間前に初めて関係を結んだ時は、お互い処女と童貞だったから、その初体験は笑えるくらいにみじめなものだった。
少なくともミアの方は快感を得ることができず、ただただ痛いだけだった。
それが今はどうだろう。毎晩野営のテントをこっそり抜け出し、こうして獣のように盛っているのだ。
いつ死ぬか分からない状況の中で、一時の快楽に何もかもを忘れるのは、何物にも代えがたい魅力があった。
彼女には経験がないが、きっと麻薬というのはこんな感じなのだろうなと思う。
抑えた呻き声が続いたのは、わずか十分ほどだった。
やがて、せわしない動きが止まり、二人は荒い息をついて木の根元に座り込んた。
「明日は渡河作戦を実行するそうだ」
ミアがぽつりとつぶやく。
「そうか……さすがに士官様にはそういう連絡がいくんだな。
俺たちには何も知らされてないぞ。
多分、部隊の半分は死ぬんだろうなぁ……」
「約束する。明日は今日のようなヘマはしない。
だから……オーリーも死ぬなよ」
「任せておけ……と言いたいところだが、こればっかりは運だからな。
そうだ!」
彼は身を起こし、露わになったままのミアの股間に手を伸ばした。
「痛っ、何をする!」
オーランドはミアの縮れた毛を数本むしり取ったのだ。
「知ってるか? 処女の陰毛はお守りになるんだとよ。
お前だって半月前まではそうだったんだ。多分お守りの効力もまだ半分くらい残っているだろう」
彼はそう言って、軍服の胸ポケットにそれをしまい込み、立ち上がった。
「そろそろ戻ろうぜ。
あんまり長く抜け出していると、巡回の連中に見つかっちまう」
准尉もうなずくと立ち上がった。
股の間にぼろきれを挟みこんで、ズロースを引き上げる。
「何だよそれ? 色気がねえな」
「うるさい!
下着が汚れると、すごく気持ちが悪いんだよ」
「へえ、女は大変だな……」
オーランドはそう言い残して、闇の中に消えていった。
* *
それから約一年後、二人は今夜もテントを抜け出し、半ば壊れて打ち捨てられた家屋の中で絡み合っていた。
いつもと変わらない、獣のようなひと時が終わると、ミアは何事もなかったかのように立ち上がった。
そして、まだ仰向けになっている男の大柄な身体を見下ろした。
「こうして見ると、何だか情けない姿だな」
ミアはそうつぶやいて笑った。その視線は、しおれた男の股間に向けられている。
「尻を出したまま仁王立ちになっている女に言われたくないね」
オーランドがそう返して身を起こす。
「なぁ、オーリー」
「ん、何だ?」
「もしまた会えたら、お前の身体を縛ってやってみないか?
猿轡を噛ませるのもいいな」
「何だよそれ?
俺はお前みたいに喚いたりしないぞ」
「いや、やっぱりいい。
オーリーじゃ、何か違う気がする。
縛って猿轡を噛ませるのなら、もっと細くて気の弱そうな若い男がいいな。
うん、想像しただけでも楽しそうだ」
「ミア、お前いつからそんな変態趣味になったんだ?
お前より若い男って言ったら、まだ皮も剝けていない子どもだろう。
そいつはもう犯罪だぞ?」
「いいじゃないか。
私もケルトニア兵を焼くことにすっかり馴れてしまった。
最近は炎の中で死のダンスを踊っている連中を見ていると、無性に縛り上げて犯したくなるんだ。
どうも私はやられるよりも、やる方が性に合っているらしい」
「お前の欲は底なしだからな。あまりやり過ぎるなよ。
明日は転属先へ出立するんだろう?」
「ああ。……もう、当分オーリーとも会えないな」
「仕方ないさ。お前は貴重な魔導士様だからな、ミア・マグス少尉殿」
「オーランド伍長も再編される部隊に配属されるそうだな」
「ケツの青い新任小隊長殿のお守役だよ。
せいぜい死なないように気をつけるさ」
前線に配属されて一年余を経過し、生き延びたミアは少尉に昇進していた。
オーランドの方も、二等兵から下士官である伍長になっていた。
ミアの昇進は軍司令部からの辞令に基づく正式のものだが、オーランドの方はいわゆる戦地昇進である。
初めは士官や下士官の数が不足したため、一時的に小隊を任せるための野戦任官だったのだが、オーランドは天賦の才ともいえる指揮能力を発揮し、なし崩しに昇進が認められたのだ。
オーランドはまだ裸のミアの尻をぺちんと叩き、白い歯を見せてにかっと笑った。
「さぁ、そろそろ行くか。
名残惜しいが、お前の身体はこれで当分お預けというわけだ。
時々は思い出して、ずりネタにしてやるからな」
二人は身づくろいを済ますと、廃屋同然の家を静かに抜け出した。
厚い雲に遮られて、月も星もないどんよりとした夜空が広がり、あたりは闇に包まれていた。
ミアとオーランドはどちらともなく抱き合い、互いの舌をむさぼり合う長い口づけを交わした。
永劫にも感じられる時間だったが、実際には数分のことだったろう。
唇を離したミアは小さくため息をついた。
「オーリーも元気でな。向こうに着いたら暇をみて手紙を出そう」
「ああ、あまり期待せずに待っているぜ」
彼らは少し離れたそれぞれの宿泊テントに戻るはずだった。
互いに背を向け数歩踏み出したところで、ミアが「あっ」と声を上げた。
オーランドが反射的に身体をかがませ、周囲を伺った。
「どうした?」
「あ、いや……ちょっと洩らしただけだ。
くそっ、昨日新しい下着に替えたばかりだというのに!」
「脅かすな、バーカ!」
それが二人の別れの言葉だった。
結局、オーランドのもとに、ミアからの手紙が届くことはなかったのだ。




