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幻獣召喚士3  作者: 湖南 恵
第五章 龍の依頼
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十七 逆転

 ユニは呆然としてココナの変貌を見つめていたが、それは一瞬のことに過ぎなかった。

『!!』

 ライガから〝危険〟を意味するイメージが飛び込んでくる。

 言葉ではない、頭を殴りつけるような切羽詰まった警告だった。


「みんな伏せてっ!」

 ユニは叫ぶと同時に地面に身を投げ出した。尖った石が肌に食い込むが、気にしている場合ではない。

 リデルもハンスも我に返ってそれに倣う。

 一瞬遅れて、彼女たちの頭上を鋭い音を立てながら矢が通り過ぎていく。

 背後の待ち伏せ隊が、一斉に矢を放ったのだ。


 二十本以上の矢がココナの背に集中したが、結果は本隊と同じだった。

 すべての矢は乳白色に輝く鱗に弾かれ、乾いた音を立てて地面に散らばった。


 ココナは振り返って後方の敵の姿を確認すると、ふっと身体を沈めた。

 しゃがんだ姿勢になった拍子に、履いていたズボンがばりっと音を立てて裂けた。

 肥大した太腿の筋肉に、縫い目が耐えきれなかったのだ。

 露わになった彼女の太腿もまた、白い鱗に覆われていた。


 太いロープが撚り合わさったような筋肉が膨張したかと思うと、ココナはその場から一気に跳躍した。

 洞窟の天井はせいぜい四、五メートルほどの高さだが、この大空洞に限っては二十メートル以上の広がりがある。

 その半分以上まで飛び上がったのだ。とても人間にできることではなかった。


 唖然としたのはユニたちばかりでない。傭兵や帝国兵たちも同様だった。

 彼らは王国人のように人類を超越した異世界の怪物に免疫がなかったから、その衝撃はより大きかった。

 飛び上がったココナは、弓兵にとっては恰好の的のはずだが、必殺の矢を弾き返されたばかりの彼らは、どうしてよいか分からずに空中を見上げるばかりであった。


 そして、闇に近い上空まで舞い上がったココナは、帝国人たちを見下ろすと同時に口を開いた。

 耳の下あたりまで裂けた大きな口には尖った牙が並び、その奥がぼうっと赤く光る。


「じゃあっ!」


 耳障りな叫び声とともに、彼女の口からオレンジ色の火線が走った。

 下から見上げる者にとって、それは頼りない細い光の糸のように見えた。

 それが真っすぐ待ち伏せ隊に向け、するすると伸びていく。


 弓兵を守る重装歩兵は、最前列が巨大な盾を地面に突き立て、鉄の壁を築いていた。

 盾の下部にスパイクのような突起があって、それを地面に突き刺して容易に動かせないようにしているのだ。

 そして、二列、三列目は、その分厚い盾を頭上に差し上げている。

 一枚の盾が己と前列の身体を完全に覆い隠し、前方からの槍も、頭上からの矢も物ともしない鉄壁の守りを固める伝統的な陣形である。


 最前列の歩兵たちは、わずかな盾の隙間から自分たちに向かってくる細い光を待ち受けていた。

『どうせ魔法の類に違いあるまい』

 ――彼らは面頬をおろした鉄兜の中で、不敵な笑みを漏らしていた。それほどに敵の攻撃が頼りないものに思えたのである。

 だが、火線が激突する刹那になって、やっと彼らは間違いに気づいた。

 目の間に迫ったオレンジ色の光が、思いがけずに太いものだったのだ。


 眩しいオレンジ色の光は、重装歩兵の盾にまともにぶち当たった。

 ドンッ! という鈍い音が響く。

 それ自体にかなりの質量があるような衝撃があったが、鋼鉄の盾と鎧兜に身を包んだ男たちが、三列十二人でがっちりとスクラムを組んでいるのである。

 重装歩兵たちは、見事にその衝撃に耐えきり、一寸たりとも下がらなかった。


 しかし次の瞬間、信じられないことが起きた。

 盾に弾かれるはずの火線がいきなり膨れ上がり、巨大な火球が出現したのだ。

 ほとんど白に近い高熱の火炎がぐるぐると火球の内部を対流したかと思うと、それが爆発した。

 火炎はまるで津波のように待ち伏せ隊に襲いかかり、あっという間に全体を呑み込んでしまった。


 三十人以上いた部隊だったが、ひとたまりもなかった。

 革鎧だけの軽装の弓兵は、自分の身に何が起きたかも理解しないまま、全身を炭化させて即死した。

 彼らは幸運だったと言える。ほとんど苦痛を感じる間もなく死ねたのだから。


 全身を金属で防御した、重装歩兵の運命は悲惨だった。

 灼熱の炎に焼かれた盾は彼らの即死を防いだが、やがて真っ赤に輝きどろりと溶け始めた。

 溶岩のように流れ出した鉄は鎧兜の隙間から内部に侵入し、中の兵士たちに触れた瞬間に爆発的に燃え上がった。

 彼らは凄まじい苦痛に絶叫した。

 皮膚が焼けた金属に張りついて、ずるずるに剥ける。

 皮が焼けて炭化する臭い、肉が焙られて脂が焦げる臭い、血が沸騰して高温の蒸気となり、鼻と喉の粘膜を焼き爛れさせる。

 それが死の間際、重装歩兵たちが感じたすべてだった。


「引けえっ! 撤退だ!

 クソ化け物がぁっ!」


 一瞬で焼き殺された待ち伏せ隊の姿を見せつけられたオーランドが叫んだ。

 相手は人間ではない、化け物なのだ!

 傭兵である彼の判断は早かった。


「装備は捨てていい! 各個に走って洞窟から出るんだ!

 外に出て隠しておいた馬の所まで走れ!

 あとはばらばらに逃げろ! 自分の命だけを守れ!」


 彼のわめき声が終わらないうちに、部下の傭兵たちは走り出していた。

 それを見た弓兵たちも長弓を放り投げ、慌てて後を追う。

 オーランドも重いハルバートを投げ捨て、後に続いた。

 だが、彼は数メートルも行かないうちに立ち止まり、後ろを振り返った。

 その視界に、微動だにしない重装歩兵の隊列が映った。


「馬鹿野郎っ! 俺の命令が聞こえなかったのか!

 貴様らだけで何ができる?

 盾を捨てろ! とにかく逃げるんだ!」


 その呼びかけに、最後尾の中央で頭上に盾を掲げていた一人が振り返った。


「オーランド殿っ! ここは我らが時間を稼ぎます!

 どうかその隙にお逃げください!」


 オーランドは顔を真っ赤にして怒鳴った。

「貴様ら気でも狂ったか!

 相手は化け物なんだぞ! 待ち伏せ隊がどうなったか見ただろう!

 こんな洞窟で犬死することに何の意味がある?

 俺の命令を聞けぇ!」


 しかし、重装歩兵たちは動かない。

 彼らは全身を分厚い金属の鎧兜で身を固めている。

 逃げろと言われたからと言って、たとえ巨大な盾を捨てても走ることができないのだ。


 再び先ほどの兵士が叫んだ。

「あの化け物がその気なら、とっくに我々も焼き殺されているはずです!

 それをしないのは、あの炎は連撃がきかないのでしょう。

 ならば、我らでも足止めはできるはず。こちらのことは心配ご無用!」


 オーランドは下唇を噛み、どうにか罵声を呑み込んだ。口の端からたらりと血が流れた。

「よぉし、分かった。俺は貴様らを見捨てて逃げるぞ!

 だから、部下を見捨てるような上官に義理立てするな!

 もう駄目だと思ったら降伏しろ!

 オオカミ遣いの召喚士は命までは取るまい。分かったな?」


 彼はそう叫ぶと、今度こそ暗い洞窟へと走り去っていった。

 そんなやりとりの間に、ココナはとっくに地面に降り立っていた。

 そして彼女は、その場を死守する構えの重装歩兵たちを睨みつけた。


 さっきはユニやリデルを間に挟んでいたからこそ、彼女は跳躍して火を吐いたのだ。

 残る敵との間には、何も障害物はない。

 そのままもう一度、地獄の業火を浴びせれば終わりのはずだった。


 だが、なぜかココナはそれをしなかった。

 重装歩兵たちの言った、連続攻撃ができないという推測が当たっていたのかもしれない。

 その代わりに、彼女は盾を連ねた重装歩兵の隊列へと、猛然と突っ込んでいった。


 待ち受ける歩兵たちが歓喜に満ちた声で吼える。

「おお、よき敵かな!

 我らが陣を破ってみよ!」


 死を覚悟した重装歩兵たちは、もはや正気を失っていた。

 彼らは廃れた職種である。かつては戦場の華であったが、魔導士が戦力として組み込まれてからは、あっさりと用済みになったのだ。


 ただ見栄えがするという理由で、ごく一部の部隊が細々と存続していたに過ぎない。

 彼らの役割は、観閲式や軍事パレードにおける〝見世物〟に変わり果てていた。

 それが突然、南部辺境への出兵を命じられ、実戦の機会が与えられたのである。

 重装歩兵たちは感涙にくれ、仲間同士で決死を誓っていたのだ。


 そして今、得体のしれない怪物女は、抵抗の手段のない火責めを取らずに、正々堂々と突撃してきた。

 たとえ相手が人間でなくても、力押しなら負けないという自信が彼らにはあった。


 男たちが全身に力をこめ、衝撃に備える。

 ココナはそこにまともにぶつかっていった。


 その結果は、あまりにあっけないものだった。

 ココナは体当たりをするかに思われたが、衝突の寸前、右腕を大きく振り上げた。


 見守るユニたちの目にも、その右手がはっきりと見えた。

 それは人間の手ではなかった。大きさ自体、全く違っていた。

 人の手の数倍の大きさ、広がった太い指はびっしりと鱗に覆われ、指先には巨大な鉤爪が生えていたのだ。


 その手が降り下ろされると、分厚い鋼鉄の盾が紙のように裂けた。

 それだけではない、盾の裏側でしっかりと取っ手を掴んでいた兵士の右腕(もちろん金属の籠手で守られていた)をも、あっさりと切断していたのだ。

 彼は怒号をあげ、右腕を敵の顔面に向けて突き出した。右手が切り飛ばされているのも忘れて、拳を叩きこもうとしたのだ。

 腕の切断面から間欠的に吹き出す鮮血が、ココナの白い鱗にびしゃりと浴びせられた。


 ココナはその短い腕を鷲掴みにすると、ぐいと引き寄せる。

 地面に突き刺した盾がない状態で、彼女の怪力で引っ張られたのだ。

 男は思わずたたらを踏んで前につんのめる。


 ココナは男の腕を掴んで引き寄せ、そのまま兵士を後ろに投げ捨てた。

 〝がちゃり〟という音がして、金属鎧ごと男の身体が地面に叩きつけられる。

 その横に兵士の頭部を残したまま、ごろごろと兜が転がっていく。

 二人の身体が交差する瞬間に、ココナが鋭い爪で男の首を刎ねたのだ。


 最前列の真ん中に穴が開いた。

 ココナはあっという間にその隙間に飛び込んで、鷲が羽ばたくように両手を左右に広げた。

 両側の重装歩兵が、悲鳴もあげずにうつ伏せに倒れた。

 二人とも首がなかった。少し遅れて、刎ねられた兵士の頭部が兜ごと地面に落下して転がる。


 巨大な盾を頭上に差し上げていた二列目中央の兵は、目の前で見せつけられた惨劇に激怒した。

「この化け物がぁっ!」


 彼は怒号して、先に鋭いスパイクのついた重い盾を、渾身の力を込めて降り下ろした。

 それは女の頭部に突き刺さり、頭蓋骨を砕いて脳漿をぶちまけるはずだった。


 しかし、ココナはあっさりとその盾を片手で受け止めた。

 そして残る左手を真っ直ぐに突き出す。

 貫き手が分厚い金属の鎧にずぶりと突き刺さり、そのまま背中を抜けた。


 もはや鋼鉄の盾も、鎧も、兜も、この化け物の前には何の意味もなさないことを、重装歩兵たちは理解した。

 彼らが絶大な信頼を寄せ、誇りとしてきた防御力が、鼻紙程度の役にも立たない。

 数秒の間に、四人の仲間を殺された彼らは、重い盾から手を放してその場に崩れ落ちた。

 もう首を差し出す以外に、なすすべがなかったのだ。


 大蜥蜴のようなココナの右手が、ゆっくりと振り上げられた。


「やめてーーーっ!

 もうやめて! お願いだから、これ以上は殺さないでっ!」


 静謐が訪れた空洞内に、リデルの叫び声が響いた。

 いつの間にココナに近づいていたのか、リデルが怪物と化したココナの前に飛び出し、両手を広げて立ちふさがったのだ。


「下がりなさい、リデル! 今のココナは理性を失っているかもしれないわ!」

 ユニが叫んだが、リデルはココナに抱きつき、瘤のような腹筋に顔を圧しつけ、「お願い、もういいの」と繰り返しながら泣きじゃくった。


「ええいっ、どいつもこいつも!」

 ユニは覚悟を決め、ずかずかと二人のもとに近づいていった。


 ココナは振り返ってユニを睨む。

「私ハ正気ダゾ、ニンゲン!

 邪魔ヲスルならオマエも……お前……ハ……ユニ……先生か?」

 彼女は首をかしげ、ぱちぱちと瞬きをした。目蓋が動く代わりに、爬虫類のような半透明の瞬膜が何度か瞳を往復する。


 ユニは身長が二メートル近くに膨れ上がったココナの顔を見上げた。

「そうよ! あたしが分かる?

 もう十分よ。この帝国兵たちは戦意を失って抵抗を止めているわ。

 殺す必要はないのよ!」


「ダガ……このニンゲンたちハ、リデルを殺そうとシタ。

 リデルだけじゃナイ。ユニ先生、あなたモ殺されるところだった。

 私ハ、私は……何をしていたのでしょう?」

 ココナのしゃがれた声は、最初ひどく聞き取りづらかったが、次第にもとの柔らかなアルトに戻ってきた。


「それはこっちが聞きたいわ。

 とにかく、あなたとリデルは下がって。ここは危険だわ」


 ユニはココナの腕を取ってリデルごと引き寄せた。そして半分以上露わになった丸い尻を押しやった。

 彼女の素肌は乳白色の鱗に覆われていたが、冷たさはなく手にぴたりと吸いつくような感触があった。丸太のような太さになった太腿のせいか、引き締まった尻が小さく見える。ユニはそこに尻尾が生えているのではないかと疑ったが、それはなかった。


 少し安堵したユニは、しゃがみこんで呆然としている帝国兵たちを見下ろした。


「あんたたち、今すぐ兜と鎧を脱いで逃げなさい!

 早くしないとスライムに喰われるわよ!」


 それは脅しではなかった。

 オオカミたちがスライムの群れの接近に気づき、警告をしてきたからだ。

 ユニが太陽石を掲げると、遥かに高い大空洞の天井がきらりと光った。

 死の臭いを嗅ぎつけたスライムたちが、もう集まってきているのだ。

 彼らは今にも天井からぼとぼと落ちてきて、転がっている重装歩兵の死骸の〝掃除〟を始めるだろう。

 スライムが出す酸は強力で、骨ばかりか金属の鎧でもたやすく溶かしてしまう。


 重装歩兵たちは我に返ると慌てて装備を脱ぎ捨て、とぼとぼと歩き去った。

 彼らは最後まで己の務めを果たそうとしたのだ。その姿を嘲笑うことなどできなかった。


 ユニの足元に転がっている無残な首無し死体に、べちゃりと半透明のゼリーの塊りが落ちてきた。

 ぐずぐずしてはいられない。ユニはその場を離れ、仲間たちの方へと戻った。

 彼女の身を案じたライガが、すぐ側まで迎えにきてくれている。


『逃がしてよかったのか?

 いずれ奴らはまた敵となるのだぞ。

 俺はココナを止めずに、始末してしまった方がいいと思ったがな……』


 ユニはゆっくり歩きながら、笑ってオオカミの首を抱いた。

「そりゃ、あんたたちならそう思うでしょうね。

 でも、それが人間なの。あたしは、まだまだオオカミになりきれていないのよ!

 ……がっかりした?」


 オオカミは〝ふん〟と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

『まぁな。だから俺が面倒を見てやらなくちゃならん。

 感謝するんだな』


 そう言いながら、オオカミは尻尾をゆっくりと左右に振った。

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