十五 養豚場
「それは……確かに意外な場所ね」
ユニは認めざるを得ない。
王国、帝国に限らず、この世界での肉と言えば羊である。
次が豚、それに続くのが牛と鶏だった。
牛は農作業に使われるし、鶏は卵を採る目的があるので、肉にされる割合が少ない。
その点、豚は純粋に食用として飼われていたから、流通量は多かった。
羊と違って放牧する必要がなく、豚舎に集めてひたすら餌を与えて太らせればいいので、生産効率も高かった。
ただ養豚場は悪臭を放つので、農村の郊外に設けられることが多い。
その糞尿を吸った敷き藁は発酵させて堆肥となるので、農民に歓迎されるのだ。
そういう意味では、夜森を開拓している辺境の村々に養豚場があるのは当然だと言えるが、農民と言えども臭いは敬遠されるので、住家が集まる村の近くは避けられた。
そのためこうした施設は、村から離れた森の近くに設けられることが多い。
ただ、夜森には肉食獣が多く棲んでいるので、豚が襲われないよう(逃亡を防ぐ意味もある)頑丈な柵で周囲が囲まれていた。
傭兵たちの臭いを追ったミナと娘姉妹は、彼らがその養豚場の一つに入ったことを突き止めた。
しかし、頑丈な柵に阻まれて、中に潜入することは諦めなければならなかった。
『でも、養豚場から洩れてくる臭いで、いろいろ面白いことが分かったわよ』
ミナが得意気に尻尾を振る。
「傭兵が中にいるっていう他に、何かあったの?」
『大ありよ。
まず第一に、柵の内側には傭兵とは別に兵士がいるわ。
正確な人数は分からないけど、傭兵たちの数倍はいそうね』
「ちょっと待って。ミナは〝兵士〟って言ったけど、傭兵の仲間じゃないの?」
『臭いが違うわ。ユニに説明するのは難しいけど、何て言うのかしら……傭兵と違って臭いが均一なの。
あれは軍隊特有の特徴よ』
ユニはがしがしと頭を掻いた。
「――ってことは、やっぱり傭兵は軍の依頼で動いているってこと?
でも、何だって軍がわざわざ養豚場の中に隠れているのかしら?」
ミナが注意を促すように、前脚でユニのお腹をつついた。
『まだ話は終わってないわよ、ユニ。
第二に、養豚場からはゴブリンの臭いがしたわ』
「ちょっ! 待って、待って!
何よそれ?
養豚場の中に傭兵と軍隊と――ゴブリンがいる?」
ユニが思わず叫び声をあげたので、周囲にいたリデルとココナ、ハンスまでもが驚いた。
彼女たちには、ユニとオオカミの会話が聞こえないのだ。
周囲の反応に気づいたユニは、それまでのミナの報告の要点を早口で伝えた。
「なるほど、ゴブリンですか……それで養豚場なのですね」
リデルがつぶやく。
「どういうこと?」
ユニだけでない、皆が一斉に小柄なリデルに注目した。
「簡単な話ですよ。
私たちは、村を襲ったゴブリンがどこから来たか、という疑問を解決していませんでしたよね?
山の洞窟に棲むゴブリンじゃないってことは、これまでの調査やオリバーさんの話で分かってきました。
だから私たちは、何となくゴブリンは夜森のどこかに潜んでいると思ってた。――違いますか?」
「え、ええ……そうね」
勢い込んで話し出したリデルを、ユニは驚きの目で見ていた。
彼女はアウル村を出て帝国領に入ってからも、あまり自分の意見を述べることはなかったからだ。
「でも、それって変なんですよ。
エバンスさん一家もオリバーさんも、夜森は豊かな森で生き物が多い分、危険な肉食獣もたくさんいると話してました。
そうですよね、ハンスさん?」
いきなり話を振られたハンスは慌ててうなずく。
「あっ、ああ。森には大山猫っていう猛獣がいて、樹の上からいきなり襲ってくることがある。
熊に出くわすのも相当危険だし、あんたらのほどデカくはないが、狼の群れだって棲んでいる。
だから俺たちは、一人で森の奥に入ったら自殺行為だって言われて育ってきた」
「私たちはこの夜森を、ユニ先生のオオカミたちに守られて移動してきました。
だから、そうした危険に鈍感になっていたんですよ。
もし、ゴブリンがこの森に棲んでいたとしたらどうでしょう?
人間の子ども程度の体格しかない彼らは、そうした肉食獣の恰好の獲物になるはずです。
ひっそりと生き延びることはできても、人間の村を襲うほどの大集団を形成するまで繁殖できると思いますか?」
夢中になっているリデルは、ハンスの手を握りしめていることに気づいていない(彼は顔を赤くしてどぎまぎしていた)。
「大体、私たちを襲ったゴブリンは、なぜろくな食糧もない洞窟に棲んでいたんでしょう?
森に巣穴を作るのは危険だからですよ!
山ゴブリンたちは木の実や虫をあさったり、ネズミやウサギなんかの小動物を獲る時だけ、仕方なく集団で身を守りながら森に降りるんだと思うわ」
リデルの言うことはもっともだった。
「なるほどね……。
確かにあたしが住んでいる辺境では、ゴブリンの被害がほとんどないわ。
タブ大森林の中じゃ、彼らは狩りが下手なオークでも捕まえられる餌に過ぎないものね。
――じゃあ、どうしてゴブリンが養豚場にいるの?」
「豚と一緒です」
「豚……?」
「だから、人間が飼育しているんですよ!
ゴブリンは十分な食糧さえあれば、爆発的に繁殖するって教えてくれたのは、ユニ先生じゃありませんか。
彼らは豚と同じ残飯で十分に育てられますし、何よりあの耐えがたい体臭も、養豚場ならごまかせるでしょう?」
「そうか!」
ユニの中で、バラバラだったパーツがつながった。
数年前のことだが、獣人たちの島で帝国がオークの召喚実験を試みたことがあった。
帝国は王国から亡命した狂った召喚士によって、その能力がない人間でも召喚を可能とする技術を得ていたのだ。
だが、それは極めて不完全なもので、召喚できるのはせいぜいゴブリンどまり。
低霊格のオークですら、なかなか呼び出せずに苦労していたはずだ。
「逆に言えば、帝国はゴブリンだったら召喚する技術を持っているってことよね。
そのゴブリンは人間の命令に従うし、そいつらを元手に繁殖を進めていたとしたら……。
餌と巣穴さえあれば、奴らはいくらでも増殖するわ」
納得がいった顔で独り言をつぶやくユニに、ハンスが喰ってかかる。
「ちょっと待ってくれよ!
いくら何でも軍がそこまでするか?
ゴブリンなんかを前線に出してみろ、いくら数がいたってケルトニア軍に一蹴されるぞ。
いや、敵にぶつけるならまだ分かる。
自国の開拓村を襲って全滅させて何になる?
ましてや、俺の分隊を襲うことに何の意味があるんだ!」
「ハンス、ちょっと落ち着きなさいよ。
リデルの仮説が正しいなら、すべては説明がつくわ。
この夜森には、昔から実際にゴブリンが出没していたのよ。養殖したゴブリンで実験をする、絶好の舞台だと思わない?」
「ふざけるな! 実験って何だよ?」
「だから、そう興奮しないで!
冷静に考えてみて。いま、帝国の最大の敵はどこ?」
「そりゃ、ケルトニアに決まっているだろう」
「そうね。あなたたちは〝西部戦線〟って呼んでいるんだっけ?
一時はだいぶ押し込まれたみたいだけど、最近はかなり盛り返しているんでしょう?」
「ああ。それがどうした?」
「西部戦線って、要するにエウロペ諸王国の陣取り合戦なのよね?
つまりケルトニアが後退すれば、その地は帝国が占領して自国の領土にするわけよ」
「そんなの、当たり前じゃないか」
「うん。当たり前だけど、それって言うほど簡単なことなのかしら?」
「……?」
「占領した土地には、町や村だってあるでしょう?
当然、そこには戦争と関係なく住んでいる住民がいるわ。
その人たちはどうなるの?
皆殺しにするの? それとも奴隷にして売り飛ばすの?」
「あんた、帝国を馬鹿にするのか? 俺たちは断じてそんな真似はしない!
占領地の市民には、帝国民としての平等な身分が保障されるんだ」
「そうね。
占領された地域の人たちは、それに従うでしょうね。
だけど、心から喜んで……っていうわけじゃないと思うの。
ねえ、こんなこと言いづらいんだけど――前線では、帝国軍だって食糧を現地調達してるんでしょう?
それって、要するに略奪よね」
「それは……戦争だから仕方ないだろう!
第一、ケルトニア軍だって同じことをしているはずだ」
「そうね。散々略奪してくれたケルトニアがいなくなったと思ったら、帝国軍がやってきて、さらなる略奪を行う。
そんな目に遭った占領民が、信頼できる国民になってくれると思う?」
言葉に詰まるハンスに、ユニはにこりと笑いかけた。
「そこでゴブリン部隊の登場よ」
「ケルトニア軍が撤退した後、ゴブリンに町や村を襲わせるの。
魔物に襲われてパニックになったところへ、正義の帝国軍が救出に現れるのよ。
帝国軍を見たゴブリンたちは、打ち合わせどおりに奪った食糧を持って逃げ出すことになるわ。
全滅寸前だった町は危機一髪のところで救われ、帝国軍は生き残った住民の感謝を受けるでしょうね。
ゴブリンが住民を半分以上殺してしまえば、彼らを保護した帝国軍の負担は減るし、空き家は自由に軍が接収できる。耕作者が死んだ農地には、帝国からの移民も送り込めるわ。もちろんゴブリンが略奪した物資は、帝国軍が取り上げるって寸法よ。
都合のいいことばかりよね」
ハンスはユニが語る戦場の光景を想像することができた。
「その訓練のために……俺の故郷が滅ぼされたって言うのか?」
「多分ね。
あなたの部隊が襲われたのも、その実験の一端よ。
いくら弱いゴブリンと言っても、少人数の敵に大群で襲いかかれば倒すことができる。きっと、どれだけの損害が出るかを確認したかったんでしょうね。
まだ収益の上がらない開拓村や、僻地の国境警備をしている小部隊が全滅しても、帝国は気にしないわ。替わりはいくらでもいるんですもの」
ハンスは下を向いて唇を噛み締めた。その肩が微かに震えている。
そんなことのために、俺を育ててくれた叔父さん夫妻は殺されたのか?
気のいい戦友たちは犬死したのか?
そう自問しながらも、彼の頭の片隅では『軍ならやりかねない』と納得していたのだ。
* *
「それで、これからどうするんですか?」
沈鬱な空気を破って、ココナが口を開いた。
「洞窟に戻るわ。ハンスは王国に亡命させる。
ここにいたら、必ず口封じに殺されるもの。
ハンスはもともと開拓民なんでしょう? だったら王国に行って、エバンスさんの一家を頼ればいいわ。
私から赤龍帝への紹介状を書いてあげるから、軍の取り調べもそう厳しくならないはずよ」
「あんたは!」
顔を上げたハンスは怒鳴った。
「あんたはこの非道を見て、何もせずに逃げ帰れと言うのか?」
ユニは小さなため息をついた。
「お願いだから現実を見てちょうだい。
養豚場に入った傭兵は十四、五人。そして中にはその数倍の軍がいるのよ。
こちらの戦力は、実質的に八頭のオオカミだけだわ。
さすがに勝てない――あなたにも、そのくらいは理解できるでしょう?」
「だが!」
「もちろん、あたしだって放置する気はないわ。
戦力が足りないなら、こっちも援軍を頼めばいいのよ。
それもとびきり強力な助っ人をね!」
「ふざけるな! ここは王国じゃないんだぞ。
そんな都合のいい援軍がどこにいる?」
「あら、あんたオリバー爺さんの話を聞いてなかったの?」
「爺さんの?
……まさか、あんた!」
リデルも驚いた表情を見せる。
「ユニ先生、まさか龍に助力を求める気ですか?」
ココナも端正な顔を曇らせた。
「でもどうやって?
そもそも、龍の居所が分からないから、私たちはいろいろ調べているのですよ」
三人に次々と突っ込まれたユニは、少し得意気な顔になった。
「あんたたち、駄目ダメだわ。
人探しの基本は聞き込みなのよ?
あのお爺ちゃんは、ちゃんとヒントを話してくれたじゃない」
リデルが首を傾げた。
「でも、オリバーさんは白龍の声を聞いただけで、姿も見ていないのですよ。
確か龍に棲家を訊ねたけど、教えてもらえなかったと言ってたはずです」
「仕方ないわね……。
いいこと? 特別授業なんだから、よく聞くのよ。
白龍はオリバーさんの娘を連れ去る代わりに、山ゴブリンが開拓村の人たちを襲わないことを約束したわ。
その約束は、今も守られていると思うの。
あたしたちは、オオカミという護衛がいながら山ゴブリンに襲われた。
それなのに、無防備なエバンスさん一家は無事に通り抜けている……その意味が分かる?」
「エバンスさんたちが開拓村の人だから……ですか?」
「さすがはあたしの元生徒ね、正解よ。
じゃあ、リデルに質問。
なぜゴブリンたちは、三十年も経った今でも律儀に約束を守っているのかしら?」
「それは……白龍が怖いからではありませんか?」
「そうよね。龍自身が言っていたから間違いないわ。
つまり、約束を破ったら白龍から酷い目に遭わされる。それを恐れているってことね。
ということは、白龍はゴブリンを見張っているし、言いつけに背いたらお仕置きするために、あの狭い洞窟の中に現れるってことよ」
リデルはハッと気づいた。
「もしかしてあの巨大な穴って……!」
「そう。あの穴は、龍の棲家とどこかでつながっているのよ。
きっとあそこなら、白龍と連絡がつけられると思うの。
龍はプライドの高い生き物――もし自分が守ると約束した村が、人間に飼育されたゴブリンに襲われたと知ったら激怒するはずよ。
うまく話をつければ、養豚場ごと焼き払ってくれるんじゃないかしら」
「あっ……あんたら、オリバー爺ちゃんの与太話を信じているのか?」
呆れたようなハンスに、ユニは片目をつむってみせた。
「言ったでしょ、あたしは龍と直接会って、話をしたことがあるって。
つべこべ言わずについてきなさい。
洞窟へは明日の早朝に出発するわ。それまであんたは、オオカミに乗る特訓よ!」
「はぁ? 何で俺がオオカミに乗るんだ。
馬じゃ駄目なのか?」
「オリバーさんの小屋までだったら何とかなったけど、夜森を抜けるとなったらオオカミの方が効率いいのよ。
それにどのみち王国側の洞窟出口は、狭くて馬が通れないわ。
馬は賢いから、ここで放しても自力で帰れるでしょう。
あんたに龍を見せて、ちびらせてあげたいところだけど、先に王国領まで送り届けてあげるわ」




