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幻獣召喚士3  作者: 湖南 恵
第四章 マーク・カニングの憂鬱
63/155

四 女衒

 ――ぼんやりと視界が開けてきた。自分は気絶していたのだろうか?

 あたしの目には部屋の様子が見えている。

 そう広くはないが、壁紙や調度は落ち着いて品があり、部屋主の趣味のよさが窺える。

 部屋の広さに比べて不釣り合いに大きなベッドが中央にあり、きれいな白いシーツを皺だらけにして裸の男女がうごめいていた。

 それをあたしは鳥のように上から眺めていたのだ。


『あれ……あたしだ』

 すぐに気づいた。大きなベッドの上で男に組敷かれ、身体をくねらせているのは、確かに自分だった。


『なら、あたしを見ているあたし(・・・)は誰なんだろう?』


 あたしは混乱した。慌てて自分の身体を確認しようとしたが、宙に浮く肉体なんか存在しない。

 肉体がないのだから、当然手足も動かせなかった。


 どうやら自分は〝意識〟だけになって身体を抜け出し、部屋の天井あたりに浮かんで下を眺めているらしい。

 なぜそんなことになっているのかさっぱり分からないが、とにかく自分の置かれている状況が理解できたことで、あたしはようやく少し落ち着くことができた。


 そうなると、眼下で行われていることが気になってしまう。自分の身体なのだから当たり前だ。

 あたしは下着さえも着けない素っ裸で、しかも男の人に抱かれている……恥ずかしくて叫びたくなるような光景のはずだが、それを見ている自分は不思議と冷静だった。

『あたしは男の人と〝アレ〟をしているのだ』


 孤児院の寄宿舎で、高学年の女の子たちが消灯時間前に集まると、そういう話題になることがよくあった。

 十四、五歳ともなればとっくに初潮は来ているし、体つきも激しく変化している真っ最中だ。当然みんなそのこと(・・・・)には興味津々(しんしん)だった。


 孤児院では男女が厳格に分けられていたから、授業以外で一緒になることはない。

 だが、街で浮浪児をしていたころに、十一、二歳でもうアレを経験してい女の子は珍しくなかった。

 そういうは仲間内から〝大人〟として尊敬され、いろいろな性に関する悩みを相談されていた。

 彼女たちから聞かされて、みんな男と女がどんなことをするのか、すっかり詳しくなったような気になっていた。


 だが、今あたしの目の前で行われているそれは、想像よりはるかに生々しいものだった。

 漂ってくる濃密な熱気が、物凄く女臭いのだ。

 自分の身体の匂いだから、もちろん嗅いだことがある。

 生理の時などは特に気になるもので、努めて目を逸らしてきた現実だった。


『やっぱり、あまりロマンティックなものじゃないのね』

 あたしは少し幻滅しながらその問題を意識から追い出し、再びベッドの上に意識を集中させた。


 男の方は……顔は見えないが、ヒギンズさんに間違いない。

 だけど、なぜ自分はヒギンズさんに抱かれているのだろう?

 彼は孤児院出身のあたしを代書屋に雇ってくれた恩人だ。

 優しく、教養があり、孤児のあたしにも分け隔てなく接してくれる立派な大人だったはずだ。


 あたしは幼いころに父親と死に別れたせいか、年輩の男性に惹かれやすいところがあった。

 ヒギンズさんはある意味理想的な人で、あたしをいやらしい目で見たことなど一度もなかった。

 世の男は気づかれていないと思っているだろうが、ちらりとでも胸や尻に視線が刺さると、女は敏感にそれを感じるものだ。

 ヒギンズさんはそんな男たちとは違うのだ――あたしはそう思い込んでいた。


 考えても分からないことは、考えるだけ時間の無駄だ。

 あたしはそう思い切り、この問題も棚上げにすることにした。


『それにしても、あれは本当にあたしなのかしら?』

 そう疑いたくなるほど、眼下の自分はあられもない声を上げ、身体を艶めかしく動かしている。

 顎が上がり、開いた唇の端がよだれで濡れている。

 白い喉が上下して、吐息とともに甲高い喘ぎ声をまき散らかす。


 背中は反ったかと思うと丸まり、また伸びる。引き締まった下腹が何度もひくひくと痙攣しているのが分かった。

 男の長い舌が首筋から喉、そして胸の膨らみへじりじりと移動していき、あたしの肌をくすぐり、口に含み、舌先を尖らせて弄んでいる。

 手のひらや指は、下腹部から腿のあたりをマッサージするように撫でまわしていた。


 男の方は上半身こそ裸だが、下半身は下着を履いたままだ。

『男はすぐにアレを入れたがる』

 孤児院の経験者のは自慢気にそう言っていたはずだ。

 それを聞いたあたしたちは、『ありえない!』とぎゃーぎゃー叫んだものだ。

 なのに、彼はなぜ下着すら脱がないのだろう?


 そう言えば、彼はさっきからあたしの恥ずかしい部分にはあまり触っていない。

 むしろその周囲を優しくじらすように撫でまわしている方が多い。

 そしてほんの時たま、指の腹で軽く撫でるだけだった。


 だがたったそれだけのことで、あたしの身体は狂ったように反りかえり、腕は男の背中をかき抱いて爪を立てるのだ。

 あたしの白い両足はぶざまに広げられ、それが男の太腿に絡みついて、絶対に放すまいとしている。


『なんだか踏まれた蛇みたいだわ』

 骨を失ったようにぐねぐねとのたうつ自分の身体を見て、あたしはそんな感想を洩らした。

 そして、すぐに思い直す。

『いえ、違うわ。あの恰好は仰向けになった蛙よ』


 見れば見るほど見苦しかった。

 男の前で足を広げるだけでも恥ずかしいのに、あんな〝がに股〟になってしがみつくなんて、それが自分じゃなかったら笑ってしまうところだ。


 ずいぶんと長い時間そんな状態が続き、部屋にはあたしの喘ぎ声だけが響き、空気は耐えがたいほど淫靡な臭いに満たされていった。

 やがて、ある変化が訪れたことにあたしは気づいた。

 男が敏感な部分に触れる時間と回数が増えてきたのだ。

 あたしの呼吸はますます激しくなり、汗ばんだ身体がバネのように跳ねまわった。


 そしてあたしは唐突に全身を硬直させ、獣のような叫び声を上げた。身体がびくびくと痙攣しているのが分かる。

 同時に、それまで俯瞰していた視界が真っ白になり、何も見えなくなってしまった。誰かに頭を殴られた気がして、宙に浮かんでいたあたしの意識はどこかに吹っ飛んでいった。


      *       *


 カニングは客室でコーヒーをご馳走になっていた。

 相手をしているのは、七十歳に近い痩せぎすなメイドであった。

 多分、ヒギンズ家のメイド長(ハウスキーパー)なのだろう。

 彼女は当たり障りのない天気の話や、街の噂話をして間を持たしてくれていた。

 すると閉まっている扉を通して、かすかに女の声が聞こえてきた。


 メイド長が『やれやれ』という表情で顔を上げた。

「終わったようでございます」


 カニングがうなずく。

「ずいぶんと派手なものだな」

「まぁ、人によりますわね。

 声をかけてまいりますから、もうしばらくお待ちください」

 メイド長はあまり興味がなさそうに応じると、部屋を出て行った。


 ――薄暗い部屋にノックの音が響く。


「何だ? 仕事中は邪魔をするなと言っているだろう」

 ヒギンズは不機嫌そうな声を上げたが、傍らで寝息を立てている女は目を覚ます様子がない。


「申し訳ございません、旦那様。

 ですが、お客様がお待ちになっておられますので」

「客? こんな時間にか……誰だ?」


 扉を通したメイド長の声が少し大きくなった。

「黒龍組のカニング様でございます」


「馬鹿っ、それを早く言え!」

 ヒギンズは跳ね起きた。


      *       *


「これは代貸し、ずいぶんとお待たせしてしまったそうで、誠に申し訳ない」

 客間に入ってきたヒギンズは、とりあえず謝罪をした。

 よほど慌てたのか、長めのガウンを羽織っただけで、その下は素肌のままだった。


 後を追いかけるように、メイド長が車つきのワゴンを押して入ってきた。

 ワゴンには洗面器とシャボン、そしてタオルが乗っていた。


 カニングはソファに座ったまま苦笑いを浮かべる。

「いや、こっちこそ約束もなく押しかけたんだ。気にしないでくれ。

 それに仕事の邪魔をしたようだな、済まなかった」


「とんでもない!

 仕事など後回しにすればよいのです。

 申し訳ない、手を洗いますので少しだけお待ちください」


 ヒギンズはそう言いいながら石鹸を泡立て、ごしごしと手を洗い始めた。

 何度か指の匂いを嗅いでは顔をしかめて洗い直す。

 潔癖症の気味があるのだろうか、何度かそれを繰り返したあげく、どうにか納得して手を拭き、やっと応接のソファに座った。


「シャワーを使っていては時間がかかりますので、これでご勘弁ください。

 それで、こんな夜分にお出でとは、何か急な用件でも?」


「ああ、ちょっと野暮用だ。

 お前さん、代書屋の方は順調か?」


 代書屋というのは、文字どおり手紙などの代筆をする職業のことだ。

 この時代は読み書きのできない人間が珍しくないので、普通に成立する職業だ。

 ただ、この港町カシルの場合、それ以上に司法書士的な役割が大きかった。

 特に輸出入を中心とした売買契約書、覚書、通知書、申請書といった、さまざまな書式を作成する専門職として重宝されていたのだ。

 当然読み書きだけでなく、豊富な法律知識や商慣習に精通していなければ務まらない仕事である。


「はいおかげさまで。どうにか忙しくさせてもらっています」

 彼がそう答えたのは決して自慢ではない。ヒギンズが経営する代書屋は、南カシルでも五本の指に入ると言われる大手だった。


「だよな。繁盛しているって話は俺も聞いている。

 それなのに、何もげんの仕事を続けなくてもよさそうに思うがな。

 表の仕事にとっても、いいことはねえだろう?」


 ヒギンズは苦笑いを浮かべた。痛いところを突かれたのだ。

 代書屋は人に尊敬される仕事だが、女衒は真逆でかつのように嫌われ、軽蔑される職業の代表格である。

「まぁ、これは身に沁みついたごうのようなものですからね。

 代貸しならご存じでしょう。私はもともとこっちの方が本業だったんです」


「まあな、別にお前さんの商売について、偉そうなことを言うつもりはねえよ。

 だが実を言うと、今日来たのはその女衒がらみの方なんだ。

 さっき済ませたっていう仕事はうまくいったのかい?」


「はい、調教の第一段階は終わったところです。

 女の身体に快楽を覚えさせ、気をやる(・・・・)ことを教え込む。

 まず、これが出来ていないと遊女は務まりませんからね」


「第一段階ってことは、二とか三もあるってことか。

 女の悦びを教えるだけじゃ駄目なのか?」


 少し驚いたような代貸しの表情に、警戒していたヒギンズの頬が緩んだ。

「もちろんですとも!

 次は自分の身体をきちんと洗うことを教えないといけません。

 これが第二段階で、意外と難しいのです」

「何だそりゃ?

 身体を洗うくらい、誰だってできるだろう。

 ましてや女だぞ? 男なら汗臭いのも垢塗れなのも分かるが……」


 ヒギンズは思い出したように顔をしかめた。

「素人女、特に男を知らない生娘ほど陰部が不潔で臭いものなのですよ。

 そんな女を世話した女衒は、たちまち妓楼に出入り禁止を喰らいます。

 さっきの娘も酷いもので……手を洗ってもなかなか臭いが取れません。

 こちらも仕事ですから我慢しますが、正直言って吐き気をこらえるのに必死ですよ。

 女は小便以外にもいろいろ分泌しますし、構造的に身体が汚れやすいのです。

 本来なら汚れを念入りに洗う必要があるのに、あいつらは自分の身体なのに『恥ずかしい』と言ってそれをしない。表面だけをさっと洗えばいいと思っている。

 女の機嫌やプライドを損ねずにこのことを教え込むには、よほど気を遣って言葉を選ばないとうまくいかないのですよ」


「ほう、そういうものか……」

「ええ。代貸しだと素人には手を出されないでしょうから、私のような酷い目を見ることはない。羨ましい限りです」


「その……参考までに聞きたいが、第三段階は何を調教するんだ?」

「ああ、あとは技術的なことで大したことではありません。

 男の悦ばせ方とか、そんな基本的なことですよ。

 ……まさかとは思いますが、そんなことをお聞きになりたかったのですか?」


 カニングは慌てて手を振った。

「そんなわけがあるか。

 単刀直入に言おう。ヒギンズ、お前さん孤児院から娘を雇い入れただろう。

 そいつは女郎にするつもりか?」


 女衒は驚きを隠さなかった。

「なんでそれを……!

 いや、さすがは代貸しです。そこまでご存じとは、お見それしました。

 実を言うと、さっきまで調教していたのも、その孤児院の娘でした」


「名前は何という?」

 いきなりカニングの声が低くなり、ヒギンズの顔から笑みが消えた。

 その顔に『俺は何をしくじったんだ?』という焦りと疑問が浮かんでいる。


「あ、はい……セイラって言います。

 二年前に雇って様子を見てきましたが、十七歳になったものですから、そろそろ仕込む頃合いだと思ったのです。いけなかったでしょうか?」


「ほかにも最近雇った娘がいるだろう?」

「はい、セイラのほかと言うと、つい先月にケイトという娘を雇ったばかりです。

 この娘はもう十六歳になっていましたし体つきもいいので、セイラの調教が終わったらすぐに取りかかる予定にしていました」


「……つまり、まだ何もしていないってことだな?」

「ええ、普通に代書屋の仕事を手伝わせているだけです」


 カニングの声から殺気がふっと消えた。彼は深い息をついて、身体をソファに沈み込ませた。

 その様子を見たヒギンズは、自分が虎口を脱したのだと悟った。


「あの……代貸し。

 孤児院の娘というのがまずかったのでしょうか?」


 カニングは首を振った。

「いや、お前は何も知らなかったんだ。責めるのは筋違いだし、そのつもりもねえ。

 だがな、この先は違う。

 一度しか言わねえ、今後は孤児院に手を出すな! 分かったな?」


 その言葉には、再び殺気がこもっていた。

 ヒギンズは黙ってうなずくしかなかった。


 カニングは懐に手を入れて硬貨を一枚取り出すと、ピンと親指で弾いた。

 大ぶりな貨幣がランプの光をきらりと反射させ、ヒギンズへ向かって弧を描く。

 女衒は飛んできた貨幣を空中で掴み、手を開いてみた。それは紛れもなく金貨だった。


「ケイトっていう娘は俺が貰う。そいつはその代金だ。

 調教前の孤児の娘につけるには、破格の値段だろう」

 ヒギンズには否も応もなく、再びうなずいた。


「それで、そのケイトっていう娘はお前の目にはどう見えたんだ?」

「は、はい。

 見た目は悪くありません。ちゃんと化粧をさせて磨けばそれなりになるでしょう。

 まだ雇ってひと月ですが、与えた仕事はきちんとこなしますし、とにかく呑み込みの早い娘です。

 よほど頭がよいのでしょう。というより、そこを見込んで連れてきたのです。馬鹿は一流の娼婦になれませんからね。

 ただ、ひどく無口で不愛想なのが欠点です。あの娘が笑ったところを一度も見たことがありません。

 『はい』と『いいえ』以外に喋らないので、他の女事務員からは早々に仲間外れにされています。

 早めに調教を始めようと思ったのもそのためなんです。

 代貸しがどうされるのかは聞きませんが、扱いには苦労なさるでしょうね」


「そうか……。

 では、その娘を明日の午後三時に俺の事務所に連れてこい」


「分かりました。

 あの……それで、セイラの方はどういたしましょう?」


 カニングは上着の内ポケットのあたりを〝ぽんぽん〟と叩いてみせた。


「あいにく手持ちの金貨はそれでしまいだ。

 それにセイラって娘は、もう調教を始めちまったんだろう?

 なら仕方がねえ。立派な女郎(・・・・・)にしてやんな」

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