表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻獣召喚士3  作者: 湖南 恵
第四章 マーク・カニングの憂鬱
62/155

三 シスターマリア

 カニングの馬車は孤児院の正門前で停まった。

 彼は子どもたちを馬車に残したまま、二人のいる門衛のもとへと向かった。

 ユニも少し遅れてその後に続く。


「今シスターを呼びに行ってもらった。

 すぐに来てくれるだろう」

 代貸しはそう説明してくれた。


 残る一人の門衛は、カニングにあまり関心を持っていないようだ。

 黒龍組の最高幹部である代貸しの顔は、カシル市民なら誰でも知っているはずである。

 だが、特に恐れる様子もなく、かといってへりくだる姿勢も見せなかった。

 まるでカニングが孤児院を訪れるのは「よくあることだ」という顔をしている。


 しばらく待っていると、ランプの明かりが近づいてきた。

 孤児院の管理を任されている救済教のシスターの二人だった。

 年かさの方のシスターが、カニングの顔を見て笑いかけた。


「あらマーク、ずいぶんと久しぶりじゃない。

 もっとまめに顔を出しなさいな。

 それで、子どもたちは?」


 カニングは笑顔を見せず、ぶっきらぼうに答えた。

「いま連れてくるから、待っていてくれ。

 おい、ユニ。手伝え」


 大股で馬車に戻る男の後を、ユニが小走りで追う。

「ねえ、代貸しはあのシスターと知り合いなの?

 なんで〝マーク〟なんて気安く呼ばれてるの?」


 彼は馬車の中から眠っている子どもを引っ張り出しながら、うるさそうに応じる。

「ああ、あのババアは古顔だからな。

 昔から教会にいるシスターは全部知り合いだ。

 若い方はよく知らん顔だな。孤児院の管理のために最近来たんだろう」


 ユニは代貸しに渡された女の子を抱きとめ、両手で抱えて彼の後をついていく。

 カニングは男の子を若いシスターの背に負ぶわせた。

 年かさのシスターはユニから妹を抱きとった。


「見てのとおりの浮浪児だ。

 空腹に耐えかねて俺の贔屓にしている店に盗みに入った。

 盗ったのは食い物だが、食ったついでに酒を飲んで酔っぱらったらしい。

 あばらが浮くくらいにやせ細っている。放っておくわけにもいかないから連れてきた」


 シスターは腕に抱えた女の子の息をくんくんと嗅いだ。

「ええ、甘ったるい匂いがするわね。

 呼吸は乱れていないから、暖かくして寝かせれば心配いらないでしょう。

 ありがとうマーク、助かるわ」


「どうってこたぁねえ。

 二人とも眉毛までシラミがたかっているから、気をつけてやってくれ。

 シスターマリアはいるかい?」


 マリアとは、カシルの教会を任されているシスターで、この孤児院の責任者でもある。

 ユニも何度か会って世話になった人物だ。


シスター(マリア)なら、今日は教会の方よ。

 この子たちの説明がてら寄ってあげなさいよ。あなたの顔を見れば喜ぶわ。

 きっとよ」


 カニングは頭を掻いた。

「ああ、分かった。

 ちょっと顔を出してみるよ。

 じゃあな、夜分に邪魔をした。子どもたちを頼んだぞ」


 そっけない挨拶を残して、カニングはさっさと馬車へと戻った。

 そして御者に教会に行くように命じて馬車に乗り込んだ。

 ユニも慌てて後に続く。


 馬車が動き出すと、好奇心で爆発しそうなユニはたまらずに訊ねた。

「ねえ、どうして黒龍組の代貸しが、教会のシスターと顔見知りなの?」


 馬車の天井に下げられたランプが揺れ、彼の表情はよく分からなかったが、少なくともユニから目を逸らしていることだけは見て取れた。

「別に不思議はねえよ。

 俺はガキのころ、教会で育てられたからな。

 十六歳で逃げ出して黒龍組に入るまで、シスターマリアは俺の母親代わりだった」


「あらまあ……」

 ユニは間の抜けた返事しかできなかった。

 やくざ者である彼が、元孤児だったという話は別に不思議ではないが、教会で育てられていたというのは驚きだった。


 そう言えば、カニングを訪ねると彼は新聞や本を読んでいるか、何か書き物をしていることが多かった。

 暴力の世界に身を置く者たちは、読み書きができないことが珍しくない。

 彼が教会で育ったのなら、きちんと教育を受けていたのだろう。


 孤児院から教会まではそれほど離れていない。

 十分ほどで馬車は教会に着いた。

 以前にユニが訪ねた時と変わらず、質素でひっそりとした佇まいだった。


 カニングは馬車を降りると、教会の正面ではなく裏に回った。

 馴れた様子で鍵のかかっていない裏口を開けると、勝手にずんずんと中に入っていく。

 ユニは一緒に来いと言われたわけではないが、その後を追った。面白そうだから見逃す手はない――彼女はそう心に決めたのだが、その好奇心で何度も厄介ごとに巻き込まれたことなど忘れているのだ。


 廊下の奥の突き当りに司祭室がある。

 とは言えカシルの教会は規模が小さく、司祭が赴任していない。

 シスターマリアは位階としては助祭に当たるが、教会責任者として司祭室を私室として使っていた。

 今度はカニングもきちんとノックをした。


 「どうぞ」という女性の声が聞こえると、彼は黙って扉を引いた。

 彼らが中に入ると、修道女シスターマリアの顔がぱあっと輝いた。

「マーク! よく来てくれたわね。

 そちらは……ユニさんだったかしら。久しぶりね。

 それにしても変わった組み合わせだこと。一体どういう風の吹き回しなの?」


 彼女は二人に椅子を勧めると、お茶の支度を始めた。

 シスターは六十代の半ばくらいに見えた。

 だがふっくらとした体型にも関わらずその動きは若々しく、少しうきうきとした感じが伝わってくる。

 カニングは大人しく椅子に腰をかけ、シスターの動きを目で追いながら、孤児の兄妹を保護して孤児院に預けてきた経緯を説明した。


 マリアは小さなストーブにかけていた薬缶からお茶のポットに湯を注ぎ、三つのカップに手際よくお茶を注ぐ。

「そうなの、それはご苦労だったわね。

 外はまだ冷えるでしょう? どうぞ熱いうちに召し上がれ」


 彼女はカップの受け皿(ソーサー)に手焼きのクッキーを添えて勧めてくれた。

 カニングとユニは礼を言って熱いお茶を口にした。


 代貸しはさっさと用事を済ませようという態度で、懐から革袋を取り出して卓上に置いた。

「今月分だ。遅くなって済まない」


 シスターはそれを押しいただき、神に感謝の祈りを捧げた。

「助かるわ、マーク。いつもありがとう」


 その革袋はどう見ても貨幣、それも銀貨が十数枚入っているような感じであった。

 ユニは問いかけるような視線をシスターに向けた。

 彼女は笑顔でその視線を受け止めた。


「これは浄財よ。

 いつもマークが寄付してくれるの。

 もちろん、孤児院の運営には政府からお金が出ていますけど、すべて使い道が限定されているわ。

 だけど子どもたちを育てていると、時には経費ではどうにもならないお金が必要になることがあるのよ。

 だから、こうした寄付はとても助かっているの」


「でも、そのお金は……」

 ユニは思わず口に出したが、ちらりと代貸しを見て言葉を濁した。


「ええ、分かっているわ。

 マークは神の教えと法に背いた手段でお金を稼いでいます。それを浄財と呼ぶのは欺瞞に見えるかもしれないわね。

 でも、私はお金そのものに罪はないと考えています。

 悲しいことだけど、悪はなくなりません。

 私は今でもマークに悔い改めてほしいと願っていますが、彼が堅気になったとしても、誰かが替わりとなるだけだということも知っています。

 貴賤はそのお金の使われ方によって決まる――詭弁だと思いますか?」


 ユニはカップを置き、首を横に振った。

「私にはよく分かりません。

 ただ、泣く子も黙ると言われる黒龍組の代貸しが、この教会で育ったことには正直驚いています」

 それは素直な感想だった。


 カニングは目を逸らしたまま無言だった。

 シスターは目に懐かし気な光を浮かべた。

「もう四十年も前になるのね。あのころの私は若くて無我夢中でした。

 結局マークは道を間違えてしまったのですから、私が至らなかったのでしょう。

 ですが必死でマークに愛情を注ぎ、育てたことは後悔していませんのよ」


「ああ、確かにあの頃のシスター(マリア)は若かったし、結構いい女だったな。

 今じゃぶくぶくと太って見る影もないが」

 やっとカニングが口を開いた。


「確かにそうね。

 私は何度この子にスカートをめくられたか覚えていないくらいよ。

 洗濯した下着が無くなることもしょっちゅうで、ずいぶん恥ずかしい思いをしたものよ」


 笑顔で反撃されたカニングは顔を赤くして再びそっぽを向いた。

 どうやら触れられたくない話題らしい。


「ただ、マークはとても頭のよい子だったから、私は期待していたのですよ。

 この子が行方をくらまして、しばらく経って黒龍組に入ったと聞いた時は、それはもう泣いたものです。

 そんなこともあって、このカシルに孤児院をつくることは私の使命だとずっと思っていたのです。

 評議員の方々に聞いたのですが、孤児院の管理が私たち救済教に任されるようになったのは、ユニさんの働きが大きかったとか。

 お会いしたら、何かお礼をしたいと思っていましたのよ!」


 ユニはカニングの顔を横目で見た上で、とびきりの笑顔を浮かべた。

「あら、それなら今度、一人で伺うことにしますわ。

 是非とも代貸しの子ども時代のお話を、じっくり(・・・・)お聞かせください。それこそご褒美だわ」

「ええ、お安い御用よ」


 カニングは恐ろしい目で二人の女を睨んだ。

「こらユニ、あんまり調子こいてんじゃねえぞ!

 シスター(マリア)もベラベラ喋るなよ! 告解の秘密の遵守を忘れたとは言わせねえぞ?」

「まあ! 乙女の下着を何に使ったのか、私は告白された覚えがなくってよ、マーク?」

「黙れババア!」


 女たちの笑い声が響く部屋に、〝こつこつ〟というノックの音が響いた。

 シスターが目尻の涙を拭って「どうぞ」と言うと、静かに扉が開いた。

 顔を出したのはユニが初めて見る年輩のシスターだったが、彼女もまたカニングの顔を見ると笑顔になった。


「あらマークじゃない。いつの間に来ていたの?

 後で私の部屋にも顔を出しなさいな。

 あなたの好きなイチジクの砂糖漬けがあるわよ」


 カニングはうんざりしたようにため息をついた。

「シスタージゼル、俺はもう五十歳を過ぎたんだ。いつまでもガキ扱いは止めてくれ」


 シスターマリアは、ジゼルという修道女に訊ねた。

「孤児院の方は変わりありませんでしたか?」

「ええ、マークが来ているということは、孤児の兄妹を保護したことはお聞きになったんですね?」

 マリアは笑顔でうなずいた。


「でしたら他に変わりはありませんでした。

 そうそう、ケイトの様子を見に行ったシスターエイミーですが、あいにくお使いに出ていて会えなかったようです。

 ヒギンズさんのお話では、元気にしているそうですよ。もう周りにも馴染んで、とてもよく働いてくれるので助かっているそうです。

 私もホッとしました」


「そう……ですか。それはひと安心ね。

 ご苦労さま、戻ってよろしいですよ」

「はい。それでは。

 マーク、約束よ。ちゃんと顔を出してね」


 シスタージゼルは部屋を出て行った。

 マリアは笑顔でそれを見送ったが、扉が閉まると急に表情を曇らせた。


「どうしたんだ、シスターマリア?

 ケイトってのは孤児院の子か?」

 カニングが怪訝そうな顔をする。


「ええ、そうなの。キャサリン・モーリスっていう十六歳の女の子よ」

「十六歳?

 孤児院は十五歳までなんじゃないのか?」


「そう。十五になったら、ほとんどの子が就職するんだけど、ケイト(キャサリンの愛称)はどこに行っても馴染めなくて、すぐに返されてきてたのよ。

 あの子は見た目は悪くないのだけど、人見知りが酷くて知らない人だとほとんど喋らないからだと思うわ。

 それで仕方なく孤児院で雑用をしてもらっているうちに十六になった。

 でも先月だったかしら、孤児院を視察に来たヒギンズさんという方が彼女を気に入ったらしくて、雇ってくれたのよ。

 シスターたちは今度も駄目だろうと噂してたんだけど、いつまで経ってもクビにならないものだから、様子を見に行かせてたの」

「だが、シスタージゼルの話じゃ、うまくやっているんだろう。

 雇った方も喜んでいるって言うし、それのどこが悪いんだ?」


 シスターは首を二、三度横に振った。

「ええ、普通ならそうね。

 でも、さっき言ったとおり、ケイトはとても無口で不愛想な子で、それにとても頑固な性格なのよ。

 簡単に周囲に馴染むなんて話、ちょっと信じられないわ。

 それができるくらいなら能力のある子だもの、とっくにどこかに就職できたはずよ」


「ふん……なるほどね」

 代貸しはぬるくなったお茶を呑み込みながら、少し考え込んだ。


「なあ、シスター(マリア)。そのケイトって娘は、見た目は悪くないって言ってたな?

 十六歳と言えばまだガキだが、体つきはどうだ?」

「そうね……スタイルも悪くないわ。

 歳の割には発育はよい方ね。ちゃんと出るところは出ているし」

 シスターはユニの胸をちらりと見て、慌てて目を逸らした。


「そうか。

 そのケイトを雇ったっていうヒギンズという奴は、どんな男だ?」

「年は四十歳くらいかしら、役者みたいに渋くていい男だったわ。下町で代書屋をしているそうよ。

 私も一度見に行ったけど、人を何人か雇っていて、結構繁盛していたわね。

 ケイトのことはちゃんと説明したんだけど、仕事は書類づくりで接客はさせないから是非雇いたいって、ずいぶん熱心だったわ。

 あのは頭がよくて字もきれいだから、そういうことならと思ったのよ」


「ああ、そうか。

 どうも聞いたことがある名だと思っていたが、〝代書屋のヒギンズ〟か」

「知っているの?」


「そりゃあ、下町はうちの縄張りだからな。

 シスターマリア、この件は俺に任せてくれないか?

 悪いようにはしないから、安心してくれ」


「それは……マークがそう言うのなら」

 シスターは少し躊躇ためらったが、承諾するしかなかった。

 何といっても彼は黒龍組の大幹部だし、それ以上にシスターにとっては愛する息子であったからだ。


「取りあえず急いで動かなくちゃなんねえ。

 済まんが茶飲み話はこれまでだ。

 シスタージゼルは話が長いから、また今度だ。頼むから上手いことなだめておいてくれ。

 ユニ、行くぞ!」


 彼は立ち上がって帽子をとると、慌ただしく部屋を出て行った。

 ユニは振り返りざまに「また来ます」と言うのが精一杯だった。


      *       *


 教会を出ると上空は満点の星空で、すっかり空気は冷え込んでいた。

 二人が馬車に乗り込むと、カニングが前を向いたまま口を開く。

「俺はこのまま下町に向かう。

 宿の前を通ってやるから、お前はそこで降りろ」


「ちょっ、ちょっと待ってよ!

 さっきから話が全然見えていないのよ。

 何でそんなに急いでるの?」


「〝代書屋のヒギンズ〟の得意先には遊女屋が多い。

 その関係で、奴は副業を持っている」

「副業?」


 カニングは相変わらずユニの顔を見ようとしない。

「ああ、奴は代書屋だが、腕のいいげんでもある」


 ユニの顔色が変わった。

「女衒って、女を騙して売春宿に売り飛ばすっていうあれ?」


 〝ぎりっ〟という耳障りな音が馬車の中に響く。

 代貸しが歯ぎしりしたのだ。


「そうだ。

 こんな話、シスター(マリア)に聞かせられるわけがないだろう!

 急がないと取り返しがつかないことになる。

 ……いや、もう手遅れかもしれんがな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ