十二 太陽石
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでちょうだい。
『お酒が欲しいなら、這いつくばってあたしの足をお舐め!』をやりたかっただけよ」
ユニは平然として答えたが、すぐに「嘘よ!」と言ってゴードンに舌を出して見せた。
彼女は笑いながらアシーズから自分のカップを取り戻し、ケルトニア酒をたっぷり注いでドワーフに差し出した。
「謝らなくて結構ですよ。
あなた方が人間を警戒していることは存じております。
これはお近づきのしるし、どうぞ召し上がれ」
グインは相好を崩してカップを受け取ると慎重に香りを確かめ、ちびりと口に含んだ。
豪快な呑み方をするドワーフには似合わない、可愛らしい仕草だった。
「むぅーーーーん!
これは旨い! 旨すぎるぞ!
これほどのケルトニア酒は初めてだ」
彼は閉じた目尻に涙をにじませ、さらにちびちびと舐めるようにカップに口をつける。
うっかり呑み干してしまうことを極度に恐れているようだった。
ユニはアシーズのカップを手に取って、残りの酒を注いだが、半分に満たない量で小瓶は空となった。
彼女はすこし済まなそうな顔で、それをメイリンの方に差し出した。
恍惚とした夫を目をぎらつかせて見守っていた女ドワーフは、慌てたようにカップに手を伸ばした。
彼女は腰を浮かせたまま口をつけると、腰を抜かしたようにどすんと椅子に座り込む。
「こりゃあ、凄いもんだね!
今まであった一番豪勢な結婚式でも、こんな凄い酒は出たことないよ」
ケルトニア酒は総じて値が張るのだが、特に十年以上熟成させたものは恐ろしく高価だった。
そのため彼らが口にできるのは結婚式などの特別の場合に限られ、式に招かれたドワーフたちの最大の楽しみであった。
一方、新郎新婦の親にとってはここが見栄の張りどころである。八年から十年物を用意するのが常識であり、年数表示のない若い酒を出そうものなら、親族に恥をかかせたと非難されるのだ。
逆に十二年、十五年物といった上物が振舞われた場合、〝立派な式〟としてそののち何年も語り継がれるのである。
グリンとメイリンが〝三十年物〟と聞いて、目の色を変えたのも無理はない。
ユニは二人のドワーフのうっとりとした表情を微笑ましく見守っていた。
「量が少なくて申し訳ありませんが、これしかないのです。
別にお酒で懐柔するつもりはありませんが、少しは気持ちがほぐれましたか?」
グリンは我に返った顔でカップをそっとテーブルに置いた。
「ああ、済まなかった。
ドワーフが礼儀を知らないとは思わんでくれ。
あんたたちが我らとエンデ殿の願いに応じて、はるばる来てくれたことは承知しておる。
本来ならば一族をあげて歓待するところだが、掟によって人間とは安易に交わることができんのだ。
どうか悪く思わんでくれ」
ユニはにこやかに答えた。
「理解しています。
それよりご協力いただけるのなら、仕事の件で少し伺いたいのです。
ドワーフ市が開催されるのは三日間。
海賊たちはいつ襲ってくるとお考えですか?」
ユニの横に座るアシーズが補足した。
「俺たちは三日目が危ないと考えている。
一般客にも公開されているのは最初の二日だけで、その間は大勢のセレキア市民が見物に訪れる。
市民を傷つけたら私掠免許を剥奪されて身の破滅となることを、海賊たちは十分に知っているから手出しはしてこないだろう。
だったら、村人と商人だけになる三日目が狙い目のはずだ」
グリンはうなずいた。
「そのとおりだ。
それに海賊の狙いの一つには、我らが売りに出す武器や防具が含まれている。
それが揃うのは三日目だからな」
ユニが首を捻る。
「最初から商品を揃えておかないのはなぜですか?」
これにはメイリンが答えた。
「市に出品するのは見本なんですよ。いえ、もちろん本物ですよ。
手の込んだ一品ものは別ですけど、展示する商品は同じものを複数用意するんです。
武器や防具なら五個から十個くらい、小物や日用品なら百個以上造っておきます。
最初の二日間で商人たちから注文を取り、必要数を三日目に山から搬入して商人たちに渡すことになります」
ユニはメイリンの話に納得した。
「なるほど……海賊は三日目にこの村を襲って商人から購入した品物を取り上げる。
あなた方ドワーフからは、人質の身代金として売上金をそっくりいただくというわけですね」
グリンは忌々しそうな顔でうなずく。
「腹立たしいが、娘たちを人質に取られていてはどうにもならん」
ユニたちは驚いた。
「え? 人質って、あなた方のお子さんなんですか!」
「そうだ、イーリンとエーリン。
わしらの双子の娘だ」
「となると、時間との勝負だな……」
アシーズがつぶやく。
「時間?」
不審な顔をするグリンにユニが説明する。
「私たちは娘さんを救出します。その手立てもすでに立てています。
ただ、その救出した事実を村を襲う海賊たちに知られてはまずいのです。
海賊たちには、あなた方ドワーフが言いなりになると油断させなければなりません。
娘さんが囚われている海賊船は、ベルケ村の漁港沖に停泊しています。
三日目の前の夜に人質を救出すれば、私のオオカミたちの足なら朝にはこの村に戻れます。
海賊たちが気づくのは朝になってから。それから急を報せるのでは、馬を駆っても夕方までかかるでしょう」
「では、わしらは何をすればいい?」
ドワーフの問いにユニは首を振った。
「何も。
できるだけ普通に、娘さんを人質に取られた両親という振りをしてください」
「信じて……いいのだろうな?」
グリンもメイリンも、真剣な目でユニを見つめた。
「全力を尽くします。
私はアッシュ――西の森の女王に仲間の命を救ってもらいました。
その恩を返すためなら、どんなことでもする覚悟です。
海賊たちは完膚なきまで叩きのめします」
それはユニの本音だった。
彼女は人が人の命を奪うことを嫌っていたが、群れのオオカミの命は何にも代えがたかった。
十年以上オオカミたちと行動を共にすることで、彼女は人間よりもオオカミに心を寄せていたのだ。
それに、アギルの公衆浴場でアイーシャという女から聞かされた話は、ドレイクの一味が重ねてきた罪のほんの一部に過ぎないだろう。
その非道は人として、また女として許しがたいものであった。
「海賊の脅迫状では、売上金以外に何か要求していましたか?」
ユニはグリンに訊ねた。
「想像はつくと思うが……。
市を例年どおりに開催すること、売り上げの全てを身代金として渡すこと。
海賊たちが何をしようと一切手出しをしないこと。
その三つ……いや、そう言えばもう一つあったな。
太陽石を渡すことも条件に入っておった」
「太陽石?
――地下でも陽の光を再現して作物を栽培するのに使うという、あれですか?」
ドワーフは感心したように口髭を捻った。
「ほう、詳しいな……。そのとおりだ。
まぁ、めったに採れない希少なものであることには間違いないが、人間が持っていてもあまり使い道がないものだ。なぜ海賊たちがそんなものを欲しがるのか、わしらにはよく分からん」
「今回、海賊たちはかなり危ない橋を渡っています。ケルトニア王家に貢物として差し出して、自分たちの安全を図るためではないでしょうか。
でも、なぜ使い道がないと思うのですか?
私はアッシュ――エンデ様に教えてもらったのですが、暗いところでも昼間のように照らせて、しかも繰り返し使えると聞いています。
人間にとっても有用なものだと思いますが……」
「ああ、そうか。
人間は太陽石のことをよく知らんのだな。
あれは暗い場所ならどこでも光るわけじゃない。地脈に反応するんじゃよ。
光を発するのは地中――わしらが住むような洞窟の中に限られる。
人間の役に立つとしたら、地下墳墓や迷宮を探索する冒険者や盗賊だけだろう」
ユニは少し考え込んだ。
「海賊たちはなぜ太陽石の存在を知ったのでしょう?
今のグリンさんの説明を聞くと、奴らは不完全な知識しか持っていないようです。
最初から脅迫文に書かれていたということは、人質となった娘さんから訊き出したわけでもなさそうです。
考えたくはありませんが、この村の誰かから情報を得ていたとしか……」
グリンは片手を上げてユニの言葉を制した。
「たとえそうだとしても、この村の連中のことは疑わんでくれ。
我らはそうした危険を承知の上で彼らと付き合っておる。もし重要な情報が知られたとしたら、それはドワーフの誰かが洩らしたことになる。
仲間同士が疑心暗鬼に陥っては、勝てる戦などありはしない。
海賊どもの狙いはそこではないかとわしは思う」
「ユニの見方が間違っているとは言えないが、俺もグリン殿と同意見だ。
その件は心の内にしまっておけ」
経験に富んだアシーズにそう言われては、ユニも引き下がらざるを得ない。
「分かりました。いずれにせよ、ドレイクという海賊が狡猾だということは確かなようです。
いろいろとお教えいただきありがとうございました。後は私たちにお任せください」
会談が終わりそうな雰囲気に、メイリンが我慢できないといった顔で口を挟んだ。
「ユニさん、私たちドワーフは海賊など恐れていませんが、その背後にいるケルトニア――いえ、人間そのものを恐れています。
万が一、あなたたちが娘の救出に失敗した場合、一族は要求に応じるつもりですが、私たち夫婦はあの子たちを見捨てて交渉を打ち切る覚悟でいます。
お願いします。どうか、そんなことにならないよう……どうか!」
ユニは真剣な顔でうなずいた。
「もちろんです。
……でしたら、無理を承知で一つお願いがあります。
私たちは商人たちとその護衛兵を集めて、戦いへの協力を依頼することになります。
その場に、グリンさんも出て欲しいのです」
「それは……必要なことなのか?」
「はい」
「分かった。そなたの言うとおりにしよう」
「ありがとうございます」
ユニは微笑みを浮かべて礼を言った。
そして、グリンが空にしたカップに手を伸ばすと、もう一度彼の前に〝とん〟と置いた。
「よい顔合わせとなったことに感謝いたします。
改めて、一杯いただけますか?
ケルトニア酒は確かに絶品でしたが、私のような田舎者には焼酎の方が性に合います」
グリンは豪快な笑い声を上げ、壺を手に取るとユニのカップになみなみと注いだ。
「気が合うな。
この焼酎は村の名人と言われる婆さんのお手製だ。
なかなかにいけるぞ!」
* *
ユニとグリンが楽しそうに呑み始めたのを見たアシーズは、ゴードンに耳打ちして村長を呼びにやった。
ケニス村長はすぐに来てくれた。
しかも新たな焼酎の壺まで手にしている。
下品な冗談にゲラゲラ笑いながら呑んでいるユニとドワーフを放置して、アシーズは今回のドワーフ市が直面している問題に対処するため、自分たちがやって来たことを明かした。
村長はある程度ドワーフから事情を聞いていたらしく、それほど驚かなかった。
「海賊たちは村人を攻撃対象としないはずだ。
ただ、それは命を奪わないというだけの話で、金を奪うために殴る蹴るの暴行くらいは平気でする連中だ。
商人たちが払った代金はおろか、どさくさに出店や宿の売上まで奪うつもりだろう。
戦うのは俺たち傭兵の役目だが、村の人たちにもある程度の協力を頼みたいんだ」
村長が否と言うはずもない。
「もちろんです。
ですが、私たちに何ができるのでしょう?」
アシーズは懐から一枚の紙を取り出し、テーブルの上に広げた。
「こいつを作ってもらいたい。
各家で一つずつだ。それほどの負担ではないだろう?」
ケニスは紙片を手に取ると、まじまじと見入った。
「これは柵……ですか?」
「そうだ。先を尖らせた丸太を斜めに組んで、縄で縛るだけの簡単なものだ。
長さはおよそ二・五メートル。大人二人で簡単に持ち運べる。
これを各家々でこっそり作らせておいてくれ」
「それをどうするのですか?」
「この村には外敵を防御するための土塁も柵もない。
その代わりにするんだ。
三十戸余りある村の各家が作った柵を持ち寄って繋げれば、結構な長さの馬防柵になる。
奴らは騎馬突撃をしてくるわけじゃないが、人間相手でも有効な防壁となってくれるはずだ」
「はぁ……、そういうもんですか?」
今一つピンとこない村長の肩を、ゴードンがバン! と叩いた。
「心配するな、村長。
出来上がった柵を組むのは俺たち傭兵がやる。
村の人たちは安全な郊外にでも隠れていればいい」
どうにか納得した村長が出ていくと、アシーズとゴードンは酔っ払ってドワーフの背中をばんばん叩いているユニを見て、大きな溜め息をついた。
そして村長が持ってきた焼酎の壺に手を伸ばそうとしていたユニを、両側からがっしりと抱えて無理やり立たせる。
「ではグリン殿、メイリン殿。私たちもこれで失礼します。
それと、この馬鹿にあまり呑ませないでください。
酒がもったいないですぞ」
傭兵たちは「あたしのお酒がぁ~!」と喚くユニを、引きずるようにして出て行った。
* *
アディーブの天幕に戻ると、商人は小さなコンロでコーヒーを沸かしているところだった。
「ちょうどいい。
アディーブさん、この女にも一杯淹れてくれ」
アシーズは小柄なユニを床に敷いた絨毯の上に転がすと、うんざりした表情で頼んだ。
「人を物みたいに投げないでよ!
あ、でもコーヒーはいただくわ」
ユニは起き上がって抗議をする。
彼女は商人から淹れたてのコーヒーを受け取ると、美味しそうに飲んだ。
「そろそろ夕方ね。
シチューでも作ってくるわ。
夜にはライガも戻ってくるでしょうから、また打ち合わせをしましょう」
ユニは鍋に塩蔵肉や野菜を適当に放り込む。
その口調はしっかりしており、酔いを感じさせなかった。
「何だ、酔っていないのか?」
アシーズが呆れたような顔で訊ねると、彼女はにやりと笑う。
「あれしきの焼酎で? あたしを舐めないでほしいわね。
……もっとも、あのグリンってドワーフも調子を合わせているだけで、全然酔っていなかったわよ。
お互い腹の探り合いってとこかしら」
彼女はそう言うと、最後に鍋におたまを放り込み、両腕で抱えて天幕を出た。
滞在する商人たちのために用意されている共同炊事場に向かったのだ。
「喰えねえ女だな……」
ぼそりとつぶやいたアシーズに、ゴードンが笑って答えた。
「面白いだろう? ああいう奴なんだよ」




