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旅と香織とピアニスト  作者: 吉田裕太
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第一楽章

第一楽章


今日から高校生活も二年目だ。

だというのになんの感慨も無くいつも通り通学していた。

通学路には商店街がある。といっても今の時間はどの店もシャッターが降りており

辺りは閑散としている。そんな中、前方に見慣れないセーラー服姿があった。

隣の西高のものだろうか。その西高と思われる女子生徒は話をしているようだ。

……だが、彼女の周りに人はいない。

だが、彼女は話をしている。談笑してすらいる。

ひょっとしてヤバイ人なのか。

僕は目線を合わせないように彼女の横を早歩きで通り過ぎる。

「ねえ、君!」

うわ、最悪だ。声かけられた。

「ちょっと待って!」

彼女は駆け寄ってくる。逃げるのは諦めよう。

一つ息を吐いて、平静に

「どうしました?」

僕は無心で尋ねた。

「あ、君今さっき……て、えええ‼︎」

彼女は何か言いかけて驚愕に目を見開く。

そこから数秒。

「あ、あの!」

彼女はおずおずと切り出す。

「なんですか?」

僕は答える。

「……もしかして、鮎川響君?」

……何故僕の名前を知っている。

「……そうですけど」

僕がそう答えると彼女は目を輝かせて、

「やっぱり!全然変わってない!」

と言った。

変わってない。ということは、彼女は昔の僕を知っている人なのか。

ううむ。よくわからないな。とりあえず、名前だけでも聞いてみるか。

「私は、水瀬香織。覚えてない?」彼女は上目遣いでいたずらっぽく微笑んだ。

……どこかで聞いたような。

でも、やっぱりわからない。

仕方ない。事情を話してみるか。

「あの、水瀬さん?僕、去年事故で記憶喪失になってしまいまして……」

「そうとは聞いていたけど、本当に覚えてないんだ……」

彼女は残念そうに肩を落とした。

「……すみません」

「いいの!響くんが謝ることじゃないから!」

彼女は食い気味に答える。そして近い!

「えっと、それで僕に何か用が?」

僕がそう言うと彼女は、

「あ、そうだった。あの、放課後、時間ある?」

彼女はたどたどしく上目遣いでそう言った。

ドクンと心臓が高鳴ったような気がした。

あどけない顔立ち、長い黒髪、上目遣い。

……似ているような気がする。

今朝の夢に出てきた女の子に。

勿論、似ているような気がするだけで、

はっきりとその女の子のことを覚えてはいないけど。

だからというわけではないが、放課後に用があるわけではないので僕は言った。

「放課後ですね。大丈夫ですよ」

僕の答えに満足気に頷くと、彼女は時間と場所の指定をした。

じゃあ五時にそこの喫茶店ね。

約束を交わすと彼女は腕時計を確認し、またねと言って走り去っていった。

一体、なんだったんだ?

何故彼女は僕のことを知っているんだ?

何故彼女とあの女の子が重なるんだ?

彼女が最初に言おうとしてたことは何だ?

わからないことが多すぎて頭がぐちゃぐちゃになる。

でも会って話ができれば疑問のいくつかは解決できるはずだ。

そう結論付けたところで腕時計を見る。

時刻は八時三十分を回っていた。

まずい。ここから十五分足らずでの登校は厳しい。

だが、今日の挨拶の担当はあの宮城だ。

熱血の体育教師として生徒たちには恐れられている。

過去には彼の担当の日に遅刻してきた生徒はグラウンドを五十周休むことを許されずに走らされたらしい。

グラウンドを五十周走るより、ここから学校までの距離の方が圧倒的に短い。

だったら、やるしかない。


十五分後、結論からいうと間に合わなかった。

宮城からはその場で熱血指導プラスグラウンド五十周が与えられるかと思ったが、

意外なことに、「今から大事な会議がある」とのことで指導は放課後に延期になった。

ほっとしたのもつかの間、水瀬さんとの約束を思い出した。

帰りのホームルームが終わるのが四時三十分。そこから説教だけなら十数分くらいだろう。

だが、問題は罰だ。宮城は遅刻した生徒に多様な罰を与えてきた。

一番有名なのはグラウンド五十周だが、その他にも腕立て伏せ三百回や、体育倉庫の片づけ、校内全廊下を雑巾がけなどその種類は多岐にわたる。

もはや宮城の指導は教育の範囲を超越していると僕は思う。

一体どんな罰が与えられるのかハラハラしながら六限目までを消化した。

残すは宮城からの指導のみ。

帰りのホームルーム中に宮城から放送が入った。

ぶっきらぼうな、ドスの効いた声で、二年の鮎川ホームルーム終了後職員室に来るように。

とのことだった。

放送が終わるとクラスメイトたちが面白がって茶々を入れてくる。

それを適当に流してホームルームは終了となった。

空の鞄を肩に担いで、ため息を一つついて、いざ職員室へ。

職員室のドアを二回ノックしてドアを開ける。

「うわっ!」

「返事がないのに勝手に入るとは何事だ!」

ドアを開けた先にいたのは、仁王立ちした宮城だった。

思わず腰が引けて後ずさる。

宮城は鬼の形相を嫌な笑みに変えてこう言った。

「鮎川、お前に地獄を見せてやる」

もはや教師の言葉とは思えない。

しかも、冗談とも思えない。

「い、いえ。結構です」

断ると余計にめんどくさくなるとわかっていたが、断らなくても既にめんどくさいのでつい断ってしまった。

すると、案の定。

宮城の後ろから火山が噴火したように見えた。

「鮎川ァァ」

地響きを伴う低い声で宮城は唸る。

こうなるとグラウンド五十周じゃあすまないな。

遅すぎる後悔に頭を抱える。

これじゃあ水瀬さんとの約束には百パーセント間に合わない。

連絡先だけでも聞いておくべきだったか。

約束を破る罪悪感に苛まれていると、

「ちょっとついて来い」

宮城の剛腕に強引に腕を掴まれ外へと連れ出された。もしかして、グラウンド五十周かと思ったが、職員専用の駐車場まで連れて行かれた時点でその線は無くなった。

ド派手で真っ赤なスポーツカーの前まで連れて行かれると、

「乗れ」と乱暴に助手席に押し込まれる。

デザイン重視のコンパクトな外見だったが、乗り込んでみると思ったより足が奥まで伸ばせて快適だった。

宮城も運転席に乗り込んでエンジンをかける。

ブォォンと低いエンジン音が鳴った後、ギアを操作していることから

ミッション車なのだろう。

「やっぱ、スポーツカーは六速ミッションだよな」

と宮城は語りかけてくる。

それに、そうですねと適当に相槌を打ちながら外に視線を向ける。

ああ、学校が遠ざかっていく。水瀬さんごめんなさい。

今朝会ったばかりの水瀬さんの無邪気な笑顔を思い出してやるせなくなる。

「どうした、シケたツラして」

宮城はチラリとルームミラーを見て言う。

「仕事はいいんですか?」

まだ五時前だ。教師の定時まではまだ時間があるはずだ。

「いいんだよ。どうせ今日もサービス残業なんだからな。少しくらい息抜きしたってよ」

とても教師の言葉とは思えないが、教師は残業代が出ないなんてのはよく聞く話だ。宮城も色々と大変なんだろう。

それにしても宮城は何処にむかっているんだろうか。

ますます地獄がどこなのか気になるが、どうせ聞いても答えてくれないだろう。

それからは、宮城も殆んど話しかけてこなかったし、僕もそんな気分でもなかった。

スポーツカー特有の低いエンジン音だけが車内を支配していた。

お互い無言のまま、一時間が経過した頃、

「もう着くぞ」

宮城はこちらを見ずに言った。

進行方向を確認すると、『地獄温泉』の文字が視界に入った。

その地獄温泉の駐車場に宮城は駐車する。

「地獄って温泉のことだったんですね」

僕は少しほっとして呟く。

「どうだろうな」

宮城は嫌な笑みを浮かべて言葉を濁す。

地獄はこれからってことか。

僕は宮城に連れ立って店に入る。

店に入るとすぐに券売機があった。

すると、宮城は千円札を投入し迷わず券を二枚購入した。

意外、と言っては悪いがまさか奢ってくれるとは。

つい財布を出しかけた僕に

「ガキに払わせるわけねぇだろ」

「すいません」

そう言われると意外さも相まって余計に申し訳なくなる。

「気にすんな」

宮城はクイっと口端を釣り上げて言うと、男湯の暖簾をくぐった。

中は意外と空いていた。

まぁ、この時間だしな。

宮城は躊躇いもなく服を脱ぎ出す。

引き締まったボディが露わになる。

てか、前は隠せよ!

「先行くぞ」

宮城は肩にタオルをかけて浴場へと入って行った。

……大っきかったな。

僕も脱衣して、後を追う。

体を軽く洗って湯船に浸かる。

ザバァ、と宮城も隣に浸かってきた。

近いな。他に殆んど人がいないから余計に気持ち悪い。

ふぅぅ、と深い息を吐いて宮城は首まで沈む。

頭を掴んで沈めてやりたかったが、何とか堪えて僕もそれに倣って肩まで沈む。

三十九度とぬるめの温度がちょうどいい。

隣で宮城が顔をバシャバシャと洗うので、少し避けて冷めた目を向けると、

誰もが昔お父さんと風呂に入った時に一度はやられるやつ、水鉄砲をしかけてきた。

イラッとしないこともなかったが、そこでやり返すほど僕も子供じゃない。

黙って顔を拭う。

すると宮城は少し寂しげな顔をして、

「お前、今日用事があったんじゃないのか?」

と言った。

何故それを知っている。

ていうか、知っているなら連れてくるなよ!

仏頂面をしていると、「香織から聞いたぞ」

と宮城は言った。

香織、って誰だ。

かおり、カオリ、香織。

私は、水瀬香織。

今朝の水瀬さんの自己紹介を思い出す。

でも、水瀬さんと宮城にどんな関係が。

「香織は俺の従兄妹なんだよ」

と、宮城は言った。

「でも、それと何の関係が……」

「あいつは、お前のことが好きだったんだよ」

「……は」

……今日会ったばかりだぞ。

一目惚れだったとしてもそれをわざわざ従兄妹に言うか?

……ん?そういえば何故、過去形なんだ?

そういえば、水瀬さんも今朝初めて会ったのに僕の名前を知っていたし、

全然変わってないとか言ってたな。

むむう。これはもしかして、水瀬さんは昔、僕のことが好きで、今朝久しぶりに会ったことを宮城に伝えたってとこか。

自分で推測しておいてちょっと恥ずかしいな。

「香織は従兄妹つうより妹って感じだしな」

なるほど、それで水瀬さんは宮城に。

「……だが、お前は香織のことを覚えていない」

むむう。なんか悪いことをした気になってきた。

「……すみません」

「気にすんな。随分昔のことだしな」

覚えてなくて当然だ、と宮城は言った。

「……でも、今日の約束破ってしまいました」

「いいんだよ。少しくらい待たせとけば」

「兄の言葉とは思えませんね」

僕が皮肉を言うと、「コノヤロウ」と頭をガシガシしてきた。

その後は外にある露天風呂に入ったり、サウナに入ってどっちが長くいられるか

で勝負したりで、結構楽しめた。

サウナの勝負では、宮城が僕はさっさと上がったのに自分との戦いだとか言って

ふらふらになるまで入っていてその後の介抱が大変だった。

宮城の体調が良くなったところで店を出た。

腕時計を確認すると六時三十分を回っていた。

ここから学校まで一時間、そこから約束の喫茶店まで約三十分。

着くのはおよそ八時頃になりそうだ。

既に大遅刻だけど、宮城に水瀬さんの番号を聞いて連絡を入れておくか。

「先生、水瀬さんの携帯番号を教えてもらってもいいですか?」

やはり宮城はこちらを見ずに、「ダメだ」と、言った。

「は、どうしてですか?」

「さっきも言ったろ、待たせとけばいいって」

「それでも、連絡くらいは……」

宮城は何も答えなかった。

それ以上聞いても答えてくれないだろうし、僕も聞かなかった。

ふと、思いだす。

結局、地獄ってなんだったんだろう。

まさか、わざと水瀬さんとの約束を破らせて水瀬さんに叱られるって感じのやつか。

どっちかと言えば、約束を破った罪悪感の方が地獄的だな。

ん?待たせとけばいい?確かに宮城はそう言ったよな。

今からじゃあ八時近くなることくらい宮城も分かっているだろう。

その言い方だと、まるで水瀬さんは僕が来るまで待っているみたいじゃないか。

普通なら、待っても一時間だろう。

あいつはお前のことが好きだったんだよ。

宮城の言葉がリフレインする。

水瀬さん……一体、僕に何があるというんだ。

それからはまた、車のエンジン音だけが車内を支配していた。

既に日も暮れて月も出ていた。

一時間後、無事学校に到着。

どうせなら約束の場所まで送ってくれればよかったのに。

約束場所を聞かなかったことや、待たせとけばいい発言から、本当にそう思っているんだろう。

妹って感じって……兄の気持ちは分からないな。

宮城に続き車から降りる。

腕時計を確認すると七時半を指していた。

待っていてくれているのなら急がなくては。

宮城に向き直り、「今日はありがとうございました」

と、軽く一礼するとダッシュで校門へ向かう。

と、その背中に

「おい!」

野蛮な声がかかった。

振り返ると宮城は何か投げてきた。

暗くて見えづらかったがなんとか受け取ると、

「持ってけ」

そう言って宮城は校内へと消えて行った。

なんだこれ。眼鏡ケース?

まぁいいや。それどころじゃない。

僕は再び走り出した。

途中、水瀬さんへの言い訳ばかりが浮かんで自分の卑しさが嫌になる。

これも全部宮城のせいだ。

宮城は、……何故。

遅れた理由を纏められないまま、約束の喫茶店に着いてしまった

一瞬、ドアを握った手が動かなくなるが、深呼吸をして、いざ入店。

中はアンティークな感じの暖かい雰囲気だった。

客は右奥の4人がけの席に一人だけ。

レトロなオレンジのソファーにちょこんと腰掛けた水瀬さんだ。

まず、なんて謝ろうか。

先ほど浮かんだ言い訳が頭の中を支配する。

水瀬さんもこちらに気づいたようで小さく手を振っている。

水瀬さんの前まで行くと、

「ごめんね!」

と、先に言われてしまった。

……は、どうゆうこと。

「カズ君が迷惑かけたんでしょ?」

カズ君?ああ、宮城のことね。

「いえ、断れなかった僕にも責任がありますから」

そこで、バーテン服のマスターが注文を取りに来た。

タイミング悪いな。

とりあえず、水瀬さんの正面に座りメニューを眺めてコーヒーを注文する。

かしこまりました。とマスター。

気を取り直して、「本当にすみませんでした」

と頭を下げると、

「ううん、大丈夫。気持ちの整理もできたし」

と、微笑んでくれた。

気持ちの整理?

よくわからないが、彼女の微笑に思わずこっちまで頰が緩んでしまう。

いかんいかん。そろそろ本題に入ろう。

コーヒーを一口飲んで切り出す。

「えっと、水瀬さん?」

香織でいいよ。と、水瀬さん。

「それじゃあ、香織さん」

「うん」

「僕をここに呼んだ訳を話してもらえますか?」

彼女は一口コーヒーを啜って勢いよく立ち上がった。

暖色灯の光をはじいて長い黒髪が翻る。

「ついて来て」

彼女はマスターに目配せすると、カウンターの奥へと入って行った。

よく分からないが、ついて行く。

あるのはもちろん、キッチンとその他の調理器具。

「こっちだよ」

すぐ右側にあるの扉の向こうから彼女の声がした。

開けてみるとそこには、広い空間が広がっていた。

店内の半分くらいあるか。

その部屋には広さの割には不自然なくらい物がない。

ただし、部屋の中央にある大きな黒のグランドピアノ以外は。

暖かい光に照らされてそれはキラキラと輝く。

椅子の右側に香織さんが立っている。

「えっと、香織さん?」

彼女はまっすぐ僕の目を見て言う。

「お願いがあるの」

何か頼まれることはわかっていたが、改めて言われるとなんだか。

「なんですか?」

「君のピアノが聞きたい」

「……へ?」

予想外だった。

「君のピアノが聞きたい」

彼女は繰り返す。

参ったな。いきなりそういわれても……

しかも、何故。

「お願い」

まっすぐ目を見て言われると断れるわけないよな。

本当に美少女はずるいよな。

「……わかりました。ですが、僕ピアノなんて弾けないですよ」

「大丈夫だよ。君ならできるから」

彼女は謎の確信にうんうん頷く。

もしかして、昔の僕はピアノが弾けたのか。

だとしたら、ピアノを弾くことで何か思い出すかもしれない。

そう思い椅子に腰掛ける。

「ショパンのノクターン2番を弾いてよ!」

と彼女は言った。

知らない曲のはずなのに、何故かとても懐かしい気がする。

その瞬間、ふと今朝夢に出てきた女の子のことがちらついた。

……似ている気がする。

確か、あの女の子もショパンのノクターンの2番がどうとか言っていたっけ。

「どうしたの?」

彼女は心配げに顔を覗き込んでくる。

彼女の整った顔が近くにあって、慌てて顔を逸らす。

「だ、大丈夫です」

僕は息を一つ吸ってから、鍵盤に向かった。

心の中でカウントをする。

1.2.3.









































……凄い。弾けた。

自分でもよく分からないが、指が勝手に動いたのだ。

「……すごい。すごくよかった!」

彼女はうっすら涙を浮かべて感激している。

「そんなによかったですか?」

「うん。……うん!」

彼女は何度も頷いた。

それが少し可笑しくて。

「ふふっ」

つい、笑みがこぼれた。

「え?」

彼女は何故僕が笑っているのかわからない、

といった表現で首を傾げる。

その様子がまた、可笑しくて。

「はははっ」

「もうっ」

彼女はからかわれていると思ったのか、

少し拗ねた様子で唇を尖らせる。

僕はひとしきり笑うと、あることを思い出した。

「あ、そういえばこれ、宮城先生から預かった物なんですけど」

僕は鞄から宮城から渡された眼鏡ケースを取り出す。

すると、彼女は、

「あぁ、忘れてた!」

そう言うと、後ろを振り返って何やら一人でぶつぶつ言い始めた。

そういえば、今朝も一人で話してたな。

やっぱりヤバい人なのか。

「えっと、どうかしました?」

「ごめんごめん」

彼女はそう言ってこちらに向き直って言った。

「それじゃあ、その眼鏡かけてみてよ」

は、何故そうなる。

宮城に渡された眼鏡なんてかけたくねぇ。

僕が嫌面をしていると、「その眼鏡カズ君のじゃなくて、昔私が使ってたのだから」

と彼女は言った。

そう言われてかけるのもなんだか変な感じなんだけど、彼女の期待のこもった視線がなぁ。

むむう、かけるしかないのか。

僕は渋々眼鏡をかける。

度は入っていないようだ。

何の変哲もない普通の眼鏡だ。(度が入っていないこと以外)

ゆっくり彼女の方を向く。

その時、さっきまで居なかったはずの人が居た。

老婆だ!

「うわっ」

僕は驚いて尻餅をついてしまった。

その様子に、今度は彼女がくすくすと声を漏らした。

……えっと、一体。

この老婆は何者だ?

「驚いた?」

彼女は悪戯っぽく笑う。

「……えっと、この人誰ですか?」

「なんと、私のお婆ちゃんです」

彼女は老婆の背中に手を当ててお婆ちゃんを紹介する。

お婆ちゃんも会釈してそれに乗じる。

何故、彼女のお婆ちゃんが急に現れたんだ?

それに、結局この眼鏡ってなんなんだ?

もう今朝から訳がわからない。

すると、彼女は右の人差し指を立てて、

「君の考えていることを当ててあげよう」

と言った。

「……」

「どうしてお婆ちゃんが急に現れたのか。と、

この眼鏡はなんなんだ?」

でしょ?と、彼女は自信ありげに言った。

この場面で僕の考えていることを言い当てるのはそんなに難しいことではないけど。

……なんか、くやしいな。

「その疑問に答えてあげよう」

ごほん。と、わざとらしく咳き込むと

彼女は疑問の二つを順に説明した。

どうしてお婆ちゃんが急に現れたのかは、

この眼鏡をかけたかららしい。

そして次に、この眼鏡については、普段見えないもの(霊)が見えるようになる眼鏡らしい。

そこで僕は一つ疑問を抱いた。

「何故、香織さんは眼鏡が無くてもお婆ちゃんが見えるんですか?」

その質問は予期してなかったのだろう。

彼女は言葉に詰まる。


「……えっと、わ、私は、眼鏡が無くても見えるタイプの人間だから!」

疑わしいけど今朝のことといい、今もこうして眼鏡を掛けずにお婆ちゃんが見えているってことは、そういうタイプの人間もいるってことだろう。

ん?それじゃあ今朝僕に話しかけてきたのって。

まさか、彼女と目を合わせないようにしていたつもりがお婆ちゃんと目が合っていたのかもしれない。それで同類だと思ったとか。もしくは、お婆ちゃんが僕に気づいて彼女に伝えたのかもしれないな。

まぁ、そこはいいか。どうでも。

切り替えて質問を続ける。

「お婆ちゃんは何故、成仏していないんですか?」

彼女は待ってましたと言わんばかりに、

「そうなんだよ!」

と、僕の質問に食いついてきた。

意外とめんどくさい人なのか。あと、近い。

「えっと、それで?」

「あ、うん。よく言う話なんだけど、成仏できないのは心残りがあるからなんだよ」

と彼女は言った。

「えっと、じゃあ僕にピアノを弾かせた理由はなんなんですか?」

「私が個人的に聞きたかったというのが半分と、その人の思い出の曲を演奏して雰囲気を整えるというか、下準備というか」

彼女はうーんと唸ってはっと思いついたように、

「いわゆる、お膳立てかな」

と指を弾いて言った。

それじゃあ、ノクターンの2番はお婆ちゃんの思い出の曲なのか。

でも、お婆ちゃんの心残りってなんだろう。

考えても分かるわけないか。

ん?……まてよ。

この場所に呼び出して、ピアノを弾かせて、宮城のあの言葉、

宮城からの眼鏡、彼女の今の説明。

そして、お婆ちゃんの心残り。

……もしかして。

ゴクリ、思わず生唾を飲み込む。

彼女は決心したような表情で僕の目を真っ直ぐに見て、

「あのね、十年前からずっと君に言いたかったことがあるの」

ドクン、心臓が高鳴る。

うるさいくらいに。

「私、ずっと前から君のことが……」

、、、

「好きだったの」

と彼女は言った。

動揺というか、むしろ宮城の言ったことが本当だったんだなぁと少し安堵したくらいだ。

……これがお婆ちゃんの心残りか。

だとしたら……いや、そうじゃなくても、ここは拒絶するべきではないだろう。

僕からしてみれば今朝会ったばかりで、いきなりピアノを弾かされて、

いきなり告白されて。

正直、訳がわからない。

だけど、彼女は黒髪ロングの美少女だ。

僕のドストライクだ。

訳がわからないけど、そんなのどうだっていい。

なぜなら彼女は美少女だからだ。

「正直、昔はどんな関係だったのかちょっと覚えてないですけど、でも、そんなのどうだっていいです。

今、香織さん、貴女のことが好きになりました」

僕が一息に返事を返すと、彼女は。

「……よかった。よかった」

と嬉し涙をこぼした。

一体、昔の僕は……

その時、視界の端がキラキラと輝いた。

視線を向けると、なんとお婆ちゃんが薄くなっていた。

もちろん、ペラペラになっていたわけじゃない。

存在が、だ。

キラキラと輝きながらお婆ちゃんの姿は薄れていく。

消えて無くなる前にお婆ちゃんは言った。

「香織を頼んだよ」

結局、彼女の話は本当だったんだな。

疑ってたわけではないけど。

でも、やっぱり霊とか、眼鏡をかけたら見えるようになるとか、下準備にピアノを弾くとか。出鱈目すぎる。

信じろって方が無理だ。

でも、目の前でそれを見せられちゃあなぁ。

そこで涙をぬぐっていた彼女はこちらに向き直ると、はじけるような笑みを浮かべて、

「それじゃあ、今日から私たち、恋人ってことでいいかな?」

と言った。

「そうですね。よろしくお願いします。かおちゃん」

「ん?……待って、その呼び方」

彼女はきょとんとした表情で僕を見つめている。

「ん?かおちゃんって。ええ!僕そんなこと言いました?」

自分でも何故そんなこと言ったのかまるでわからない。

「言ったよ。確かに言った!」

彼女はぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ。

長い黒髪が楽しげに踊る。

「そうですか。ですが、記憶が戻ったわけでは無いみたいですね」

もしかしてピアノを弾いたことにより、刺激が加わって記憶が少しだけ戻ったとか。

まぁ、推測でしか無いけど。

「ふふ。でも嬉しい。またそんな風に呼んでくれるなんて」

彼女は頬を染めて身悶えしている。

そんな彼女と元いたテーブル席に戻り、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲みながら、話をして今日は解散となった。

それにしても彼女、昔の僕との関係を話してくれなかったよな。

普通、思い出してほしいもんじゃないのか。

まぁでも、彼女が話さないならそれでもいいか。

ゆっくり時間をかけて思い出していけばいいんだし。


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