第66話 着ぐるみ士、鏡を見る
祝勝会を終えて翌日。会場で酔った末にグーグーと寝息を立てる魔物たちをそのままに、俺は城の外でギュードリンと話をしていた。
ほんのり赤らめた端正な顔に残念そうな表情を浮かべながら、ギュードリンが俺の肩に手を置く。
「もっとゆっくりしてってもいいんだよ? 皆もジュリオ君の話を聞きたがっているし……」
「お気持ちだけいただいておきます。あんまりのんびりしてもいられませんし」
彼女の言葉に、首を振りつつ俺は肩の手をそっとどかした。
悲しいかな、本当にのんびりしているヒマはない。ヤコビニ王国のギルドから招集がかかっているのもそうだが、どうもヤコビニの王家も俺たちをお呼びらしく。
『後虎院』の一人が倒されたことで獄王や魔王軍の動きが慌ただしくなっているとの話も耳にしているので、一日も早く動き出さないとならないのだ。リーアも尻尾を振りつつ言う。
「あたしたち、獄王討伐のためにあちこち行かなきゃいけないもんね!」
「チィ!」
「うむ、ギュードリン様にも随分と手間をおかけいただいたからな。頃合いだろう」
ティルザもアンブロースも、異を唱える様子はない。時間がないことは、俺たち全員が理解していた。
ギュードリンもその辺りについては、察するところもあるのだろう。残念そうな顔はそのままだが、無理に引き止めるつもりもないらしい。腕を組みながら口を開いた。
「そうか……そうだとして、次の目的地は決まってるのかい?」
「んん、そうですね……国王陛下が俺をお呼びらしいのと、後虎院撃破者の称号獲得のセレモニーがあるらしいので、まずはジャンピエロに戻ろうかと――」
ギュードリンからの問いかけに、今後の予定を話し始めたところで、だ。城の正面扉が唐突に開いた。
そこから現れたのはシグヴァルドだ。手に大きな円形の鏡を抱えている。
「お母様、ジュリオ殿、失礼します」
いつものように丁寧な口調で、しかし普段以上に神妙な面持ちで、こちらに声をかけるシグヴァルド。彼の表情に、ギュードリンも不思議そうな顔をしていた。
「シグヴァルドさん?」
「どうしたんだい、鏡なんて持ってきて」
彼が両手で大事そうに持っている鏡に、俺もギュードリンも疑問を隠せない。何故、この場にわざわざ鏡を持ってきたのか。
と、シグヴァルドがその大きな鏡を優しく撫でながら口を開く。
「ルングマールから『魔鏡通信』が入りました。緊急の要件とのことです」
彼の言葉に、俺もギュードリンも、なんならリーアやアンブロースも目を見開いていた。
魔鏡通信。魔力を籠めた鏡を使って遠方と連絡を取り合う魔物の技術だ。しかし莫大な魔力が必要な上、それぞれの鏡に籠める魔力の波長をピッタリ合わせなくてはならないため、広く使われる技術ではない。俺も使う場面は、これが初めてだ。
「『魔鏡通信』……って、魔力を通した鏡を通じて遠距離で話をするっていう、あの?」
「さすがは神魔王の系譜、ということだな。これを用いることのできる魔物など、そう多くはないというのに」
アンブロースも感嘆の声を漏らす中、鏡の表面がかすかに波打つ。波が引いたと思えば、そこには久しく見ていなかったルングマールの、人間態の顔が映っていた。俺の姿を認めたのか、驚きに目を見開いている。
「あれ? ジュリオ君。君もそこにいたのか」
「お久しぶりです、ルチアーノさん。偶然も偶然ですけどね、ほんとに」
人間態でいるならば、と思ってルチアーノと呼びかける俺に、ルングマールは困ったような笑みを見せた。だがそれも一瞬のこと、すぐに口角を下げつつ彼は話し始める。
「君もそこにいるならちょうどいい。ちょっと困ったことになっていてね、君の力を貸してくれないか」
「俺?」
呼びかけられて、俺はにわかに首を傾げた。
もう一度言うが、『西の魔狼王』ルングマールは神魔王ギュードリンの息子であり、れっきとした魔狼王である。その彼が対応に苦慮する案件など、そうそう思いつくはずもない。
誰も彼もが言葉の意図を掴めないでいる中、ルングマールは視線を彷徨わせながら話を続けた。
「ちょっと……こうね。厄介な魔物が国境を超えてオルネラ山に入り込んじゃって。まぁ私の方で陣を敷いて『界』で封じつつ治療してるんだけど」
「……ん?」
と、そこでギュードリンが声を漏らしつつずい、と顔を突っ込んでくる。
確かに彼は今、「『陣』を敷いて『界』で封じつつ『治療』している」と言った。『界』を敷いて、その上で恐らくは治療か解呪かの魔法陣を敷いて治療しているのだろうと思うが、厄介にしてもあまりにも厳重すぎやしないだろうか。
「ルングマール、どういうことだい? 厄介だっていうのに、『界』の中に治癒方陣敷いてまで治療しつつ封じているなんて、何がどうなったらそんなことに」
ギュードリンもそこには大いに疑問を持ったらしい。厄介な魔物だというなら倒してしまえばどうにでもなるだろうに、それを『界』で封じてまで治療して助けようとしているわけだ。意味がわからない。
その質問に、明確にルングマールは困っていた。彼としてもどう説明したらいいのか、悩んでいる様子が見て取れる。
「あー……その、なんて言えばいいだろう」
少しの間視線を巡らせ、言葉を選んでから、ルングマールは頬を指で触れながら話の続きを始めた。
「母さん、『魔物化』の罠ってあるだろう、ダンジョンに。今回入り込んだ魔物、どうやらそれを踏んだ元人間の冒険者っぽい感じだったんだが、どうもこう、様子がおかしくてね」
「様子がおかしい?」
彼の言葉にギュードリンがますます首を傾げた。俺も同様に首を傾けるしか無い。
『魔物化』の罠。見かける機会はそこまで多くないが、確かにダンジョンの中で見たことがある。その名の通り、罠にかかった人間を魔物に変身させてしまう恐ろしい罠だ。
この罠の恐ろしいところはかかったが最期、基本的に人間に戻れないことだ。魔物化が完了するまでに解呪できなければその後は一生、魔物として生きていくしかない。
だがそうだとしても、様子がおかしいとはどういうことか。予期せずに罠にかかって魔物化して錯乱するなんてことはよくあるにしても、ならば『界』で封じることはないだろう。
ルングマール自身も説明に窮しているようで、眉間を抑え始めている。
「うーん……ダメだ、私もいまいち状況を整理できていない。とりあえずこっちに来てくれないか。何なら移動の『界』はこちらでも開く」
そう話しながら魔鏡通信を切ろうとしたらしいが、それを制して口を出す人物がいた。
「あー、いいよルングマール、あたしも行くし、『界』もあたしが開くから」
「え」
ギュードリンだ。なんなら既にさっさと移動の『界』を開いている。仕事が早い。
ぽかんとしているルングマールと相反して、シグヴァルドがため息をつきながら口を開く。
「まぁ、そうでしょうね、お母様でしたらそうされるはずだ」
「分かってるじゃないか」
息子の言葉に、ぱちんと指を鳴らしながらギュードリンが笑う。もう完全に首を突っ込む気満々である。いいのか、元がつくとはいえ魔王がそれで。
そうこうする間にギュードリンの手が俺の手首を掴む。開いた『界』に足を突っ込みながら、ギュードリンは鏡の向こうのルングマールに手を振っていた。
「じゃ、そういうことだ。ジュリオ君連れてそっちに行くから」
「わ、分かった。じゃあ後で」
戸惑った様子のルングマールだが、どのみちもうすぐ会うのだということで通信を切る。それを確認したギュードリンが俺の手を握ったまま、さっさと『界』の中へ。
「てわけだ。行こうか、ジュリオ君」
「は、はい……」
戸惑いながらも俺は身体を引っ張られていく。『界』の中に消えていく俺を追って、リーアもうきうきしながらその中へ。アンブロースもため息とぼやきを隠せない様子で、ティルザを頭に乗せて後に続いた。
「やれやれ、相変わらず行動力に溢れてらっしゃることだ」
「チィ……」
わりと呆れを隠さない様子のティルザが小さく長くさえずる。そのままス、と『界』の中に二匹が入っていくや、後には鏡を持ったままのシグヴァルドだけが残された。
彼も彼で小さくため息をついた後、踵を返して城の中へと戻っていく。今日もまた、魔王城の前は平和だった。




