93 とある部下の回想と考察
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「急に呼びつけて済まないなグレッグ・バーザン」
「いえ。それで至急の要件とはなんでしょうか閣下」
農水省の副大臣グーツ伯爵の執務室に呼び出されて聞かされたのは、精霊魔法で農地を改良し、食料の品質と生産量を上げる事業計画に参加してみる気はないか、との打診だった。
それを聞いて、私の心臓の鼓動は跳ね上がった。
精霊魔法を農業に使うと言えば、土を耕し、水をやり、雑草を焼き、麦を乾燥させ……そういった手間を省くものばかりで、精霊魔法を使わないならないで、どうとでもなるものばかりだった。
それを、精霊魔法で作付けする作物に合った土壌に改良することで、他国より輸入する肥沃な大地で育てられた作物を上回る品質のものにすると言うのだ。
まさに画期的な魔法!
農業の常識が覆りかねない世紀の大発明!
そのプロジェクトメンバーに自分が推薦されていると思うと、胸が躍った。
しかしそれと同時に、それほどの魔法が存在するとなれば、貴族達や商人達の反発や妨害、熾烈な利権の奪い合いが予想される。
「これは王家が威信を懸けて行う事業で、成否は我が国の未来を左右するだろう」
王家が行う事業と聞いて、さらに気分が暗鬱になる。
力のない王家が、権勢を増す大貴族達を向こうに回し、果たしてどれほど妨害を廃して利権を守れるのか。
事業を奪われるか、頓挫させられるか、そんな未来しか見えなかった。
結局私が面接を受けるくらいならと決めたのは、グーツ伯爵の私への信頼と評価、そして求められている条件が契約精霊持ちの精霊魔術師であること、そしてもし本当に数多の妨害を撥ね除けて事業が成功した場合の豊かな国土を夢見たからだ。
「ようこそ、俺が面接官で新規に立ち上げられた部署、農地生産改良室の室長で事業の責任者の、王家直属特殊戦術精霊魔術騎士団即応遊撃隊所属特務騎士エメルです」
急な話の上、面接まで日がなく、私は十分にその事業計画の情報を集められないまま面接に臨み、最近何かと噂になっていた特務騎士エメルがその事業の責任者であり、面接官であり、上司になると知った。
しかも、安定した役人の仕事と収入を捨てて、その事業のために再就職しなくてはならない。
その理屈は分かる。
農水省のプロジェクトとして進めれば、機密の漏洩、貴族達の妨害など、かなり激しいものになるだろう。
形だけでも独立した事業としないと、それらを排除するのも難しい。
だから一層不安が増したとしても仕方ないだろう。
事業の責任者が、たとえ元農民で農業に明るかろうと、ただの平民上がりの一介の騎士となれば、いくら王家の後ろ盾があっても、海千山千の貴族や商人を相手に太刀打ち出来るわけがない。
だが、それは早計だった。
事業計画の意味と目的を語る彼を直接見て、そして私の語る募集に応募した意図と熱意を聞いて確認や質問をしてくる彼とのやり取りを経て、彼がただの農民、ただの平民上がりの一介の騎士ではないことを理解した。
私の実家は代々、とある貴族の領地の町で代官をしている。
私は三男だったために代官になることは出来ないが、父や長男の補佐をしながら政務の勉強として、貴族や商人達と何度か話をしたことがあった。
結果、私はグーツ伯爵と知り合い、どうやら気に入られたようで、その伝手で農水省の役人となった。
そう、彼との会話は、それら貴族や商人達との会話となんら遜色がない、ある一面においてはそれらを上回る知性を感じさせるものだった。
だから私は、もしかしたら本当に……そう期待してしまった。
「改めて、王家直属特殊戦術精霊魔術騎士団即応遊撃隊所属特務騎士エメルだ。今日からは、みんなに所属して貰う農地生産改良室の室長に就任したわけだけど、俺の事はエメルでもなんでも好きに呼んでくれ」
面接に合格した私は、初顔合わせとして集められた場で、彼の慣れない上司ぶりに内心苦笑しつつ、周りを見る。
同僚となるのは、同じ農水省の役人だった者達、精霊魔術師部隊だった者達、トロルに奴隷にされていた者達と、随分と偏った構成だった。
しかし、彼らの自己紹介を聞いて、納得と共に安心出来た。
みんなやる気と熱意があったからだ。
「今はガンドラルド王国と戦争中だ。そのせいで、貧しい農民が民兵として集められて戦い大勢死んでしまったから、一部の地域では働き手が不足して、食料生産量がガタ落ちしてる状況だ――」
それから彼の語る話に、私は……この場の誰もが聞き入っていた。
「――我が国はそんな予断を許さない状況だって事を覚えといて欲しい」
そして、想定以上に、このプロジェクトの位置づけが重要であることを知った。
ただ単に、品質のいい作物が生産出来て万歳、では終わらない。
彼の語った内容と展望は、王家が危惧している事、そして王家が考えるべき事だ。
だが、彼の語り口は、とてもただの受け売りとは思えなかった。
まるで彼自身の考えであり、彼がこの国の未来を憂えているからこそ、彼がこの事業計画を思いつき立ち上げた、そう思わせるに十分な説得力があった。
面接時に感じた彼の知性は、私の勘違いではないことを改めて理解した。
そして見せられた、彼の契約精霊。
豆を育てるのが精々かと思えるような荒れ地を、ほんの一分ほどで小麦を育てられそうな肥沃な土へと変えてしまった精霊魔法。
さらに百メートル四方をきっちり真四角に行き渡らせた、膨大な精霊力とそのコントロール技術。
どれもが茫然としてしまうほどの圧倒的な『力』で、鳥肌が立つほどだった。
もし私が同じように土壌を改良しようとすれば、精々、直径数メートルも出来れば上等だろう。
それも十回もすれば、精霊力が尽きてしまうに違いない。
私とは……私達とは精霊魔術師としての格が違う。
それを認めざるを得なかった。
しかも、そんな魔法を教えてくれると言うのだから、学ばない手はないだろう。
平坦な道のりではないだろうが、期待に胸が高鳴っていた。
しかし、学ぶことが本当に多かった。
どこから連れて来たのか、学者に元素やら分子やら、物質の勉強をさせられ。
同じく王家の直轄地の農村から連れて来たと言う農民に、今の時期から栽培するのに適した作物に絞って、様々な農業の知識を勉強させられ。
実際に鍬や鋤を持って畑を耕し、種を蒔き。
「精霊力を放出するときは、投げっぱなし、出しっぱなしにするんじゃなくて、精霊に手渡すように、直線にしたり、ボールにしたり、それぞれイメージしやすい方法でいいから、まとめて渡すことを意識するんだ。今のままの、バケツで水を撒くように飛び散らすやり方じゃ、無駄が多すぎる」
さらにエメル室長から精霊力のコントロール方法を指導され。
「精霊力のコントロールが甘いせいで、複数の精霊に同時に魔法を頼むことが出来なくて、一体の精霊に一つの魔法しか同時に頼めないって思い込んでるんだよな、みんな。その思い込みを打破して、コントロールの精度を上げないと、複数の精霊に同時に魔法を使って貰えないからな」
一体の精霊に複数の魔法を使わせたり、複数の精霊に一つの魔法を使わせたり、エメル室長からそんな光景を見せられて常識を破壊されて。
「本当は一人で四体の精霊に頼んで魔法を使う方がやりやすいんだけど、まだ無理そうだから、四人で協力してそれぞれの分担でやってみてくれ」
初めて複数人で一つの魔法を協力してやるという体験をして。
『精霊にも意思や個性があるのだから、自分の契約精霊にもっと話を聞いてみなさい。どうされるのが嬉しいのか、どうされるのが遣りやすいのか。契約精霊は道具やペットではなく、一個の存在として、パートナーとして、もっと尊重してあげるべきよ。そう我が主のように』
なんと、精霊自身からアドバイスされて指導されるという、驚愕の体験をして。
朝から晩まで、そればかりを徹底的に学ぶこと半月。
エメル室長には遠く及ばないものの、ようやく私達はなんとか土壌を改良する魔法を身に着けることが出来た。
「エメル室長の言う通りでした。化学の知識があるのとないのとでは、作り上げるイメージが全然違って、精霊の働きも全く違いました」
「だろう? ゼロじゃ話にならないけど、ある程度の知識があれば、後は精霊達が勝手にいい感じにしてくれるから、実はそう難しい事じゃないんだよ」
初めて魔法が成功して、額の汗を拭いながら、つい笑みがこぼれてしまった私に、エメル室長は満足げに笑みを浮かべた。
私達の上達が嬉しいと、その顔に書いてある。
最初こそ、年下の平民が上司ということに不安に感じたり、多少の引っかかりを覚えていた者達も、その頃にはもうそんな後ろ向きな感情など消え去っていた。
要求されるレベルこそ高いものの、親切丁寧で気遣ってくれる良き上司であることは、私達の共通認識となっていた。
同時に、知れば知るほど、その知性と教養、そして精霊魔術師としての力量が底知れない人物であるということも。
特に、元奴隷だった者達は、すっかり心酔してしまっているようだ。
その気持ち、私も分からないではない。
この短期間で、誰もが己の精霊魔術師としての実力が飛躍的に伸びたことを実感している。
まだまだ私達の実力は伸びていくのは確実だ。
だから、密かに野望を胸に秘めている者達も多い。
いずれ、エメル室長のように……と。
エメル室長に付いて行けば、夢見た豊かな国土は、きっと夢物語で終わることはないだろう。
この奇跡的な出会いに、創造神様に感謝を。