87 農政改革始動!
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護衛シフトの日、執務室でアイゼ様が仕事をしている横で、アイゼ様が処理し終わった書類に目を通していく。
王様にはどんな仕事があるのか、それを今からこっそり勉強しておくためだ。
見てるのが処理済みの書類なのは、権限がない俺が処理するわけにはいかないのと、アイゼ様の仕事を邪魔しないため。
それから、以前は別室だったけど、先日フィーナ姫の執務机も運び込まれて一緒の部屋で書類仕事をしてる。
フィーナ姫が処理できる案件に重要なものが増えて、アイゼ様に確認や相談するのに別室で済ませるよりも、一緒の部屋で処理した方が効率が良くなってきたからだ。
って理由はもちろんある。
でも本当は、俺が護衛に付いてるのはアイゼ様だから、アイゼ様ばっかり俺に守られて羨ましい、仕事とは言え一緒に過ごす時間が多くて羨ましい、って理由で同室に移ったんだよね。
おかげでフィーナ姫はご機嫌で、仕事がすごく捗ってるみたいだ。
そうしたら関係者からは、次期女王の自覚が出てきたとかなんとか言われてるらしくて、仕事に対する熱意と姿勢の評判がいい。
……うん、ちょっと照れる。
「エメル、そう言えば例の案件について、その後の報告が上がってきていないが」
サインをした書類を処理済みの山に積んで、ふと思い出したようにアイゼ様が尋ねてくる。
「エメル様の農政改革の事業ですね。そう言えば、直轄地の農村で実際に作付けを開始したとの報告以降、どのようになっているのか、お話も聞いていませんね」
フィーナ姫も実は気になってたのか、すぐに手を止めて俺を振り向いた。
だから俺も、読み進めてた処理済みの書類を置いて顔を上げる。
「その後の報告って言われても、あれからまだ一ヶ月も経ってないですからね。今回播種した作物は何種類かありますけど、収穫まで早くて二ヶ月、中には半年くらい掛かるのもあるから、結果が出るのはもう少し先ですよ」
「作物が育つのに時間が掛かるのは当然ですが、待つだけではもどかしいですね」
「トトス村だと、普通に世話してれば多少の天候不順があっても他の村みたいに大きく育ちが悪くなるってことはなかったから、そういう報告もないですし全く問題なく育ってると思いますけど……誰かに経過観察してくるように言って、報告させますか?」
「そうしてくれるか? 経過を知っておくことは重要だろう」
言われてみればそうだな。
俺にとってはもはや当たり前で、ほっといても成果が上がってくるのが分かってても、他の人には初めての試みばかりなんだもんな。
それに、俺がロクに乗って回れば一日で済むけど、そういう問題じゃなくて、彼らも自分達がした仕事の経過や成果を見ればやり甲斐に繋がると思うし、トラブルの早期発見のためにも、定期的に巡回して経過観察し報告するのを業務として定めといた方が後々を考えると良さそうだ。
毎日勉強と練習ばかりじゃ単調で飽きるだろうし。
「じゃあ、指示書を書きますね」
この事業の責任者は俺だから、俺が処理すべき案件なんで、他の書類の書式を真似て報告を上げるように書類を書いてしまう。
「キリ、この書類を農地生産改良室に届けてきてくれ」
『お任せを、我が君』
キリが部屋を出て行ったところで、アイゼ様が羽ペンを置いた。
「その報告書が上がって成果が確認出来たら、コルトン伯に仕掛けようと思う」
「コルトン伯爵……宮内大臣でしたっけ」
「うむ。そなたの褒賞のことがあるからな。決定する前に味方に付けておきたい」
実は俺の褒賞について、何をどこまで与えるのか、主に宮内省、財務省、軍務省が揉めてるらしいんだ。
理由は主に、これまでの功績が多く比類なさ過ぎること。
加えて、俺が姫様を『嫁』にしようとしてるせいもある。
さらに言えば、トロルの出方次第では……って言うか、第三次侵攻部隊が攻めてくるのはまず間違いなく、現実問題として、第二次王都防衛戦と同様にほぼ全てを俺に委ねるしかないから、また比類ない功績が積み上げられてしまう。
それも勘案しないといけないわけだ。
「俺は別にいつでもいいんですけどね。って言うか、ぶっちゃけ、褒賞が決まらないまま積み上げて、一気に全部と引き換えに王様になるのが手っ取り早くていいと思うんですけど」
「言わんとするところは分かるが、さすがに戦働きの功績だけで王になるのは難しいだろう。古代の王国であればまだしも」
「まあ、だからこその農政改革ですしね」
残念なことに、褒賞を決める会議までに収穫が間に合いそうにない。
第二次王都防衛戦からすでに一ヶ月弱。トロルにした降伏勧告の返答の期限が二ヶ月後だから、もう残り一ヶ月ちょっとしかない。
「第三次侵攻部隊への対処のための根回しや会議はすでに始まっています。エメル様の褒賞についてばかりを話しているわけにもいきませんから、あと半月以内に各省で調整を終えて、エメル様の褒賞を決定する会議が開かれるでしょう」
「だからそれまでに『フィーナ姫もお嫁さんに下さい!』って言って、賛成してくれる味方を作っておく必要がある、ですね」
「ええ」
頬を染めて嬉しそうに微笑むフィーナ姫、可愛いなぁ、もう!
この微笑みを守るために誰よりも味方に付けておきたい、しかも最大の難関なのが、アイゼ様大事、フィーナ姫大事の宮内大臣ってわけだ。
宮内省は王族の結婚に関しても取り仕切ってる省だから、ここを味方に出来るか出来ないかで、その後が大きく変わってくる。
「そのためにも、説得材料は一つでも多く必要で、状況把握をしておくことが重要だ。報告書を受け取った時にそなたから直接話を聞いたが、何分、王都防衛戦前の、トロルがいつ進軍して来てもおかしくない状況で仕事も城内もごたついていた時だったからな。改めて状況を整理しておきたいから、もう一度詳しく聞かせて貰えるか?」
「はい、いいですよ。確か、第二次王都防衛戦が始まる一ヶ月ちょっと前だったかな」
◆
――第二次王都防衛戦が始まる三十四日前。
俺とアイゼ様とフィーナ姫の三人で、対策会議の三日後、グーツ伯爵と話し合いの場を設けて、事業計画の書類を見せて協力を取り付けることが出来た。
それからさらに三日後、今度は軍務大臣と将軍と面会の約束を取り付けて、アイゼ様とフィーナ姫は別の政務で時間が取れなかったから、俺が一人で交渉に赴いた。
「それを承知で、騎士エメルは第二次王都防衛戦を目前に、ただでさえ残り少ない精霊魔術師部隊の生き残りから、畑仕事をさせるために人員を引き抜くと?」
軍務省の建物にある大臣の執務室で、ソファーに深く座った軍務大臣が眉間に皺を深く刻みながら、俺を睨み付けてきた。
将軍もその隣で渋い顔をして腕組みする。
「そういう言い方をされると答えづらいですけど、その通りです」
それって言うのは、二つ。契約精霊持ちの精霊魔術師の希少性と、軍の精霊魔術師部隊の全員がその稀少な契約精霊持ちの精霊魔術師だってことだ。
一般的に、精霊魔法が使える人は平均して百人中五人程度って言われてて、さらに精霊に気に入られ、精霊と契約出来る程に精霊力をコントロール出来るのが、その五人のうち一人いるかどうかって言われてる。
つまり百人に一人いるかどうかだから、割合としては、決して多いわけじゃないけど、驚くほど少ないってわけでもない。
とはいえ、精霊持ちが全員軍に入って精霊魔術師部隊に所属するわけじゃない。
トトス村に来てた行商人のおじさんなんかがいい例だな。
しかもその割合は、自然が多い田舎や農村での話だ。
自然が少ない都市部に住んでると精霊を見かけることが滅多にないから、その才能に気付かないまま一生を終える人も多いらしい。
つまり、国の人口と百人に一人の割合から導き出される人数に比べて、精霊持ちの精霊魔術師の総数は、実際にはもっと少ないわけだ。
だから、小国のマイゼル王国軍の精霊魔術師部隊には、四百人ほどしかいなかった。
もちろん、領地貴族達の領軍や私兵にも数人や十数人所属してるから、国全体での総数は千人近くいるみたいだけど。
そのたった四百人しかいない契約精霊持ちの精霊魔術師達が、第一次王都防衛戦において半分以下の百六十人近くにまで減ってしまった。
これじゃあ人数が少なすぎて、部隊として有効に機能しない。
だから、軍部は部隊の立て直しに急いで新兵を集めてる最中なんだけど、王都奪還からまだ二ヶ月半ほどしか経ってないから、とてもじゃないけどまだまだ人数が揃わない。
そこに俺が引き抜きの話を持ち込んだもんだから、軍務大臣と将軍が渋い顔をするのも無理はないってわけだ。
真の目的はともかく、農政改革と王家の権威、そして貴族達の頭を押さえるって目的の方は説明したんで、基本的に賛同はしてくれてるんだけどね。
「でも、強引に引き抜くつもりはないですよ。飽くまで希望者を募るだけです。もちろん希望者が一人もいなかったら軍部からの募集は諦めます」
「引き抜かれるのは困るが、希望者がいなければエメル殿も困るのではないか?」
「そりゃあ困りますよ? でも、募集をかけるのは軍部だけじゃなくて、農水省の役人からも募ってます。後は軍部と同様に、王都奪還時に保護して、今は王都の防壁外に作った難民キャンプで生活してるトロルに奴隷にされてた人達、彼らからも就業支援の一環として募集しようと思ってます」
そう、軍部は奴隷にされてた人達の中から、奴隷にされた恨みを晴らしてやりたい、自分達のような目に遭う人を少しでも減らしたい、そういう戦意と熱意がある人達を、兵種を問わず募集していた。
何しろその奴隷にされてた人達は、トロルの世話のため、また輜重部隊や奴隷輸送部隊で馬の代わりに荷車を引かされてた人達で、力が強くガタイが良い人達が多かったからだ。
中には、元騎士や元兵士って人もいたから、軍部として見逃す手はない。
「それに、第二次王都防衛戦に勝てば、多分また大勢の奴隷を保護する事になると思うから、改めてそこから募集してもいいですしね。最初は試験期間として、それほど大人数を集めたいわけじゃないんで」
暗に、減ってもまた軍部もそこから募集をかけられるでしょう、って言っておく。
加えて、第二次王都防衛戦の作戦では、俺が一人で精霊魔法をドカンとやるだけなんだから、精霊魔術師部隊の人数の増減は作戦に影響しないでしょう、ってことも。
「もっと言うなら、王城を奪還後、城仕えしてた人達でも退職した人が少なくなかったでしょう? 同様に、精霊魔術師部隊にも退職を考えてる人がいるかも知れない。要は引き抜きじゃなくって、その人達の再就職先を斡旋するって思って貰えば。さっき言った、希望者がいなかったら諦めるって言うのは、そういうことです」
「なるほど……そういうことなら、まあ募ってもいいかも知れませんな」
って将軍は言ってくれはしたものの、うーん、まだちょっと渋い顔だな。
自主的に退職を言い出してないのに、自分の方から退職を促すような真似をしたくないんだろう。
仕方ない。
して貰ってばかりじゃ申し訳ないからな。
軍部とは、いい関係でいたいし。
「本当は、第二次王都防衛戦で俺の実力を見せつけてから話を持ちかけるつもりだったんですけど」
と、前置きしてから、農政改革とは別の腹案について説明する。
農政改革の事業計画の書類作成はすでに終わったから、続けてその腹案のための書類を作ってる最中だ。
その計画が成功すれば、仮に百人引き抜いても余裕でおつりが出る。
「騎士エメル、本当にそんなことが可能だと……!?」
「もしそれが可能だとしたら……」
「もちろん。調べて貰えれば分かりますけど、トトス村でやってたんで実績もありますよ。トロルとの戦争で戦うことに嫌気が差したり怖くなったりして、退職するか迷ってる士気が低い人員を気付かぬ振りでそのまま使い続けるより、遥かにメリットがあると思いますけど」
「確かに……」
軍務大臣はしばし黙考してから頷いてくれた。
「分かった、騎士エメルに協力しよう」
「そうですな。エメル殿の提案は非常に魅力的だ。ただし、理由はどうあれ人員が減ることに反対する者達もいようから、今は俺が抑えておくとしても、その者達を真に納得させるには、エメル殿が第二次王都防衛戦で成果を出す必要がある。上手く行きませんでしたでは、今後反発が強くなると心得ておいて貰おう」
「お二人ともありがとうございます。目に物見せてやりますから、大丈夫ですよ」
この話し合いの後すぐに募集をかけ、五日後、軍の精霊魔術師部隊、グーツ伯爵推薦の農水省の役人、そしてトロルに奴隷にされてた人達から、農政改革に協力してくれる人材を面接する手はずを整えた。