85 ハニトラも勘弁して下さい
そして、仕掛けてくるのは引き抜きや離反だけじゃなかった。
「あら、エメル様でいらっしゃいますわ」
「まあ本当だわ。お噂通り、凛々しくて素敵な殿方ですのね。戦いのお話を是非聞かせて戴きたいわ」
「今からお茶会を開くところでしたの。エメル様もいらっしゃいませんか?」
煌びやかなドレスと装飾品で着飾った、綺麗なお姉さんから可愛い女の子まで、貴族のご令嬢達が複数で取り囲んでくるし。
「わたくし、貴方のお話を聞いて大変興味がありますの。よかったら二人きりでお話しませんこと?」
なんて感じに、深い胸の谷間を強調した大胆なナイトドレスで距離を詰めてきて、流し目を送ってきたり、手や腕を取って身体を押しつけてきたりするし。
中には……。
「きゃあっ!?」
「うわっ!?」
「申し訳ありませんエメル様、お召し物を汚してしまいました」
メイドさんがわざとらしくぶつかってきて、俺に水差しや花瓶の水をぶっかけて。
「丁度この部屋は使われていませんので、こちらへ。すぐにお召し物を乾かしますので脱いで下さい」
なんて都合良く空いてる部屋へ俺を引っ張り込もうとしたり、狙い通り股間にかけてやったとばかりにギラギラした目でズボンを脱がそうとしたり。
「いえ、結構です! すぐ乾きますから。それじゃ!」
これ、万が一連れ込まれたら、多分そのメイドさんは服を自分でビリビリに破って悲鳴を上げて、たまたま通りがかった誰かさんが駆け付けてきて、救国の英雄の淫行や強姦の現行犯って醜聞の出来上がりってわけだ。
そもそも、この中の上でしかない平凡な顔の俺が、初見のご令嬢に『凛々しくて素敵な殿方』なんてハニトラ以外で言われるわけないんだよ。
キリに頭の中で『この娘達はそのようなこと欠片も思っていません。何故自分がこんな田舎者の不細工な農民の相手をしなくてはならないのか、などと非常に失礼なことを考えています』なんて、悲しい現実を突きつけられるまでもなく、ね……。
あ、もちろん姫様とフィーナ姫は別枠で。
むしろ――
「あっ、ようやく見付けた噂のエメル! ……あの『すくりーん』越しにはもう少し格好良く見えたんだけど、こうして直に会ってみると案外普通ね?」
――そうそう、このご令嬢みたいな反応が、多分普通だと思う。
「って、誰!?」
いきなり廊下の向こうから駆けてきたと思ったら、随分と遠慮のない言い草をするご令嬢だな。
まあ、相手は貴族のご令嬢で、こっちはしがない平民だから、それが普通の反応か。
最近やけに持ち上げてきたり、ことさら丁寧に接してきたりする連中が多かったから、ちょっと勘違いしそうになってたよ。
「あらこれは失礼。アタシはユーグ男爵家の長女モザミア・ククードです。以後お見知りおきを」
ご丁寧に、軽くちょこっとカーテシーをしてくれる。
俺の方が身分が下になるから、軽く片足を引いて、もう片方の膝を軽く曲げて、スカートの裾も軽く摘まむだけで、背筋を伸ばしたまま頭も下げず、すぐ元の姿勢に戻る、そんな目下の者向けおよび略式のカーテシーだ。
これが身分が上の人に対してとなると、摘まんだスカートを軽く持ち上げて、深く膝を曲げて、深々と腰を折り頭を下げてお辞儀をするカーテシーになるらしい。
前世ではどうだったか知らないし、今世の他の国の礼儀作法もどうかは知らないけど、この国ではそれが貴族女性の正式な作法だそうだ。
で、だ。
これまで声をかけてきたご令嬢達で、ちゃんとカーテシーをして挨拶してくれたのは、このユーグ男爵令嬢が初めてだ。
平民相手に略式カーテシーすらする必要を感じてないご令嬢がほとんどなのにな。
ちなみにもう一つ、この国では、爵位は領地として治める地域の名前が付けられていて、そこを治める貴族本人達の家名とは関係ない。
だからもしユーグ男爵家が陞爵したら、ユーグ子爵家の長女モザミア・ククード、ってことになり、ククード家がお取り潰しになって別の誰かがユーグ男爵に叙爵されたら、ユーグ男爵家の誰それってことになるそうだ。
どれもこれも、フィーナ姫が家庭教師をしてくれたおかげだな。
ちなみに、ユーグ男爵って名前も、モザミア・ククードって名前も知らない。
だからやっぱり、大した家柄じゃない貴族家のご令嬢なんだろう。
とはいえ、初めてちゃんとカーテシーをしてくれたご令嬢だから、俺も左胸に右手の拳を当てて軽くお辞儀し、丁寧に騎士としての礼をする。
「初めましてククード様。王家直属特殊戦術精霊魔術騎士団即応遊撃隊所属特務騎士エメルです」
「なんだか長ったらしくて大仰な肩書きね。どんなポジションを狙っての名前か分かりやすくはあるけど」
敢えてそんな風に付けてみたからな。
これまでも色々そこを突っ込まれてきたけど、こうも堂々と気安く突っ込まれたのは初めてだ。
「ところでククード様は、俺にどういったご用件でしょうか?」
「モザミアでいいからね。幼馴染や家族はモザって呼ぶけど、それはもう少し親しくなってからで」
親しくなってからって……親しくなる予定ないけどね?
だって目的は他のご令嬢達と同じだろうし。
そういう、何か狙いがあるって目をしてるし。
「それで要件なんだけど、あなたの話を聞かせて貰えないかしら?」
「戦場での話ですか?」
「それも興味がないわけじゃないけど、今は別。もしあなたが叙爵されて領地を賜ったら、どんな領地経営をしたいと思う?」
お? なんだかこれまでのご令嬢とは、アプローチの仕方が違うな。
戦争での活躍の話を聞かせてくれ――褒めそやして持ち上げていい気分にして籠絡してやろうってのが見え見え――か、好みの女性のタイプ――自分が条件に合わなかったら条件に合うご令嬢にハニトラ担当をバトンタッチするための情報収集――か、そんなアプローチしかなかったのに。
「申し訳ありませんが、先約がありまして」
「そうなの? このチャンスを逃したくないけど……先約があるなら仕方ないか」
ほう、素直に引き下がるんだ?
それもまた、これまでのご令嬢とはちょっと違うな。
「じゃあ次の機会を戴けない? 実はアタシ、精霊魔法をちょっとは使え――」
「エメル様」
凛としたよく通るフィーナ姫の声がして、思わずそっちに顔を向ける。
ユーグ男爵令嬢も、はっとしたようにフィーナ姫を振り返った。
「なかなかいらっしゃらないので、お迎えに上がりました」
笑顔でしずしずとおしとやかに歩いてくるフィーナ姫。
だけどなんだろう、こう……圧というか、思わず背筋をピンと伸ばさざるを得ないというか。
ユーグ男爵令嬢が弾かれたようにカーテシーを、それも深々と頭を下げる目上の人向けの正式な方をして、頭を下げたまま固まったように動かなくなる。
「エメル様、こちらのご令嬢は?」
「ユーグ男爵令嬢だそうです」
「……そう、エメル様はわたしとの先約がありますので、これで失礼しますね」
「はい……!」
強ばった返事だな。
やっぱり男爵令嬢にとっては、王女様って言うのは、雲の上の人で恐れ多いのかな。
まあ、笑顔なのに圧を感じるこの状況ってのもあるだろうけど。
「では行きましょうエメル様」
なんか、妙に逆らいがたくて、慌てて頷く。
「はい。それではククード様、失礼します」
頭を下げたまま動かないユーグ男爵令嬢を置いて、フィーナ姫に並んで歩く。
途中、チラリと振り返ったけど、俺達が廊下の角を曲がって見えなくなるまで、ユーグ男爵令嬢はその場で頭を下げ続けていた。
そうして、王族の居住スペースになる館まで戻ってくる。
他の人の目がなくなった途端、ふっと隣のフィーナ姫から圧が消えた。
「……」
しかも! そっと俺の腕を取ると、抱えるようにして腕を絡ませて密着してくるし!
顔は前を向いたままだけど、ちょっぴり唇を尖らせて……拗ねてる?
「……わたしとの約束に遅れてまで、他のご令嬢のお相手をすることはどうかと思います」
もしかしてこれって……ヤキモチ焼いてくれてる!?
やばい、口元がにやける!
可愛すぎだろう!?
空いた手で慌てて口元を隠して顔を逸らす。
でないと、フィーナ姫にだらしない顔を見られちゃうよ。
「……あ……あの、もしかしてご不快に思われてしまいましたか? ヤキモチを焼くような女は……お嫌いですか?」
「逆です! 逆!」
にやけが止まらない口元を隠したまま、フィーナ姫を振り返る。
「フィーナ姫が滅茶苦茶可愛くて、嬉しいです!」
頬を染めて、安心したように口元をほころばせるところなんて、もう天使なんじゃないかな!?
「で、では……もしわたしが別の殿方に口説かれていたら、エメル様もヤキモチを焼いて下さいますか?」
「もちろんです。『俺の嫁』に手を出そうなんざふざけた野郎は、相手が誰だろうと、ぶん殴ってやります」
「ふふっ、ありがとうございます♪」
ああもう可愛すぎ!
フィーナ姫が可愛すぎて、なんか色々溢れ出してきて叫び出しちゃいそうだよ!
「それにしても、その、なんて言うか」
「はい、どうかなさいましたかエメル様?」
「この前の『あーん』の時も思いましたけど、今といい、結構距離近いですよね?」
改めて意識しちゃうとさ、腕とか肘とかに、ふかふかと柔らかい脹らみが当たっちゃってて……こう、ね!?
家庭教師してくれてたときも、当たっちゃうくらい距離が近かったし、ちょっと無防備すぎやしないだろうか?
「お嫌ですか? 婚姻を結ぶ前の王女が、はしたないと思われますか?」
「全然嫌じゃないです! はしたなくもないです! むしろ大歓迎です!」
「ふふっ、よかった♪」
そんな嬉しそうに口元をほころばせたら、なんでも許しちゃうじゃないか!
それにしても、二人きりの時はもちろん、姫様や事情を知ってるクレアさん、レミーさん、メリザさんの前だと、俺への好意を隠しもしないで積極的に、それも精神的にだけじゃなく特に物理的な方向で距離を詰めてきてる気がするのは……多分、気のせいじゃないよな。
他の人の前や、事情を知らない侍女がいる前だと普段通りで、きっちり使い分けてるの分かるし。
「以前も言いましたが、わたしはもっとエメル様と親密な関係になって、こうしてエメル様をお側に感じていたいのです。だって政略結婚ではない、思いを交わした方と結ばれることが出来るのですから、こんなに嬉しいことはありません。そのことを、こうして触れて、温もりを感じて、何度だって確かめて感じたいのです」
それ、すごくよく分かる!
俺もこうしてフィーナ姫と触れ合ってると、フィーナ姫と恋人同士になれたのは、夢でも幻でもない、現実なんだって、喜びを噛みしめられるから。
「それに、きっとエメル様にお姫様抱っこで守って戴いたからでしょうね。こうしてエメル様に触れていると、胸が高鳴るのと同時に、とても安心出来るのです」
チラリと俺に目を向けると、目元を赤らめる。
「わたしがそのように心安らげるのは、エメル様だけなのですよ」
くうっ、本当にもう、可愛いすぎるだろう!?
思い切り抱き締めてキスして、そのまま寝室に直行したいくらいなんだけど!
だけど、だけどっ……!
「そう思って貰えるの、すごく嬉しいし光栄なんですけど、なんて言うか……俺も男だし? その、ほどほどにしておいて貰わないと、色々危険というか……ですね」
キョトンとした後、一瞬遅れて意味を理解したのか、フィーナ姫の頬が、ぽっと赤く染まって……。
あまりにも可愛すぎて、もう俺の方こそ顔が熱くなっちゃうんだけど!
「それは……正式に婚姻が結ばれるまでお待ちください。その後でしたら……」
真っ赤になって俯いちゃって、そんな反応されちゃったらもう、萌え死にしそうなんだけど!
これはもう、何がなんでも頑張るしかないだろう!
◆◆
「っはぁ~……緊張した」
廊下の角を曲がって、噂のエメルとフィーナシャイア殿下が見えなくなったところで、ようやく頭を上げる。
「それにしても初めてこんな近くで殿下を拝見したけど、『すくりーん』越しよりもっとお綺麗だったな……女のアタシでも見とれちゃうくらい」
そしてあの圧。
王女としての威厳だけじゃない。
明らかにアタシを牽制してた気がする。
名乗りを上げることも許されなかったし、噂のエメルに確かめた後の一瞬の沈黙は、きっとユーグ男爵家の名前を思い出そうとして思い出せなかったんだと思う。
さすが王族ともなると、ユーグ男爵家みたいな木っ端貴族、それも中立とは名ばかりの誰にも相手にされてない弱小派閥の貴族の名前なんて覚えてなくて当然だから、それはいいんだけどね。
むしろ覚えられてたら、『ユーグ男爵家って何かしでかしちゃった!?』って逆に慌てないといけないところだったし。
ただ……。
「もしかして……殿下も噂のエメル狙い?」
思わずポツリと漏れた言葉だけど、すごく腑に落ちた。
やっぱりあの圧がアタシに向けられてたのは気のせいじゃない。
「アタシの女の勘もなかなかね。これはとんでもなく強力なライバル登場かしら」
……でも、慌てる必要はないかも知れない。
だって、噂のエメルは平民なんだから。
叙爵されたとしても、騎士爵、せいぜい男爵がいいところ。
王女様にはとてもじゃないけど爵位が釣り合わないし、それが平民上がりならなおさら周りが止めるでしょ。
「ふふっ、まだまだアタシにもチャンスがありそう」
髪を掻き上げて、ふわっと払う。
一度でいいの。
噂のエメルと話さえ出来れば、アタシに興味を持たせられるはずだから。
「待ってなさい噂のエメル! 次に会うときが楽しみね!」