79 防衛戦の裏で 2
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「申し上げます! トロルが進軍を開始、開戦いたしました!」
「遂に始まったか」
伝令兵の報告に、アーグラムン公爵は口の端をわずかに上げて笑みを浮かべた。
その隣で共に報告を聞いたゲーオルカも冷笑を浮かべる。
「さて、クラウレッツ公爵はどれだけトロル兵を減らしてくれるか、お手並み拝見ですね、お爺様」
「そうだな。元から兵力に差がありすぎてあまり期待は出来んが、精々気張って一匹でも多く減らしておいて貰おう」
「張り子の英雄もとっくに撲殺されている頃だとは思いますが、果たして何匹減らしてくれたことやら」
「さてな。そのような者はどうでもよい。それより、そろそろ軍を進めておかねばな。ここでは戦場までいささか距離がある」
「そうですね。では、全軍に移動の準備をさせましょう」
そこは、戦場となった王都南の平原から、東へ徒歩で一時間以上離れた街道沿いの林の中だった。
防衛部隊とトロルに存在を察知されたくなかったため、それだけ離れた場所でキャンプを張って待機していたのだ。
ゲーオルカは部下に命令し、キャンプを撤収し進軍の準備を始めるように指示する。
「防衛部隊も半日保つかどうかだろう。奇襲の効果を最大限生かすためには、防衛部隊にもまだ戦える戦力が残っている状況で、儂らと挟撃して貰わねばならんな」
「あまりにも早く磨り潰されては困りますからね。指揮するのは将軍ですから、そう簡単に崩れるとも思えませんが、次の伝令の戦況報告次第では兵達を急がせましょう」
そうして最初の伝令兵の報告から十五分程を過ぎた頃、必死の形相で伝令兵が馬を駆けさせてきた。
「む、どうした?」
取り乱した様子の伝令兵に嫌な予感を覚えて、アーグラムン公爵とゲーオルカはすぐさま報告させる。
「はぁ、はぁ……ぜ、全滅です! 全滅しました!」
「なっ……!?」
さすがのアーグラムン公爵もゲーオルカも、開戦して間もなくのこの短時間で防衛部隊が全滅したとの報告に色をなして取り乱す。
「馬鹿な! どうやればこの短時間で一万を越える兵が全滅出来る!?」
「あの将軍がこうも容易く負けるなどあり得ない……褒めたくはありませんがクラウレッツ公爵とて、無能ではなかったはず……!」
「これではトロルどもはほとんど減らせておらんだろうな……」
「非常に不味い事態ですよお爺様。二万を越えるトロルが王都を占領したとあっては、いくら我が軍でも奪還は不可能です」
真剣に対策を話し合う二人に、伝令兵が慌てる。
「恐れながら違います!」
「違う? 何が違うのだ? 防衛部隊が全滅したのだろう?」
「全滅したのはトロルどもです!」
「なっ…………あ、あり得ない! こんな短時間で二万六千匹ものトロルを全滅させるなんて、この僕でさえ、たとえ数十万の軍勢を率いていようと不可能だ!」
「戦場で、一体何が起こったのだ?」
「はっ、特務騎士エメルです! あの者が複数の契約精霊と共に、一撃で数十匹のトロルを屠る攻撃魔法を、数十、数百と雨あられのように降らせ――」
伝令兵が伝える戦場の様子に、アーグラムン公爵もゲーオルカも唖然とし、揶揄や軽口どころか、否定する言葉すら出せなかった。
あまりにも荒唐無稽に過ぎる戦闘の推移だが、伝令兵の必死の形相と唾を飛ばさんばかりの語り口に、逆に馬鹿馬鹿しいと斬って捨てられない臨場感を覚え、何を言っていいのか分からなかったのだ。
「お爺様、とにかく僕達だけでも急ぎ戦場へ向かい、状況を見極めなくては」
軍のほとんどはまだ移動準備を終えていなかったため、わずかな護衛を付けるだけで、急ぎ馬を走らせて、戦場になった平原へと駆け付ける。
そうして到着した戦場で見たのは、報告通りの、炭化し、貫かれ、切断され、無残な屍を晒す、二万六千匹のトロル兵の姿だった。
そして、兵士達に護衛され、荷馬車に乗せられて王都へと向かう奴隷達。
誰もが表情明るく、楽しげで、意気揚々と戦闘後の処理を進め、戦いの後の悲惨な空気など一切感じられなかった。
平原の端で、その様子を茫然と眺めていたアーグラムン公爵達の下へ、一騎が駆けてくる。
「これはこれはアーグラムン公爵とゲーオルカ殿ではありませんか。今ごろになって何用ですかな?」
「将軍……これは一体……」
二人の姿を見かけて、わざわざ馬を駆ってやってきた将軍ガーダン伯爵の皮肉に気付く余裕もなく、茫然と戦闘後の処理が進んでいく光景を眺める。
「ご覧の通り、王家直属の特務騎士エメル殿が一方的に虐殺し、あっという間に全滅させたのですよ。いやはや、あまりにも爽快で痛快な蹂躙劇でした。その様子はエメル殿の魔法で、王城の両殿下はもちろんのこと、多くの貴族や役人、防衛部隊、見学組の貴族や兵達、そして王都市民にも広く公開されまして、十万人以上が観戦し目撃しました。あの戦いぶりは、まさに伝説に残るでしょう。あれを見損なったとは一生の後悔ものですな」
普段以上に饒舌に、わずかな皮肉と揶揄を込めた解説に、アーグラムン公爵もゲーオルカも返す言葉を見付けられなかった。
「なんてことだ! あり得ない! 僕は信じない!」
アーグラムン公爵領の領都の屋敷に戻り、ゲーオルカは報告書を床に叩き付けて踏みにじった。
配下を使い、徹底的に調べさせた。
しかし、報告が上がるたびに、否定しようのない現実が突きつけられる。
あの場で目撃した派閥の貴族達、態度の定まらぬ貴族達、息の掛かった役人達と兵士達、果ては王都の市民に至るまで調査の手を広げて、戦場で起きたことを報告させた。
多少の誇張や主観による情報の差違はあれど、数十人以上に聞き取り調査したことで、ほぼ正確にあの場で何が行われたのかを把握出来ていた。
「張り子などではなく……真実だったと言うのか……」
椅子に深く背を預けて、アーグラムン公爵は目を閉じ深く溜息を吐く。
「お爺様はこのような荒唐無稽な話を信じると言うつもりですか!?」
ヒステリックにわめく孫に、アーグラムン公爵は目を開いて顔をしかめる。
「信じられるものか。しかし信じるより他あるまい。状況も証言も、それ以外の可能性を全て潰しているのだ」
「しかしこれを事実と認めてしまったら、領兵全軍を挙げても、エルフどもに軍を出させても、王都を押さえる事はおろか、王位を奪い取る事すら出来なくなってしまうではありませんか! それでは僕の王太子に、そしていつか王になるという夢はどうなってしまうのですか!?」
「今のままでは不可能だな……それこそ、フォレート王国より大軍を引き入れ、儂らがエルフの傀儡になり下がり、お飾りの王になるくらいでなければな」
「くっ……それでは意味がない! お飾りなどまっぴらごめんだ!」
「当然だ。何か他の手を考えるしかあるまい」
「お爺様はどうしてそのように落ち着いていられるのですか!?」
「落ち着いてなどいるものか!」
初めてヒステリックな声を上げて、執務机に拳を叩き付けた祖父の激昂に、ゲーオルカはビクリと身を竦ませた。
「儂にはもう時間がないのだ……それを、それを…………あの平民、エメルと言ったか……幾度も幾度も儂の邪魔をしくさって、決して……決して許さんぞ……!」
荒ぶる感情を、それでも抑え付け、再起を図る祖父の姿に、ゲーオルカも少しは落ち着きを取り戻し、冷笑を浮かべる。
「お爺様を本気で怒らせて、エメルとか言う平民、終わったな」
そう、ほくそ笑む。
そして自らも決意する。
どんな手を使ってでもエメルを潰し、アイゼスオートとフィーナシャイアを排し、王位を手に入れてやると。