731 ランテス砦方面の攻防 2
◆
『主様、遂にランテス砦方面での戦闘が始まったようです』
「そうか。じゃあ、俺達も急いで作戦通り動くとしよう」
『はい、主様。主様を敵に回した愚かさを、骨の髄まで味わわせてやりましょう』
「まあ、今回は裏方だから、ほどほどにな」
『いいえ。たとえ裏方でも、やるなら徹底的に。二度と逆らう気が起きないように身の程を弁えさせてあげることこそ、慈悲ですわ』
「お、おう……」
◆◆◆
「状況は?」
陣地中央の天幕で、マイゼル王国軍第八騎士団団長ジオロス・ネイケルトは、常と変わらない落ち着きと口調で部下に尋ねる。
「はっ、敵はまず歩兵を中心に正面、左右の三方から進軍してきています。騎兵は後方で待機し、まだ動きを見せていません」
予想が当たっていようと外れていようと、心に決めていたとおり、予想通りだと言う顔でジオロスは鷹揚に頷く。
「陣容は?」
「正面はノーグランテス辺境伯領軍歩兵一千。左右はアーマンハイダ辺境伯領軍で騎兵と歩兵を均等に二千ずつ。後方に回り込む部隊は今のところないようです。レガス王国の正規軍は騎兵、歩兵共に後方で待機のようです」
「馬防柵と罠が、まず仕事をしてくれたようだ。しかし、敵とて無策のまま攻めあぐねてはくれまい。騎兵が動き出してからが勝負だ。それまで無理はせず消耗を抑えるように。精霊魔術師部隊も、騎兵が動くまで温存して、遠距離は弓兵に任せるように」
「はっ、精霊魔術師部隊には、まだ動くなと厳命してあります」
「よろしい。ああ、それとメイワード伯爵に頼まれていたことも、可能な限りな」
「はっ」
ジオロスの采配で、防御柵の内側で敵兵と交戦するほとんどの歩兵が槍を装備しているが、中には剣、斧、メイスなど、敢えてバラバラの武器を装備している歩兵も配置していた。
「くそっ! 来るな! 来るな!」
「柵を壊そうとしてる奴から狙え!」
リーチがある槍を選んだ兵達は、とにかく柵に近づけまいと槍を突き出し応戦する。
狙うのは、同じ槍でリーチがある敵や、剣を降って柵を壊そうとする敵などだ。
「柵を越えさせるな!」
「押し返せ!」
剣を選んだ兵達は、同時に木製で表面や縁に鉄板を貼り付け頑丈さを増した盾を構え、防御柵に取り付いた敵とぶつかり合い、至近距離で妨害に徹する。
「ぶった切れ!」
「叩き潰せ!」
そして斧とメイスを選んだ兵達は、槍が突き出されれば避けると同時に木製の柄を叩き切り、また叩き折り、剣で受け止めようとすれば、歪め、折れろとばかりに力任せに叩き付け、致命的なダメージを見込めない敵の革鎧や籠手の上からでもお構いなしに、力任せの攻撃をとにかくひたすら当てていた。
「なっ、オレの槍が!?」
「くそったれ、剣が歪みやがった!」
「ぐっ!? こいつら鎧の上からでもお構いなしかよ!」
敵兵達は、武器を壊され、また叩き落とされ、鎧もボロボロにされていく。
受けた傷はたとえ軽傷でも、武器を失い戦い続けられなくなった敵兵達は、武器を交換するために最前線を離れるしかない。
そうして後方へと下がっていく敵兵達を狙って、また武器や鎧を交換して最前線へ復帰してくる敵兵達を狙って、弓兵が矢を降らせていた。
敵兵が装備を整え再び戻ってくるとしても、下がる兵が出る分、最前線の圧力は下がる。
おかげでその分、負傷兵が下がって治療を受ける余裕が生まれていた。
「薬も包帯もケチるな! この戦いで使い切っても構わないくらいのつもりで十分な手当を施すんだ! 後で必ず補充が来る! 在庫は心配するな!」
「「「「「はい!」」」」」
衛生兵の部隊長が声を張り上げると、衛生兵達が力強く答えて治療に専念する。
傷を負った兵達にとって、それは己の命が繋がることに他ならない。
これは大きな安心感となっていた。
だから軽傷で治療を終えた兵達は、怯むことなくすぐに前線へと復帰していく。
砦を挟んでノーグランテス辺境伯領軍と睨み合いを続け、一戦も交えることが出来ないまま、自分達の部隊を越える規模のレガス王国軍に援軍として駆け付けられ、後退して陣地に籠もっての防衛戦しか出来ない厳しい状況だ。
しかし、昨夜も今朝もふんだんに料理が振る舞われた。
今も、医薬品も惜しみなく使われている。
おかげで、気力も体力も十分にあり、マイゼル王国軍の士気は高かった。
◆◆◆
開戦より三時間が経過していた。
「崩せんな……」
ユーゲウスは渋い顔で独りごちる。
後方の馬上から防御陣地攻略戦を俯瞰して眺めているが、思いの外マイゼル王国軍に持ち堪えられてしまっている状況に、不快感とわずかな苛立ちを覚えていた。
防御陣地に引きこもり、精強なレガス王国軍の進撃を恐れ震え上がっているものと思いきや、想定外な程に士気高く粘っている。
「援軍を頼みにして、それまで粘ればいいとでも考えているのか?」
思考を巡らせ、言葉にして小さく呟いてみるが、わずかな引っかかりを覚える。
ほんのわずかな違和感だ。
偵察兵の報告により、王都マイゼラー方向から援軍の領軍二千が間近に迫ってきているが、その程度の数では現状を打破する決定的な援軍とはならない。
さらに、敵本陣より三千の援軍が動き始めたと報告に上がっているが、合流は早くても本日中、それも恐らく日暮れ時で、行軍の疲労などを考えれば今日中に参戦してくることはない。
確かに、明日になれば合わせて五千の援軍が参戦するのだから、粘ろうという気にもなるだろう。
それだけの敵を相手に戦うには、現状の兵数では決して楽にとはいかないのだから。
しかしそれは、敵本隊が援軍に兵を割いたことでレガス王国軍本隊に敗れる確率が高まっただけに過ぎない。
援軍が駆け付けたことによるこの防御陣地の戦術的な勝利など、本隊が敗れてしまっては無価値だ。
それすなわち、マイゼル王国の戦略的な敗北なのだから。
そも、ランテス砦に籠城すれば、それらの援軍を合わせても砦攻めに必要な兵数を満たさないのだから、自分達に敗北はない。
「采配の妙を見るに、それが分からない敵将ではないように思えるが……」
だからこそ今のマイゼル王国軍の士気の高さ、粘り強さには、違和感を覚えるのだ。
同様の違和感を、そしてさらなる別の違和感を、前線で指揮するアーマンハイダ辺境伯領軍の部隊長である騎士は覚えていた。
「マイゼル王国軍の士気が一向に衰えないのは何故だ?」
先鋒を務めた部隊を下がらせ、同時に次の部隊を攻め込ませ、その間に先鋒を務めた部隊を十分に休ませて、また交代して攻め込ませと、波状攻撃を繰り返している。
その間に工兵部隊と護衛の歩兵部隊を派遣して、溝の罠の一部を土嚢で埋めさせ、騎兵の突入ルートも確保した。
決まったルートしか走れないため敵弓兵に狙い撃ちされてしまうが、いつまでも騎兵を後方で待機させて遊兵化しておくわけにもいかないので、それは必要な犠牲と割り切っている。
そうして突入準備を整え、囮部隊を突入させて敵防衛部隊の偏りを作り、防御が薄くなった部分へさらに歩兵も騎兵も予備兵力全てを突撃させて圧力を高め、防御柵の一部を壊し、複数の突入口を確保。
そこへ満を持して、ユーゲウス率いる正規軍の騎兵と歩兵三千を突撃させた。
ユーゲウスの作戦通り、これで勝負が決まったと確信もした。
残念ながら、敵弓兵および、温存していたらしい精霊魔術師部隊を投入しての猛烈な反撃に遭って、一旦兵を下がらせざるを得なくなり、壊した防壁柵は応急修理をされてしまったが。
しかし、あと一歩と言うところまで迫れたのだ。
現在は、一度壊され応急修理では十分に補強できずに脆くなっているその箇所を、再び突入口として確保しようと重点的に狙って圧力をかけている。
このように時間こそ掛かってしまっているが、現状は確実にマイゼル王国軍を追い込んでいっている。
その手応えがあった。
それなのに、マイゼル王国軍の士気は依然高いままだ。
ともすれば、防御陣地攻略が失敗に終わりつつあるような錯覚すら覚えてしまう。
それに加えてだ。
「武器の損耗が多すぎるな……」
防御柵の内側から攻撃するなら、武器は槍に統一するべきだ。
しかし、剣はまだしも、斧やメイスなど、てんでバラバラな武器を構えている歩兵を見て、マイゼル王国軍はろくに武器も支給して揃えられないのかと、大いに呆れたものだが……。
「わざとこちらの武器や鎧を損壊させようとしている……?」
そう思うと合点がいく武器の選択と戦い方だった。
「……しかしそれになんの意味がある?」
確かに時間稼ぎは出来るだろう。
しかしそれだけだ。
その時間稼ぎに、戦略的な勝利に結びつく価値はない。
そうでなくとも補給物資は十分にあるから、今日これで退いたとしても、明日には振り出しに戻っている。
「……まさか、本隊が我らに勝つと信じて、それまで耐え忍ぶ腹か?」
それはあまりにも愚かな選択としか思えなかった。
第六騎士団や自分達領軍を見下す態度の、前線司令官であり第三騎士団団長のガイウスの顔を思い出すと腹立たしいが、ガイウスの立てた作戦を聞いて、マイゼル王国軍の本隊は遅くとも数日うちに全滅し敗れるだろうと確信している。
仮にその策がなくとも、マイゼル王国が勝利する要素は最初から何一つないのだ。
だから、この局地的な戦闘で時間稼ぎに徹し、徒に兵と物資を消耗するくらいなら、戦後の反乱軍結成を見据えて、いっそ早々に降伏する方が賢いとさえ言える。
それをされる方が、ここで粘られるより後々面倒な火種を残すことになるのだから。
それくらい、敵将も理解しているはず。
「しかし……」
マイゼル王国軍が諦める様子はない。
勝っているはずなのに、勝ちきれていない。
そんな違和感が拭えなかった。
その違和感は、ノーグランテス辺境伯領軍の部隊長である騎士も感じていたが、端から彼らには陣地攻略のために前進する以外の選択肢がなかった。
策がはまり、終始優勢に押し続けていたレガス王国軍だったが、不自然なくらいあと一歩を押し切れず、王室派貴族の領軍二千が援軍として近くまで迫ってきたことで今日中の決着を諦め、レガス王国軍はランテス砦への撤退を余儀なくされたのだった。