717 予想されるレガス王国軍の動き 1
「よく分かった。ご苦労、下がって休め」
「はっ!」
もう少し詳しい話を聞き取りした後、将軍は伝令兵を下がらせる。
「してやられたな……」
将軍の小さな呟きに、俺も頷いて返す。
「これは第八騎士団の部隊だけでは厳しい……」
「至急援軍を出すとしても、間に合うのか?」
武官達は聞き取った内容を元に、すでに地図上に駒を配置して、ランテス砦付近の戦場を再現していた。
ランテス砦の場所は、この本陣から見ると、真東より少し北寄りに位置する。
この本隊規模の大部隊だと、行軍して三日足らずの距離だ。
ちなみに、この本陣の真西へ行軍して半日足らずの距離に、北西から南西へとカーブを描いて続く主要街道が通ってる。
伝令兵が馬を走らせれば、それぞれ数時間と一時間掛からないくらいか。
この位置に布陣したのは、山脈を越えてくる主要街道と、東から山脈を越えてランテス砦の近くを通る街道と、両方に睨みを利かせて、すぐさまどちらにでも動ける、また援軍を送れるようにするためだ。
事前に山脈の麓に布陣して登山口を塞いでたら、敵主力は主要街道を使わず、東のランテス砦から来てたかも知れない。
そうなれば、せっかく布陣しても肝心の本隊が遊兵化されてしまう。
それを避ける意味もあっての布陣だったってのに、どうやらそれを逆手に取られたみたいだ。
「至急ここに集まるように、伝令を頼む」
将軍が控えてた騎士に、主立った者達を集めるように伝令として走らせた。
確かにこの事態は、全体で共有して対策を考えないと厳しい。
程なく、クラウレッツ公爵、グルンバルドン公爵、ジターブル侯爵、そして中立派で今なお王室派になびかず独自の権力を維持してるエイキエル侯爵が入ってきた。
エイキエル侯爵領には鉄鉱山があり、王国軍を始め、王室派もグルンバルドン公爵派も、領軍で採用してる武器防具の多くをエイキエル侯爵領から購入してる。
その利権で、未だ勢力の牙城を崩さず、中立派を維持してる老齢の人物だ。
王室派に旗幟を変えたり擦り寄ってきたりしてる中立派の貴族達のほとんどが、エイキエル侯爵の派閥とはまた別口なのがなんとも、ね。
つまり、中立派も一枚岩じゃなくて、その考えや立ち位置によって、幾つかの派閥に分かれてて、それぞれ動きが違うわけだな。
その中の一派であるエイキエル侯爵派のスタンスは、王家に反旗を翻すつもりはないが、かといって無条件で敬い従うつもりもない、って感じに、どこの派閥とも適度な距離を置くもの。
鉄鉱山の利権もあるし、どこかに与するよりも、どことも適切な距離を保って商売した方がお得、ってことなんだと思う。
ちなみに、エイキエル侯爵派には他にも、領地から岩塩を産出する岩塩利権を持ってる貴族がいたりする。
だから侮れず、扱いに気を遣わないといけない厄介な派閥だ。
何しろ、以前、俺がトロル鉱山で手に入れた武器や防具の鉄を軍部や市場に流した時や、トロルとの交易で品質がいい鉄のインゴットを手に入れて市場に流したときは、いい顔されなかったからさ。
そういうこともあって売ったのはほんの一部で、未だその大半を抱え込んだままなのは、一応利権を侵害しないよう気を遣った結果ってわけだ。
それでもまあ、そこんところは多分理解してくれてると思う。
これまで特にお互い、絡んだり反目したりはなかったし。
だから、味方とは言い切れないけど、敵じゃない。
こういう状況ともなればちゃんと協力し合える、理性的で計算が出来るタイプだ。
だって、もしレガス王国に負けて支配されてしまったら、鉄鉱山も岩塩も、美味しい利権は全部、レガス王国貴族達が乗り込んできて取り上げてしまうだろうからな。
エイキエル侯爵のことはこのくらいでいいとして。
「貴様もすでに来ていたか」
真っ先に天幕に入ってきたクラウレッツ公爵が声をかけてきたけど、こんな風に一瞥しただけで素っ気ないもんだった。
それはグルンバルドン公爵、ジターブル侯爵、エイキエル侯爵も同じ。
これから戦争しようってのに、ことさら無視して不和の種を蒔くような大人げない真似はしないけど、結局最後は俺が勝敗を決めてしまうどこか出来レースめいた状況に納得してないんだろう。
せっかくの勝ち確なんだから、精々たくさん手柄を立てて、俺の取り分を減らすくらいのつもりで頑張ってくれと、心の中で肩を竦めながらエールを送っておく。
味方には付けたいけど、変に擦り寄って来られても面倒だしな。
集結した王国軍および各領軍での指揮権を持つ主要人物が全員揃ったところで、将軍がテーブルへと向き直る。
「では、まずは現状を再確認だ」
指揮棒を使って、地図上の駒を次々と指し示していく。
「肝心のランテス砦には現在、ノーグランテス辺境伯が逃げ込み、ノーグランテス辺境伯領軍約二千が籠城中。それを包囲するのが、第八騎士団を中核とする王国軍約六千だ」
要は、砦攻略に必要な三倍の兵力を配置して、睨み合いを続けてたそうだ。
無理に砦攻めをしなかったのは、兵力温存のため。
なぜなら、ノーグランテス辺境伯領およびディーター侯爵領の各地でも睨み合いや小競り合いが続いてて、別働隊がこれの鎮圧に当たり、鎮圧後、順次ランテス砦を包囲する部隊へ合流して、砦攻めを始める予定だったからだそうだ。
要は、最も被害が大きくなるだろう砦攻めを、後回しにしたってことだな。
先に砦を攻略してノーグランテス辺境伯を捕えるなり処刑するなりすれば、ノーグランテス辺境伯領軍の抵抗は無意味になって、事態は沈静化しそうなもんだけど……。
それをしたくてもすぐに追加で動かせる兵と物資を用意できなかったそうだ。
何しろ、ノーグランテス辺境伯派およびディーター侯爵派の他の貴族家の領地でも、捕縛や鎮圧で多くの部隊が同時に動いてる。
それも急な作戦行動でだ。
一応、すでにノーグランテス辺境伯派およびディーター侯爵派の各貴族家の反乱の鎮圧はほぼ終わってて――って言うか開戦までに無理矢理急いで終わらせたらしいけど――それでも再び蜂起されたりノーグランテス辺境伯やディーター侯爵に合流されたりしたら面倒だから、治安維持として、それなりの数の王国軍が現地に残って睨みを利かせ続けないといけない。
この治安維持をしてる各部隊と、未だにノーグランテス辺境伯領およびディーター侯爵領の各地で戦ってる別働隊の各部隊、これだけでも合わせると四千近い数になる。
加えて、ディーター侯爵と次期侯爵のジェイクが逃げ込んだディーター侯爵領の領都を包囲してる王国軍も約三千いる。
つまり、裏切りが発覚した翌日、即座に一万三千もの王国軍が投入されたことになるわけだ。
正直、すぐさまそれだけの数を動かせたことは驚愕ものだと思うよ。
それだけ、フィーナ姫と姫様、軍部が事態を重く見た結果なわけだ。
そのため、必要な物資が足りなくて、それを買い求めるにしても、商人達だって不測の事態での大量購入だから、戦争になる情報を聞きつけてすぐさま軍需物資の確保に動いた商会でも、それだけじゃ在庫が足りなくてすぐさま用意出来なかった、と。
動かした一万三千にも、常に補給物資を届け続けないといけないわけだし。
そもそも、この規模の大部隊を運用して維持する軍需物資を揃えるためには、本来ならそれこそ数カ月や一年くらい前から準備が必要なんだ。
それを、他の需要を無視していきなり右から左に動かしたら市場が大混乱に陥るのは必至。
特に薬や食料が不足したら、弱者から死者が出る可能だってある。
一部の食料くらいなら俺が用意できたけど……。
さすがにテントなし、着替えの服も下着もなし、煮炊きする薪もなし。さらに薬も包帯もなしで野宿しながら、輜重部隊の馬も荷馬車も足りないから物資は自分達で抱えて行軍し敵と戦え。なんて無茶が出来るはずがないわけで。
だから商人達も、この開戦に間に合わせるために、改めて物資を集めたりやりくりしたり、滅茶苦茶大変だったと思うよ。
何しろ、マイゼル王国全土で戦争準備をしてるんだからさ。
どこから掻き集めてくるんだって話だし。
ともあれ、それでなんとか集めて、ようやく動かせた、この本隊の中核となる王国軍は、およそ八千。
中核を担うには、正直、心許ない数だとしか言えない。
その状況が、レガス王国が開戦を前倒しにする後押しとなった原因の一つだろう、とは軍部の見解だ。
「敵本隊の数は、エメル殿の上空からの偵察によると、およそ四万四千。敢えて動かないことで、我らを引き付けていたが、その背後では、輜重部隊による物資の補給、本隊に合流するためにレガス王国貴族の領軍が、敵本陣まで二日から三日の距離に迫っている」
将軍が指揮棒で、地図の外に継ぎ足された俺の手描きの稚拙な地図に配置した駒まで指し示したことで、全員の驚きの視線が俺に集まる。
でも、すぐに理解して納得したんだろう、誰も何も言わない。
外にロクを待たせたまんまだからな。
会議が横道に逸れなくていいことだ。
「対して、ランテス砦方面からの敵部隊は当初レガス王国軍三千のみで、本隊と歩調を合わせるためか、その規模の部隊の割に随分とゆっくりとした行軍だった。これはディーター侯爵領領都方面も同様で、ノーグランテス辺境伯およびディーター侯爵への義理程度の援軍で、本命は中央より大部隊での大攻勢を仕掛けることにあり、敵本隊と我々本隊がぶつかっている間にランテス砦と領都へと迫り、本隊から援軍を出せないようにするつもりではないか、との読みだった」
俺には初耳の情報だけど、他の全員が頷いてるから、すでに共有済みの情報か。
「しかし先程、第八騎士団のネイケルト団長より至急の早馬で届いた情報によると、敵は急に進軍速度を上げて、ランテス砦へと向かってきている。しかも、事前に情報を掴めていなかったレガス王国アーマンハイダ辺境伯領軍四千と合流し、突出してきている状況だ」
「なに!? 一刻の猶予もないではないか!」
「……油断を誘われたか」
「で、あれば、西側でも、同様に敵部隊が突出してきているだろうな」
「援軍を出したところを見計らい敵本隊が動き、襲いかかってくる腹づもりか」
さすが、全員すぐに状況を理解したらしい。
さて、情報を共有したところで、ここからどう動くか、だな。