716 ガイウスの策略
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「慎重か、臆病か。ここまでマイゼル王国軍に動きはなし、か」
山脈の麓に構えた本陣の一際大きく豪華な天幕の中、支配地域を増やすように密度高く広げた警戒網よりさらに外へと先行させた複数の偵察部隊の報告を受けて、前線司令官のガイウスは当然とも残念とも取れる小さな溜息を吐いた。
「動かぬこちらに愚かな貴族どもが暴発して向かってくるかと思いきや、マイゼル王国の将軍は殊の外上手く御しているようだ」
そう独りごちるが、実際には開戦してまだたったの三日目。
短絡的な貴族達が暴走するにしても、さすがにまだ早いとも言える。
しかし、どこにでも度し難い馬鹿はいるものなのだ。
自他共にガイウスの右腕と認める、第三騎士団副団長のデズモンドは、ガイウスのその呟きを拾う。
「逆に統制が取れなくて動けない、ってことはありませんかね?」
その小馬鹿にした物言いに、内容を吟味して、ガイウスは頷く。
将軍や部隊長の誰も彼もが、自分と同じレベルで部隊を掌握してコントロール出来るとは限らないと。
「いずれにせよ、迷っているのだろうな。それ以外の選択肢がなかったのだろうが、本陣の位置取りは教科書通り。だからこそ対策も立てやすい。即日この陣地を潰しに来なかったことで、マイゼル王国軍は後手に回った。小国が大国に勝利するには、先手を打ち続けるしかないと言うのに」
「団長殿のことだ、マイゼル王国軍が即日この陣地を潰しに来ようと、先手先手で動こうと、勝つ算段は付けてるんでしょうに」
「ふっ、当然だ」
必要な策を巡らし、すでに勝っている。
それがガイウスの認識だ。
今更マイゼル王国が何をしようと、勝ち方が変わる程度の話でしかない。
「動きたくないのか、動けないのか。いずれにせよ、マイゼル王国軍はすでに団長殿の術中にあるわけだ。敵ながら、同情するね」
デズモンドがおどけて肩を竦めると、天幕の中に笑いが起きる。
そこに、敵地に攻め入っている緊張など感じられない。
それだけガイウスの策が信頼されている証拠だろう。
だから気分よさげに笑みを浮かべるガイウスだが、その実、一切の油断がなかった。
唯一懸念を上げるとすれば、それは自身が暗殺されること。
デズモンドに後事を託せばレガス王国に敗北はない。
そう断言出来るほど、デズモンドを育ててきたし、信頼もある。
しかし、自身が死んでも祖国が勝利すればいい、などという自己犠牲の精神に富んだ考えは、生憎持ち合わせていなかった。
生きて勝利し、栄光を掴んでこそ。
だからこそ、暗部のシャドウストーカー達を、貴重な手札を切ってまで借り受けてきたのだ。
「しかし司令官殿、本当に動かずに良かったのですか? 自分には無駄に貴重な時間を浪費しているとしか思えませんが。せっかくマイゼル王国軍が態勢を整える前に進軍してきておきながら、ここで足踏みをしてはその利を失ってしまいます。これでは、不必要な将兵の犠牲を増やすことになるのでは?」
異なる派閥から送り込まれてきた武官は、ガイウスの失策を探したいのか、ことさら踏み込んで指摘してくる。
しかし、その程度の粗探しなどとっくに想定済みで、ガイウスは眉一つ動かさない。
「それは逆だな。誰もが侵攻して国境を越えればすぐ様周辺を制圧していくと、そう考えるだろう。マイゼル王国もそう考えていたからこそ、現在の陣地を選び布陣したのだ。だからこそ、敢えて動かぬことで敵の裏を掻き、意表を突くことが出来る」
事実、それでマイゼル王国は戦術的に後手に回されてしまっていた。
ガイウスの意図通りである。
「意表を突ければ良いと言うものではないでしょう。定石を外しているからこそ奇策となりますが、奇策が上策とは限りません。そのほとんどが愚策に終わるのですから」
「その通りだ。しかし、マイゼル王国軍の本隊の態勢が整う前に急襲して潰してしまえば、間に合わなかったマイゼル王国軍の部隊や貴族の領軍が遊撃部隊としてマイゼル王国中に散ってしまう。それを虱潰しにして回ることこそ無駄に時間と労力を費やすことになる。地の利のない敵国内で追撃するために部隊を分けてしまえば、戦力分散の愚を犯すも同然だ」
ゲリラ戦を仕掛けられたり、ある程度の数が再集結して逆襲してくれば、それこそいらぬ被害が拡大することになる。
「無駄に思えるかも知れないこの時間があればこそ、マイゼル王国軍と主な領軍を一網打尽とし、早期決着を付ける布石となるのだ」
ガイウスの敢えて行った丁寧な説明に、デズモンド以下の部下達は当然とばかりに頷く。
なんとか反論を試みようとする武官に対して、ガイウスはさらに言葉を続ける。
「今、本隊の我々が動かずとも、東西から進軍させている部隊は動いている。つまり、レガス王国軍は常に先手を打ち続けていると言うことだ。後手に回ったマイゼル王国軍本隊が動き出したとき、それは私の策に嵌まって動かざるを得なくなったからに過ぎない。その時こそ、敵の思惑ごと磨り潰してやればいい」
このままマイゼル王国軍本隊が防御を固めて動かないのであれば、東西から進軍を続けて、王都を目指せばいい。
向かってくるのであれば迎え撃ち、合流した領軍と共に包囲して殲滅すればいい。
東西に援軍を出し兵力の分散を行う最も愚かな選択をしたのであれば、その時こそこちらから動いて数を減らした本隊を、そして本隊から離れた別働隊を、順に磨り潰していけばいい。
「全ての要素において勝っている我らだからこそ、どっしりと構えて王道の采配をすれば、それだけでマイゼル王国は手も足も出ずに敗北する。最も少ない犠牲で勝利する方策は、緒戦の一撃で勝敗を決すること。それなのに、何を焦って隙を作る必要がある?」
そのようなことは、武官も言われずとも承知していた。
ガイウスの冷たい視線に、武官はガイウスを煽り焚き付けて失策を犯させることに失敗したことを悟り黙り込む。
「理解してくれたようで何よりだ」
遅参してくる貴族家の領軍の活躍の場を用意してやらなくてはならないのが面倒だが、そう内心で溜息を吐くが、それはおくびにも出さない。
功を立てんと逸る者達からも同様に、すぐに打って出るよう進言があるが、それすらも時を待てと抑え込んでいる。
敵の大将首を上げるとか、貴族家の者を人質にして身代金を得るとか、王都マイゼラーを制圧するとか、そのような細かな手柄などガイウスは必要としていないからだ。
前線司令官であるガイウスの手柄は、この戦争の勝利のみ。
マイゼル王国を降伏させて支配することにこそある。
「だが、ゆっくりと身体を休めるのも、もう間もなく終わりだ。そろそろ、東のランテス砦方面から我が軍の動きが伝わる頃だろう。西のディーター侯爵領領都方面からはまだ時間が掛かるだろうが、それもさほど時を置くまい」
「じゃあ、いよいよですかい?」
「ああ。全軍に、明朝よりいつでも動けるように準備を整えておくよう、通達を出しておけ」
「はっ!」
「それと、敵本陣の動向を密に探るよう、偵察部隊を多めに派遣しておけ。敵本陣が動けば、すぐにこちらも動く」
「はっ!」
伝令のため、部下達が天幕を出て行ったのを確認して、ガイウスは椅子の背もたれに身体を預ける。
「楽な戦いだったな」
まだ一戦も交えていないにも関わらず、ガイウスは己が勝利したことを確信していた。
それは妄想や自惚れなどではなく、これまでの戦いの勝利と言う経験からくる、確かな手応えだった。
侵略してきておきながら、進軍を止めると言う定石にない部隊運用こそしたが、それ以外は定石通り、教科書通りの部隊運用である。
寡兵で大軍を打ち破るのは、派手な名声を得られ、指揮官であればロマンを感じる勝利だろう。
しかしガイウスには、そんなロマンを求める気はさらさらなかった。
敵を上回る大兵力を準備して、大軍で磨り潰す。
下手な策や小細工など、ものともせずに数の暴力で踏み潰す。
派手さや面白味には欠けるが、堅実で、確実な勝利を収める方法だ。
この方策を、『それではどんな愚将でも勝利出来る』と揶揄する者達も少なからずいる。
しかし、ガイウスはそのような愚かな者達など、歯牙にもかけていなかった。
こだわるのは、勝ち方だ。
勝利を確かな物にした上で、いかに迅速に、犠牲を少なく勝利するか。
そこが凡百の指揮官、ましてや愚将どもとの違いであるとの自負があった。
『大軍で少数の敵を倒し勝利した』
言葉にすれば同じでも、勝利までの流れを紐解けば、そこには雲泥の差がある。
それこそが、ガイウスの求める勝算でありロマンであった。
何より、自身が安全に勝利出来るところが重要だ。
「この勝利であれば、殿下も喜んで下さるだろう」
「『派手な会戦は、指揮官の自己満足に過ぎない』って奴ですかい?」
「その通りだ。貴族として『力』を示すパフォーマンスになることは否定しない」
ガイウスも、己の地位を上げるため、そのようなパフォーマンスの勝利を求め、収めたこともある。
「しかし、指揮官が求める勝利と、為政者が求める勝利では、視点が異なる。殿下には、あっけないほどに一方的で一撃で決まった勝利を献上する。そうしてマイゼル王国は殿下を愚弄したツケを支払わされたのだと国内外に示すことで、殿下の名声は否応なく高まるだろう。そのような勝利こそ、殿下には相応しい」
ガイウスは立場上、王太子レディアスとは数えるほどしか会話をしたことがない。
しかし、レディアスの性格は噂話として詳しく聞いていた。
王家の覚えもめでたいハルクバル伯爵家の者だからこそ、知ることが出来た情報だ。
だから、レディアスが決して王の器ではないことを承知している。
水面下では、他の王子を推す貴族達による継承権争いが、年々激化してきていることも。
レディアスがこのまま順当に王位に就けば、国は荒れ、国益を損ない、他国との戦争が増えることだろう。
今回の、マイゼル王国との戦争のように。
しかし、それこそ望むところだった。
立身出世のチャンスが、数多く舞い込むことになるのだから。
次期国王たるレディアスの覚えがめでたくなった自分に、爵位を継いで当主となった兄が、果たしてどのような顔で悔しがるか。
それを思い浮かべるだけで、笑みがこぼれそうになるのだった。