715 本隊への報告
行きはあちらこちらと周囲を探りながらだったから時間が掛かったけど、帰りは一直線で戻るだけだ。
おかげで、日が西へ傾いて空が茜色に染まる前に、マイゼル王国軍の本隊が野営する陣地、本陣へと到着することが出来た。
位置はノーグランテス辺境伯領内南部、レガス王国軍本隊の陣地から南東へ、あの部隊の規模での進軍速度でおよそ二日から三日と言ったところ。
本隊は先行して進発した主力の王国軍がすでに揃ってて、周囲に堀を作ったり、掘り返した土で土壁を作ったり、頑丈な木の柵で囲んだりと、思いの外、立派で頑丈な防衛陣地を築いてる。
山脈の麓に陣取ったばかりのレガス王国軍の陣地と比べたら、格段に立派な簡易砦だ。
各所で翻る旗を見るに、領地が近い貴族家の領軍や、逆に南方で遠すぎるから先んじて動いてた貴族家の領軍などは、すでに到着してるみたいだ。
メイワード伯爵領軍は、早ければ今日中に到着するかなって思ってたけど、まだみたいなんで明日くらいかな。
それでも、昨日王都から進発したばかりと考えれば、かなりの行軍速度だ。
そしてメイワード伯爵派領軍の方は、多分これも明日くらいだろう。
その他のまだ到着してない領軍も、明日にはほとんどが到着すると思う。
レガス王国軍が今日中に動いてたとしても、十分に間に合う計算だ。
むしろ、どこの領軍もよく間に合わせたなと、本気で感心するよ。
何しろ、前倒しで侵攻してくるかも知れないって予想はしてても、それが具体的にいつになるかは不明だったんだから。
普通に考えれば、宣戦布告の使者のビルレグトン伯爵がレガス王国の王都へ到着して事態を報告し、マイゼル王国の返答の使者がレガス王国の王都へ到着して、受けた宣戦布告に対する返答をして、ようやく開戦。
そしてそれをレガス王国の使者が前線へと伝達して、それから進軍開始だ。
だから本来なら、早くてもまだ一カ月以上は先、なんなら二カ月くらい時間稼ぎをして引き延ばせたはず。
それが、これだけ揃ってるんだ。
最速で、ビルレグトン伯爵が国境を越えてレガス王国の砦に到着した時点で侵攻が始まるかも知れないって、最悪を想定して動いた結果だろう。
間に合わない領軍が多く、十分な兵力が揃わないまま戦端が開かれる可能性もあったけど、陣地を見ればそれがほとんど杞憂に終わりそうで、ほっとしたよ。
陣地の上空をぐるっと一回りして眺めた後、そのまま中央の一番豪華で立派な天幕の前へと舞い降りる。
「!? これはメイワード伯爵でしたか」
「驚かさないで戴きたい」
見張りの兵士が咄嗟に身構えて、すぐに構えを解いた。
「ああ、済まない、急いでたもんだから。将軍は中に?」
「はい、参謀本部の方々もご一緒です」
「そうか。入っても?」
「少々お待ち下さい」
見張りの一人が中へ入って、すぐに出てくる。
「将軍がお会いになるそうです。中へどうぞ」
「分かった。取り次ぎありがとう」
礼を言って、ロクは敢えて外に残して俺が到着したってことを周囲に知らせるようにして、一人で天幕に入る。
「おお、エメル殿、よく来てくれた」
途端に将軍が手放しで歓迎してくれる。
参謀本部の面々もほっとした顔を見せて、同様に歓迎してくれた。
中には他に誰もいないから、軍議をしてたってわけじゃなさそうだ。
それでも、将軍達は話し合いの最中だったみたいで、テーブルの上には地図が広げられて、両軍の部隊を示す駒が多数配置されてる。
「本当はもっと早く来られたんですけど、ちょっと北の方へ偵察に行ってたんで遅くなりました」
「ほう、それは助かる。先にその報告をして貰っても構わないだろうか?」
「いいですよ。まず、この山脈の麓に、敵本隊とおぼしき約四万四千の部隊が陣地を築いてて――」
説明しながら、すでに偵察兵が調べて報告して位置を把握してたんだろう、多数の敵偵察部隊の駒が置かれた敵支配地域の奥、規模が不明となってる敵の陣地の位置に、敵部隊を示す駒を大小合わせて四万四千になるよう追加する。
さらに、もうその陣地に到着してるだろうけど、発見した時刻の報告と共に、山中で見た輜重部隊を配置。
加えて、ノーグランテス辺境伯領の砦と、レガス王国側の砦に、概算の兵数の駒を配置。
最後に、地図の外側に新しい羊皮紙を継ぎ足して、ざっと簡単な地形を書き込むと、レガス王国貴族の領軍の駒を配置した。
「――なので、明日、明後日と、次々にレガス王国貴族の領軍があっちの各地の砦に到着するだろう見込みです」
「……驚いた、そこまで敵地に潜り込んで調べ上げてくれていたのか」
「敵地に潜り込んでって言っても、空を飛んで行っただけですからね。なんの障害もないし、そんな大げさな話じゃないですよ。それに空から眺めて配置を見ただけで、相手の作戦や今後の動向を調べ上げて来たわけじゃありませんから」
「いや、それでも非常に助かる。特にレガス王国貴族の領軍の動きが早期に掴めたのは非常に大きい」
そこの辺りを不明なまま軍を動かしたら、思わぬ不意打ちをされたり、増援で合流されて作戦が台無しになったりする可能性があるからな。
参謀本部の武官達もこの配置を見て、難しい顔で唸ったり、相手の作戦を予測して意見を交わしたりと、早速生かしてくれてるみたいだ。
「それでですね、相手の作戦を調べられなかった理由なんですけど、俺の知らない種族が、相手の部隊長か司令官がいるらしい天幕の周囲に隠れて、見張りをしてたんです」
「エメル殿が知らない種族? それはどのような種族だ?」
髪も瞳も肌も真っ黒で小柄、わずかに手足が長かったことをなどを説明する。
「それは、無理に近づかなくて正解だろう。そいつらは恐らくシャドウストーカーと呼ばれる中級人族で、潜入しての情報収集や暗殺、闇属性の魔法を得意としたはず。確か、かつてレガス王国に集落を侵略され、今は暗部として使われている者達だ」
「そんな連中がいたんですか」
マイゼル王国王家にも暗部はいる。
だから、レガス王国が暗部を使ってても驚かない。
ただ、そんな種族がいたなんて初耳だ。
「俺も報告で読んだだけで、実際に見たことはない。しかしエメル殿から聞く特徴を考えれば、他に心当たりはないな」
軍部だと、そういう所まで調べてるもんなんだな。
「だから無理をせず退いた判断は正解だ。ここでエメル殿とその配下の見えない諜報部隊が動いていると知られれば、情報を抜かれていると判断して、慎重かつ堅実な用兵をしてくるだろう。可能な限り、敵には油断したまま大胆に動いて貰わなくては」
やっぱり退いて正解だったか。
作戦を調べられなかったのは、それでもちょっと悔しいけど。
「いずれバレても調べて貰うときが来る。その時には遠慮なくやってくれ」
「分かりました、そうします」
今の話を聞いてちょっと考えたこともあるし、その時は本当に遠慮なくやらせて貰おう。
まあ、一気に殲滅、ってことにならなければだけど。
ある程度自分達の意見がまとまったのか、武官達が話に加わってくる。
「しかし、電撃的に進軍してきながら、足を止めたのが厄介ですね」
「素直に進軍して来てくれれば、この先の平原で布陣して当たれたと言うのに」
「だからこそに違いない。最低限の物資で身軽になり、強行軍で一気に山越えをした後、メイワード伯爵の報告にあった輜重部隊による足りない物資の補給待ちは確実かと」
「そして、我々がそう予想して、物資が不足している今の内、何より領軍と合流する前に叩こうと、もし侵略者を追い出せとばかりに先走って進軍し戦端を開いていたら、非常に危険でした」
やっぱりそう考えるよな。
将軍も同意見だと言うように大きく頷く。
「奴らがそのような強行軍で山脈を越えて、麓に急ぎ陣地を築いたのは、登山道の入り口を俺達に封鎖されないためだろう。登山道の入り口を押さえ、麓に展開してしまえば、退くも進むも、どうとでもなる」
言いつつ、将軍が敵本隊の陣地の駒を見て大きく唸る。
「だからこそ厄介だ。貴族の領軍と合流する前に叩こうと思っても、こちらから進軍していき二日か三日か、それで一当てしたところで、さしたる数は削れまい。どうしても長期戦を覚悟しなくてはならなくなる。しかも、本来、守りを固めて防衛戦を行うはずが急遽攻撃に転じることになれば、噛み合わない連携で押し切れず、逆に隙を晒すことになっていただろう」
将軍のその予測に、武官達もやはりとばかりに頷いた。
「そのタイミングで敵領軍が次々と合流すれば、我らは包囲されて全滅すらあり得る」
「そこで無理をしてでも撤退すれば、追撃を受けて甚大な被害が出て、その一戦で勝敗が付いていた可能性が高い」
「つまり、侵略してきて動かないのは、補給待ちであると同時に、我らを誘っているのは確実でしょう」
そうなんだよな。
その距離と時間の使い方が、実にいやらしい。
すぐさまもっと奥深く侵攻してくると思ってたから、敢えてこの場所、この距離を取っての布陣だったのが、結果的に裏目に出てしまった。
侵略してきた癖に動かないとか、敵の司令官は相当性格が悪いに違いない。
つまり、それだけ頭が回って優秀なんだろう。
さすが軍事大国。
戦争慣れしてるってわけだ。
「それもこれも、エメル殿の偵察のおかげだ。敵領軍の動きが掴めないままこちらから攻めていた場合は元より、もしこのまま敵が動かなければ、こちらから進軍して追い出せと騒ぎ出す貴族どもが出てきただろう。慎重論を唱えれば、最悪、俺は臆病者と誹られ、独断専行して打って出る者達が出て、結果壊滅し、取り返しが付かない事態になっていた可能性もある」
「そう言って貰えると、偵察してきた甲斐がありました」
本当に、背後の動きを知らなければ、一部の馬鹿な貴族達が騒いでただろうな。
ただ……。
「かといって、このまま動かなければみすみす合流させ、敵部隊の規模は八万以上に膨れ上がる……これじゃ策を弄して当たっても、こっちに勝ち目はない。ですよね?」
将軍を見ると、難しい顔で唸るばかりだ。
「その通りだ。しかし、エメル殿に動いて貰うには尚早だ」
俺が動いたらそれで片が付いちゃって、ここに集結したみんなの出番と手柄を全部奪っちゃうからな。
だから誰も諦めず、ああでもないこうでもないと、案を出しては吟味検討して作戦を考える。
元より不利な戦いなのは分かってたこと。
だから匙を投げて俺に託す前に、やれることはやるべき。
みんなそれが分かってるんだろう。
気付けば日が西へ大きく傾いていた。
随分と長い時間、話し合ってたみたいだ。
従卒達が天幕の中にランタンを灯していく。
「ん? 何か外が騒がしいですね。外の様子を見てみます」
すると、入り口付近のランタンを灯した従卒が、何かに気付いたらしい。
外の様子を見ようと一歩踏み出したところで、突然見張りの兵が中へ入ってきた。
「失礼します、至急の伝令が到着しました!」
「至急の伝令だと?」
「はっ! ランテス砦を包囲する第八騎士団のネイケルト団長より至急の連絡だと」
「分かった、通せ」
将軍が頷くと、見張りの兵が外へ出て、すぐに伝令兵が入ってくる。
「至急と言うのであれば挨拶はいい。すぐに伝令を」
伝令兵が敬礼して型通りの挨拶をしようとしたところで、将軍が遮る。
伝令兵の青い顔に、何かを感じたんだろう。
「はっ! レガス王国軍および領軍の混成部隊およそ七千が、ランテス砦へ向けて進軍中! 明日にもランテス砦に到着する模様! 至急援軍を請う! 以上です!」
「なっ……!?」
これは……不味いな。
おぼろげながらだけど、敵の意図がようやく見えてきた。




