714 前線の偵察 主要街道方面 2
陣地を越え、高度を上げると、街道を眼下に見ながら山脈へと入っていく。
この山脈は、両国の国境として扱われてるけど、この稜線からこっち側がマイゼル王国で、そっち側がレガス王国と、きっちり線引きされてるわけじゃない。
なんとなく中央のこの付近からって感じで、緩衝地帯っぽくなってて曖昧だ。
そんな風に国境線が曖昧なのは、何十年か前、レガス王国に山脈の向こう側の領地を奪われたせいだそうだ。
きっと新たな国境の線引きで揉めたんじゃないかな。
しかも、何かしらの貴重な鉱物資源が採掘されてるならともかく、ただの岩山じゃあ厳密にそこまでする価値もないし、なあなあでも良かったんだろう。
レガス王国なら、どうせまた侵攻して奪い取ればいいだけだ、なんて考えてただろうし。
それでも、山脈の中央より向こう側の山中にはレガス王国の関所代わりの砦があって、こっち側の山中には、ノーグランテス辺境伯領軍がいる関所代わりの砦がある。
その砦には、今も変わらず、ノーグランテス辺境伯家とノーグランテス辺境伯領軍の旗が翻ってた。
「だけどマイゼル王国の国旗はなしか……」
それがノーグランテス辺境伯家の立ち位置の主張ってわけだ。
一応、レガス王国の国旗もまだ掲げてはないみたいだけど。
「……駐屯してる兵達に、特に出撃の動きはなしか……兵数もそれほどいないみたいだし、元からってことはない……いや」
元から裏切るつもりだったんだから、国境の警備は最低限で十分で、多数の兵を配置してるわけがない。
それに配置してたとしても、ノーグランテス辺境伯領内の他の砦や領都へ、王国軍との睨み合いに駆り出されてるのかも知れないな。
「あっ、そうだキリ」
『はっ、我が君。ノーグランテス辺境伯はこの砦にはいません』
姿を現すと同時に答えてくれる。
「さすがキリ、話が早くて助かる」
褒められて嬉しそうに微笑むと、キリはすぐに姿を消した。
さすが精神の精霊だけあって、先を読んでの行動が的確だ。
報告では、ノーグランテス辺境伯が逃げたのは東の方にあるランテス砦らしいから、中央のこの砦にいるはずはないけど、一応、念のためだな。
ノーグランテス辺境伯不在を確認したことで戦略的な価値が一気に下がった砦をスルーして、さらにもう少し北の様子を探ることにする。
すると、山頂を越えて下る山道を、レガス王国軍の輜重部隊が物資を運んで来てるのが見えた。
それに対して、砦は門を開いてウェルカム状態だ。
さっきの大部隊もそうだけど、完全に素通ししてるよな、これ。
ちょっと腹が立つ。
でも、それは一旦脇に置いといて。
「さっきの本隊は、この輜重部隊の到着待ちをしてるのか?」
強行軍で山脈を越えるため、必要最低限の装備と物資だけで身軽で移動して、先に陣地を構築。
それで不足してる物資を今運ばせてる、とか?
「さっきの陣地で内情を探れてれば分かったかも知れないけど……意味はないか」
輜重部隊の隊長だと、細かな内情や作戦を知らされてない可能性が高い。
それに、さっきの未知の種族がどれほどの人数がいるか分からないけど、万が一、輜重部隊にも少数が配置されてたら、不用意に近づくのも危険だ。
それでなくても、俺が動いてるのを悟られないように接触は出来ないから、キリで心を読むにしても、隊長が何かの切っ掛けでその内情を考えるまで、じっと張り付いてないといけなくなる。
何時間掛かるかも分からないのに、司令官相手ならともかく、たかが輜重部隊の隊長相手にそんなの時間がもったいない。
それに、仮にその予想が当たってたとしても、だからどうしたって話だ。
その後の作戦行動こそ判明しないと意味がないんだから。
「ここまで来ても、詳しいことは全然分からないままか……なんか不甲斐ないし悔しいな。もう少し、レガス王国側を探ってみるか」
さらに北上して山脈中央を越えて、レガス王国側へと侵入する。
あからさまに国境侵犯だ。
まあ、それがどうしたって話だけど。
トロルの時同様、先にレガス王国軍がしでかしてるんだから、今更俺が遠慮する謂われはない。
それに、俺が生まれる前の出来事だから俺にそういう意識はないとはいえ、山脈を越えたこの近隣一帯は、何十年か前にはマイゼル王国の領地だった場所だ。
レガス王国を滅ぼすついでに取り返すのもいいと思う。
だから、レガス王国軍が我が物顔でマイゼル王国に入り込んできたんだから、こっちも我が物顔で好きに飛び回らせて貰うとするさ。
「それにしても、聞いてた通りレガス王国側は少し涼しいな」
マイゼル王国は内陸国で盆地状に山脈や丘陵地帯に囲まれてるから、夏は暑く、冬は寒い。
対して、レガス王国はマイゼル王国より北にあるけど、だから春夏は涼しいってだけじゃなく、秋冬の寒さもそこまでじゃなくて、マイゼル王国より気候は穏やかなんだそうだ。
ただまあ、王様になるための勉強で学んだ周辺各国の気候や風土は、前世の地理で学んだ緯度や地形から予想されるそれと照らし合わせると、若干のズレって言うか、微妙に説明できないおかしな点がある、そんな気がしてるんだよね。
例えば、さらに遥か北方にあるゾルティエ帝国の中枢のゾルティエ皇国は、高緯度らしく極寒の地かと思いきや、何故か温暖らしいからな。
ゾルティエ皇国周辺のゾルティエ帝国領の国々の中には、同じくらいの緯度でちゃんと極寒の地があるらしいのに。
まあ、気候の検証は、時間があって気が向いたときにでも改めてするとして。
「見えてきたな」
やがてレガス王国側の砦が見えてくる。
遠目から観察する限りではだけど、砦には目立った動きはない。
変わらず国境警備のためか、万が一の後詰めとしてなのか、そこそこの兵達が駐屯してるみたいだけど。
あの輜重部隊以降、移動中の部隊を見かけることはなかったから、あの大部隊を送り出したことで、一先ず役目を終えたと考えていいかな?
「だとしたら、時間を掛けて探る意味はないか?」
今回の侵攻作戦の全貌が分かる計画書を、たかが国境を守る砦の一つに過ぎないここの司令室に置きっぱなし、なんてこともないだろうし。
「軍の動向の偵察って、案外難しいものなんだな」
スゴット商会を内偵して潰したときとは、さすがに勝手が違うか。
そもそもあっちは、時間をたっぷり掛けられたからな。
別働隊でも動いてないかと周辺を飛び回ってみたけど、山中に縄張りを持つ魔物や獣をたまに見かけたくらいで、特に別働隊が動いてる様子はない。
だからさらに北上して、敵地深く侵入する。
すると、新たな大部隊が見えてきた。
その大部隊には、レガス王国の国旗と一緒に何種類もの旗が翻ってる。
「なるほど、あれがレガス王国貴族達の領軍か」
規模はざっと一万くらいか?
「だとしたら、聞いてた数より随分と少ないな……」
『主様、あちらを』
エンが姿を現して、地平の方を指さす。
「遠目じゃよく見えないけど……別の部隊が動いてるな」
ロクにそっちへ飛んで貰って確認する。
「さっきとは別の貴族達の領軍か……ざっと七、八千くらいか? だとすると、まだ他にいそうだな」
さらに周囲を飛び回って調べたところ、いくつもの部隊に分かれて貴族達の領軍が移動してるのが分かった。
それも、全ての部隊が目指す先がマイゼル王国なのは間違いない。
総数はおよそ三万数千から四万くらいか。
その数は、事前の情報通りだな。
どの部隊も、距離的には、明日か明後日にでもレガス王国の山中の三つの砦のいずれかに到達出来るだろう。
「この領軍の合流を待つために、敢えて進軍速度を落としてるのか?」
だとしたら本隊が先行しすぎだけど、可能性はゼロじゃない。
いずれにせよ、合流されて布陣されても、途中で援軍として合流されても、厄介なことには変わりないわけで。
爆音を響かせないよう、通常飛行での移動だったから、敵本隊を発見してからここまでで、すでに三時間近くが経ってる。
つまり現在、昼の三時頃だ。
もっと北方まで見て、さらに王都から援軍が来てないか調べたい気もするけど……。
「……そこまで行ったら今日中に本隊との合流は無理になるか」
姿と気配を消せば見つかることはないだろうけど、敵地の真っ只中で一人野宿するのも落ち着かないもんな。
「仕方ない……貴族の領軍の動向まで把握したってことで、十分としとこう」
後は将軍含めて参謀本部と対策を考える方が良さそうだ。
ここで領軍を殲滅するのは簡単だけど、それはいつでも出来るわけだし。
作戦上、いつがいいってタイミングがあるからな。
「よし、情報収集はこれで終了だ。引き返して本隊に合流しよう。ロク、頼む」
『キェェ』
ロクが旋回して、マイゼル王国方面へと向かう。
残り二つの部隊の動きも気になるけど、大きく戦術に関わってくる敵の領軍の動向を届けるのは、多分早ければ早い方がいい。
本隊を探る偵察部隊にとっても、あの未知の種族の情報があるとなしじゃ、大違いだろうからな。