713 前線の偵察 主要街道方面 1
フィーナ姫とアイゼ様の前を辞した後は、すぐに軍部へ。
すでに戦場へと進発した将軍や参謀達を除き、軍務大臣のイグルレッツ侯爵と後方支援で残った参謀本部の面々と、現状の確認および情報の摺り合わせをした。
そして、メイワード伯爵領軍に戦場へ向けて進発するように指示。
当然、時短のため、精霊魔道具は常時起動での移動だ。
その後は、借りてる館に寄ってパティーナとメリザとリリアナに、さらに領地まで戻ってエレーナ、モザミア、エフメラ、リジャリエラ、サランダ、そしてナサイグ、ユレース、プラーラ、ウルファー達に留守をくれぐれも頼んだ。
その日はそのまま領地で一泊して、翌日、朝一で前線へと飛ぶ。
そうして、ジェット推進で爆音を響かせながら飛ぶことおよそ五時間。
「ようやく見えてきたな、あれか」
徒歩や馬車の旅なら半月くらい掛かる距離を一気に飛び、昼前頃、ようやく国境線の山脈が見えてきた。
その山脈は、メイワード伯爵領の中央を分断し長く東西に伸びる千五百メートル級の険しい山脈と比べると、まだしもなだらかで、ざっと千メートル超級ってところか。
同じなのは、ほとんどが岩肌で、麓以外は緑がなさそうなところくらいだろう。
王都から北へ伸びる主要街道は、幾つもの貴族の領地を通りディーター侯爵領へ、さらにノーグランテス辺境伯領を抜け、この山脈を越えてレガス王国へと至る。
軍部の情報によると、この山脈を越える山道はしっかり整備されてるらしい。
十分な道幅を取り、荷馬車も通れるように勾配が緩やかなところを選んで、ある程度は平らに均されて踏み固められてるそうだ。
つまり、ディーター侯爵派とノーグランテス辺境伯派の息が掛かった商人達は、その山道を使ってレガス王国と交易をしてたわけだな。
さぞや、人、物、情報が行き交ってたことだろう。
しかも何より、レガス王国の国境から最短距離で王都へ至れるルートだ。
裏切り者のノーグランテス辺境伯領とディーター侯爵領を安全に通過できるとなれば、敵の主力部隊が進軍するのにこのルートを使わないわけがない。
だから、念のため全力隠蔽で姿も影も気配も消して、爆音を響かせないよう通常飛行に戻して、高度数百メートルの上空から近づいていくんだけど……。
「……まだ南下してきてないな……数が多いから山道で、もたついてるのか?」
見渡しても、街道沿いとその周辺にレガス王国軍の姿は影も形もない。
「進軍開始して、もう三日目の昼だぞ? 本隊はまだしも、てっきり、先鋒を任された部隊か威力偵察部隊が先んじて、すでに主要街道を南下してきてるって思ってたのに」
『ブルル』
ひたすら飛び続け、途中で見かけたのは、ユニが気付いて教えてくれた、街道から少し外れた森の中を移動する、周辺の地形や情報を探る少人数の偵察部隊だけだった。
『主様、あちら一帯にレガス王国の者達はいませんでしたわ』
『我が主、あちらも同様です』
一度足を止めて、エンやデーモに周辺を飛んで捜索して貰ったけど、大規模な別働隊が主要街道を外れて動いてる様子もない。
「なんか……敵の動きが遅くないか?」
レガス王国軍の動きが、どうにもチグハグな気がする……。
国境を越えて侵攻してきて開戦。
拠点を確保したら早々に南下してきて、すぐにでも両軍は激突することになる。
って考えてたんだけど。
まさか、こっちの裏を掻いて、この主要街道を使うルートからは進軍してこない、なんてことはないよな?
「……色々気になるけど、まずは本隊を見付けるか。細かいことはそれからだ」
そうして、さらに北上することしばし。
主要街道が山脈越えのため山へ分け入っていく麓付近の、街道から少し外れた開けた場所で、あっさりと本隊らしき大部隊を発見した。
無事に見付けられて、内心、ちょっとほっとする。
「ここに陣地を構築して野営して、そのまま動いてなかったみたいだな」
それは簡単な木製の柵で囲まれた広大な陣地だった。
各所にレガス王国の国旗と、レガス王国軍の軍旗や騎士団や部隊を示す旗が、堂々と翻ってる。
当然ながら、マイゼル王国の国旗やマイゼル王国軍の軍旗は見当たらない。
同時に、ディーター侯爵領軍やノーグランテス辺境伯領軍を示す旗もなかった。
そして、陣地の外れで幾つかの部隊が武装した即応体制で待機中だけど、ほとんどの兵達が待機や訓練、テントの中で休息中で、即座に進軍してくるような雰囲気はない。
「……こいつら、何がしたいんだ?」
前倒しで開戦し、半ば不意打ちのように進軍してきておきながら、なんで動かない?
ともあれ。
「ロク、陣地の外れ上空で一旦ストップだ」
『キェェ』
そこで改めて陣地の様子を見渡した。
数を数えるのもうんざりする程のテントが見える。
騎兵のためと、物資の輸送のためか、馬も相当数いるな。
「様子を細かく見る前に、まず数は、と……」
両手の指で四角形の枠を作って、その枠内に適当な数のテントを収めて、その数を数える。
それが部隊全体で何枠分になるかで、この部隊の大雑把なテントの総数を把握。
後は、仮にテント一つにつき四人が装備や荷物と一緒に寿司詰めで雑魚寝だったとすると、テントがいくつあったかで、この部隊の大雑把な人数が把握出来るってわけだ。
この手の訓練を本格的に受けたわけじゃないから、数え損ねたり二度数えちゃったりと、多少手間取ったけど。
「うーん……ざっくり四万一千強……くらいかな?」
『ブルルゥ、ヒヒン』
『ユニとも一致しました。四万四千二百六十三人です、我が君』
ユニとキリが姿を消したまま、そう教えてくれる。
ユニの生命感知とキリの精神感知だと、そこまできっちり分かるか。
不慣れだったとはいえ、ちょっと誤差が大きかったな。
「二人とも助かった。まあ、一の位まできっちり正確だと、どうやって数えたんだって話になるから、ざっくり四万四千くらいで報告しよう」
馬鹿王子がフィーナ姫の誕生日パーティーに参加したとき、万が一を考えて王都から連れて来た王国軍が約二万。
さらに王都から派遣されてきた王国軍が約三万。
元から国境の各砦に駐屯してる部隊の総数が約二万。
国境の砦の部隊がどう動くかは不明だけど、進軍してくるのが王都から来た部隊だけだと考えても、四万四千だと五万には届かない。
「残りの部隊はまだ山越えの途中なのか? いや、他に二つの砦から進軍してくる部隊もあるんだから、そっちか?」
いずれにせよ、この部隊が主力で本隊なのは間違いないだろう。
だから、なおさら疑問に思う。
「これだけきっちり陣地を作り終えてるのに、レガス王国軍はなんで動かないんだ?」
軍部が予想したレガス王国軍の動きは、進軍開始初日で一気に山脈を越えて麓まで。
陣地を構築して、その日は終了。
二日目は、強行軍の疲れを取るために休息。
初日で全部隊を移動しきれなかった場合は、後続が同様に次々と到着して受け入れ。
三日目は、初日に到着した部隊が、先鋒や威力偵察部隊として行動開始。
って言うものだった。
なのに、もう三日目の昼なのに、全く動く様子がない。
この様子だと、少なくとも今日中に進軍開始する部隊はないだろう。
じゃあ、軍部が予想した初日の強行軍が外れて、十分な休息を取りながら、二日、三日と掛けて越えてきた?
「……いや、それはないな」
そろそろ初夏に差し掛かってるって言っても、千メートル超級の山の中ではまだまだ冬みたいに冷える日もある。
何日も野営するには辛すぎるだろう。
それにこの陣地の大きさを見る限り、山中にこれほどの大部隊が野営出来るような場所があるとも思えない。
しかも、軍道として使える整備された街道があって、強行軍なら一日で越えられるんだ。
麓の町から登ってくるんじゃあるまいし、山中に構えた砦からの進発ならなおさらだろう。
「じゃあ、五万に届かない残り六千の後続の部隊の到着待ちか?」
それもなんだか違和感があるな。
本来、軍の移動には時間が掛かる。
特に大部隊ともなると、先陣が早朝に移動を開始して、昼近くになっても最後尾の部隊は出発すら出来てない、なんてこともあるわけで。
「部隊を幾つかに分けて別ルートで想定される戦場へ向かって進軍し、進軍速度を上げて侵略していくのが、基本戦略になるはずだ。三つの砦から進発したのも、そういう意図があったからだろう? だって時間を掛ければ掛けるほど、こっちは防御を固めてしまうんだから、足を止めるのはデメリットしかないはずだ」
だから、どうにもチグハグで、違和感を覚えるんだよ。
「ロク、陣地の上空を旋回してくれ」
『キェェ』
そのチグハグな行動の理由を探るため、上空から観察してみる。
「うーん……」
確かに変なのに、その理由が分からない。
これはあれだ、きっと俺の経験不足のせいだろう。
将軍とは言わなくても、部隊長クラスや本職の偵察兵がここにいれば、きっと相手の思惑に気付くんじゃないかな。
「予定より早く本隊と合流して、誰か連れて来て確認して貰ってもいいけど……その前に、もう少し探ってからにするか」
この程度の情報じゃあ、子供の使いと変わらないし、俺の強みを全く生かせてないもんな。
「あの中央付近の一際大きくて豪華な天幕、あそこに近づいてくれ」
『キェェ』
この部隊の部隊長が、もしかしたら侵攻してきた全軍を指揮する司令官が、安全な後方の砦じゃなく前線のここに出てきてるかも知れない。
姿と気配を消したまま、コッソリと様子を探るべく近づいていって――
『お待ちを、我が主』
『我が君、お待ち下さい』
――デーモとキリが同時に俺を静止して、それを聞いたロクが即座に止まった。
「どうした、デーモ、キリ?」
『あの天幕の周囲に、強い闇属性の精霊力を感じます』
『どうやら何者かが潜んでいるようです』
「それってマイゼル王国軍の偵察部隊か?」
だとしたら、出しゃばるような真似は出来ないよな。
『……いえ、どうやら違うようです、我が君。天幕の周囲を警戒しています』
『我が主が使う影を消すではなく、逆に影を濃くして、気配を消してその中に潜むような魔法です』
「つまり、レガス王国軍の見張りの兵士ってわけか……それも普通じゃない連中の」
『恐らくは』
『我が君の予想通りかと』
デーモが指し示す先を見る。
確かに、天幕の影や積まれた木箱などの物陰の一部に、よくよく見ないと気付かない程度だけど影が濃くなってる部分があって、そこに何者かが潜んでるのが見えた。
正確には目視じゃなくて、エンにその部分だけ可視光線を増幅して貰ってだけど。
でないと、そこに潜んでる者達が闇に溶けて、正確な姿を把握出来なかったからだ。
「髪や瞳が闇のように真っ黒なのはいいとして、肌まで真っ黒なのか……初めて見る種族だ」
サイズは普通の人間と大差ない。
外見的特徴も人間に似てるけど、明らかに人間とは違う。
比率的に、ほんのわずかに手足が長いか?
少しばかり小柄で細身に見えるのは、そういう種族なのか、それともその方がこの任務に適してるから選抜されたのか。
『あまり近づくと、ワタシの魔法の気配で察知される恐れがあります』
『我が君、未知の種族ですから、ここは慎重に事を運ぶべきかと』
「ああ、そうだな。リジャリエラの例もあるしな」
リジャリエラは、民族が違うとは言えただの人間なのに、感知能力に優れたエルフの王族であるマリーリーフ殿下ですら察知出来なかった特殊な契約精霊を、気配だけとは言え察知したからな。
しかも、生命属性の魔法や精神属性の魔法が自分に使われたことも察知してたし。
だから、俺の知らない種族が、俺の想定を越える感知能力を持ってたとしても不思議じゃない。
こういう種族がいるって知った以上、今後の為にも、どこまで通用するのか、戦力評価のためにちょっかいをかけるべきだろう。
だけど、それは今じゃない。
作戦上、今はまだ、俺がこうして情報収集のために動いてるってことをレガス王国軍には知られたくないから、ここはリスクを負うべきじゃない。
「大丈夫と思いたいけど、過信は禁物だ。ここは素直に退こう」
ロクに頼んで上昇する。
「レガス王国軍の意図や作戦は探れなかったけど、動きが遅いのと、知らない種族が参加してたって情報だけで、今はよしとしておくか」
ただ、これで引き返すには、あまりに成果が少ない。
「敵の後方……もう少し北の方まで探ってみるか」