711 前線司令官ガイウスの分析と戦略 2
「では何故、団長殿はメイワード伯爵を気にされるので?」
「本人も、多少は使える精霊魔術師ではあるのだろう。でなければ、救国の英雄などに祭り上げて利用するなどせんだろうし、ましてやたかが農民風情を伯爵に叙するなどあり得ん」
「……まあ、仰る通りでしょうな」
デズモンドは、『伯爵に叙するなどあり得ん』の部分の語気が特に強く、苛立ちが含まれていることに気付いた。
ガイウスはハルクバル伯爵家前当主の四男である。
父親である前当主がまだ現役の当主であれば、ガイウスのこれまでの功績に応じ、男爵位くらい賜れるよう、上に働きかけていたかも知れない。
しかし実の兄である現当主との仲はあまりよろしくなく、現当主がガイウスのためにそのような働きかけをすることは決してないだろう。
つまり、このままではガイウスは分家の男爵家を興すどころか、貴族籍を抜いて平民に落とされ、下賤な平民として扱われることになる。
領地にも役職にも限りがある以上、際限なく貴族を増やせないのだから仕方がない。
だからそれが、家督を継ぐ嫡男とそのスペアの次男以外の、三男以下の子息に対する一般的な扱いだ。
ただ、その扱いを納得出来るかどうかは、また別の話であるが。
弱小国相手の、勝って当然の勝利をどれほどの功績と扱われるかは分からない。
しかし、王太子レディアスの名誉と尊厳に関わる戦争なのだ。
これまでの功績と合わせて然るべきルートで働きかければ、男爵位くらい手に入る可能性は高い。
その野望を胸に秘め、この戦争に懸けるガイウスの意気込みは人一倍だった。
そこにきての、調査報告書で上がってきた、弱小国の田舎貴族領出身の取るに足らない貧乏農家の次男坊風情が成した、まさに英雄譚のごとき立身出世のサクセスストーリーである。
ちょっとばかり魔法が使えて、たまたま農民にしては活躍したと言うだけで、侵略と反乱による王家の権威の失墜と不満から民の目を逸らすためとはいえ、数々の勲章を与えられ貴族の末席に叙されたばかりか、あり得ない速度で陞爵を繰り返しての伯爵位だ。
しかも、さらにその上、辺境伯にまで叙されることが決まっていると言う。
自分は平民に成り下がることが決まっているのに、だ。
ガイウスにとって、それは腸が煮えくりかえる程に許しがたい不条理だった。
その内に渦巻く嫉妬と怨嗟が漏れ出ての言葉に、デズモンドは決して触れない。
デズモンド自身も同様に、分家の分家くらいの貴族の血が流れているが、身分は生まれたときからすでに平民であったし今更そこに思う所はない。
だから藪蛇にならないよう、気付かぬ振りで聞き流す。
「しかし、他国や敵対勢力を牽制するための英雄だとしても、それを喧伝するために話を大げさにしすぎた。これでは、却って誰も信じず、効果などないに等しい。むしろ貴族の反感を大きく買っただろう」
「何しろ、十名程度の敵偵察部隊と偶発的な遭遇戦になり命からがら逃げ帰っただけが、報告書では五十名の敵部隊を退けたことになり、その日の夜の酒場では、百名の敵と大激戦の上に勝利した英雄が誕生、ですからな」
それと比べても、二万を越えるトロルの侵攻部隊を単身で殲滅したとか、単身で敵国の王都へ乗り込み無条件降伏をさせたとか、誇張するにも桁が違いすぎて、もはや失笑しか漏れない。
そして、無関係の他国の貴族家の四男であるガイウスの反感をここまで買っているのだから、マイゼル王国貴族の心中はいかばかりか。
当然、考えるまでもなかった。
「それなら、なおさら団長殿が気にされる必要はないのでは?」
言外に、マイゼル王国貴族が内々に処理するだろうと含みを持たせ、デズモンドは注意を喚起する。
必要以上にエメルを意識し、ことさら過小評価しようとすれば、ガイウスの目は曇り視野は狭まるだろう。
嫉妬に狂って判断を誤られては困ると、祈るような気持ちでの注意喚起だった。
しかし次のガイウスの言葉に、どうやら自分は団長殿を見誤っていたようだと、内心胸を撫で下ろすことになった。
「注意すべきはメイワード伯爵自身ではない。脅威は他にある」
「他の脅威?」
「何か懸念が?」
部下の騎士や武官達がそう疑問に思う中、デズモンドはなるほどと大きく頷く。
「団長殿が気にされているのは、その配下にいると言われている、見えない諜報部隊って連中ですか」
「その通りだ」
見えない諜報部隊の名は、一部の者達にとって、エメル本人よりもよほど脅威として、エメル以上に有名だった。
「なるほど」
「言われてみれば確かに」
そこで初めてようやく気付いた者達に、ガイウスは苛立ちと失望を覚える。
しかし、無能を切り捨て遠ざけたりはしない。
育てて使えるようにすることこそ手腕の見せ所だと心得ているからだ。
だから、その者達に教え諭すように、自らの考えを語り出す。
「メイワード伯爵がまだ故郷の農村で下賤な農民だった頃――」
エメルがまだトトス村で貧乏農家の次男坊でしかなかった頃、見えない諜報部隊と呼ばれている者達の頭領か、もしくはその身内が、偶発的にエメルと出会った。
エメルに関わることでその存在が明らかになってから二年も経つと言うのに、未だに素性はおろか、その影すら捉えられないとなれば、よほどの手練れ達に違いない。
だからこそ、たかが農民風情に姿を見られたのは、本来あり得ないイレギュラーだったのだろう。
その者が大怪我を負っていたか、病に罹り倒れたか。
恐らく、誰にも知られることなく、また死体すら見つからないよう、処分される運命だったはず。
しかし、たまたまその場に出くわしたエメルがその者の命を救ったことで、その者達全てか、もしくは一部が、その恩に報いるため、エメルに忠誠を誓った。
エメルが多少は使える精霊魔術師に育ったのも、下賤な農民には不相応な小賢しい知恵を付けたのも、恐らくはその者達の指導と入れ知恵があってこそ。
その後のエメルの活躍も、その見えない諜報部隊の暗躍あってのことだろう。
恐らくエメルが単身倒したとされるのは、二万を越えるトロルではなく、数匹から十数匹程度の部隊。
それも表向きはエメル一人で戦ったように見せかけて、陰から見えない諜報部隊の援護を受けての戦果に違いない。
その後も、見えない諜報部隊は影に徹し、エメルが功績を独占することでその名が知られ、王家がそれに目を付けたのだろう。
そして、下賤な農民には分不相応の身分を手に入れるに至った。
その分析を、ガイウスはさも事実が記されたレポートを読み上げるように語って聞かせた。
確認した事実など一欠片もなく、全てが憶測、さらに言えば妄想の類いでしかないのだが、エメルが一人で打ち立てた功績と考えるより、よほど理解しやすかった。
「どれほど再調査しても、真実に近づくどころか、手に入るのはマイゼル王国王家とメイワード伯爵の思惑通りの荒唐無稽な誇張された功績ばかり。これはあまりにも異常だ」
「それこそが、その見えない諜報部隊の情報操作能力の優秀さが垣間見える事例だと、団長殿は仰りたいわけですか」
「そうだ。つまり真に警戒すべきは、見えない諜報部隊の暗躍なのだ」
賜った領地の急速な発展も、その見えない諜報部隊の入れ知恵のおかげと考えれば、より納得出来る。
「メイワード伯爵の荒唐無稽な功績が派手であればあるほど、ついそれに目が向いてしまい、見えない諜報部隊の存在と能力から目を逸らされてしまう。それもまた狙いの一つなのだろう。しかし私はその程度の策に目を逸らされたりはしない。そして、注意すべきはそれだけではない」
「まだ何かあるんですかい?」
「それほどの『力』だ。その見えない諜報部隊は人間以外の種族……中級人族か、それこそ上級人族である可能性すらある」
「なっ……!?」
「まさかそんな!」
「自分で言うのもなんですが、上級人族が下級人族でしかない人間にそれほどの忠誠を誓うなどあり得ないでしょう!?」
誰も彼もが驚きに口を挟むが、ガイウスは咎めることなく小さく首を横に振った。
「戦場では常に最悪を想定しろ。マイゼル王国が、人間がほとんどを占める、しかも愚かな弱小国だったとしても、上級人族が存在する可能性はゼロではない」
「いやいやまさか……って言いたいところですが、確かメイワード伯爵領では、トロルの奴隷だった他種族を領民として受け入れ、しかも中級人族のドライアドが筆頭侍女代理として雇われてるって報告がありましたな」
そもそも、レガス王国自体が、同じ人間はおろか他種族の国を攻め滅ぼし支配してきた国なのだ。
本隊として率いてきた兵達の中にも、人間以外の種族が多くいる。
エメルの配下に人間以外が存在しないと断じる根拠など、元からありはしない。
「もちろん私も本気で下賤な農民に上級人族が忠誠を誓い従っている、などと考えているわけではない。しかし、馬鹿馬鹿しいとその可能性を排除してしまえば、不測の事態に対処出来なくなる恐れがある」
「……その見えない諜報部隊の暗躍を許せば、こちらの作戦を覗き見られ、団長殿の暗殺すらもあり得る、と」
「その通りだ」
見えない諜報部隊による自身の暗殺。
それこそが、ガイウスが最も警戒し、危機感を抱くところである。
救国の英雄エメル?
マイゼル王国軍?
そのような者達など、蹂躙して勝利を収める未来は揺るぎなく、些末ごとでしかなかった。
そんなガイウスの、見えない諜報部隊の存在を確信している言葉を、その場の誰もが同様に確信を持って聞いていた。
見えない諜報部隊など、それこそ情報戦の眉唾物で実在するわけがない。
そう分析する貴族や軍部の者達がいる中でである。
なぜなら、見えない諜報部隊の存在を確信出来る根拠が存在するからだ。
「暗部は常に司令部の付近に潜ませておけ。見えない諜報部隊が上級人族であると言う憶測は限りなく可能性が低いことではあるから、それで問題はないとは思うが、最悪でも警報代わりにはなるだろう」
なるほどそれでわざわざとっておきの手札を切ってまで、あの連中を派遣させて引き連れて来たのか、とデズモンドは内心で痛く感心する。
王家の信頼が厚い一部の上級貴族しかその存在を知らない、レガス王国の暗部。
そのレガス王国の暗部には、様々な技能を持った者達が所属しているが、その種族も多種多様だ。
今回引き連れてきたのは、その中でも特に陰に潜み気配を断ち暗殺や暗闘を得意とする、漆黒の髪と瞳、そして漆黒の肌をした、シャドウストーカーと呼ばれる小柄な中級人族だった。
かつて、非常に珍しく数が少ないシャドウストーカー達は、国とも町とも呼べない規模の集落を作って平和に暮らしていた。
それをレガス王国は圧倒的武力で以て制圧し、降伏させたのだ。
以来、王家や大貴族は、配下の暗部として飼っている。
ハルクバル伯爵家からではなく王家の暗部から出させたのは、この戦争そのものが王家主導で行われ、さらに王太子のレディアスが関与しているため。
そして、ハルクバル伯爵家の現当主である兄に借りを作らないためだった。
それもあり、ガイウスはこの戦争で、敗北は絶対に許されないのである。
「狙いがこの私だけとは限らん。お前達も警戒を怠るな」
「「「「「はっ!」」」」」
自分の常識で折り合いが付かなければすぐに『馬鹿馬鹿しい』、『あり得ん』と思考停止する者が大多数を占める中での、この分析力。
必要であれば惜しげもなく貴重な手札を切れる判断力と潔さ。
そして、この事態を予期して備える先見の明。
さすが団長殿だと、デズモンド達は改めて尊崇の念を抱き、この戦争の一方的かつ圧倒的な勝利を確信するのだった。
いつも読んで戴き、また評価、感想、いいねを戴きありがとうございます。
ここしばらく体調不良などがあり、戴いた感想に個別の返信を出来ていませんでしたが、全てちゃんと読ませて戴いています。
改めて、ありがとうございます。
長らくお待たせしてしまったのに、待っていて下さった方々、連載再開を喜んで下さった方々には、本当に感謝しかありません。
本来なら、これまで通り個別の返信をしたいところなのですが……。
しばらくは連載作品の執筆に合わせて、『悪役令嬢は大航海時代をご所望です』の書籍化作業があり、その十分な余裕を作れそうにありません。
実は、感想への返信も、お互いに内容についての誤解や失礼がないようにと何度も推敲して、時間をおいて改めて感想そのものと返信を読み直してと、何気に結構な時間を取られていたので。
なので、大変申し訳ありませんが、引き続き当分の間は個別の返信を控えさせて戴こうかと思っています。
返信を書く時間を作業に回すだけで、これからもちゃんと全て読みますので、そこはご安心ください。
誠に勝手ながら、ご理解とご了承のほど、よろしくお願いいたします。
最後に、ご存じない方もいらっしゃるかも知れないので、宣伝を。
拙作『悪役令嬢は大航海時代をご所望です』が、カクヨム様において、第5回ドラゴンノベルスコンテスト、部門賞「ひたむきヒロイン」を受賞し、書籍化が決定しました。
担当の編集さんが付いて打ち合わせを行い、現在、『見境なし精霊王~』の執筆と平行して、書籍化作業を行っています。
詳しいことは、編集さんの許可を戴きながら、活動報告でお知らせしていければと思います。
まだ読まれたことのない方は、この機会に是非どうぞ。
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