701 ディエール子爵家の頼み 2
予想すらしてなかった本題に、俺とサランダが思わず驚きの声を上げてしまったけど、ディエール子爵もグランジも深々と頭を下げたまま微動だにしない。
……これ、マジの奴だ。
確かにこの話は以前にも言われたことがある。
だけど、その時はまだ王室派に寝返ったばかりの頃で、冗談やその場の勢いって感じだったから、社交辞令や今後は仲良くやっていこう的な挨拶くらいに思ってたんだよ。
それが今回は、次期当主のグランジまで一緒になってだ。
もしここが日本なら、ソファーから降りての土下座だったかも知れない。
「と、とにかく頭を上げてくれ。でないと話も出来ないって」
サランダも羞恥に顔を赤くして狼狽えてるし。
父親や兄が突然こんなこと言い出したら、そりゃあ恥ずかしいに決まってる。
ディエール子爵とグランジがやっと頭を上げて、元の姿勢に戻ってくれるけど、目も顔も真剣なままだ。
「一体どういうつもりですのお父様。グランジ兄様まで。この大変な時期に、このように悠長な話をしている場合ではありませんでしょう」
まだ顔が赤いままのサランダが咎めるけど、ディエール子爵とグランジの真剣な顔は変わらない。
「サランダ、この大変な時期を迎えているからこそだよ」
「そうだ。お前ももっと真剣に考えろ」
逆に咎められてって言うか、気迫に飲まれてサランダが言葉を詰まらせる。
サランダはなんにも悪くないと思うんだけど……。
「とにかく、もうちょっと詳しい話をして貰っていいかな?」
でないと話が進まない。
改めて俺に顔を向けたディエール子爵とグランジが同時に頷く。
「もう四年近く前になるか。メイワード伯爵も知っての通り、サランダは一度他家へ嫁いだが離縁され、我が家へ戻された。理由は子供を産めなかったからだ」
サランダが膝の上に置いた手をギュッと握り締めた。
羞恥の中に屈辱が交じった複雑な顔で、わずかにディエール子爵を睨む。
娘本人の前でするにはデリケートな話題だと思うんだけど……ディエール子爵は父親としてちょっとデリカシーが足りてないのかも。
その証拠に、サランダの視線に全然気付いてないみたいだし。
「相手はアーグラムン元公爵派の伯爵家の嫡男だったが、そいつは周囲の反対を押し切り、別の下級貴族の娘を側室に迎えた。当然、我らも猛反対したのだがな。結局、その娘が長男を産み、サランダにはいつまで経っても子供が出来ず、サランダは子供が産めない身体だったことが分かった」
「嫡男の正室として嫁いだ以上、その家の血を残さなくてはならないのに、子供を産めないとなれば、残念ながら離縁される理由としては十分ですからね。サランダには可哀想なことになってしまったけれど、私達としては、離縁を受け入れざるを得なかった」
「もっとも、そのおかげでサランダをメイワード伯爵家の侍女として働きに出せ、アーグラムン公爵派として一族郎党処刑されるのを免れたのだから、不幸中の幸いだったが」
サランダは羞恥と屈辱に怒りも交じってすごい顔になってて、横目で睨んでる。
やっぱりデリカシー足りてないよな、ディエール子爵は。
まあ、言いたいことは分かるけどさ、その婚家の伯爵家はアーグラムン元公爵家と共に一族郎党処刑されて、もう誰も生きてないわけだし。
「ただ、このままではサランダがあまりにも不憫だ。十四で嫁ぎ、夫の愛情は側室に奪われ、その側室が嫡男を生んだことで、どれほど肩身が狭かったことか。そんな結婚生活が六年も続いた挙げ句に、子供を産めない身体だと判明して離縁されてしまった。何故、サランダがそんな不幸な目に遭わなくてはならんのだ? 可哀想だとは思わないか? なあ、可哀想だと思うだろう?」
あー……確かにそうは思うけど、だからって、不憫だ、不幸だ、可哀想だって、本人を前に連呼するのはどうかと……。
サランダがもう鬼のような形相で拳を握り締めて震わせてるし。
俺がいなかったら殴ってるんじゃないかな。
って言うか、俺が見てる前でもいいから殴っていいと思う。
「ま、まあ、サランダが大事で可愛く思っていることは伝わったよ」
いやもう、他にどうコメントしろと?
だってディエール子爵、目を潤ませ、声がわずかに震えてるんだもんさ。
そんなディエール子爵に代わって、グランジが言葉を続ける。
「だから出来ればサランダには再婚して、今度こそ幸せな結婚生活を送って貰いたいと思っています」
まあ、家族としては当然だよな。
「しかし、サランダももう二十四になる。適齢期を大きく過ぎた上に、事情が事情ですからね。条件がとても厳しい。とてもではないですが、正室は望めない」
「そうだ、それをいいことに、サランダを側室に貰ってやるなどと、あのクソジジイどもめ」
グランジの言葉を遮って、ディエール子爵が拳を握り締め声を荒げる。
途端にサランダの表情が強ばって、悲しげに目を伏せてしまった。
なんとなく、事情が読めてきたな。
しかも、ディエール子爵はすでに四十半ばから五十近くなのに、そのディエール子爵がジジイ呼ばわりする連中か……。
「メイワード伯爵家と縁を結ぶとしたら、メイワード伯爵に娘や姪、孫娘などを嫁がせるしかない。しかし肝心のメイワード伯爵が、政略結婚はごめんだと、全ての見合いを断ってしまっていると聞いています。だとすれば、その周囲にいる者を取り込むしかない」
ヨーク子爵がモザミアに手を出そうとしたみたいに、な。
「可愛い妹のことをこういう言い方はしたくないですが、子供を産めないのなら、側室に迎えてもお家騒動の種にはならないから都合がいい。正室やその子供や孫にしてみれば、ゆくゆくは自分達の代わりに介護を押し付けられて便利ですらあります。なんなら、自分達の介護すらさせるでしょう」
おいおい、そんなのってありなのか?
「それでそのジジイ、ババアどもが死んだら、サランダを適当な小さな家にでも押し込めて、わずかばかりの金を遺産として与えて放置するか、早々に籍を抜かせ、遺産も分けずに我がディエール子爵家へ戻すだろう」
「サランダを通じてメイワード伯爵と懇意にして、サランダを介さず子供か孫がメイワード伯爵と個人的に友誼を結ぶか、あわよくば嫁がせられれば、そうするでしょうね」
つまりそうなればサランダは用済みってわけか。
口を開きかけて……何も言わずに閉じる。
まともな縁談はないのかって口に出かかったけど、あったらサランダにそう伝えて、派閥の領袖である俺に相談があってるはずだよな。
そうなってないってことは、こういう手合いからばっかりってことだ。
こんな話を目の前でされて、サランダが今どういう顔をしてるか……ちょっと目を向けにくい。
「そこで、どうすればサランダが幸せになれるのか私達は考えたのです。もっとも、考えるまでもなく、選択肢は一つしかなかったわけですが」
「そう、メイワード伯爵に嫁がせる、これ以上の選択肢はない。そうだろう?」
いや、そうだろうって聞かれて、はいそうですねとは返せないって。
サランダも……どういう感情か読み取れない、すごく複雑な顔になってる。
「……二人がどうして俺がいいって考えたのか、聞いても?」
「言うまでもないとは思いますが、聞きたいと言うのであれば」
グランジが俺の目を真っ直ぐ見ながら、大きく息を吸い込んだ。
「王家の覚えがめでたく、精霊魔法と言う万を越える軍隊を凌駕する個人の武力があり、たった一年で私達では足下にも及ばない程に領地を発展させられるだけの卓越した能力があり、数々の新しい産業を生み出せるだけの深い知識があり、救国の英雄としての名声がある。しかも今度のレガス王国との戦争で、その名声は益々高まることが決まっている。さらに最低でも辺境伯の地位が約束されていて、作物やトロルとの交易品、そしてクリスタルガラスなどの販売で、多くの貴族家に対して大きな影響力を持つに至り、新たに興されてまだたった二年足らずの新興貴族家でありながら、その権力と発言力はもはや誰も無視できない程まで高まっている。どう考えても、今後さらに繁栄し続けることは明らか。もしこの勢いを止められる者がいるのなら、とっくに止めて潰しているでしょうね。これほど栄え、安泰な貴族家が他にあるなら、是非教えて欲しいところです」
うん、怒濤の勢いで言われてしまった。
しかも、敢えて事細かに。
「もちろん正妻になどとは言いません。側室の一人でいい。ただ、他の側室になる娘達と同様に妻として扱って戴ければと思います」
「だいたい、ダークムン男爵の娘を側室として娶るのだろう? 同時期に派閥に入って同じ立場にあるダークムン男爵家の娘は良くて、我がディエール子爵家の娘は駄目だと言うのは納得がいかん」
「うっ……そのこと、知ってたんですか?」
「もちろんだ。ああ、別に誰かから聞いたわけじゃない。最近何やらやたらと機嫌がいいダークムン男爵とメイワード伯爵の互いに対する態度を見ていれば、一目瞭然だ」
「うぐっ……」
そういう所から、漏れたりするのか……今後気を付けないと。
「元婚家が消えてなくなった以上、そっちからの横槍や干渉もない。同じ派閥、隣り合う領地と、返還された南部の領地で地歩を固めるには互いに都合もいいだろう?」
「もちろん、私達ディエール子爵家のメリットの方が大きく、メイワード伯爵家のメリットはさほどでもなく、バランスを欠いていることは承知しています。そこは、今後の働きで示すとしか今は言えませんが、ディエール子爵家は今後どれほどの被害を被ろうと、決してメイワード伯爵家を裏切らないと約束します」
それは……ディエール子爵家としては、かなり重い約束だよな?
ディエール子爵家にとって、ディエール子爵家を繁栄させる立ち回りをすることが第一で、だからアーグラムン元公爵の反乱の時も、天秤の傾きを察してすぐに立ち位置を変えた。
俺の派閥に入ったのも、それが最もメリットがあったからだ。
サランダも、堂々とそう宣言してたし。
だから俺が勝ち続ける限り、サランダを始めとするディエール子爵家が俺を裏切ることはないだろうとは思ってた。
だけど今のグランジの言葉は、メイワード伯爵家と諸共に没落したとしても、最後までメイワード伯爵家を裏切らないって約束だ。
メイワード伯爵の俺個人じゃない、メイワード伯爵家を裏切らない、と。
「お父様……グランジ兄様……」
サランダも、目を見開いて絶句してる。
つまりそれだけサランダの幸せを望んでるってことだ。
もちろん貴族として、ディエール子爵家のメリットも最大限考えてのことだろう。
だからってサランダの幸せを望む気持ちが嘘になるわけじゃないからな。
『二人とも本気です』
キリが保障してくれるまでもなく、その気持ちは伝わってきた。
でも、キリが保障してくれたから、安心してその気持ちを受け止められる。
「……二人の覚悟と心意気は分かった」
ただ、だからってこの場ですぐ『はい』と言うわけにはいかない。
「だけど、サランダの気持ちもあるし、俺も今すぐサランダを受け入れる気持ちが固まるわけじゃないことは理解して欲しい」
「それは分かっています」
「本気でサランダとの結婚を検討して貰えると助かる」
一応、俺とサランダの気持ちを考慮してくれるつもりではあるみたいだな。
ただ、もし俺が断ったとしても、引き下がるつもりはなさそうな目をしてるのがちょっと……いや、かなり気になるけど。