686 パティーナの胸の内 2
どうしようもない。
自分で言って、ズンと胸の中が重たく、息苦しくなる。
「どうしようもない? どうして?」
リリアナは知らない。
わたしが、クラウレッツ公爵にどんな使命を与えられていたのかを。
他の誰にも漏らしたことはないから。
だけど、それを説明しないと、多分、分かって貰えない。
これからどうしていいのかも分からない。
直情径行が強いリリアナだけど……。
だからこそ、今のわたしをどうにかしてくれる、何かをくれるかも知れない。
それに、秘密を不用意に漏らしたり、わたしが困ったりするようなこともしないって、信頼もしている。
だから、縋るように、それを口にする。
「これは誰にも言ったことがないから、絶対に誰にも言わないで……特にご主人様には絶対に」
「……分かった」
リリアナが表情を改めて、居住まいを正した。
「わたしはご主人様の侍女としてここに来る時に、クラウレッツ公爵から言われたの。わたしの使命は――」
同性同士で結婚を考えているご主人様かアイゼスオート殿下のどちらかを誘惑して恋仲になり、二人を別れさせて結婚を阻止すること。
恋仲になると言っても、本気で恋をする必要はない。
円満でも、こじれても、ご主人様とアイゼスオート殿下の関係が解消されれば、それでいい。
それが達成出来れば、その後は、そのまま関係を続けても、関係を解消しても構わない、と。
「――つまりわたしは、二人の仲を邪魔するために潜り込んだ密偵のようなものなの。酷い女でしょう? 裏切り者よね。だからわたしは、ご主人様に本気で恋していいような女じゃないの」
リリアナは、最後まで黙って聞いてくれた。
幻滅されたかしら……。
それとも嫌われた?
リリアナが呆れたような溜息を吐いたのが聞こえて、思わずビクリと身を固くしてしまう。
何を言われても堪えよう。
だって、自業自得なんだから。
「パティーナ、難しく考えすぎ」
「……え?」
俯いてしまっていた顔を、思わず上げる。
そこには、思い切り呆れ顔をしたリリアナがいた。
「その使命、自分も公爵様に言われていたから」
「……え? ええぇっ!?」
クラウレッツ公爵はわたしばかりか、リリアナにまでそんなことを!?
驚きと同時に、クラウレッツ公爵に対する腹立ちが湧き上がってくる。
よりにもよって、こんなシンプルで真っ直ぐなリリアナにまでそんな酷い真似をさせるつもりだったなんて。
「よっぽど驚いたみたいだな。らしくなく、全部顔に出ているよ」
はっとなって、慌てて両手で顔を隠す。
「気持ちはありがたいけど、そんな顔をしなくてもいいから。公爵様としては、下手な弓矢も数撃てば当たる、くらいのつもりだったんじゃないかな?」
「で、でも、リリアナはそんな素振り一度も……」
「ここだけの話、お館様も殿下も、自分の好みじゃないんだ。自分はもっと強い男がいい。だから早々に任務を放棄した。もちろん、馬鹿正直にそんなことを公爵様へ報告なんかしなかったけど」
「そんな……」
あっけらかんと、爽やかにそんなことを言われたら、わたし、思い悩んでいたのが馬鹿みたいじゃない。
「で、でも、アイゼスオート殿下はともかく、ご主人様は紛れもなく強いでしょう?」
「自分が好む強さとは方向性が違うからな」
がっかりしたと言わんばかりの溜息を吐いて、小さく肩を落とす。
好みは仕方ないかも知れないけど、その態度はご主人様に対して少し失礼じゃないかしら。
「お館様はまともに武器を持ったこともないド素人だから。歩き方や姿勢、目線の配り方を見れば、それは一目瞭然だ。もっとも、あれだけの契約精霊がいて、あれほどの魔法が使えるなら、自分で武器を持つ必要なんか欠片もないことは理解出来るから、それについてとやかく言うつもりはない。ただ、だからこそ自分の好みじゃないと言うだけ」
あまりにもきっぱり言い切って、恥じ入るところが全くない。
派閥の領袖であるクラウレッツ公爵からの命なのに、欠片も従う気がないって態度だ。
本当に、わたし一人が馬鹿みたい。
「それに、お館様に雇われた侍女もメイドも護衛も、ほとんど全員が似たようなことを言い含められて、お館様に取り入るよう密命を帯びていたはず」
「それは……」
確かにそうだった。
だけど、それはそれ、これはこれ。
そんなわたしが、ご主人様を想っていいはずがない。
「やれやれ、だな」
またしても俯いてしまったわたしに、リリアナが困ったように溜息を漏らした。
「パティーナはなまじ頭がいいから、色々と頭で考えすぎるのが悪い癖だな。しかも思い悩むと視野が狭くなって、ちょっと抜けてしまう」
「む……」
考えすぎてしまう傾向があることは、自分でも多少は自覚はあるけど、抜けてしまうと言うのは納得がいかない。
「エレーナはお館様を暗殺する密命を与えられていたのに、許されて、今では恋人になっているだろう?」
「それ、は……」
「それにサランダだって、いくらその後軍門に下って派閥入りしたとはいえ、アーグラムン元公爵の反乱の時は敵の騎士を館に招き入れて、自分達を陥れた。でも、今ではしっかりお館様を支えて侍女の仕事をきちんとこなしているから、ちゃんと許されている。それに比べたら、パティーナの密命なんて気にするほどの話ではないと思うけど?」
「そう、なのかな……」
「自分が見たところ、パティーナが具体的に何か行動に移したようには見えなかったけど?」
それは……わたしでは、割り込める隙がなかったから。
「どうあれ、何もしていないんだから、お館様なら、パティーナのことを許してくれると思う」
「でも、ご主人様なら、もしわたしの密命を知れば、殿下との仲を引き裂く敵だって容赦なく遠ざけるか、解雇するはず」
「パティーナは今でも、その密命に従って実行する気があるの?」
「それはないけど……」
「じゃあ平気だ。悩むだけ無駄だろう?」
リリアナがシンプルで羨ましい……。
「だから、顔に出ているから。パティーナが難しく考えすぎなだけ」
「うっ……」
またしても両手で顔を隠すと、リリアナが声を上げて笑う。
本当に、今だけはこのシンプルさが、心底羨ましい。
「さて、パティーナが懸念する問題が解決したところで、後はパティーナがどうしたいかだけだ」
わたしがどうしたいか……。
リリアナがわたしの胸に人差し指を突きつける。
「頭で考えるんじゃなくて、心で感じるんだ。何をしていいか、悪いかじゃなくて、パティーナが何をしたいか、お館様とどうなりたいか、それが肝心なんだ」
「で、でもご主人様にはもう殿下方がいて、エレーナさんがいて、領地の方でも、他にも何人かいるみたいで……今更わたしが割って入る隙なんて……」
特に、フィーナシャイア殿下には、絶対にわたしの密命がバレている。
具体的に何を言われたわけではないけれど、目を付けられているのは確実だ。
漏れ聞こえてくる噂では、ご主人様はアイゼスオート殿下だけではなくて、フィーナシャイア殿下との結婚も考えているのは間違いない。
そこにわたしが、今更どんな顔をして割って入ると言うのだろう。
「確かに領地から聞こえてくる噂では、お館様は、まだ正式な婚約もしていないのに、すでに正室だけじゃなくて、側室候補も何人もいるからな……お館様程の人物であればそれも不思議ではないけど」
自分ならそんな相手はごめんだとばかりに、リリアナが難しい顔をする。
「パティーナはどう? そんなお館様は嫌かな?」
「それは……」




