68 とある見学組の子息子女
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「あなた達、急ぎなさい! 着いたら終わってましたなんて赤っ恥もいいところだからね!」
ユーグ男爵家の長女モザミア・ククードは、馬車の窓から身を乗り出すように顔を出すと、護衛を兼ねて同行している領兵達を大声で叱咤する。
「へいお嬢! オマエら、王都まであと少しだ、気合い入れて歩け!」
「う~す!」
自らの領地から引き連れてきた領兵十人が答えると、モザミアは満足げに頷いて座席へ座り直した。
「赤っ恥って…………ねえモザ、本気で戦場に行くつもりなの? 今ならまだ引き返せるよ?」
困り顔で控え目にそう説得するのは、ユーゴ男爵家の長男フラード・ログモンドだ。
「フラはまだそんな情けないこと言ってるの? もう王都の目の前まで来てるんだからいい加減覚悟を決めなさい。嫌なら、あなた一人で帰れば?」
もう何度目になるのか、モザミアは従兄で幼馴染で婚約者であるフラードの弱腰に、吊り目をきつくして、すげなくあしらう。
情けない、一人で帰れと言われて、フラードは困ったように押し黙ってしまった。
そういう煮え切らない態度がまた、モザミアには面白くなかった。
自分を心配するならするで、力尽くでも連れ帰るくらいの気概があれば、まだ考えるのに、と。
「でも……フラの言う通りよ? もし……トロルがわたし達に向かってきたら……殺されちゃうわよ?」
やや俯き気味に、その時の光景を想像したのか震え上がりながら、ユーガム男爵家長女ユユカ・アッセルは怖ず怖ずと従妹で幼馴染で親友のモザミアを説得しようとする。
「聞くところによると、トロルと戦うのは噂のエメルって平民の精霊魔術師と、王都の守備隊や騎士団なんかの防衛部隊だけなんでしょ? アタシ達見学組は見てるだけ。いざとなったら逃げていいって殿下が言ってるんだから、逃げたらいいじゃない」
同乗者二人に、だから平気とばかりに耳を貸さず、自らの意見は曲げない。
フラードもユユカも、モザミアがこうなってしまったら、決して妥協しないことは知っていたが、だからと言って危険で恐ろしい戦場に身を置きたくなかった。
だから、なんとか説得しようと言葉をかける。
「そう思わせて、足りない兵を集めるための方便で、現地で無理矢理防衛部隊に組み込まれるかもしれないよ?」
「それならそれで、華麗に活躍して華々しい功績を挙げればいいじゃない」
「でも……わたし達、誰も指揮なんてしたことないのに……死んじゃうわよ?」
「だから、そうなる前に逃げればいいじゃない」
フラードもユユカも、諦めたように深く溜息を吐く。
「いい、お父様達が情けないから、アタシ達の領地は貧乏なの、ぱっとしないの。男爵家が三つ集まって小派閥を作り、どの派閥にもおもねらずに中立を貫いてるなんて、耳障りがいいだけの自己憐憫なんだから」
そう三人の実家は、中立派でこれまでどの派閥にも属さない、独立した派閥を長年維持してきた。
代々、互いの家の子供達を結婚させて血縁で強く結びつき、身内の結束でこの弱肉強食の世界を渡ってきたのである。
しかしそれは表向きの虚飾だった。
実際には、領地に特産など特になく、目に付く産業もなく、やや貧乏ながら可もなく不可もなくで、政治的な発言力や経済的影響力はないに等しい。
要するに、他派閥から取り込まれることも、政争を仕掛けられることもなかったが、それはそれらの労力に対して得られる物が割に合わないためであって、有り体に言えば無視されてきたのだ。
しかも、元々が一つの地方を分割されて興った複数の男爵家なので、一つの地名を三つの地名に無理矢理増やしたため、ユーグ男爵家、ユーゴ男爵家、ユーガム男爵家と爵位の名前が似ていて覚えにくい。
そのせいもあり、社交界ではひとまとめ扱いの上、呼び間違えられることもしばしばで、それだけ興味を持たれておらず、軽く扱われてきたのである。
「でも、そこそこやっていけてるよ?」
「うん……まあまあの生活……出来てるよ?」
「だ・か・ら、その『そこそこ』とか『まあまあ』とかが気に食わないって言ってるの! 平民でも大きな商会の方が、アタシ達よりよっぽどいい暮らししてるんだからね!」
狭い馬車の中で両手の拳を突き上げて癇癪を起こしたモザミアに、フラードもユユカも迷惑そうにしながらも、こうなると一通り発散させないと落ち着いてくれないからと、諦めて最後まで好きに喋らせることにする。
「お父様達もだけど、フラードもユユカもどうしてそう覇気がないの!? アタシはね、『ユー……どちらの男爵家だったかしら?』とか『ああ、いましたわね、そんな方々』とか『そんなどこでもあるような品ではなくて、他に何かございませんの?』なんて馬鹿にされるのが一番腹が立つの!」
地団駄を踏むように、床板を何度も踏みつけるモザミア。
それにはフラードもユユカも同じ気持ちではあるが、『事実だし……言い返すより愛想笑いで流しておけば楽だし波風立たないし』と言うのが本音だ。
それもまた処世術と言えばそうだが、モザミアには腹立たしい限りなのだ。
「いつか弟が家督を継ぐとき、もっと誇れる領地にしておいてあげたいの! だから小さい頃から領地経営を学んで、お父様にも色々提言して、ずっと努力してきてるって言うのに、あの事なかれ主義のぼんくらお父様は、ちっとも分かってくれないんだから!」
「モザの提言って突拍子もなくて、絶対失敗しそうな奴ばっかりだよね」
「うん……奇をてらえばいいわけじゃないと思う……」
幼馴染二人がそんなことをコソコソ言っているのも耳に入らず、モザミアの演説は益々熱が籠もっていく。
「だからアタシは、お父様が認めてくれないなら、もっと別の方法を探るべきだと常々頭を悩ませていたんだから! でもね、そんなアタシの努力を創造神様はちゃんと見ててくれたの! 遂に光明が差したの! それこそが、今回の戦争ってわけ!」
「だから僕達は手出し無用の見学組で、仮に防衛部隊に組み込まれても、三家合わせても三十人程度の戦力だと、華麗な活躍も華々しい功績を挙げるのも無理だからね?」
「それは出来たらでいいの。まったく、フラは分かってないんだから」
「む……じゃあ、モザは今度は何をしでかすつもりなのさ?」
「噂の平民エメルがいるじゃない」
「えっと……モザ? どういうこと?」
「二人とも鈍いんだから。つまり、噂のエメルが本当に噂通りなら、今度の戦争で大活躍するでしょ? だからこれを機にお近づきになるってわけ」
むふんと鼻息荒く、ドヤ顔をするモザミア。
しかし、仮にも男爵令嬢が平民とお近づきになってどうしようというのか、フラードもユユカもさっぱり理解出来なかった。
そういうところがもどかしいのだとばかりに、モザミアは語気を荒くする。
「あのねぇ、噂通りの活躍をすれば、その褒美として絶対に叙爵されるに決まってるじゃない。騎士爵は確実、もしかしたら一足飛びに男爵に叙爵されて、アタシ達と並ぶかも知れないでしょ? だったら同じ下級貴族の男爵家同士、懇意にしておいた方が得策じゃない。もし領地まで賜る事になったら、ただの平民が領地経営なんて出来なくて、絶対に困るはず。そこを懇意になったアタシがアドバイスしてあげれば、絶対に感謝されるに決まってるでしょ。救国の英雄と懇意だなんて、うちの領地も注目を浴びること間違いなし! そうすれば、ぼんくら揃いのお父様達だって、アタシの提言に耳を傾けてくれるようになるに決まってるじゃない。あなた達の領地も豊かになること請け合いね」
一気にまくしたてたモザミアに、ようやくこの突拍子もない幼馴染が何をしたかったのかを理解する。
「そんなに上手く行くわけないと思うけどな……」
「うん……そんなにすごい人なら、もっと高位の貴族の方々も注目すると思う……わたし達なんて、見向きもされない……って思うな……?」
二人のやれやれと言いたげな顔に、さらなるドヤ顔を返すモザミア。
「ふふん、アタシがそんなことも気付かず言ってると思ってるの? アタシが精霊魔術師だってことを忘れてない? 同じ精霊魔術師同士、他のご令嬢方より話が合うと思うし、アタシも畑仕事だってしたことあるんだから、農民ならなおのこと、でしょ?」
「そんなに上手く行くわけないと思うけどな……」
「うん……」
取らぬ狸のなんとやら。
それを無根拠に絶対上手く行くと思い込んで突き進む姿が、幼馴染二人にとても心配されていることを気付いていない。
「上手く行くか行かないかじゃない、上手く行かせるの。他のご令嬢方より先に唾を付けるの」
「唾を付けるって……仮にも男爵令嬢の言葉じゃないと思うよ」
「なんなら噂のエメルと結婚して、新しく興った貴族家に嫁に行くのもありね。それでユーグ男爵家と婚家になって囲い込むのもありでしょ」
「はあ!? 僕は!? 僕との結婚は!?」
「もちろん、計画が上手く行ったら婚約は破棄するから」
「ちょ、ちょっと待ってよモザ!」
必死になる幼馴染の婚約者に、さすがにモザミアも一方的過ぎたかと反省する。
反省するが、意見を変える気はさらさらなかった。
「う~ん……フラは嫌いじゃないし、計画が上手く行かなかったら、仕方ないんでそのまま結婚してあげてもいいけど、領地経営の方針が合わないし、将来のビジョンが……ねぇ?」
「仕方ない……」
「フラは……無理なリスクを負わずに、堅実で……素敵な人、だと思う……よ?」
「守りに入って冒険も出来ないヘタレってことね。親から受け継いだ領地を、そのまま無難に子供にスライドさせるだけでしょ?」
仕方ない、ヘタレと面と向かって言われて、がっくり肩を落とすフラード。
しかし、言い過ぎたと反省し、同情しても、事実なので撤回はしない。
「それ……領地を管理するなら……大事なことだと思う、けど……」
「領地貴族の家に生まれたなら、領地を発展させてなんぼでしょ」
モザミアとユユカはまだ十三歳で、成人するまであと一年ある。
十五歳になり自分を待ってくれているフラードに多少の感謝はあるが、この結婚が両家にとってプラスに働くかと言えば、プラスにもマイナスにもならなくて意味がないとも思っている。
と言うか、いい加減ユユカの視線に気付け、領地経営の方針も合ってるんだし、とも思っており、少々腹立たしくもあった。
三家にとって、誰と誰が結婚しようと、現状維持を続けられるなら構わないと思っているのを、モザミアは気付いていたから。
「とにかく、アタシは狙うから、噂のエメルを!」