666 実はしっかりあった挨拶後のトラブル
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守護精霊像の除幕式の後、アルル姫は町中の視察をしながら、スタンプラリーも楽しんでくれたみたいだ。
全部のスタンプが埋まった後、『つ、使ってしまうの……もったいない、です……き、記念にとっておこう、かな……』なんて、スタンプカードを眺めながら真剣に悩んでる姿は、ちょっと可愛かった。
侍女や護衛達には好きに使っていいって言ってたから、そっちは多分、レストラン街で食事で使ってしまうと思う。
アルル姫程、喜んでる様子はなかったし。
代わりに、アルル姫とは時間を取って、レストラン街の店で会食するのもいいかも知れないな。
明けて翌日と翌々日、アルル姫は、うちの領地は女の子の役人が多いことから、男女共に役人達から話を聞いたり、業務の様子を見学したり、同様に他種族が多いことから、領軍の兵士達から話を聞いたり、訓練の様子を見学したりと、他の領地との違いが多いせいか、精力的に留学生として学んでいた。
それらの視察には俺が同行する必要はないから、案内は王家から派遣された文官と武官にお任せだ。
そうしてアルル姫には好きに見て貰ってる間、俺は滞ってた仕事をこなして、さらに王都と往復して、王都の様子も確認してきた。
姫様とフィーナ姫によると、王都の貴族街にあるノーグランテス辺境伯派とディーター侯爵派の屋敷を強制捜査して、家人や使用人達を大勢逮捕したそうだ。
まだ調査を始めたばかりだから、裏切りの決定的な証拠は出てきてないし、多分、王都の屋敷に尻尾を掴ませるような物証を残してることはないだろうって話だけど、それ以外の様々な犯罪の証拠については、いくつもの物証が出てきてるらしい。
ただ、それだけでは家を取り潰す程の罪にはならないんで、やっぱり領地の屋敷や砦の捜索が必要だそうだ。
王国軍はすでに、それぞれの領地へ向けて第一陣が出発してるそうだから、しばらくは報告待ちだな。
後は、レガス王国の大使館に見張りを付けて尻尾が掴めないか探ってるそうだけど、さすがに下手な動きは見せないみたいで、そっちは期待薄っぽい。
と言うわけで、レガス王国から宣戦布告の使者が来るまでまだ一カ月近くあるし、そっちのことは当分、姫様とフィーナ姫にお任せで大丈夫そうだ。
「そういうわけで、領地で少しまとまった時間が取れることになったんで、春に予定してたあれこれを進めてしまおうと思う」
執務室に主立ったメンバーを集めて、そう宣言する。
「ではまず、お屋敷の建て替えからしましょう」
途端に、やけに意気込んでモザミアがそう提案してきた。
「私も、それがいいと思う」
「そうですね」
エレーナもナサイグも、真剣な顔で同意する。
「やっぱり初日のあれのせいか?」
「はい、このままでは腹立たしいですから」
それは、アルル姫が到着した日、屋敷に入って応接室へ向かう途中――
「それにしても、仮にも伯爵たる者がトロルの家に仮住まいとは、マイゼル王国貴族は誇りと言うものを持ち合わせていないらしい」
廊下を歩きながら、護衛の近衛騎士団長、フラスター侯爵家の三男って言うレサック・プルモンドが、突然そう蔑むように鼻を鳴らした。
それも、わざわざ俺達に聞こえるような大きな声で。
突然の身内の無礼にアルル姫はオロオロするし、イーネだけは俺にビビってるせいか気まずそうに顔を逸らしたけど、他の侍女や護衛達は概ね同意って顔で、苦笑を漏らしたり、呆れたように屋敷の中を眺め回したりと、随分と失礼な態度を取ってくれやがった。
当然、一緒にその場にいた護衛のエレーナや案内役のナサイグ達は、咎める顔で一気に空気を張り詰めさせる。
とはいえ、フォレート王国からの賓客であるアルル姫の手前、文句を言いたくてもそうそう簡単に咎め立て出来ない。
「屋敷を建て替えてる暇も余裕もなかったからな」
だから、俺に任せろって軽く手を挙げて、なんでもないことのように言ってやる。
「元農民の成り上がり者では、貧しくて建て替える財もないと、そういうわけか」
「そうじゃない。領民達の生活を優先させた結果だ」
「それで平民が新築の立派な店や家で生活していると言うのに、仮にも貴族がこんな品性の欠片もない屋敷暮らしを甘んじるなど、誇りも権威もあったものではない。貴様、恥ずかしくないのか」
「おい、口の利き方に気を付けろよ。侯爵家の三男ってのは、伯爵家の当主より偉いとでも言うつもりか?」
「はっ、たかが人間の小国の伯爵風情が、大国であり高貴なエルフの侯爵家の者より上のつもりか? 笑わせるな」
これ、本気でそう信じ込んでるな。
「や、やめ……て」
オロオロしながらも、アルル姫が態度を改めるようにたしなめるけど、レサックはそのアルル姫までも舐めてるのか、ガン無視しやがった。
「やれやれだな。大国だ、高貴なエルフだなんだと言いながら、常識も礼節も持ち合わせてないとは。フォレート王国もフラスター侯爵家ってのも、程度が知れるな」
「なんだと貴様!」
この程度の安い挑発で簡単に気色ばむとか、あからさまに甘やかされて育ってきたボンボンって感じだな。
近衛騎士団長って役職も、実家の金と権力のおかげで手に入れた口だろう。
気色ばんだところで、全く威圧感も迫力も感じない。
「近衛騎士団長って立場にありながら、お前は訪れる領地のこと、なんにも調べてなかったのか? 一年前までここはトロルの支配地で、返還された当時、領民の全てがトロルの奴隷だったんだぞ?」
「そのくらいは知っている! だからどうした!」
「もっと頭を使って想像力を働かせろよ。どうしたもこうしたも、奴隷だった領民達は銅貨一枚持たないし、仕事もなければ買い物が出来る店も屋台もない。住む家だって、馬房のような粗末な物しかなかったんだ。経済活動が一切出来ない状況だったんだよ」
「だからなんだ!」
おいおい、本気か?
「まだ分からないのか? 貴族だなんだと見栄を張る前に、領民達に食い物と仕事と住む家を与えてやらないと、領内の経済が回らない状況だったんだぞ?」
「それで平民を優先して貴族の誇りを捨てるとは、所詮にわか貴族だな。恥を知れ!」
「じゃあお前は、自分の見栄と誇りを優先して、領民達のそれらを後回しにし、自分の屋敷から作れと? それで立派な屋敷が建っても、その間、経済は全く動かず税収は見込めず、領民達は餓死して領地はボロボロだ。それが分からないのか? 領民達の死体がゴロゴロ転がる廃墟同然の領地で、自分一人で偉そうにふんぞり返って誇りが守られてご満悦でいろとでも? そんな奴に領主が務まるとでも思ってるのか?」
「平民など、どれだけ野垂れ死のうが何を気にする必要がある! 権威も誇りも失っては貴族ではない!」
これ、絶対本気だろう。
もう、開いた口が塞がらないな。
「フラスター侯爵家ってのはその程度の教育しか出来ないのか。がっかりだ」
「貴様! 我がフラスター侯爵家を愚弄する――っ!?」
俺に向かって大きく踏み込んだレサックの眼前に、一瞬で姿を現したキリの槍が突きつけられていた。
同時に、他の契約精霊達も姿を現して、モスの土の槍が床から生えて心臓に、サーペの氷の槍が同様に背中に、デーモの闇の鎌が喉元に、さらにロクのエアカッターが周囲を乱舞し、エンのレーザーチャクラムが眼前で回転し、レドが大きく口を開けて火球をいつでも放てるように構え、ユニは俺を守るように側に立ちながら額の角をレサックに油断なく向ける。
『今、お前は、我が君に殺意を持って剣を抜こうとしたな?』
キリの冷たく断罪するような口ぶりによく見れば、確かに、レサックは腰の剣を抜こうと手を伸ばしかけてた。
それに続くようにエンが慈悲の微笑みを浮かべ、だけど声音は冷たく言い放つ。
『これは慈悲ですわ。もし剣を抜いていたら、その身がどうなっていたか、分かりますね?』
そして、レーザーチャクラムをほんのわずか近づけ、前髪を数本、切り落とす。
『ウフフ、キリもエンも甘いのね。剣を抜くまで待てば良かったじゃない。我が主に殺意を隠さず剣を向けようとしたのよ? 抜かせれば、この鎌で首を落としてやれたのに』
デーモもノリノリで、嗜虐的で酷薄な笑みを浮かべてるな。
『グルゥ』
『ほら、レドも我が主の敵を消し炭に出来なくて残念そう』
「ぅ……ぁ……」
レサックが眼前の、寸止めされた攻撃魔法の数々から目を逸らせず、指一本動かせないまま、生唾をゴクリと飲み込む。
「こ……この私に、こ、こんな真似をして、フラスター侯爵家が、ましてやフォレート王国が黙っているとでも――」
「それはこちらの台詞です!」
脂汗を流しながら、まだ強がるレサックの台詞を、我慢の限界とばかりにモザミアがピシャリと遮った。
モザミアは一瞬だけアルル姫に視線を向けて申し訳なさそうにした後、本気の怒りを滲ませてレサックを睨み付ける。
「フォレート王国の申し出で第八王子殿下の留学を受け入れたマイゼル王国内で、しかも第八王子殿下のたってのご希望で領地の視察を受け入れた伯爵様に対して、先ほどからの目に余る態度のみならず、剣を向けようなどと、これはれっきとした殺人未遂です! 重大な国際問題です! フォレート王国を代表してこの場にいるあなたの一連の行いは、フォレート王国王家とフラスター侯爵家の権威に傷を付ける行為だと知りなさい! メイワード伯爵家は正式に、第八王子殿下を始め、フォレート王国王家とフラスター侯爵家に厳重な抗議をさせて戴くと共に、近衛騎士団長レサック・プルモンド殿の国外退去を要請します!」
モザミアが一気に言い切った通りだ。
剣を抜いてたら、この程度じゃ済まされない。
両国の関係を悪化させ、戦争になってもおかしくない行為だからな。
それをこの馬鹿は、フォレート王国と実家のフラスター侯爵家の権力があれば、いくらでも揉み消して、どうとでも出来ると思ってるんだろう。
「も、申し訳、ありません……!」
アルル姫が慌てて庇うように頭を下げた。
アルル姫にこんなことをさせたかったわけじゃないんだけど……今後、領内でこいつらが活動する以上、調子に乗るなと最初に釘を刺しておかないと、どんな揉め事を起こすか分からないからな。
「こ、こ、この者は、や、宿で……謹慎させ、ます。ボクからも報告、して、大使館から迎えを、よ、呼びますから……こ、この場は、それで、ご容赦、下さい……」
「なっ!? 殿下! あなたはそれでも高貴なるエルフの王族ですか!? 下等な人間ごときに頭を下げるなど、恥と思わないのですか!」
この馬鹿は、まだそんなことを言うのか。
「その王族に頭を下げさせ、恥を掻かせたのがお前なんだよ。お前こそ恥を知れ」
「貴様……!」
『ギャウ、グルル、ギャギャウ、グル、グルゥ!』
『まだ我が君に逆らうのか、それとも戦争をしたくてわざと喧嘩を売っているのか、フラスター侯爵家を跡形もなく吹き飛ばしてお前の後ろ盾を消し去ってから、お前を消し炭にしてやろうか、とレドが言っているが、どうする? ちなみに、自分もそれに大いに賛成だ』
『戦争となれば、わたくしも慈悲はかけません。大勢のエルフが屍を晒すことになるでしょうね。あなたの短慮のせいで』
「――!?」
契約精霊達が、一気に気配を解放して叩き付ける。
ここまでしろとは言ってないんだけど、レサックの態度がこれじゃあな。
「お前達はフォレート王国が大国で、実家も権力があると、それが自慢らしいが、そんなもの俺には虚仮威しにすらならないと思え。大国ガンドラルド王国に無条件降伏を飲ませ、領土、奴隷、金貨と多額の賠償を支払わせたのが誰なのか、知らないとでも言うつもりか?」
他の侍女達も護衛達もゴクリと生唾を飲み込んで、俺を怒らせるとどうなるか、ようやく少しは理解したようだな。
一足先にそれを知ってたイーネはずっと俺と目を合わせないようにして、必死に空気に徹してるし。
「お、お前達……レ、レサックを、宿へ……き、謹慎させなさい」
「……は、畏まりました」
攻撃魔法を引っ込めさせると、二人の護衛が神妙な顔で憎々しげに顔を歪めたレサックを連れて、ナサイグに先導されながら屋敷から連行していった。
「メイワード伯爵、ほ、本当に……申し訳ありません」
あー……アルル姫、ガチで泣きそうだ。
「頭を上げて下さい。アルル姫のせいじゃありませんから」
この場で耳元で囁くと変に思われるから、アルル姫にだけ声が届くようにする。
「アルル姫が、俺達を見下したり馬鹿にしたりしない優しい人だってことは、ちゃんと知ってます。アルル姫以外のこいつらの態度が目に余るって各所から報告が上がってきてたんで、チャンスがあればお灸を据えたかったんです。この場を利用しちゃって、こっちこそ済みません」
「そう……だったんですね」
アルル姫が驚いた顔をした後、悪戯っぽく微笑む。
「そういうことなら、むしろ、ありがとうございます。ボ、ボクも、この者達の態度は……嫌で、恥ずかしかった、ので」
どうやらアルル姫も、この連中のことを持て余してたようだ。
――とまあ、こんな感じのことがあったわけだ。
「何よりもまず、お屋敷を」
みんな、真剣な顔で訴えてくる。
本当に、腹に据えかねてたらしい。
「分かった。じゃあ今日は最後の引っ越し作業をして、明日から屋敷の建て替えに入ろう」




