665 視察初日を終えて
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「はぁ……楽しかった」
今日もメイワード伯爵と夕食を一緒に食べた後、宿の部屋に戻って、ソファーに身体を沈める。
視察がこんなに楽しかったのは初めて。
マイゼル王国に留学してきて、王城で法を学んだり、会議を見学させて貰ったり、役人達の仕事ぶりを見せて貰ったり、王都や王都以外の直轄地の町を見て回ったり。
主な貴族の領都でも同様に視察させて貰ったり。
マイゼル王国のことをいっぱい学ばせて貰った。
フォレート王国では王城の一角にある館から公務で出たことは一度もなかったから、もしかしたらボク、フォレート王国よりマイゼル王国の政治や法の方が詳しくなってしまったかも知れない。
そのくらい、一年近く掛けて、色んな事を勉強した。
でも、今日の視察はそのどれとも違う。
王都でも、貴族の領都でも、それぞれ独自のやり方はあっても、受けた印象は似たり寄ったり。
ああ、これがマイゼル王国なんだね。
いつの間にか、そう、マイゼル王国を理解していたつもりになっていたんだと思う。
でも、今日の視察は全然違った。
マイゼル王国なのに、マイゼル王国じゃないみたい。
スタンプラリーみたいな楽しいイベントで、ただ領民を楽しませるだけじゃなくて、レストラン街みたいな独自の産業の振興や、大きくて怖くて、でも綺麗で、今にも動き出しそうな迫力がある銅像のお披露目で、領主の庇護を感じさせて治安を守って、領民達に一体感を感じさせる。
それは、ただの日頃の欝憤を発散するお祭りや、領主の武力や権威を見せつけて領民を引き締めるのとは違う、これまでに見たことも聞いたこともない、本当に楽しいイベントだった。
「メイワード伯爵が、領民を……とても、た、大切に思っていて……領民も、メイワード伯爵を、慕っていることが、よく、つ、伝わってきたね」
胸がドキドキして、心が温かくて、明日も楽しみでワクワクして。
普段なら滅多にそんなことはしないのに、らしくなくイーネに話を振る。
誰でもいいから、今のこの気持ちを言葉にして伝えたかったから。
「た、たった一年足らずで、こんなにも町を発展させて……領民の心を、つ、掴めるなんて……え、偉そうに、ふんぞり返っているだけの、貴族には、ま、真似出来ない、と、思わない?」
「そう、ですね……」
イーネが苦虫を噛み潰したような顔で、渋々、嫌々、言葉を濁すように、だけどちゃんと同意してくれた。
あれからイーネはメイワード伯爵をすごく苦手に思っているみたい。
それに、どんな心境の変化があったのか、ボクに高圧的な態度を取ったり、大声を出して従わせようとしたり、蔑む言葉を言ったり、あんまりしなくなった。
メイワード伯爵領に来る前は、元農民の成り上がり者のにわか貴族が、どんなお粗末な領地経営をしているのか、散々馬鹿にして言い返してやろうって、内心密かに企んでいたみたい。
でも、昨日、今日と見て、さすがのイーネも馬鹿に出来なかったんだと思う。
王都フォレンティアでも見られないくらい、驚くほど綺麗に整備された街道。
歩く人にも馬車にも優しい配慮がされた、交通ルール。
街道沿いにどこまでも広がる麦畑。
初めて目にした倍も大きな石造りのトロルの建物には圧倒されたけど、それをたくさん建て直して、人の町が作り直されている。
それは、たった一年で出来る事じゃないと思う。
何より、他民族、他種族がこれだけ大勢入り交じっているのに、みんな仲良く同じ領地の領民として、メイワード伯爵を慕って暮らしているだなんて。
他の誰にそんなことが真似出来るんだろう。
「領民達も、エルフ以上に……せ、精霊魔法を、当たり前に使って、暮らしていたね」
エルフでも、精霊魔術師は半分くらい。
それなのに、この領地では七割から八割の領民が精霊魔法を使えるって、秘書のモザミアさんが教えてくれた。
本当に、屋台でも、農地でも、木材の集積所でも、建設現場でも、どこでもみんな精霊魔法を気軽に、便利に使っていた。
「あんなの異常です……エルフが最も精霊魔法を上手く使える種族なのに……!」
イーネが悔しさを滲ませて、唇を噛んで拳を握っている。
エルフとしてプライドを持つことは、悪いことじゃないと思う。
でも、だからってそれを理由に他種族を見下すのは、違うと思う。
すごいところは、素直にすごいって認めればいいのに。
無駄に高い自尊心がそれを許さないんだよね。
でもそれはイーネばかりじゃない。
他の侍女達も、護衛の者達も、みんな同じだった。
視察の間中、面白くなさそうで、不機嫌さを隠さなくて。
粗探しをしては、聞こえよがしに貶したり、小馬鹿にして嘲笑ったり。
エルフって、どうしてみんなこうなんだろう……。
メイワード伯爵はむしろ『どうだすごいだろう』『だったらお前達はもっとすごいことが出来るんだよな』って、得意げに勝ち誇った顔で自慢して、それだけで済ませてくれたけど。
モザミアさんやエレーナさんは、メイワード伯爵がそれで済ませたことが不服なくらい、怖い顔をしていたし。
うん……怖くて途中から顔を見られなかった。
そうだよね。
本当なら、貴族家当主のメイワード伯爵に対して、たかが護衛の騎士や兵士があんな態度を取ったら、罰せられてもおかしくないんだから。
それを、自分達は大国フォレート王国の高貴なエルフだから、怖くて罰せないんだって、勘違いして増長するなんて。
それさえなければ、どれだけ良かったか。
でも、それさえなければ、今日はとっても楽しかった。
何より、みんながボクをちゃんと女の子扱いしてくれた。
戸惑ったり、どう接していいか迷ったり、そんなのは普通。
これまでの他の領地の視察では、明らかに侮蔑したり、こっそり馬鹿にしたり、気持ち悪がって近づこうとしなかったり、それこそ当たり前だった。
それなのに、ここではみんなそんなことはしなかった。
ボクの事情を知らない人達はともかく、知っているモザミアさんやエレーナさん達まで、戸惑いや躊躇いがあっても、メイワード伯爵に倣ってできるだけボクを女の子扱いしようとしてくれた。
それだけメイワード伯爵がちゃんと言ってくれていたってこと。
そして、メイワード伯爵を尊敬して従ってくれたってこと。
本当にすごい人だよね、メイワード伯爵って。
「はぁ……」
メイワード伯爵のことを考えると、胸が苦しくなる。
もっと側で見つめたい。
声を聞きたい。
笑いかけて欲しい。
さっき別れたばかりなのに……また明日も会えるのに……。
もう会いたくて仕方ないなんて。
このままずっと、メイワード伯爵の側にいられたらな……。
◆◆◆
「こっそり集まって貰ったのは他でもありません」
夜も遅く、モザミアはエメルに気付かれないよう会議室の一室に、エフメラ、エレーナ、リジャリエラを呼び出して、深刻な声音で切り出した。
「第八王子殿下……アルル殿下は、伯爵様のことが絶対に好きです」
「うん、私も間違いないと思う」
言い切ったモザミアに、エレーナも即座に頷いて同意する。
「やっぱり……馬車を降りて挨拶してた時から、エメ兄ちゃんを見る目が怪しいと思ってたんだ」
精神の精霊に頼るまでもなく、女の勘で、一目でそれを見抜いていたエフメラが、『また新しい泥棒猫が現れた』と言わんばかりの怖い顔になる。
「もうこれ以上、エメ兄ちゃんにお嫁さんはいらないんだから。邪魔しないと!」
意気込むエフメラとは対照的にリジャリエラは冷静に軽く小首を傾げた。
「邪魔ヲする必要ガあるでショウか?」
「えっ!? リジャリエラさん、あの人のこと、認めちゃうの!?」
「イエ、それならそれでわたくしハ構いませんガ、そうでハなく……」
「なるほど。多分、邪魔しなくても伯爵様とアルル殿下が結ばれることはない……と言いたいんですね?」
「ハイ、その通りデス」
「えっ、そうなの!?」
「そうなんだ?」
驚くエフメラとエレーナに、モザミアが補足する。
「伯爵様から伝え聞くに、口にすることは本来憚られますが、アルル殿下はフォレティエート王家から疎んじられていて、公の場に立ったことはないようです。ですがもし、伯爵様と婚姻となったら、王家として大々的に発表し動かないといけなくなるわけです」
「あっ、王子様とお姫様、どっちでお嫁さんに出すかってこと?」
「その通りです。王子として婚姻させることも、性別を偽って王女として婚姻させることも、話に聞く限りフォレティエート王家がどちらもすることはないでしょう。外聞が悪過ぎます」
「安心したけど……そう聞くと、なんだかちょっと可哀想だね」
「うん……本人のせいではないのに」
「そうなんですよね……」
「……」
「ん? リジャリエラさん、どうしたの?」
深く考え込んだリジャリエラに、三人の視線が集まる。
「イエ……わたくしにハ思い付きませんガ、ご領主様なら、もしアルル殿下に想いヲ寄せ妻にと望まれたら、もしかしたらなんとかしてしまうのでハ、と」
「……あり得そうです」
「……ありそう」
「……あるかも」
四人が顔を見合わせ頷き合う。
「今は様子見に徹しましょう。下手につついて進展されても困りますし、ことさら邪魔をするのも心苦しいです。それで、いずれどう事態が動いてもいいように、私達も考えて備えておきましょう」
もう一度、四人は頷き合った。




