650 貴族達の会議 2
コルトン伯爵の断言に、大きくどよめきが上がった。
重鎮や大貴族達の中で、エメル達三人の結婚を明確に支持した者は初めてだったからだ。
しかも王族の結婚を取り仕切る、宮内省の大臣がである。
そのインパクトを利用して、王権を委譲する相手についての明言を避けると、コルトン伯爵はロードアルム侯爵とグーツ伯爵へと目を向けた。
「そなた達は、娘から聞いていないか?」
こう聞くことで、コルトン伯爵は何も聞いていないと、そう判断した者がほとんどだろう。
そしてそれは、ロードアルム侯爵とグーツ伯爵への絶妙なパスでもあった。
「いや、何も聞いていない」
まずロードアルム侯爵がきっぱりと言い切る。
直接聞いたのは、エメルとアイゼスオートとフィーナシャイアからであって、娘のレミーからではない。
これがもし『殿下方から』や、ただ単に『何か聞いていないか?』だったなら、『聞いていない』と答えたら嘘になってしまう。
だから、何も嘘は言っていないことになる。
「うちの娘は生真面目で堅物だからな」
続けて、グーツ伯爵もやれやれと言いたげに、答えになっていない答えを口にする。
それは娘への感想であって、聞いたか聞いていないかの答えではない。
しかしこう言われれば、娘のクレアは侍女として守秘義務を守り、仮にアイゼスオートから聞かされていても、父親のグーツ伯爵に何も教えていない、と解釈するだろう。
事実、それで多くの貴族達が納得していた。
一部それに引っかかりを覚えた者もいたが、それを問い質す機会は失われてしまう。
「メイワード伯爵を王配に……いや、いっそ王にするのも面白いのでは……」
ポツリと、そんな言葉が呟かれたからだ。
呟いた主、財務大臣ウグジス侯爵は、全員の驚愕の視線が自分に集まったことに気圧されて、噴き出した汗を拭いながら俯き目を伏せてしまう。
「何を馬鹿なことを!」
「戯れ言にしても度が過ぎている!」
真っ先に怒声を上げたのは、予想に違わずクラウレッツ公爵であり、それに続いたのもジターブル侯爵だった。
どちらも王室派のトップからの反対である。
しかし、予想外の発言に驚いたのは、事情を知るコルトン伯爵、ロードアルム侯爵、グーツ伯爵、そしてイグルレッツ侯爵、ガーダン伯爵も同じだった。
ロードアルム侯爵とグーツ伯爵は、これまでウグジス侯爵を王室派へ引き込めないか、何度も話し合いの場を持っていた。
しかし、今の気弱そうに見える態度に反して、頑なに頷かなかったのだ。
ウグジス侯爵が上級貴族の中では珍しく、エメルに対して心証がいいのは話をしていて二人とも理解していた。
もちろん、『力』を取り戻しつつある王家への心証も悪くない。
しかし、財務を預かる身として常に公正でありたいと、一貴族は元より王家とすら適度な距離を保とうとしていた、実は頑固者だったのだ。
その頑固者の、この発言である。
「ほう、エメル殿を王にとは、面白いことを言う」
「ガーダン伯爵、面白いで済む話ではない」
バーラン侯爵がたしなめるも、ガーダン伯爵は気にした風もなく、驚愕から一転して興味深そうにウグジス侯爵の真意を探るように眺めた。
「しかし、エメル殿を否定するばかりで話が前に進んでいないのも事実。奇策の類いとは思うが、策は策。何故そう考えるに至ったか、是非思う所を聞かせて貰いたい」
王国軍の将軍として、エメルとの付き合いは他の貴族達よりも深い。
しかし軍を預かる身だからと、政治とはある程度の距離を置いていた。
そのため、この場に呼ばれたのは、重鎮として情報を共有するために過ぎない。
それがまさか、すでに軍務大臣のイグルレッツ侯爵と共にエメル側に付いて協力しているとは、事情を知るコルトン伯爵、ロードアルム侯爵、グーツ伯爵以外、誰も予想だにしていないだろう。
その立場を利用して、ウグジス侯爵に思う所を語って貰いエメルに有利な流れを作ろうと、積極的に口を挟んでみたのだ。
注目が集まる中、噴き出した汗を拭きながら、ウグジス侯爵はそう考えた経緯を語り出す。
「真っ先に思ったことは、メイワード伯爵が金品に執着しない者だと言うことです。多額の褒賞金を王都復興に寄附する大胆さは元より、お金の使い方が実に面白く興味深い」
財務大臣らしい切り出し方に、幾人かが興味を惹かれて聞く態勢に変わる。
「調べたところ、メイワード伯爵領は初年度とは思えないほどの収益を上げています。それこそ噂通り、従来通りであれば数年か十数年後にならなければ、あれ程の利益を出すことは不可能でしょう。しかし彼はそれをやってのけた」
それは、この場に集まっている貴族達で知らない者はいないだろう。
「メイワード伯爵領の帳簿を見たわけではありませんので、これは私見の概算となりますから正確性は欠きますが、昨年度の収支は恐らく――」
ウグジス侯爵が上げた収入と支出の予想額に、誰もが大きく唸っていた。
それは大幅な黒字。
およそ、元農民で成り上がり者のにわか貴族が、ほぼゼロに等しい状況からたった一年で出せる利益ではない。
しかも、夏に追加で一万人の奴隷を引き渡されている。
それはプラスどころか、むしろ大きな負担になるマイナス要素だ。
当然、比較対象となる、エメル同様に返還された領地を賜った王室派とグルンバルドン公爵派の新興貴族達は、初年度の財政は大赤字で、大方の予想通り黒字に転じるのはそれこそ十年近く先だろうとの見通しである。
条件はどの領地よりも厳しかった。
だからこそ、その手腕には誰もが舌を巻かずにいられない。
自分が同じ真似を出来るかと問われれば、絶対に答えは否なのだから。
自身が試算したメイワード伯爵領の財務状況を思い出しながら、ウグジス侯爵は言葉を続ける。
「しかしこれだけの黒字を出しながら、その実、財政は大赤字との報告があります。つまり、話に聞く限りの領内産業と公共投資の規模を考えると、予想と報告の収支に大きなズレがあることになります。では、果たして彼はそれだけの金を何に使っているのか」
「まさか豪遊し散財や着服か?」
ジターブル侯爵が反射的にそう口にしたが、それはエメルの印象に合わず、誰の賛同も続くことはなかった。
「いいえ。最初に言った通り、彼は金品に執着していません。なので贅沢や散財をしている形跡はありませんでした。そもそも、自分の屋敷すら後回しにして、真っ先に商会の建物を建てて領民の生活と領内の整備を優先している彼が、贅沢や着服などの不正をするでしょうか?」
せめて自分の屋敷くらいは真っ先にどうにかすべきだと思いますが。
とのウグジス侯爵の独り言のような補足に、誰もが頷くところだった。
「では、何に使っていると予想されているのか?」
軍を預かる身として政治的なことに深く踏み込まないよう、またすでにエメル側に付いていることを悟られないよう、発言を極力控えていたイグルレッツ侯爵が思わずと言った感じで尋ねる。
「恐らく、我々に秘している、何かしら別の産業や公共事業に投資しているのではないかと」
途端に、大きなどよめきが上がる。
農地の開拓、保存食や油などの開発や目新しい料理の発明、銅山や石切場への公害対策、銅像や真鍮製品、他国の様式を取り入れた布や家具などの製品、一躍有名になったガラス産業、国内の貴族やトロルとの高品質の作物の交易、さらに変わった試みでは資料館やレストラン街、そして新たに精霊魔道具と言う前代未聞の発明品。
表立って判明している主な産業だけでも、これほどの数がある。
普通はどれか一つでもあれば十分で、二つ、三つとあれば領地経営は安泰だろう。
それがこれほどの数となれば、果たしてどれほど莫大な利益を上げることか。
しかも、さらにまだ何か秘密裏に進めている可能性があると言うのだ。
これを驚くなと言う方が無理な話だろう。
「彼が表舞台に立ってから、我が国の財政状況が大きく改善されています」
ウグジス侯爵が、ロードアルム侯爵とグーツ伯爵、さらにクラウレッツ公爵へ、そしてブラバートル侯爵とガーダン伯爵へと目を向ける。
それだけで誰もが理解した。
農政改革のために検地と監査が大々的に行われ、いくつもの不正が正され、また追徴課税で取り返していた。
同時に、クラウレッツ公爵の次男エイムズが文官として関わる王都の復興計画で、町並を整えることは元より、周辺の街道整備をしたことで物流が盛んになって、税収も上がっている。
加えて、反乱を起こした貴族家が取り潰されて財産が没収され、国庫へと入れられたその額も馬鹿にならない。
そして恐らくは、ノーグランテス辺境伯派とディーター侯爵派の貴族家からも、同様になるだろう。
その全ての切っ掛けを作ったのが、他でもないエメルなのだ。
「彼は元農民故に、民をただの数字とは見ていないことが分かります。王都の市民に人気が高く、領民には命の恩人と感謝され慕われています。仮に彼が王になれば、様々な不正は正され、民は大いに喜ぶでしょう。さらに、彼の領地限定の産業が王国全土に広まる可能性があります。そうして上がった税収を、彼は自身の贅沢などには使わず、さらなる産業や公共事業に投資して、民の生活を、そして我々貴族の生活を豊かにすることでしょう。結果、マイゼル王国は飛躍的に発展していくに違いありません。彼にはそれを期待出来る。そうは思いませんか?」
同様の事は、コルトン伯爵を始めとしたエメルに協力する者達も感じていた。
そして、それを直視したくなくて目を背けていた他の者達も、薄々感じていたことでもあった。
しかしそれを認めることは、貴族として敗北するも同然。
だからこそ、エメルを容易に認めることが出来なかったのだ。
それがここに来て、コルトン伯爵がエメル達を支持し、ウグジス侯爵までもが一歩引いた客観的な位置から大胆な提案をしたことで、目を逸らし続けることが出来なくなりつつあった。
「確かに、メイワード伯爵に頼めば、トンネルも十日で開通してくれそうだな。費用と工期、そして投資額を取り戻すまでの年月を考えれば、謝礼を払って頼む方が圧倒的に安上がりで、すぐに経済効果を得られる。恐らく治水工事もそうだろう。それを一貴族家に頼むとなると、借りだ弱味だと何かと面倒だが、王家が相手となればまた少し話が変わってくる。国家事業と考えれば、忠義を尽くしていればいるほどに頼みやすい」
グーツ伯爵がさらりと誘導するように頷く。
もし国家事業となれば国から補助金が出され、全てを自領で賄う必要がなくなるため、下級貴族や貧乏貴族でもそれら事業を行いやすくなる。
これは貴族間の貧富の格差を縮め、国内の整備の底上げとしてメリットが大きい。
「同じ貴族として張り合えば、融通が利かない。ましてや戦えば勝ち目はない。ならばいっそ強者として戴いて、寄らば大樹の陰。その『力』の恩恵に預かれと言うことか」
さらにロードアルム侯爵もそれに乗る。
力が正義のこの世界では良い意味で使われる、寄らば大樹の陰の考え。
エメルが考え進めようとしている政策は、二人にとって共感できるものであったし、デメリットよりもメリットの方が大きい。
だからこそ、エメル達の計画を支持したのだ。
当初こそ半信半疑の部分は残っていたが、想定よりも遥かに早く結果を出しつつある今、全面的に協力した方が得策なのは明らかだった。
「奴の『力』の恩恵に預かれなどと……!」
「ならば利用すると思えばいい」
「ぐぬ……!」
言い方、捉え方の問題であるなら、好きに解釈するといい。
そんなロードアルム侯爵の揶揄に、ブラバートル侯爵の反論はあっさりと封じられてしまう。
解釈の問題だけで言えば、ブラバートル侯爵にとって今となんら変わらないからだ。
「エメル殿にいらぬ虚栄心や政治的野心はありませんからな。しかし信念はあり、軍略にも明るく、清濁も併せ呑める様子。そう考えると、資質がないわけではない、と」
「ふむ……精鋭精霊魔術師の育成も、一貴族家に依頼するより、国策とした方が規模も予算も大きくなりメリットは大きい。何より国防を考えれば、周辺国への睨みを一層利かせることが出来る。もし宣言通りレガス王国に完勝しゾルティエ帝国を退けられれば、まさに英雄王の誕生、か……一考の余地はあるか?」
ガーダン伯爵、そしてイグルレッツ侯爵までもが、ウグジス侯爵の発言に乗ったように見せかけ、敢えて思案気に呟いたことで、場が紛糾する。
「あの男を王として戴くなど冗談ではない!」
「地方領主と王とでは、その扱うべき規模も背負うべき責務も段違いだ! 元農民になど、国を動かせるものか!」
「あのような若造の後塵を拝しろなどと、貴族としてのプライドはないのか!?」
クラウレッツ公爵、ジターブル侯爵、ハーグダス伯爵と次々に声を上げる。
「そもそも、王としての権力を手にしたとき、豹変しない保障がどこにある」
「目先の利益に釣られてどうする。身分や権力ですら上回られたら、もはや誰にも抑えられんのだぞ」
バーラン侯爵もブラバートル侯爵も、叫びこそしなかったが、否定と拒否の姿勢を明確に打ち出した。
「そこは、両殿下が抑えて下さるのではないか?」
「あれは、特にフィーナシャイア殿下には尻に敷かれているだろう」
「国が劇的に発展するには、時に劇薬も必要でしょう。両殿下であれば、取り扱いを間違えることはないかと」
対して、コルトン伯爵、ロードアルム侯爵、グーツ伯爵に加え、イグルレッツ侯爵、ガーダン伯爵が悪くないと関心があるように見せかけ、ウグジス侯爵までもが一歩引いた客観的な立場から一考の余地ありの姿勢を見せる。
そのような中、ただ一人、グルンバルドン公爵だけが腕を組み目を閉じ、深く考え込んでいた。
「……この私に代わり国を託せるとは、まだ言い切れんな」
やがて独りごちて目を開く。
そして、対レガス王国戦の作戦は、どこまでエメルに武功を立てさせるのか、二分された意見によりせめぎ合うことになるのだった。




