636 マリーリーフの帰国
翌日、フィーナ姫と姫様、それとコルトン伯爵を始めとした宮内省が対応に忙殺される中、俺はマリーリーフ殿下に呼び出された。
聞きたいのは間違いなく、昨日のこと、そしてレガス王国と戦争になるかも知れないことだろう。
「メイワード伯爵、お忙しい中、呼び出して申し訳ありません」
「いえ、マリーリーフ殿下が帰国する前に、挨拶する時間が取れて良かったですよ」
いつもの応接室でマリーリーフ殿下と向かい合ってソファーに座る。
珍しいことに、マリーリーフ殿下の隣にはアルル姫も座って同席してる。
ただし二人の間には微妙に距離があって、仲良くなったとか打ち解けたとかってわけじゃなさそうなんだけど、マイゼル王国にやってきた当初に比べたら、二人揃って俺と会うなんて、姉妹として何か心境に変化があったのかも知れないな。
「それで……大丈夫なのですか?」
躊躇いがちながら、マリーリーフ殿下がまず切り出してきたのは、やっぱりそのことだった。
「ええ、全然大丈夫ですよ」
俺があっけらかんと答えると、俺のリアクションがあまりにもあっさりしすぎて次に何をどう言っていいのか分からないのか、マリーリーフ殿下が次の言葉を躊躇う。
マイゼル王国として具体的にどう対応するのかとか、俺の役回りがどうなるのかとか、方針はあっても細かなことはまだ決定してないから、あれこれ説明しようがないから、こういう返答になっちゃうのは仕方ない。
仮に決定してても、自国の貴族達に通達する前に、それを他国の王族に勝手に喋っちゃうわけにもいかないしな。
「ご心配戴きありがとうございます。レガス王国の対応次第ですけど、負ける気はないんで、って言うか、ぶっちゃけ、勝つための算段ならいくらでもあるんで、なんの問題もないです」
「そうなのですか……」
やっぱり、どう言っていいのか分からないって顔だ。
「それより俺が気になるのは、マリーリーフ殿下は帰国して親善大使としての成果を報告後、またマイゼル王国に来られるんですか?」
あっさり俺が流しちゃったせいで余計に戸惑いを見せるものの、マリーリーフ殿下もそこは自分でも気になってたんだろう、表情が優れない。
「それは……私としてはそうしたいですが、国がどう判断するか……」
もしマイゼル王国とレガス王国が開戦したら、さすがに第三王女を送り出すのは難しいか。
それでなくても、フォレート王国は何やら企んでるみたいだし。
「ボ、ボクは……このまま、メイワード伯爵のご、ご領地に……お邪魔……しても?」
「はい、それは大丈夫です。こっちは問題ありません。ただ、アルル姫が不安に思われるようなら、マリーリーフ殿下と一緒に一度帰国して、その後、状況を見て改めて領地に来て貰うのでも構いませんよ」
アルル姫は逡巡する。
戦争に巻き込まれるかも知れないって思ったら、そりゃあ怖いだろう。
万が一、レガス王国がマイゼル王国を蹂躙して、俺の領地にまで攻め込んできたら、アルル姫が直接害されることはないだろうけど、レガス王国が保護の名目でフォレート王国に対する人質にして、レガス王国へ連れ去ってしまうかも知れない。
その危険を回避するために、フォレート王国がアルル姫も一緒に帰国させないのが、まずおかしいわけで。
それを思えば、不安になって、予定通りに俺の領地に来るって即決できないのも無理ない話だ。
「メイワード伯爵……は、全然、慌てても、お、恐れても……いません、ね?」
「そりゃあ、仮に開戦することになっても、俺の一人勝ちですからね」
「ひ、一人勝ち……ですか?」
「ええ。余裕で捻り潰せるんで。何しろ今回はフィーナ姫を侮辱されてかなり頭にきてるんで、手加減しないつもりですから」
「せ、戦争になるかも、知れないのに……よ、余裕? ですね」
虚勢を張るわけでもなく、気負うわけでもなく、ただ事実としてそうするだけだから、なんの問題もない。
「メイワード伯爵が、そう、言うなら……き、きっと大丈夫、なんですね。よ、予定通り、行きたい……です。もしもの時、は……守って……くれますか?」
「分かりました。予定通り来て下さい。いざという時はちゃんと俺が守りますから」
「はい」
嬉しそうに微笑むアルル姫の信頼には応えないとな。
対して、マリーリーフ殿下が羨ましそうな恨みがましそうな目で、アルル姫を横目で見てるのは……。
「メイワード伯爵、私も、もしまたマイゼル王国へやって来られたら、領地へ招待して戴けますか?」
「分かりました。その時はご招待しますよ」
「そうですか。ありがとうございます」
打って変わって、ほっと表情を緩めるマリーリーフ殿下。
なるほど。
だけどそんなに俺の領地を見たいのか?
それとも、秘伝を暴くチャンスが増えてほっとしたとか?
まあ、色々と面倒が増えるけど、俺が口を割らなければいいんだから平気だろう。
内心納得してると、じっと物言いたげにマリーリーフ殿下が俺を見る。
「どうしました?」
「その……」
一瞬躊躇って目を伏せた後、意を決したように視線を戻して、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「このような事を尋ねること自体、恥知らずなことだと分かっていますが……メイワード伯爵は、私のことを軽蔑……してはいませんか? どうすれば、それを払拭出来るのでしょう」
「は? 軽蔑? そんなのしてませんよ? どうしてそんなことを?」
言って、秘伝の秘密を暴こうとしてることか、先日のリジャリエラとのやり取りのことか、どっちかのことなのかなと当たりを付ける。
「先日の、あなたの側に居た、リジャリエラと言う娘との……」
そっちの方か。
って言うか、やっぱりまだ気にしてたんだな。
「全然そんなことありませんよ。むしろリジャリエラが言い過ぎて済みません、改めて謝罪します」
「いえ、それはいいのです。ただ……」
俺を見つめる目が、一瞬、叱られた子供のように見えてしまう。
なんでそんな風に見えたのか分からないけど……。
「だって、マリーリーフ殿下とリジャリエラでは立場が違いますから、考え方や受け止め方が違ってしまうのも当然だと思いますよ」
全く気にしないでいい、俺も気にしてないし、って感じに微笑む。
「こう言ったらなんですけど、リジャリエラは故郷を失ってしまった。今更、自分達の力だけでトロルと戦い、故郷を取り戻してマージャル族を再び繁栄させるのはほぼ不可能だと思います。自立してやっていくには、マージャル族は数が減りすぎてしまった」
仮に俺が故郷を取り戻してやっても、俺の手が離れた途端、再びトロルか周辺国か、武力で飲み込まれてしまうに違いない。
救援に駆け付けようにも、マージャル族の故郷は遠すぎる。
ガンドラルド王国の南東にある故郷から北にある俺の領地まで、危機を知らせる連絡が届くにしても、一ヶ月以上掛かるだろう。
俺が救援に駆け付けても、全てが手遅れなのは確実だ。
それなのに故郷を取り戻して復興しようなんて、とても現実的じゃないよな。
「それに両親や家族の無事は俺も祈ってますけど、安否は不明です。リジャリエラは否応なく、族長の娘として、そして巫女姫として、マージャル族を導く立場に立たなくてはならなかった。だからきっと、故郷への未練を断ち切る必要があったんだと思います。俺の庇護下に入るってことは、つまりそういうことですから」
その境遇と比べて、いい悪いとか、どっちが不幸だとか、考えても仕方ない。
「リジャリエラは捨てざるを得なかった。両方を選び取ることが出来なかった。でも、マリーリーフ殿下は、片方を捨てて、もう片方を選ばなくちゃいけないなんて必要はないでしょう? だったら、両方取ってもいいんじゃないですか?」
「両方取る……ですか? 第三王女の立場のまま、精霊魔法の研究者の立場を突き詰めても? ですがそれでは、今と何も変わらないではないですか」
「そうですね。だから、今のままでいいのでは?」
「!?」
「どちらも中途半端にしないって気概を持って、どちらの立場もより一層突き詰めることにすれば、今のままのマリーリーフ殿下でいいと思いますよ」
「……!」
……なんか、マリーリーフ殿下の顔が赤い?
「そ、そう、ですか……今のままの私でもいいのですね」
視線が忙しなくあっちこっちに泳いでるけど……。
ともかくこれで、少しは気を取り直してくれたかな?
ところで……隣でアルル姫がちょっと拗ねてるように見えるのは、何故だ?
その後は、落ち着かなくて話どころではなくなってしまったマリーリーフ殿下の一声で、今回の会談は急遽終了になった。
そして数日後。
謁見の間で、マイゼル王国を去るマリーリーフ殿下と外交使節団、そして俺の領地へ出発するアルル姫を送り出す式典が開催された。
式典は、互いの変わらぬ友誼と繁栄を約束して、って感じに型通りの挨拶が交わされ、特にパーティーなどは開かれなかった。
お互いに急な話だったことと、何よりレガス王国のせいでマイゼル王国側にそれだけの余裕がなかったからだ。
ただ、その式典の行われた謁見の間には、従来のシャンデリアじゃなくて、俺が贈った精霊魔道具のシャンデリアが燦然と輝いてた。
これは俺が贈ったプレゼントを早速使ってくれた、ってだけじゃない。
他国の使節の前で、これはレガス王国には譲らない、つまりレガス王国から謝罪がなければ事を構えることも辞さない、ってマイゼル王国の立場と誇りを示したことになる。
それはフォレート王国に対してだけじゃない。
パーティーでの一連の事件の報告を本国にするために帰国の挨拶をするために訪れた、フォレート王国以外の外務貴族達にもそれを示したわけだ。
マイゼル王国とレガス王国の緊張が一気に高まりきな臭くなってきたことは、すぐに周辺国に知れ渡るだろう。
そんな中、レガス王国が謝罪して武力衝突を回避することがあるだろうか?
まずないだろう。
そんなことをしたらレガス王国の面目は丸潰れだからな。
マイゼル王国がこうしてスタンスを示したことで、周辺国を味方に付けるための綱引きが始まる。
フォレート王国の動きも怪しいけど、少なくともマリーリーフ殿下とアルル姫は何も知らない。
だからそれらの事情は一旦脇に置いて、二人のことは快く送り出してあげよう。
そして式典の終了後。
「で、では、またご領地……で」
アルル姫が心浮き立つような笑顔で、俺の領地へ向けて出発し。
「必ずまた来ます。その時こそ、あなたの領地へ。そして精霊魔道具について話を聞かせて貰いますから」
マリーリーフ殿下はやたら意気込んだ様子でそう一方的に約束を取り付けて、帰国の途に就いた。




