62 会議まで暇だからイチャイチャしてみた
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「エメル様、あ~ん」
「あ~~~ん」
俺の口元にクッキーみたいな焼き菓子を差し出してくる、頬を桜色に染めたフィーナ姫。
パクッとそれを食べると、この上ない幸せそうな、可憐な花が咲き乱れるような笑顔に変わる。
ああもうフィーナ姫が可愛すぎて辛い!
「ふふふっ、いかがですか? 美味しいですか?」
「はい、もう滅茶苦茶美味しいです!」
だって、女の子に『あ~ん』して貰えるなんて、前世と今世を合わせて人生初めてだぞ!?
しかも、超絶美少女のお姫様にだ!
こんな幸せ、俺の人生にあってもいいのか!?
もうさ、お菓子をって言うより、幸せを噛みしめてるって感じだ!
「こんなに喜んで戴けるなんて、勇気を出した甲斐がありました」
そんな俺に満足そうに微笑むフィーナ姫が、何かを期待するようにじっと見つめてくる。
これはあれか? あれだな?
「お返しに、フィーナ姫も、あ~ん」
「あ~ん」
俺も口元に差し出すと、とろけそうな笑顔で頬を染めながら、待ってましたとばかりに小さく口を開けて、小さくかじった。
一息にパクッといかないのは、人前で大きく口を開けて物を食べるなんて淑女としてはしたない、みたいなのがあるのかな?
「どうですか?」
「はい、とっても美味しいです!」
咀嚼する口元を手で隠してゆっくり味わい飲み込んだ後、照れて真っ赤になりながら、普段は見せない年相応の子供っぽさではしゃぐ。
こんな顔見せられたらさ、本当は俺もちょっと……いや、かなり照れ臭くて滅茶苦茶恥ずかしかったけど、頑張った甲斐があったってもんだよ。
それから、何度も小さく『あ~ん』して少しずつかじって、ようやく一枚食べきる。
もう何この可愛い生き物!
悶えて叫びたくなるくらい、無邪気なほくほく笑顔だ。
「フィーナ様ってば、いくらエメル様と想いが通じ合ったからといって、殿方と食べさせ合いっこなんて、未婚の淑女としてどうなんですか?」
「もう、レミーったら固いことは言いっこなしですよ。ロマンス小説で初めて知ってから、想い交わした殿方とこうして食べさせ合いっこするのがわたしの夢だったのです」
テーブルの隅に何冊も積み重ねられてるなって思ってたけど、これってフィーナ姫と姫様が好きなロマンス小説なのか?
「他にも、舞踏会に遅刻しそうになって、はしたなくも急いでいたら廊下の角で殿方とぶつかってしまい、そこから恋が始まるとか、普段は冷たく冷徹な殿方が雨の日に捨てられた子猫を拾っているお姿を見かけてしまい、そこから恋が始まるとか」
えっと……そのロマンス小説って、昭和の少女漫画? この世界の今の時代、昭和だったっけ?
いや、考えようによっては、遥か何世紀も時代を先取りした最先端になる……のか?
「何より、これまではアイゼに遠慮してお側にいられなかったのです。ですから、その間に縮められなかったエメル様との距離を一刻も早く縮めて、もっと恋人らしく親睦を深めたいのです」
「分かる! すごくよく分かります! 俺も、彼氏と彼女でこんな風にイチャイチャするの、憧れてましたから。それにずっと好きになっちゃ駄目だって我慢してたから、その分、いっぱい仲良くしたいです!」
漫画やゲームでさ、主人公の男が幼馴染の女の子と当たり前の顔でアイスやクレープを食べ比べしてたり、ヒロイン達が時に平然と時に照れながら、主人公の男に自分のお弁当やデザートを味見にかこつけて食べさせてあげたり、そんなのを見るたびに、羨ましくて羨ましくて仕方なかったんだ。
だって男なら、好きな子とそんなことしたいって、一度くらい妄想したことあるだろう!?
でも俺の『嫁』はみんな二次元だったから……!
「まあエメル様もですか? そうですよね、憧れますよね」
「はい、俺もこれで夢が一つ叶いました」
お互いに見つめ合い、笑い合う。
ああ、なんて至福の一時!
これぞまさに正しい男女交際じゃないか!?
「それは……お二方ともおめでとうございます……」
レミーさんは、半眼になって砂を吐きそうな顔してるけど。
「ところで……」
と、フィーナ姫が姫様を振り返る。
「アイゼは何を拗ねているのですか?」
「別に……拗ねてなどいません」
でも、なんとなく微妙に面白くなさそうな顔で俺とフィーナ姫を見比べてるよな。
「そのように拗ねずとも、アイゼもエメル様と食べさせ合いっこしてはどうですか? アイゼも読んで憧れていたでしょう?」
「べ、別に私は……!」
そうか、そういうことか!
「姫様、お願いします。あ~ん」
雛鳥よろしく、今度は姫様に向かって口を大きく開ける。
「い、いや、しかし私は……」
チラチラと、クレアさんやレミーさんを気にする姫様。
「そろそろ新しいお茶をお注ぎしなくてはいけませんね」
「あ、クレアさん、あたしも手伝います」
二人して気を利かせてくれたみたいで、ワゴンに向かうと、わざわざ俺達の方に背を向ける。
さあ、これで、他に目撃者はいない!
早く早くって目で急かすと、姫様の頬が見る間に赤く染まっていった。
「っ……」
散々躊躇った後、姫様はクッキーみたいな焼き菓子を手に取ると、躊躇いがちに俺の口元に差し出してきた。
「あ……あ~ん」
「あ~~~ん」
パクッと食べると、姫様の顔が一気に真っ赤に染まった。
幸せと一緒にじっくり味わって、噛みしめて、全部飲み込む。
「美味しかったです姫様!」
「そ、そうか」
そっけない感じに頷くけど、口元がなんとも言い様がないって感じにもにょもにょしてて、滅茶苦茶照れてるのが丸分かりだ。
「じゃあ姫様にもお返しに、あ~ん」
「っ……ぁ……あ~ん……」
怖ず怖ずと食べた姫様。
もう茹で上がりそうなほどに顔が真っ赤だ。
「こ、これは照れる……照れすぎて心臓が保たぬ……」
胸を押さえて、本当にもう、この姫様ってば可愛いんだから!
「しかし、その、なんだ……ドレスを着た男の私がエメルとこのような恥ずかしい真似をしたりされたりするのは、なんと言えばいいか……すごくいけないことをしているような気がして後ろめたいのだが……」
上目遣いで俺を見てくる姫様の両手を握る。
「姫様! そのいけないことをしてるような気持ち、後ろめたさ、それこそ男の娘の醍醐味の一つです! いつまでもその気持ち、忘れないで下さい!」
「……エメルよ、そなたが何を言っているのか、さっぱり分からぬのだが」
「そしていつか、そのいけないことをしてるような気持ち、後ろめたさすら楽しめるようになりましょう!」
「いや、だから……」
うん、思いっ切り戸惑ってるな。
この世界にも、男の娘を題材にした漫画やアニメが溢れてればなぁ。
そうしたら姫様も、もっと積極的に男の娘になろうとしてくれたかも知れないのに!
「っ!? そなた達、いつから見ていた!? お茶を淹れていたのではなかったのか!?」
姫様の視線を追って振り返ると、ワゴンの側でティーポットを手にしたクレアさんとレミーさんが、じっとこっちを見ていた。
「とうに準備は終わってしまったので」
「『あ……あ~ん』から、です……」
何故か目を爛々とさせてるクレアさんと、ばつが悪そうに視線を逸らすレミーさん。
「最初からではないか!?」
「アイゼがいつまでも、モジモジしていたからでしょう?」
「そ、それは…………くっ……!」
恥じ入る姫様も眼福だ!
お茶を新しく淹れてくれたクレアさんが、表情と態度を改めた。
「今更ではありますが、お三方はこのような時にこのようにのんびりと、逢い引きしていらしてよろしいのですか?」
強調された『逢い引き』の台詞に、姫様がまた顔を赤らめて、フィーナ姫が照れたように微笑む。
「だって、作戦も立てて、軍部との折衝も終わって、宮内省とも交渉して……まあこっちは次の戦いが終わるまで結論は保留になっちゃったけど、会議での協力は取り付けたし、他の王室派の貴族達にも根回しは済んだから、後は会議までやることないんですよね」
「そうだな。会議がどれだけ紛糾しようと、反王室派が王家に対してどれだけ無茶を言おうと、結論はエメルが一人で戦い全滅させる、それ以外はないのだから、準備や根回しにそれほど時間が取られることもなかった。むしろ、準備と根回しに忙しいのは反王室派だろう」
「今回に限っては、反王室派が十分に根回しを済ませて、王家に責任の全てを押しつけてくる方が、却って都合がいいでしょう。軍部がわたし達に付いてくれましたから、戦争の準備は全て滞りなく進めてくれる手はずになっています。それらに関して、今さらわたし達がすべきことは残っていませんね」
そういうわけだから、会議が始まるまで時間を持て余しちゃってるんだよね。
で、せっかく三人で結婚するって決めたんだから、もっと仲良くなれたらってことで、フィーナ姫が熱心に、それはもう熱心に、ロマンス小説を抱き締めながら提案してきたのが、さっきの『あ~ん』だったわけだ。
まあ緊張感がないのは認めるところだけど。
「開戦はまだまだ先だし、今から緊張してたら身が持たないですよ? クレアさんもレミーさんも、大船に乗ったつもりで、どーんと構えてて下さい」
「大変に頼もしいお言葉です」
「エメル様のやる気がとっても頼もしいです」
苦笑を浮かべたクレアさんと、楽しげなレミーさんに、力強く頷く。
あっ、そうだ、イチャイチャが幸せ過ぎて忘れるところだった。
「クレアさんにお願いがあるんですけど」
「はい、なんでしょうかエメル様」
「クレアさんのお父さんのグーツ伯爵と話をする時間が取れないか、確認して貰えませんか? 農水省の副大臣でしたよね。日時はグーツ伯爵の都合に合わせるんで、対策会議の数日後くらいに、少し長めに時間を取って貰えるとありがたいんですけど」
「それは構いませんが、エメル様お一人ですか? 要件についてはどのように伝えますか?」
「俺だけじゃなくて、姫様とフィーナ姫も一緒で。要件は例の王家の直轄地で野菜と穀物の栽培する件についてなんで……食料生産の事業計画について内密に相談がある、って感じでお願いします」
これでいいですよねって感じに姫様とフィーナ姫を振り返ると、二人とも頷いてくれた。
「畏まりました」
「じゃあ、いよいよ計画がスタートするんですね?」
レミーさんが目を輝かせて身を乗り出してくる。
残念だけど、それはちょっとだけ気が早いかな。
「計画をスタートさせるために、プレゼンをする段階だけどね」
「エメルと姉上にほとんど任せきりになってしまっていて申し訳ないが、書類の準備は順調なのだな」
「ええ。アイゼは貴族達への根回しがありましたから仕方ありません。そちらが急務でしたからね」
「姫様も根回しが終わったなら会議まで時間に余裕が出来たと思うんで、こっちのお手伝いをお願いします」
「うむ、当然だ。誰もが認めざるを得ない、素晴らしい事業計画に仕上げよう」
俺達は、気持ちも新たに頷き合う。
これはもう、姫様とフィーナ姫、二人を『嫁』にする日はそう遠くないな!