619 動き出す同志
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「シェーラル王国もフォレート王国も作戦は順調か……特にフォレート王国の進軍速度がかなり速いみたいだな」
外務大臣のブラバートル侯爵、グレイブル伯爵のライアン、姫様とフィーナ姫経由で王家の諜報部隊、インブラント商会長、などなど、あちこちから情報を仕入れて全体像を推察する。
どうやらフォレート王国軍が破竹の快進撃で、先行して西進し、ガンドラルド王国北東部の砦や町をいくつも攻め落として、順調に領土を奪還してるみたいだ。
シェーラル王国軍はそれに少し遅れる形で西進し、以下同文。
シェーラル王国軍は兵数が多いからってだけじゃなく、奪還した領土の南側に防衛線を構築しながらになるから、南側をシェーラル王国軍が守る形になってるフォレート王国軍より、どうしても動きが遅くなってしまうみたいだ。
トロルも無策でやられてるわけじゃないだろうけど、まだ冬の最中での侵攻で不意を突かれて、しかもそれが小競り合いじゃ済まない大軍だから、対応が後手後手に回ってるんだろうな。
その上、兵力が大幅に減ってるから、効果的な防衛戦が出来てないんだと思う。
それをチャンスとばかりに、トロルがまとまった兵力を集めて本格的な防衛戦を始めるまでに少しでも多くの領土を奪還しようと、両軍とも奮戦してるみたいだ。
つまりそれは、それだけマイゼル王国の国境線でも緊張が高まってる、ってことでもあるんだけど。
「すごく助かってるのは助かってるんだけど、手に入るのが早くても十数日とか二十数日とか、そのくらい前の古い情報って言うのが、なんともなぁ。それだけ時間が経てば、戦況はまた大きく動いてるよな」
「それは仕方ないでしょう。と言うよりも、全然古くないですからね? 最速で最新の情報ですよ」
俺の愚痴に、ユレースが小さく肩を竦める。
「戦場から本国へ報告が届き、その情報を現地の大使館員が交流のある貴族などから集め、また埋伏させている密偵が調査して、それから早馬を走らせて、シェーラル王国、フォレート王国を経て、ようやく手に入るわけですからね。これ以上早くは無理です」
まだまだ俺には貴族の常識が足りてない、みたいな感じで言うけどさ。
テレビ中継やネット配信を知ってる身としては、どうしてもね。
「ひとっ飛び、現地に様子を見に行くなんて真似はしないで下さいよ」
ウルファーが釘を刺すように言いながら、書類を提出してくる。
「そうしたいところだけど、さすがにそんな暇はないかな」
二月も終わりが近づいてきて、三月になればもう暦の上では春だから、一気に色々なことが動き出す予定だ。
遠い戦場にまで足を運んで、何日も仕事を溜め込むわけにはいかない。
だから素直に受け取った書類に目を通す。
「閣下の指示通り、防壁のある町では、住民および周辺の村の住民をそれぞれ受け入れられるよう、複数の避難施設の設備を整えています。近日中に、水、食料、薬品、毛布その他、備蓄についても順次運び込みを始める予定です」
「ああ、分かった。水、食料、薬品はそれぞれ痛む前に、定期的に入れ替えるのも忘れないようにな」
そのための予算申請書にサインを入れる。
突発的にこういう予算を組めるのも、相応の収入があってこそだよな。
注文した貴族達の御用商人が、クリスタルガラス製品を順次買って行ってくれてるし、投資のようにメイワード伯爵領産の作物を買い付けてくれてるし。
でなかったら、ウルファーとはもっとバチバチにやり合わないといけないところだ。
サインを入れた書類を受け取って、ウルファーが確認してくる。
「住民への周知は避難訓練時にやっていますけど、設備が整ったら改めて周知し直して、避難訓練ももう一度、ですか?」
「ああ、そんな感じで頼む。細かな段取りと日程はユレースに任せるよ」
「分かりました」
◆◆
私はメイワード伯爵閣下の屋敷を辞して、サインを貰った書類を手に、北区の役所へと向かう。
新人達は、まだまだ戦力と呼ぶには程遠い。
元奴隷で他国で文官をしていた再就職組は、マイゼル王国とメイワード伯爵領でのやり方を教えれば、かつての祖国でやっていたやり方との違いを修正してすぐに仕事が出来るだけの知識はあったが、何分、マイゼル王国の母国語として採用されている公用語の読み書きで難航してしまっている。
中には公用語の読み書きを多少出来る者もいたが、長年の奴隷生活で使わなかったため忘れてしまっていることも多く、勉強のやり直しに時間を取られていた。
おかげで任せられるのは、まだまだ雑務の域を出ない。
それ以外の、マイゼル王国出身の新人達は、試験で合格または補欠合格はしたが、最低限の知識があることと、実務をこなせることとはまた別問題だ。
これが他領であれば、まだマシだっただろう。
毎年代わり映えしない仕事の前例と照らし合わせ慣例を学んでいけば、採用後程なく簡単な仕事を任せられるくらいにはなっていたはずだ。
しかしメイワード伯爵領はあまりにも勝手が違う。
かつて王家を凌ぐ『力』を持ったアーグラムン公爵家の、公爵領の領都で財務官をしていた自負があるこの私が、まだまだ毎日手探り状態なのだから、新人達が即座に対応出来るはずがない。
この領地は、他種族が混在して、一から開拓している開拓地のようなものだ。
だから、多くの仕事に前例や慣例がまだない。
しかも他領の仕事も参考に出来ない。
そして、メイワード伯爵閣下のやることなすこと非常識なことばかりなのが、それに拍車をかける。
奴隷の受け入れ、短期間での解放。
次々と建設していく店舗や貿易センターやトンネルや街道。
さらに名物料理と銘打った斬新な料理の数々に、それに必要な食材および調味料などの作物の生産。
そしてオリーブオイル、ゴマ油、砂糖、天然樹脂、ビール、ガラス、資料館、温泉施設、などなど、次から次へと新しい産業を興しては、設備投資をする。
その予算も、まだ入植一年目状態のはずなのに、大量生産する作物の輸出、トロルとの交易で莫大な利益を上げては、蓄財するどころかそのことごとくを投資に回しているため、非常に潤沢だ。
しかしそれは、あまりにも大胆な決断と経済政策だろう。
当然、これだけ投資に回しているのだから、帳簿上は大赤字だ。
そもそも、平均的な伯爵領の三倍もの広さがあるとは言え、それでもまだ公爵領より小さく、領民の総数も平均的な伯爵領にも届かない。
つまり本来はそれだけ経済規模が小さいことになる。
ことになるのに……動く予算が公爵家を上回っているのだから、金庫にお金が貯まるわけがない。
もしどれか一つでも投資に失敗すれば、莫大な借金が残ることになるだろう。
最悪、ドミノ倒しで失敗し、関わる商会や業者が逃げ出して、メイワード伯爵家は破産することにもなりかねない。
しかし、恐ろしいのはこれら投資が全て失敗しそうにないことだ。
特にガラス産業は、操業開始直後から他国にまでその名が轟き、すでに予約が殺到して成功が確約されている。
これら投資の全てが形になり、資金の回収が始まったら、果たしてどれほど莫大な収益をもたらすのか……。
それを考えると握った拳が震えてしまう。
役所へと向かう私の足は、知らず速くなっていた。
「ウルファー」
そんな私の耳に、ふと小さな呼びかける声が聞こえてきた。
一瞬、聞き間違いかと思ったが……。
「おい、ウルファー、こっちだ」
再び聞こえた、辺りを憚るように潜めた声に、一瞬、心臓が鷲掴みにされたような痛みが走る。
思わず足を止めて、声がした方を振り返ると……。
「よう、久しぶりだな」
まだ解体が終わっていないトロルの家屋の陰から、一人の男がコッソリと顔を出していた。
「スグーム……何故ここに……」
メイワード伯爵領にいるはずのない男。
かつて私同様、アーグラムン公爵家にお仕えしていた騎士。
憎き王族やメイワード伯爵の領地経営を失敗させ、その名声を地に落とし、アーグラムン公爵こそ王位に相応しかったと、その名誉を挽回して世に知らしめる、その作戦を共に立てた同志の姿がそこにあった。
鼓動が激しくなり、息が詰まる。
「何故……」
……私はこんなにも動揺している?
何故――
――握った手が震える。
「ウルファー様、お帰りなさい。随分と遅かったですね」
「あ、ああ、悪いな……少し、一人で考えたいことがあってね」
「そうだったんですか。考えなくちゃいけないこと、山ほどありますからね」
予定より一時間以上遅れて役所へと戻った私に、部下はなんの疑いも抱いていない呑気な顔で、処理が終わったらしい書類を持ってくる。
「……ん? ウルファー様、少し顔色悪くありませんか?」
思わずぎくりと身体が震える。
「そう、か? そんなことはないと思うが」
平静を装えただろうか。
「きっとお疲れなんですよ。少し休まれてはいかがですか?」
「その必要は――いや、少し休ませて貰おうかな」
「そうですよ、その方がいいです。ウルファー様に倒れられたら、この領地は立ちゆかなくなりますからね」
またしても、心臓が鷲掴みにされたような痛みが走る。
少し考える時間が欲しい……。
スグームと先ほど話した内容が、何度も何度も、頭の中をグルグルと回っていた。