61 軍部との折衝
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事前会議の翌日。
アイゼ様とフィーナ姫、そして俺の三人は、軍議室を訪れて、軍務大臣、将軍、その他の軍の幹部などを交えて、王都防衛戦についての話し合いを持った。
テーブルに広げられた地図とその上の兵力を表す駒を動かしながら、将軍自らが軍部の立てた作戦を説明してくれる。
想定された戦場は、前回同様に王都南の平原。
そこに至るまでに、王都の南に領地を持つグルンバルドン公爵派の兵により敵の出血を強いて数を減らさせ、進軍の疲労がピークに達したところで迎え撃つ、というものだった。
「そこでこのようにまず部隊を三つに分け、さらにエメル殿にはお一人で遊撃部隊として動いて戴きます。敵が一部隊のみで突出してきた場合、エメル殿が精霊魔法で攻撃し、可能なら殲滅。殲滅が難しいようであれば、中央の部隊が進軍しこれを撃滅します。もし敵が二部隊を出してきた場合、両方の部隊にエメル殿が仕掛け、敵部隊の統率を乱します。そこへ両翼が突撃し撃退します」
三部隊以上で攻めてきた場合は、敵両翼に俺が仕掛けて統率を乱れさせ、そこへ両翼が突撃。俺は残った部隊を可能なら殲滅。無理なら撹乱して時間を稼ぎ、敵二部隊を撃退した両翼が下がって、中央が上がってきて俺の支援をするまで持ち堪える。
それでも対処不可能な場合は、王都での籠城戦に移行。味方部隊が王都まで撤退する間、俺が殿として敵部隊を足止め。タイミングを計って反転し、俺も王都へと逃げ込む。
もし俺の反転離脱が難しいようなら、俺が撤退する時間を稼ぐ部隊を突入させる。そしてその部隊の生還は考慮せず、俺が王都へ逃げ込んだ時点で門を閉じる。
籠城戦になったら、時間を稼いで防衛しながら、俺の疲労回復を待って、防壁の上から敵部隊を攻撃、その数を減らしていく。
後はこれを繰り返し、どれだけ持ち堪えられるか、そして近隣の領地貴族に援軍要請しどれだけの援軍が来てくれるか、賭けになる。
以上が軍部の立てた作戦だった。
「ふむ、昨日の今日であるのに、よく考えられているな。多少、エメルへの負担が大きく、要の部分を頼りすぎている嫌いはあるが」
「はっ、お恥ずかしい限りです。各騎士団の再建も未だ遅々として進まず、圧倒的に兵力が不足しています。王都奪還の実績のあるエメル殿に頼らざるを得ないのです」
苦笑したアイゼ様に、将軍が恐縮したように頭を下げた。
人使いが荒いって言うか、例えば三部隊以上が攻めてきて俺が牽制を入れる場合、他の部隊を殲滅しながら、両翼のフォローも同時にしていかないと駄目ってわけだ。籠城戦になった時も、主に敵を減らすのは俺の役目だから、俺の重要性がかなり高い。
しかも、そこまで俺の実力を信頼してくれてるのは嬉しいけど、将軍はともかく、軍務大臣も幹部達も、この作戦を全面的に支持してるわけじゃなさそうだ。
もしこの作戦を実行するなら色々と言いたいことがあるけど……まあいいか。
ちなみに、フィーナ姫は軍事に明るくないそうで、余計な口は挟まずに黙って聞いておくそうだ。
「どうだエメル、この作戦は可能か?」
「はい、全然問題ないですよ」
俺が安請け合いしたことで、将軍はほっとしたようだけど、他の人達は不安を募らせたらしい。思いっ切り不安が顔に出てるし。
「軍部の提案は分かった。ただ、この作戦に決める前に王家から……いや、エメルからも作戦の提案があるので、それを検討して貰いたい」
「ほう、エメル殿の考案された作戦ですか。興味深いですな」
将軍だけは乗り気で聞いてくれるみたいだから、遠慮なくテーブルに近づいて地図の上の駒を配置し直す。
「まず部隊を二つに分けます。攻撃部隊と――」
駒を一つだけ、敵部隊の真正面に配置する。
「――防衛部隊です」
残りの味方の駒、つまり将軍が配置した三つの部隊、それから順次入れ替えて投入する三つの予備兵力の部隊、これを表す合計六つの駒を全部一箇所にごちゃっとまとめる。そのままだと見栄えが悪いんで、一応三×二で敵部隊に向けて並べ直すけど、その隊列に全く意味はない。
「あと、考慮外のおまけ」
戦場の西の端っこに遠く、余ってた駒を一つだけおいた。
「攻撃部隊は俺一人。防衛部隊はそれ以外の軍部が想定してる兵力全部。道中は一切手出し無用ってグルンバルドン公爵に通達して、トロルどもを全部無傷で南の平原まで誘い込みます」
途端にざわっと、幹部達がざわつく。
軍務大臣が難しい顔をして、将軍も戸惑い顔だ。
それを無視して話を進める。
って言っても、すぐ終わる。
俺の駒を掴んで、トロルの部隊を表す駒を順に全て蹴り倒した。
「こんな感じに、俺が一人で全滅させるんで、防衛部隊も一切の手出し無用でお願いします」
あんまりにも俺が当たり前の顔で自信たっぷりに言ったせいか、ざわめきがどよめきに変わる。
「いや……エメル殿、いくらなんでもこれは……」
さすがの将軍も『なるほど素晴らしい作戦ですな』って二つ返事で賛成はしてくれないか。
軍務大臣が難しい顔からさらに眉間に深い皺を寄せて尋ねてくる。
「騎士エメルは、先ほどの敵の予想戦力を聞いていなかったのか?」
「少なく見積もっても一万数千以上、恐らく二万以上ってことでしたよね?」
「では騎士エメルは、トロル兵二万以上、それも確実にトロルロードとその精鋭数千が含まれる大軍を相手に、飽くまでも一人で全滅させられると?」
「多分、そのくらいならいけると思います。まあ、万が一取りこぼしちゃった場合は、防衛部隊にお願いすることになると思いますけど、多分そうはならないと思いますよ。一気に二万近くが全滅させられたら、さすがのトロルどもも、よっぽどの命知らずの馬鹿じゃない限り、逃げてくでしょう?」
誰も彼も、信じられないって顔だな。
正直言えば俺も、二万匹以上をバラバラで相手にする自信は全くない。多分、途中で精霊力が尽きる。
でも、軍勢としてまとめて相手にするなら、多分いける。
だって、MP一の小技でちまちまと一匹ずつ倒していって百匹倒すより、MP百の大技で一気に五百匹まとめて倒した方が、圧倒的にコスパがいいんだからさ。
要は、そうでもしないと、さすがの俺も軍隊とは戦えないわけで。
だから、横から下手にちょっかい出されて、フォローで余計な精霊力を消耗したくないんだ。
「両殿下は、この騎士エメルの作戦を認められたのですか?」
困惑を深めて確認する軍務大臣に、事も無げに頷くアイゼ様とフィーナ姫。
「その通りだ。エメルは己の実力も弁えない馬鹿ではない。エメルが出来ると言うのであれば出来るだろう」
「むしろ軍部は、エメル様から要請がない限りは絶対に手出ししないよう、きちんと統制を取っておくように。下手に手出しをして、エメル様がその者達を守るために手を煩わされる事態にならないよう、厳命しておいて下さい」
「そういうわけだ。せっかくそなた達も策を考えてくれていたが、今回はエメルの策でいく」
「いや、ですが……」
「兵達が納得しない、か?」
「左様です」
それも無理ないか。
事実上、手柄から何から俺が独り占めするって言ってるわけだからな。
「手柄と戦利品に関しては諦めて貰うほかないが、代わりに等しく王都防衛の戦働きをしたとして、全ての兵士、騎士に通常通りの褒賞金を出そう。それならば、多くの者達は納得するだろう」
「それは……ですがよろしいのですか?」
「構わぬ。徒に兵を失っては、次の戦に勝利してもその次はない。兵を温存できるのが何よりだろう。傷痍兵への見舞い金や遺族への年金を考えれば、その程度の一時的な支出など安いものだ。加えて、戦で武具を傷めることがないのだから、修理や買い換えの費用が浮くとなれば文句はあるまい。そもそも、トロルの武具など大きすぎて人間の手に余る。戦利品として奪うことも出来ぬのだから、元より褒賞金は高めに設定されているのだからな」
装備の統一のために、最初は国から武器や鎧が支給されるけど、その後、訓練や戦闘で痛んだ場合、それを修理するのは個人が給料の中から自費で出さないといけない。まあ、元からそれ込みの給料なわけだけど。そこは前世の中世と同じみたいだ。
だからその手間と費用が掛からずに、戦場で突っ立ってるだけで手柄を立てたのと同じ褒賞金が出るとなれば、楽してラッキーって思う奴も多いんじゃないかな?
そこからは、ちょっとした利権に絡んだやり取りがあって、俺が倒した分のトロルの装備は、王都奪還時に倒した五千匹の分も含めて、全て俺の個人的な戦利品として扱う、ただし軍部には優先的に、それも市価よりうんと安く融通する、ってことで話がまとまった。
第一次王都防衛戦で敵味方の武具を回収したけど、味方の分は遺品として遺族に渡し、その上で傷痍兵への見舞い金や遺族への年金が相当な額に達してる上に、軍を再編する資金繰りも苦しかったらしいから、俺から融通した分を鋳潰して利用するなり、市価で現金化するなりすれば、かなり助かるみたいだ。
何より、やっぱりこれ以上兵を失うわけにはいかない、俺が全滅させて被害ゼロで済むならそれに越したことはない、って言うのが決め手だったんだろう。
「念のため騎士エメルに確認したい。もし騎士エメル一人で対処しきれないほどの、もっと言えば、再建中の軍と貴族達が派兵してくれた戦力を合わせても対処しきれないほどの、未曾有の大兵力で再侵攻されたらどうするつもりだ?」
「なるほど、確かにその可能性もありますね……」
俺がトロルロードを討伐したせいで、トロルどもが怒り狂って大軍で攻めてくるかも知れないもんな。
「じゃあその時は、こんな感じでどうでしょう」
説明しながら、駒を動かしていく。
「まず、進軍開始前に俺が国境線付近で待機してます。それで、進軍開始時に早期発見して報告してくれれば、俺が一人で飛んでってゲリラ戦を繰り返し仕掛けて、対処可能な数になるまで減らしていきますよ。その時は、完全に殺してしまうより、重傷者を増やす方向で攻撃して、負傷者を後送させる手を取らせて数を減らす方が効果的かな? まだ国境付近で深く入り込まれる前に捉えられたら、真っ先に司令官を潰してしまうのもいいかも。深く入り込まれた後だと、撤退の判断をさせられないですからね。それでもおっつかなさそうなら、後方の輜重部隊を襲って、糧食と物資の大半を焼き払っちゃえば、さすがに引き返さざるを得なくなると思うんですけど、どうでしょう?」
コツンコツンとトロルの駒を蹴散らした後、顔を上げると……なんか、その場の全員から唖然として見られてるんだけど?
「エメル殿……それはたった今、考えたのか?」
将軍がちょっと怖い顔で迫ってきながら確認してくるから、思わずコクコクと頷く。
「恥ずかしながら、手に余る数が来るって事を全然考えてませんでした。だから、偵察兵の報告は早めにお願いします」
「……そうか、分かった。徹底させよう」
「ありがとうございます。それから、戦争の終わらせ方についても考えてみたんで、それも聞いて貰えますか? まず――」
ここからは、所謂高度な政治的な判断って奴だ。
当然、事前に俺からアイゼ様とフィーナ姫に提案して話し合い、まとめてある。
「――って感じでいきたいと思いますけど、何か質問はありますか?」
いつの間にか軍議室はしんと静まり返ってて、誰も質問してこなかった。
俺を見る目が、唖然、茫然、理解出来ない生き物を見るような目だ。
アイゼ様とフィーナ姫だけが、そんな軍部の連中を見て笑いを堪えてるけど。
「では質問がなければ意義なしとみなす。これより王家および王室派はエメルの策に従って、この戦争に勝ちに行く。よいな」
◆◆◆
会議が終わり、エメルが将軍や幹部達に掴まり、様々な疑問や質問を投げかけられているのを横目に、軍務大臣イグルレッツ侯爵はアイゼスオートとフィーナシャイアにそっと近づいた。
「殿下、失礼ながら……騎士エメルとは一体何者なのですか?」
「普通の平民、ただの貧乏農家の次男坊だそうだ」
「それを信じろと? 地図を読み解き、個人だからこそ出来るゲリラ戦の応用、補給の重要性の理解、敵司令官を敢えて殺さず残す必要性、死者よりも負傷者の方が進軍の負担になる事の知識など、あの作戦立案能力は軍の首脳部に欲しいくらいです。ましてや戦争を終わらせる政治的な判断を下せるとなると、とてもただの平民とは……」
「そなたの言いたいことは分かる。私も正直、未だに信じられずにいるからな」
この世界の戦争では、真正面から兵をぶつけて力で相手をねじ伏せ、力では相手に適わないと心を折って屈服させる、そのような戦い方しか出来ない、思い付かない者が圧倒的に多い。
特に下級貴族になればなるほどその傾向が強くなり、上級貴族ですら武威を示したがり、補給や戦術を小手先と軽視し、力でねじ伏せることが貴族としての格を見せつけることになると考えている者が多くいる始末だ。
それは、体格や力に優れたトロルのような種族ともなればなおさらだった。
そんな中で、補給の重要性を知り、戦術を駆使し、目先の戦闘の勝利に囚われず、戦略的勝利を考えられる者は貴重であり、脅威となるのだ。
「しかしそなたの心配は無用だ。他国との繋がりも他派閥の貴族との繋がりも一切ないと調べは付いている。あの者が言う通り、王都が陥落したその日まで、ディーター侯爵領の端にあるトトス村で生まれてより一度も村から出ることなく、ただの農民として暮らしていた。そのような生活をしていて、あれほどの知識と教養をいつ身に着けたのか、それだけは不明だが」
アイゼスオートの説明に、やはり言葉だけでは納得がいかないイグルレッツ侯爵に、フィーナシャイアは微笑む。
「エメル様が何者であろうと、アイゼを裏切ることは決してありません。世界中を敵に回しても、必ずアイゼの味方になってくれる、そういう方です」
その確信した言葉に説得力を感じ、王太子であるアイゼスオートが女装し女として振る舞ってまでエメルに降嫁しようとしている話を思い出し、納得する。
もし本当に王都奪還時の報告書通りの、そして今回提案してきた作戦を実行しうるだけの武力という『力』を持ち、これほどの軍事的な知識および政治的な知謀という『力』までをも持つ者であれば、たとえ王太子を女装させて妻として娶りたいなどと言うとち狂った要求を呑んででも、今の王家でなくとも是が非でも囲い込んでおきたい人材である、と。
だから、イグルレッツ侯爵はそれ以上の疑いの言葉を口にするのを止めにした。
エメルの言葉を信じて疑わないアイゼスオートとフィーナシャイアの言葉を信じるのなら、仮に裏切られたとしても対抗できる手立てがないのだ。
将軍たるガーダン伯爵も自分より早くそれに気付いたからこそ、たとえ自分と袂を分かつことになっても王室派に付くと決め、自分にも王室派に付くことを勧めてきたのだと。
ならば信じるしかない。
そして友誼を結び、決して裏切られないように手を尽くすしかない。
そう悟ったのだった。