586 仕事の小さな変化
朝食後は、執務室で早速お仕事だ。
「本日の午前中は、新しいお屋敷のプレハブ工法による建設計画について、倉庫で親方と進捗状況の確認と打ち合せ。その後は役所へ移動して、会議室で各地の温泉施設の建設計画について文官達と打ち合せ。続けて、ルグスの鍛冶職人達から銅像の第一弾が完成間近との報告が来ていますので、ウクザムスでの設置についての打ち合わせ。それから屋敷へ戻り、砂糖工場の責任者から、テンサイ糖の精製方法についての報告があります」
そしていつも通り、秘書兼文官のモザミアから本日の予定を聞く。
今日の午前中は、打ち合せと報告だけで全ての時間を使うことになりそうだ。
「昼食後は、特務部隊に雪中戦を想定した魔法戦の訓練を付け、続けて特務部隊の特別顧問とマージャル族の長老達への技術指導と勉強会」
と、ここまでは以前と変わらないスケジュール確認なんだけど、ここでモザミアが一度言葉を切ってわざとらしく咳払いを入れた。
「その後、短時間ではありますが、特務部隊の特別顧問と今後の特務部隊の訓練と運用についての打ち合わせの時間を取っています。屋敷へ戻られて書類を処理されるのはそれからとなりますので、絶対に忘れないようにお気を付け下さい」
この、短時間だけど特務部隊の特別顧問との打ち合せは、実は打ち合わせの名を借りた二人きりのデートの時間だったりする。
モザミアは無事俺達の結婚が決まった後、秘書としてスケジュール管理をする立場と権限を生かして調整し、それぞれにこういう時間を取るようになった。
事の発端は、エレーナに対して『ずるい』って意見が出たから。
主にエフメラから。あとモザミアからも。
エレーナとは、領地と王都との往復する時、いつも二人きりの空中散歩デートの時間を取ってるようなもんだからな。
ただしデートって言っても、飽くまで空を飛んでる間だけ、それもレドやロクに跨がって前後に座ってるだけで、それ以上の何があるわけじゃないんだけど。
それでも貴重な二人きりの時間には違いない。
さらに言えば、俺が王城にいる間は姫様とフィーナ姫との時間も取ってるしな。
これまでは、その三人とだけ結婚の約束をしてたから文句を言われることはなかったし、その筋合いもないって遠慮してくれてたんだろう。
だけどこの度めでたく同じ立場になったことで、エレーナだけずるいって話になったわけだ。
だから公平になるよう、仕事に大きく支障が出ない程度に、それも飽くまでも通常業務を終わらせた上で、その後二人きりの時間を少し取ることにしたわけだ。
もちろん、リジャリエラとだけじゃなく、モザミアやエフメラともだ。
「リジャリエラには承知したって伝えといてくれ」
「はい、間違いなく伝えておきます」
仕事は大事。
でも、好きな子との時間も大事。
別に毎日の話じゃないし、それも一回につき何十分か程度の小休憩を兼ねてのことだから、それで仕事が遅れて何か問題が起きたって話は聞いてないしな。
「それでその……実は文官達から、伯爵様にはもっと休憩時間を取って欲しい、との要望が」
「それで、モザミアとのデートの時間をもっと取ってどうぞって? 女の子の文官達が?」
「うっ……その、はい」
顔を真っ赤にして、可愛いなもう!
「普通は女の子達とイチャイチャしてる時間があるなら働けって突き上げを喰らうところだけど、何故か逆だよな」
「何故かどころか、伯爵様が働き過ぎだからです。言っておきますけど、もっと休憩時間を取るようにと言ってきたのは、何も女の子達ばかりじゃないですからね?」
真面目な顔に戻って注意されてしまった。
確かに、もしデートの時間を取ってなかったら、その後のスケジュールは前倒しにして、その時間は休憩じゃなくて書類仕事に当ててると思う。
どうやら、俺の書類の処理量が減ることは、文官達にとっては積み上がる処理待ちの仕事の量が減るから大歓迎らしい。
先日、書類仕事のペースを倍近くに上げたせいで、みんな目が死んでたからな。
事実、新人教育もまだ途中で、戦力として考えるのはまだ先になりそうだから、俺の仕事のペースが落ちることを、新人教育と財政を預かってるウルファーが一番喜んでるそうだ。
苦労、かけてるよなぁ。
「伯爵様、どうかしましたか?」
ちょっと遠い目をしてしまった俺に、モザミアが不思議そうに小首を傾げる。
「いや、なんでもない」
「休憩を取るようにとは言いましたけど、気になる点や入れたい仕事があれば、遠慮なく言って下さいね。それを調整するのもアタシの仕事です」
「ああ、その時はよろしく頼むよ」
それはそれと胸を張って言ってくれて、頼もしい限りだ。
ちなみに、このスケジュール確認のスタイルにもちょっとした変化が。
実は、今までのやり取りは全部、執務机の前のソファーに並んで座って、肩が触れ合いそうな距離でやってたりする。
これまでは、俺が執務机に着いて、モザミアは俺の正面に立ってスケジュールの確認をしてたんだ。
でも、結婚の約束をしてからは、ご覧の通りだ。
距離が近いから、ふわっと鼻先をくすぐるモザミアの香りと時々ぶつかり合う肩、そして、ふと目が合ったときにふわりと微笑む笑顔を間近で見られて、なんだかくすぐったいやら照れ臭いやら。
もちろん、他に人がいない二人きりの時に限り、ちゃんと節度は守りながらで。
だから、肩を抱いたり、手を握ったり、スケジュール確認そっちのけでイチャイチャしたりはしない。
そういうのは、ちゃんとデートの時間でやるようにしてるからな。
そんな風に、モザミアはちゃんとTPOを弁えられるし、この程度ならお互いに役得ってことでいいと思う。
何より、俺のやる気が倍増するし。
おかげで、俺も、『嫁』達も、文官達も、ウィンウィンウィンだ。
「本日のスケジュールは以上です。ではアタシも、資料館についての打ち合わせに行って来ます」
「ああ、そっちもよろしく頼む。今日もお互い仕事を頑張ろう」
「はい♪」
以前より三割増しの笑顔を交わして、俺達はそれぞれの仕事へ向かった。
親方との打ち合わせは特に問題なし。
屋敷のパーツの建設は順調だ。
ただ、それらのパーツを管理する倉庫が段々と手狭になってきてるから、春になったら一気に建設をしたいらしい。
と言っても、まだ予定してるパーツの全てが揃ってるわけじゃないからな。
だから時期についてはまた改めて、諸々スケジュールを調整してからってことで話が付いた。
各地の温泉施設についても同じ。
これも春になったら建設を開始したいとのこと。
ウクザムスを始め、各町の家屋の大半がまだ空家だから、一部を倉庫として使っても問題ないんで、施設に必要な資材や備品などは、インブラント商会やドジール商会などを通じてどんどん買い付けてそれぞれ保管して貰ってる。
おかげで、冬場なのに隊商の馬車の往来が比較的多くて、地元の領民に加えて外からの客も当てにしてるレストラン街は、客足が鈍る冬場でも大きな問題はなく営業を続けられてるみたいだ。
やっぱりこういう公共事業って、多方面に色々と影響を与えるから重要だよな。
銅像についても問題なし。
設置場所についてはすでに各町ごとに場所を決めてるから、これも春になったら輸送を開始するとのこと。
この銅像の輸送のこともあるし、なんだかんだで新主要街道とウクザムスとの街道整備が後回しになっちゃってるから、春を待たず、近々一気に進めてしまおうかな。
テンサイ糖の精製については、まだまだ試行錯誤の段階で、やっぱり精霊魔法で一気にやった方が手早く純度も高くなる。
ただ、最後に不純物を取り除いて純度を上げるだけならともかく、行程の最初から最後まで全てを精霊魔法でやるには、すぐに精霊魔術師の精霊力が尽きてしまって、生産量がとてもじゃないけど少なすぎる。
そこをどうするかは、引き続き実験を続けて貰わないと駄目だな。
エレメンタリー・ミニチュアガーデンを使えば、いくらでも実験に必要なテンサイを栽培出来るから、全力で取り組んで欲しいところだ。
昼食後の、特務部隊の雪中戦を想定した魔法戦の訓練では、特務部隊の気合いの入り方がこれまで以上だった。
ガラス職人の誘拐事件以降、気を引き締めて訓練をしてくれてたけど、リジャリエラが遂に八属性の精霊と契約出来たことでさらにマージャル族のやる気が上がってて、他の者達もみんなそれに引っ張られてる感じだ。
俺は詳しくないから担当してないけど、警備訓練や偵察の訓練なんかも、想定よりいいペースで成果が上がってるらしい。
それは長老達も同じで、勉強会での集中ぶりはすごかった。
特に長老達には俺とリジャリエラの結婚について報告したから、それもあるだろう。
まあ四人の長老達のうち、三人はお爺さん、お婆さんで、唯一の若い男は脳筋っぽいから、物覚えが良くなるにしても限度があるんだけど。
でもこの勉強会で学んだ知識の多くは、俺の代わりにこの長老達を通じてマージャル族全体に広まっていくから、是非頑張って貰いたい。
そして、リジャリエラとの打ち合わせの名を借りた、デートの時間だ。
長老達と一緒の時は巫女姫然としてたけど、二人きりになった途端、素顔の女の子の顔を見せてくれる。
「最近、毎日ガ充実していて、とても楽しいデス」
笑顔が零れて、リジャリエラが歌うようにそう言う。
「それは俺もだよ。こうして一緒に過ごせる時間も増えたしな」
「ハイ♪」
あまり長い時間取れないから、どこかに遊びに行くとか、特に何をするとか、そういうデートの時間はまた別に取る必要があるけど。
でも、忙しい仕事の合間を縫ってちゃんと時間を作って会ってる、その事実がお互いにとってすごく大事で、特別な感じだ。
特にリジャリエラは黙って見つめ合ってるだけでも、すごく喜んでくれるからな。
「そうだ、増えたと言えば、リジャリエラの精霊力も順調に増えてきてるな」
「ハイ、あの日から毎日、欠かさず増やすことヲ意識していマス。自分の中にある精霊力ガ日ごとに増えていくのヲ感じられるのハ、とっても楽しいデス♪」
リジャリエラにも仕事や勉強があるし、精霊の森で集中的にやったみたいに出来ているわけじゃないだろうから、あの時に比べると劇的な伸びは見られない。
だけど、それでもざっと元の二割程は増えてるように見える。
元から普通の人の三割くらい多かったから、普通の人の五割強くらいになってるみたいだ。
「これから春までのしばらくの間、少し集中して精霊力を増やして貰ってもいいか?」
「ハイ、それハもちろん構わないデスけど、何かありマスか?」
「ああ。春前に街道整備をしようと思っててさ。今回もエフメラに頼むんだけど、リジャリエラにも頼もうと思ってるんだ」
「それハ……! ハイ、頑張って増やしマス!」
「ああ、よろしく頼むよ」
まだ精霊力の総量は少ないけど、せっかくだから八属性の契約精霊をフルに動かす仕事も体験して欲しい。
それに、仕事とは言え、一緒に過ごせる時間も増えるしな。
ただ、残念なことに、イチャイチャ浮かれてばかりもいられなかった。
「良かった、戻られましたか伯爵様。至急お耳に入れたいことが。ここ最近になって急に報告件数が増えてきたので、実態を詳しく調査させたのですが――」
ユレースからの報告を聞いて、せっかくのデートで楽しかった気分が一気に憂鬱になる。
「エルフか……具体的な動きはまだ見せてないんだな?」
「はい、まずは領地に融け込むことを優先しているようですね」
「分かった。警戒を強めてくれ。ただし、相手には悟られないように頼む」
「分かりました。至急、手配しておきます」




