550 新グレイブル伯爵の謝罪
ともかくお互いソファーに座って、パティーナに淹れて貰ったお茶を一口飲んで落ち着いてから詳しい話に入る。
「父は非常に頭が切れる、息子の私から見ても尊敬できる人物だったが、近年は自身の才に溺れている傾向が見られていてね。再三、自重するように進言してはいたんだが聞き入れて貰えず、案の定、取り返しの付かない失態をしでかしてしまった。しかも今回は本来冷静にストッパーになるべき母の方が目の色を変えていて、むしろ父より母が主導していたと言っても過言ではないくらい、その執着が尋常ではなくてね。とてもではないが、私では抑えきれなかった」
父親の前グレイブル伯爵や前伯爵夫人は、確かに自信に溢れてるって言うか、偉そうでプライド高そうって言うか、そんな感じだったもんな。
息子のライアンも、その沈痛な表情や口ぶりには、自分に対する自信が漏れ出てるように見える。
一応、謝罪の場だからか、謙虚な態度を取ってるみたいだけど。
「それで、前伯爵と前伯爵夫人は?」
「事が落ち着くまで、見張りを付けて別邸で謹慎して貰うことにした。謹慎を解くかどうかは今後の二人の態度次第だね。仮に謹慎を解いたとしても、二人が表舞台に立つことは二度とないから、メイワード伯爵の視界に入ることはないのでご安心を」
言い切ったか。
姫様の誕生日パーティーで挨拶したときは、父親の前グレイブル伯爵が前面に出てたからライアンがどんな性格かハッキリ印象に残ってなかったけど、こうして改めて向かい合って話してみると、ハキハキとした、そして淀みない喋り方から、すごく頭が良さそうに見える。
父親みたいな神経質そうな感じはなくて、どちらかというと母親似のイケメンだ。
「両親がそんなことになって、って言うか、そんな風に謹慎させたのに、随分と平然としてるように見えるな」
「もちろん、思うところがないわけじゃない。先ほども言った通り、私は父を尊敬していたからね、当然、母のことも。しかし父も母もメイワード伯爵の『力』も性格も読み違えた。そうでなくても、王家に顔向け出来ない真似をした」
明言を避けて曖昧にしてるけど、同じ派閥の俺のガラス産業を奪い取ろうとしたことだよな。
具体的に口にしたら、明らかに謝罪しないといけなくなるから。
「だからグレイブル伯爵家を守るためには、ご退場戴くしかない」
真っ直ぐに俺を見ながら言い切った。
貴族として家を守るためのやむを得ない判断だったって、自分が間違ったことをしてないって意志の強さを感じる。
だからこれで手打ちにして欲しいってことか?
もしそうだとしたら、それは虫が良すぎる話だろう。
「なるほど。それで? 代替わりしたからその挨拶、ってわけじゃないよな?」
「それはもちろん」
俺の懸念って言うか、警戒って言うか、それを見て取って、ライアンは至極真面目な顔で頷いた。
「ただ、こう言ってはなんだが、正式な謝罪の形を取ることは他派閥に対して外聞が悪く、お互いにとっても、王室派にとっても、利よりも害が大きくなってしまう」
そこで一度言葉を切って、俺の反応を窺う。
それを俺がどこまで理解してるのか、正式な謝罪をしないことを怒り出さないか、それを見極めようとするように。
「懸念は理解してる。それで?」
ちゃんと俺が理解してるって示すと、ライアンはわずかに目を見開いて、納得とも自嘲とも警戒とも取れる曖昧な苦笑を浮かべた。
「失礼。私もどうやら見誤っていたようだ」
『我が君が正式な謝罪をしないことを怒れば、その理由を説明して宥めてやり込め、同じ派閥の貴族同士の問題を大きくしないために我が君が寛容な態度を見せれば、当主交代だけで責任を取ったことにして謝罪を終わらせるつもりだったようです』
それはまた、こっちを舐めて本当に虫がいいことを考えてたんだな。
『しかし、我が君が貴族として状況を理解した上で、貴族らしくなんらかの謝罪を求めていることを理解したようで、我が君への評価を大きく上げて、一人の貴族として対等に接することを決めたようです』
なるほど。
もしかして俺はライアンに試されてたのかもな。
あんまりいい気はしないけど、一応、合格したってことなんだろう。
だったらなおさら、ちゃんとした謝罪や賠償はして貰わないとな。
「どうだろうか、グレイブル伯爵家とメイワード伯爵家の間で通商条約を結ぶ形でご寛恕戴きたいのだが」
「通商条約?」
「そう。お互いの領地間での輸出入の額は大きいわけだからね」
「それは中身次第だな」
ただ仲良くしましょう、商売でちょっと便宜を図りますよ、ってレベルの話なら、一蹴するしかない。
その程度の謝罪じゃ、事は収められないからな。
そんな俺の考えを承知してるとばかりに、ライアンは頷いた。
「今後五年間、我がグレイブル伯爵領から生肉および加工肉などの肉類を三割引きで、肥料を五割引きで輸出する。メイワード伯爵領から作物を二割増しで輸入する。と言うものでどうだろうか?」
「……は? そっちからのはいいとして、俺の領地の作物を二割引きじゃなくて、二割増し?」
「そう。その上で、今後とも変わらぬお付き合いをお願いしたい」
グレイブル伯爵領は畜産が盛んで、メイワード伯爵領は肉類や肥料を大量に輸入してる。
何しろ、エレメンタリー・ミニチュアガーデンを使うたび、土地が痩せてしまわないように、都度、大量の肥料を消費するからな。
しかも、獣人達がとにかくお肉大好きだから、こっちも積極的に輸入しないととてもじゃないけど量が足りないわけで。
そういう意味で、畜産が盛んで肉が重要な輸出品目で、家畜の糞尿から大量の肥料を生産してるグレイブル伯爵領は、実はお得意様なんだ。
当然、他の領地からも輸入してるけど、肥料も肉類も、輸入先のトップはグレイブル伯爵領だ。
そういうわけで、本来なら揉めたくない相手だったんだけど……事が事だけに、密偵を処分して思惑を潰して後は放置ってわけにはいかなかったんだよ。
まあ、裏を返せば、グレイブル伯爵領にとってもメイワード伯爵領はそれらを大量に買い付けてくれるお得意様だから、グレイブル伯爵家としても本来ならメイワード伯爵家とは揉めたくなかったはずだ。
だから多分、自信過剰になってた上に欲に目が眩んだ、前グレイブル伯爵と伯爵夫人の暴走だったんだろう。
それを、俺の方が圧倒的に得をする通商条約で謝罪と賠償としたい、ってことか。
「それは……随分と思い切ったな」
「謝罪は迅速に、そして誠意を持って行うべきだと思ってね」
ジターブル侯爵に言った『相応の誠意』って奴を、こういう形で見せたわけか。
悪くない。
って言うか、上手いもんだ。
ただでさえ、俺は尋常じゃないくらい大量の肥料を使ってる。
しかも、ガンドラルド王国からまだまだ大勢の奴隷達が引き渡される予定だ。
当然、領内で消費する作物を生産するために、これまで以上に肥料が必要になる。
つまり今後、肥料の消費量は増える一方だ。
加えて、肉類の消費量も増えるわけだけど、作物に対してこっちは、さすがにおいそれと家畜の数は増やせない。
今後も獣人達が増えることを考えれば、人口の増加量に対して肉類の消費量は遥かに大きくなる。
何しろ、大豆ミートはその不足分を少しでも補うためのものだったからな。
それが五年も続くって言うのは、かなり助かる。
ガンドラルド王国から奴隷が引き渡されるのは、今後何年掛かるか分からない。
でも、五年もあれば領内の人口はかなり増えて、作物の生産量も家畜もかなり増やせるはずだから、以降の対応がかなり楽になると思う。
そのための受け皿の準備をかなり進めやすくなるのは間違いない。
しかもだ。
当然それを見越して、グレイブル伯爵領でも家畜の数を増やすんだろう。
家畜が増えれば、肥料の生産量も増やせるわけだしな。
今後メイワード伯爵領は輸入量を増やさざるを得ないんだから、割引きと割増しで浮いた金でもっと買ってくれって、グレイブル伯爵領としては薄利多売になるだけで、大損どころかむしろ儲かるはず。
その上で、今後も変わらぬお付き合いってことは、当然、農地生産改良室のメンバーの派遣、精鋭精霊魔術師の育成、そして俺の領地から高品質の作物の輸入はこれまで通りにするってことだ。
つまり、お詫びに俺の領地から作物の輸入量を増やして誠意を見せてますよって形を取りながら、小国家群への輸出量を増やすことで、通商条約で割り引いて輸出した損と割高に輸入した損を、十分に取り返せるって魂胆だろう。
さらに言えば、もしドワーフのガラス職人達が奪われてしまってたら、当然返還要求はするけど、手続きが色々と面倒なことになるし、その賠償にもっと吹っかけることが出来たはず。
でも、俺達がそれを阻止したことで被害を最小限に抑えたから、過剰に吹っかけるのは躊躇われる。
事を荒立てないで治めるのなら、十分に妥当な提案かも知れない。
別の形で謝罪しながらも、ちゃんと自分にも利があるように立ち回って、ウィンウィンにしようってわけだ。
強かだな。
しかもクレバーだ。
ただそれだと、本当にそれって謝罪なのかって、スッキリしない部分がなきにしもあらずだけどさ。
「十分納得して貰えていないようだね」
「まあ、ぶっちゃけて言えば、そっちに都合が良すぎるだろう? って言うか、むしろ得してるんじゃないか? それで納得しろってのが無理筋だろう」
「さすが、まだメイワード伯爵を過小評価してしまっていたようだ」
むしろ楽しげで満足げな笑みを浮かべると、表情を改めた。
空気がピリッと張り詰めて、俺も思わず背筋を伸ばして内心身構える。
「なのでもう一つ、喜んで貰えるだろう話を用意してあるから安心して欲しい」
「へえ、それって?」
「我がグレイブル伯爵家は、メイワード伯爵派へ入りたいと思う」
「はあ!?」




