55 パンドラの箱、開く
「何を馬鹿なことを言っているのです、いい加減にしなさいレミー! エメル様を責めて責を負わせようなどと、お門違いにもほどがあります!」
クレアさんがレミーさんを羽交い締めにして、俺から引き離す。
「だって! だって!」
「レミー」
フィーナ姫の優しく諭す呼びかけに、レミーさんがピタリと止まる。
「ありがとうレミー、あなたの気持ちはよく分かりました。ですがいいのです。この国の姫として生を受けた以上、すでに覚悟は出来ています」
「フィーナ様……」
辛さを隠して微笑むフィーナ姫と、そんなフィーナ姫を思ってポロポロ泣くレミーさん。
「済まぬ姉上……済まぬレミー……こうなると予想出来たはずであるのに、私は気付かぬまま姉上を傷つけエメルと…………全ては私の責任だ」
「いいえ、アイゼ様の責任ではありません。アイゼ様が王太子である事実を告げるのを妨げ、エメル様を利用しようと画策した愚かな私の責任です」
誰もが自分の責任だと悔いる。
このままでは誰も幸せになれないと嘆く。
だけどそんな四人を余所に、俺は衝撃に心揺さぶられていた。
『だったらもういっそ、お二方ともお嫁さんにしちゃえばいいじゃないですか!』
その衝撃に、俺の心の奥底で何かが開いていく。
そう、まるでパンドラの箱のような物が。
中から溢れ出してきたモノに、それが何故パンドラの箱に封じられてたのか、すぐに理解出来た。
中に入ってたのは、俺の前世の記憶と感情だ。
前世の俺は二十歳で成人済みだったから、全年齢向けだけじゃなく、エロゲーだってやっていた。
エロゲーのヒロインは全員俺の女で、ハーレムルートは必須で至高。
ラノベだって漫画だって、ハーレム展開があってこそ。
だってリアルじゃ女に相手にされなくて、彼女が出来る夢も希望もなかったし。
せめて創作の世界や妄想の中でくらい、女の子にモテたいじゃないか。
だから『一人しか選んじゃ駄目とか、リアルってクソゲーじゃね?』って諦めて、理想の女の子を二次元に求めたんだ。
特に惚れ込んだヒロインがいれば、その子達はみんな『俺の嫁』で、部屋はそれこそ百人を下らない『俺の嫁』グッズで溢れかえってた。
次々に新作がリリースされて新しい『俺の嫁』が増えても、過去の作品になって誰からも忘れ去られても、押し入れの奥で埃を被らせることなく、俺は変わらず全員を愛し続けた。
まあ……こんな記憶と感情は、三歳児の健やかな成長には百害あって一利なしだよな、どう考えても。
だから、前世の俺と今世の俺が一つになったとき、これらの記憶と感情が封じられて、心の奥底に沈められたに違いない。
おかげで今世の俺の目は、ちゃんと三次元に向いてる。
前世でいいことも女の子との縁もなかった分、今世こそって前向きになれたんだ。
じゃあ実際にリアルで恋愛するとして……一人しか選んじゃ駄目なのか?
同時に複数の女の子を好きになるのは悪いことなのか?
元の世界じゃ一夫一婦が一般的で、法律でそう定められてたけど、こっちの世界じゃ違う。
特に王族や貴族は一夫多妻が一般的で、法律でもそれが許されてるんだ。
そう、法的に許されてるんだよ、何人もの女の子を好きになって『嫁』にしても。
何も悪徳貴族みたいに力を振りかざして、やりたい放題手当たり次第に手籠めにしようってわけじゃない。
ましてや、女の子なら誰彼構わずや、遊びで取っ替え引っ替えでもないんだ。
ここで俺が決断して動かなきゃ、不幸になる女の子がいる。
だったら、好きになった女の子を助けるのに、前世の法律や倫理観や常識を持ち出していい子ぶってる場合じゃないだろう?
こちとらあろうことか、王子様に女装させて男の娘にして、お姫様扱いで嫁にするつもりなんだぞ?
相思相愛でお互い幸せになれるなら、そして誠実にお互いを幸せにしようと努力し続けられるなら、リアルでハーレムルートを選んで何が悪いってんだ。
パンドラの箱から出てきたのは、災厄じゃない。
何人嫁がいようが変わらず平等に、そして永遠に愛せるだけの愛と希望!
そして箱の中に残されたのは、今世で不要な前世の常識と卑屈な自分!
この記憶と感情が今このタイミングで甦ったのは、絶対に偶然じゃない!
「姫様」
お通夜状態でみんな俯く中、席を立って、姫様の手を取ると立ち上がらせた。
「エメル? 何やら少し雰囲気が変わったか……?」
それには答えず、恭しく姫様の手を取り直す。
ハーレムルートを目指すと決めたからには、真摯に、誠実に、俺の想いに嘘偽りはないって、ちゃんと伝えないと。
「俺、姫様が好きです。その想いは日々大きくなる一方で、姫様を永遠に愛し続けることを誓えます」
「なっ、そなた何を急に……!?」
ああもう、真っ赤になって照れちゃって!
だから姫様は可愛すぎて大好きだ!
「姫様のことが大事で、姫様の幸せが第一だから、姫様が嫌がることはしたくないです。だから、これから俺がするお願いが嫌だって思ったら、遠慮なく正直に嫌だって言って下さい。その時は潔く諦めます」
「……その願いとはなんだ?」
「もう一人女の子を好きになって、姫様と一緒にお嫁さんにしてもいいですか?」
「「「「!?」」」」
場が一瞬静まり返る。
目を見開いた姫様が戸惑うようにチラリとフィーナ姫に目を向けるけど、俺は姫様を真っ直ぐ見つめたまま逸らさない。
「つまり……そういうことなのか?」
「そういうことです」
フィーナ姫の息を呑む気配が伝わってきたけど、俺は飽くまでも姫様から目を逸らさない。
姫様が目を伏せ、視線を彷徨わせ、躊躇うように口を開いては閉じを繰り返して、やがて真っ直ぐに俺を見つめてきた。
「そなた、本気か? 本気で私と姉上を……?」
「本気も本気です」
「…………」
姫様がじっと俺の目を見つめてきた。
どれほどそうしていたか、姫様が複雑そうに小さく苦笑する。
「……その瞳、あの時と……私が男と知ってなお女にしか見られないとプロポーズしてきた時と、なんら変わらぬな。そなたの本気は伝わった。そなたを信じよう。好きにするがいい」
「ありがとうございます!」
他の三人がどよめいて、クレアさんなんか激しく動揺してるけど今は無視。
俺は、姫様への想いを姫様が信じてくれたことが嬉しい!
不誠実だ、浮気だ、裏切りだって言われたら、どう俺の想いを信じて貰うか、内心身構えてたんだけど、全然そんな必要なかったんだからな。
「ただし」
姫様が頬を赤く染めながら、恥ずかしげに顔を伏せてしまう。
「信じてはいるが、その……私が本当は男だからと、姉上ばかりにかまけるのは許さぬからな?」
「もちろんですよ! これまで以上に、いっぱいイチャイチャしましょう!」
ヤキモチ焼く姫様、可愛すぎ! マジ天使!
思わず抱き付いたら、慌てふためいてもがく姫様。
「い、言うほどイチャイチャはしていないだろう!」
「本当に姫様ってば可愛いんだからもう!」
愛情はお金と違う。
好きな子が増えたからって、一人頭の分け前が減るわけがない。
そうさ、百人を下らない『嫁』を変わらず平等に愛してきたこの俺が、たった二人を平等に愛せないはずがない!
最初は恥ずかしそうにもがいてた姫様も、やがて安心したように大人しくなると、最後ほんのわずかに頷いてくれた。
「信じてくれてありがとう姫様」
「うむ…………さあ、もう私のことはいいだろう」
愛おし過ぎてこのままずっと抱き締め続けたいけど、それはまた今度ってことにして、姫様を解放する。
そして、フィーナ姫の前に進み出た。