54 爆弾発言
かつてフィーナ姫には、国境を北に接するゾルティエ帝国領レガス王国の王族との婚約の話が進んでいたそうだ。
ところが、突然の白紙撤回。
しかも、それ以外の国の王族からの結婚の申し込みまで途絶えてしまったらしい。
だったら国内の有力貴族と、ってなるはずが、その話すらまとまらない。
結局、今に至るまで、婚約者はおろか、有力な婚約者候補すら定まらないまま。
さらに時が過ぎ、姫様……王太子のアイゼ様が成人間近になった。
なのに同様に、貴族達のパワーゲームのせいで、王太子であるアイゼ様の正式な婚約者すら決まらない。
十四歳で成人するのに、王族に婚約者候補すらいないのは、異常事態だそうだ。
どうにもそんな異常事態を、アーグラムン公爵が陰で糸を引いて演出してる可能性が高いらしい。
そして、そうこうしてる間に今回の侵略戦争が起きてしまった。
「エメル様が褒賞にアイゼスオート様を妻に娶られるというお話は、貴族達の間に徐々に知られ始めています。ですので、フィーナ様に女王陛下として戴冠して戴こうという積極的な動きが一部の貴族達に見られます。もちろん、アイゼスオート様がエメル様に降嫁されるのを阻止して、本来あるべき通りに戴冠して戴こうと動いている貴族達も当然いますが、どちらかと言えば少数派です」
要は貴族達は、姫様を王太子から引きずり下ろすことに決めたってわけだ。
敗戦の責任を王家に押しつけて権威を地に落としたい連中からしてみれば、勝手に王太子が失脚して王位継承権を失うみたいなもんだろうからな。
俺が原因とはいえ、ちょっとむかつくな。
「でもそれだったら、フィーナ姫と結婚して権力を握ろうって連中が、こぞって湧いてきそうなもんだけど」
だけど現実は、ただの一人も手を挙げないそうだ。
「王都失陥の責任を全て王家に押しつけようとしている貴族達が多い中で、その王家に名を連ねたくはないようです。ましてや、このまま戦争に負けたら王族と連座して処刑されちゃう可能性がありますから」
「それで日和見してるってわけか」
忌々しそうに、レミーさんが頷く。
「それに、未だに大半の貴族達がエメル様のお力を半信半疑っぽいので、この戦争に勝てるとは露ほども思っていないんです」
「事実なのに?」
「荒唐無稽過ぎますよ。失礼ながら、あたしも当事者じゃなかったら、大げさに誇張されてるとか、王家がいもしない英雄を祭り上げて権威を取り戻そうと画策してるとか、絶対なんか裏があるって勘ぐっちゃいますね」
そう言われると、当事者じゃなかったら俺もそんな風に考えるかも。
「仮に勝っても、衰退した国を背負って復興させなくちゃいけません。それも戦後処理で殺到するだろう貴族達の我が侭に悩まされ、理不尽な突き上げをくらいながら」
なるほど、そんな面倒事はごめんだから、フィーナ姫はお断りってわけか。
「恐れ多いことに、女王陛下になったフィーナ様に戦後復興を押しつけ失敗させて、王家に統治能力なし……って流れに持って行きたいんだと思います。その後、フィーナ様を排するのか、形だけでも婚姻して旧王家を取り込んで統治に正当性を持たせるのか、そこまでは分かりませんが」
「そういう平和的な流れで王権を委譲させて、この国を牛耳りたい奴がいるってことか。中には、これを機にクーデターを起こして王位を簒奪してやろう、って目論んでる奴らがいてもおかしくない状況だもんな」
レミーさんは明言を避けたけど、本当にクーデター派もいるみたいだな。
つまり、幾つもの貴族達の思惑が絡み合って、そういう流れになってきてるから、そのとばっちりを受けたくないってわけか。
「それでもフィーナ姫と結婚したいって情熱的な奴はいないんですか? フィーナ姫に惚れる男なら、ダース単位でいそうなもんなのに」
「残念ながら、トロルロードのせいで……」
「そっか……ん? トロルロードのせいで?」
フィーナ姫が恥を忍ぶように、そして辛そうに顔を伏せてしまう。
姫様も何かに気付いたように、はっとした顔をして、俺から目を逸らした。
クレアさんまで、申し訳なさそうに目を伏せてしまう。
話の核心は、どうやらここかららしい。
「トロルロードのせいって、どういうことなんです?」
「トロルロードがフィーナ様を妻として娶ると布告を出したせいです。そのせいで、フィーナ様はすでに純潔じゃないと、口さがない者達が噂していまして……」
「なっ!? 俺はちゃんと間に合ったんですよ!?」
「はい、もちろんです。ですが、真実を知るのはフィーナ様とエメル様のお二方だけ。手遅れだったものを、フィーナ様の名誉のために口裏を合わせている、そう考えている貴族が少なくないんです」
今にもその貴族のところに駆けていって、殴ってやりたそうに拳を握り締めるレミーさん。
俺も目の前でそんなこと言う奴がいたら、貴族だろうがなんだろうがぶん殴ってる。
「なんでそんな風に考えるんだ? えげつなさ過ぎるだろう」
王家を……フィーナ姫を貶めたいにしても、女の子に対してそのやり方はあんまりじゃないか?
「なんでも何も、フィーナ様をお救いしたエメル様が、フィーナ様ではなくアイゼスオート様をお選びになったからですよ」
「え? 俺が姫様を選んだからってどうして……あっ!」
そういうことか!
「はい、その通りです。英雄として褒美に望むのであれば救い出した姫のはず。しかしそうしないのは、すでに手遅れだったからなのだろう。だからそっくりのアイゼスオート様を女装させて姫として……と」
嘘だろう!? そんな形で俺がフィーナ姫を貶めてたのか!?
「もちろんフィーナ様が戴冠した後に王配として権力を握ろうと画策してる貴族達もいます。でも、その手合いの貴族達は、婚約者候補に手を挙げず、王家からの打診にも答えをはぐらかしながら時期を待っているんです。最低でもフィーナ様がご懐妊されていないことが判明し、この国がトロルに勝利するのを」
そんな様子見しようなんて輩は、絶対にろくでもない奴に決まってる!
「まさか、俺のせいでフィーナ姫にそんな結婚しか残されてなかったなんて……」
「エメル様の責任ではありません。全てはフィーナシャイア様を……王家を貶めようと画策している貴族達に責があります」
ずっと黙っていたクレアさんが、レミーさんを咎めるように口を挟む。
もしかしてクレアさんと次期公爵は、その最悪の事態も見越して……?
そんな俺の問いかけの視線に、クレアさんは申し訳なさそうに目を伏せてしまう。
そっか……。
もし俺が間に合わなくて最悪の事態になってたら、フィーナ姫の結婚は絶望的だ。
体面やプライドの塊の貴族達の手前、保養地や別荘に引きこもるかなんかして、フィーナ姫は表舞台から姿を消すしかないだろう。
それを考えれば、たとえ平民でも、英雄に祭り上げられるだけの実績を持つ男に降嫁するって形で押しつけられれば、多少なりとも体面は保てるわけだ。
つまり、俺はどっちに転んでも都合がいい駒だったんだな。
まあ……クレアさんの本当の気持ちを知ってる以上、クレアさんを怒る気にはなれないけど。
でも、次期公爵には怒っていいよな?
「いいえ、エメル様の責任です。だからエメル様、責任を取って下さい」
「えっ!?」
「レミー! エメル様にはなんの責任もありません!」
「いいえフィーナ様。フィーナ様の幸せのためなら、あたしはなんだってするって決めたんです。だから、エメル様にはいっぱい責任を感じて戴きます」
いっぱい責任を感じて戴くって、何それ!?
「そもそも、マイゼル王国の臣民でありながら、第一王女のフィーナ様と第一王子のアイゼスオート様のことを何も知らないこと自体が罪なんです! 不敬罪ですよ! 不敬罪!」
「うっ……」
「いくら侍女に扮していたとはいえ、アイゼスオート様のお名前を聞いて第一王子と分からないなんて許されることじゃありません!」
「ぐっ……」
「それでプロポーズってどこまで間抜けなんですか!? アイゼスオート様が第一王子だとちゃんと知っていたら、こんなことには……フィーナ様がこのような辛いお立場に立たされることはなかったんです! その責任をどうお考えですか!?」
「くぅ……!」
確かにその通りだ……。
知らなかったじゃ済まされないんだよな、本当なら。
そのせいでフィーナ姫を苦しめてるなら、俺がなんとかしない駄目じゃないか。
フィーナ姫の名誉のため、幸せのためを考えるなら、ここは救い出した英雄たる俺が褒美として望んで結婚するべきだ。
そうすれば、少なくとも純潔じゃないなんて事実無根の不名誉な噂は消えるはずだ。
でも、それには……。
「エメル、そなたに責はない……責があるとすれば、そなたの誤解を解かなかった私の責だ」
「姫様……?」
「事を丸く収めるには、私が身を引くべきなのだ……しかし……」
姫様が辛そうに呟く。
一瞬焦ったけど、その苦しそうな顔を見て、ついほっとしてしまった。
お姉さんのことがあっても、身を引きたくないって思ってくれてるんだ。
それは純粋に嬉しい、嬉しいけど……。
そうなると、俺はどう責任を取ればいいんだ!?
姫様を……アイゼ様をここまで男の娘に染めて『俺の嫁』扱いしときながら、フィーナ姫に乗り換えて男に戻ってどうぞなんて、そんな無責任な真似は出来ないし、何よりしたくない!
かといって、フィーナ姫もこのまま放っておけないし……!
「エメル様」
フィーナ姫が意を決したように顔を上げる。
「私のことでエメル様が責任を感じられることはありません。エメル様のお気持ちは重々承知しています。アイゼを幸せにしてあげて下さい」
「フィーナ姫……」
「姉上……」
きっと辛いだろうに、まるで全てなかったことのように、優しく姫様を慈しむように微笑むフィーナ姫。
やばい……心が揺れてしまう。
こんな健気な女の子が不幸になるのを、黙って見過ごすなんて……!
でも俺には姫様が……!
「そんなにお辛そうな顔をするってことは、フィーナ様を憎からず思っていらっしゃるんですよね!? フィーナ様の今の辛いお立場を、どうにかして差し上げたいんですよね!?」
形振り構わずって顔でレミーさんがテーブルを迂回してくると、問答無用で俺の肩を掴んでガクガク揺さぶり始める。
「エメル様のお力でどうにかなりませんか!? さっきもあんなにすごい策略を思い付いていらっしゃったじゃありませんか! あたし達じゃ思いも付かないような何かをして下さいよ!」
「ちょ、無茶振り!? 俺だってどうにかしてあげたいけど、俺にはすでに姫様がいるんですよ!?」
「だったらもういっそ、お二方ともお嫁さんにしちゃえばいいじゃないですか!」
まるで落雷に遭ったような衝撃が、俺の脳天から全身に突き抜けていった。