525 期待に胸が高鳴る
◆◆
フォレート王国とマイゼル王国との話し合いは、ボクが思っていた以上に早く行われて、迅速に結論が出た。
「す、すんなりと……許可が出て、よ、良かった、です」
「そうですね。こんなに早く許可が出るとは思ってませんでした」
対面に座るメイワード伯爵をチラッと上目遣いで見て、なんだかとても落ち着かなくて、目を伏せる。
「フォレート王国側はともかく、マイゼル王国側までこんなに簡単に許可を出すなんて、裏でどんな力学が働いたんだか……」
どこか腑に落ちないって顔でメイワード伯爵がポソリと呟いたけど、裏でどんな取引があったのかなんて、ボクにはどうでもいい。
おかげでボクは、堂々とメイワード伯爵の領地に滞在できることになったんだから。
「ともかく、許可が出た以上、決めるべきことは決めちゃいましょうか」
「は、はい……そう、ですね」
その話し合いのために、こうしてまたメイワード伯爵が来てくれた。
それだけで、すごく嬉しい。
実際に、細かな実務レベルでの話し合いは、一緒に来た使節団の人達と、マイゼル王国の役人やメイワード伯爵領の役人で話し合ってくれるみたいだから、ボクとメイワード伯爵が話し合って決めることは、大雑把な方針だけみたいだけど……。
それでも、ボクが希望を言って、それが通るかも知れないって思うと、それだけでも胸がドキドキする。
本国でも、ボクの希望がそのまま通ったことなんて、それこそ数えるくらいしかなかったから。
でも、それ以上にドキドキするのは……。
「……」
また、チラッと上目遣いでメイワード伯爵の顔を見る。
もうそれだけで、ドキドキが大きくなって、顔が熱くなって、真っ直ぐその顔を見られない。
「それでメイワード伯爵領に滞在する場所なんですけど」
「は、はい」
「俺の屋敷じゃなくて、町の宿になるんですけど、それでいいですか? 俺の屋敷はまだトロルの屋敷を改装して使ってて、王女様が寝泊まり出来る部屋はないんですよ。それに、王族や貴族が滞在できるだけの宿代わりの屋敷もないですし」
「そ、そうなん……ですか?」
「申し訳ないですけど。あ、宿って言っても、ちゃんと王族や貴族が宿泊出来る高級宿なんで大丈夫です」
「わ、分かりました。それで、大丈夫……です」
同じお屋敷や離れに泊まれないのは残念だけど、ないものは贅沢言えないよね。
どうせ同じお屋敷で暮らせたとしても、四六時中顔を合わせられるわけじゃないし。
お母様やレイザーお兄様とだって、たまにしか顔を合わせる機会がなかったくらいだから。
それより気になるのは……。
「あ、あの……町や領地の、あ、案内……は?」
「可能な限り俺が案内します。もちろん、常に一緒にってわけにはいかないですけど」
良かったぁ……ちゃんとメイワード伯爵が案内してくれるんだ。
それが、ボクにとっての一番の希望だったから。
この希望が通ってくれるなら、他の細々したことなんて、どうでもいい。
「わ、分かり、ました。よろしく……お、お願いします」
ああ、一体どんな所なんだろう?
今からワクワクが止まらないよ。
見知らぬ土地を、メイワード伯爵の案内で回って、メイワード伯爵に説明して貰って、一緒の時間を過ごすことが出来るだなんて。
まるでデートみたい……。
想像しただけで、胸が高鳴って顔が熱くなっちゃうよ。
「それで、うちに滞在するに当たって一つ、アルル姫に許可を貰いたいことがあるんですけど」
「ボ、ボクの許可……ですか?」
「はい。俺の部下や護衛役の領兵、侍女達に、アルル姫の事情を説明しといた方がいいと思って」
「ぁ……それは……」
それはつまり、ボクが女の子だけど……身体は男の子だってことを、その人達に話してしまうってことだよね……?
「で、出来れば……その……ひ、秘密に……」
「やっぱりそうですよね……」
この王城の役人や護衛の兵士達や貴族達は、立場上、何か粗相があっては困るからって、ボクのことをちゃんと知っておかないといけないから、みんなボクの心と身体の性別が違うことを知ってる。
でも、そのせいで……。
だから出来れば他の人には知られないまま、ちゃんと女の子扱いして欲しい。
それが難しいって、我が侭だって分かってるけど、でも……。
「……じゃあ、俺が信頼してる何人かだけでも駄目ですか?」
メイワード伯爵が少し悩んだ後、そう切り出してきた。
「万が一のことが起きないよう、やっぱり事情を知っててフォローしてくれる部下がいると助かるし、安心なんで。そいつらにも、ちゃんとアルル姫をお姫様扱いするように言い聞かせますし、失礼な態度は取らせません。そしてそれ以外の者達には黙っておくように言い聞かせます。どうでしょう?」
真剣に、そう提案してくる。
その顔は、ちゃんとボクの気持ちを考えて優先してくれた上で、お伺いを立ててくれてた。
「……」
本当は誰にも言って欲しくない。
でも……それだとメイワード伯爵が困っちゃうんだよね?
メイワード伯爵にだって、立場があるんだから。
シャーリーリーン様みたいに、ボクの気持ちを端から考慮してくれてないとか、レイザーお兄様みたいに聞く耳を持たないとか、お付き侍女のイーネみたいに、自分の都合ばっかり押し付けてきたりとか、そんなのとは全然違う。
メイワード伯爵は、とっても優しい。
ボクだって、そんなメイワード伯爵を困らせたいわけじゃない。
「……わ、分かり、ました。で、でも……できるだけ、少ない人数で……」
「ありがとうございます。最低限の人数にしますから、安心して下さい」
「い、いえ、ボ、ボクの方こそ……我が侭を言って、ご免なさい。ありがとう……ご、ございます」
ぺこりと頭を下げたメイワード伯爵に釣られて、ボクもぺこりと頭を下げる。
そうしたら、メイワード伯爵がとても優しい目で微笑んだ。
もう、それだけで顔が熱くなっちゃうよ。
それから、メイワード伯爵領のどんなところが見たいのか、領地経営のどんなところを学びたいのか、大雑把な方針みたいな物を話し合って、その日の打ち合せは終わった。
「メイワード伯爵といっぱいお話しちゃった……」
ベッドに横になると、今日一日のことを思い出す。
もうそれだけで、ドキドキして、ソワソワして、寝付けそうにない。
「ボクのこと、女の子として見て欲しい……そう思っちゃうのは、我が侭かな……」
メイワード伯爵は、ボクの事情を知っても、ちゃんと女の子扱いしてくれる。
でもそれは、異性としての、恋愛対象としての女の子扱いじゃない。
だって、メイワード伯爵にはもう、アイゼスオート殿下って立派な恋人がいるんだから。
だから本当は、ボクがこんな気持ちを抱いたらいけないんだけど……。
「でも……」
チラリと、戸棚にしまってある文箱に目を向ける。
そこに入ってるのは、先日届いたシャーリーリーン様からの手紙。
その中の一文が、何度も何度も思い浮かぶ。
『すぐに彼の領地へ留学しなさい。彼の秘伝の秘密だけではなく、クリスタルガラスの製法を始めとした、たった半年で十数年に匹敵する領地発展の詳細を掴めたなら、お前を王女として扱うよう掛け合うだけではなく、お前が望むのなら彼との婚姻を進められないか、陛下に掛け合ってあげてもいいわ』
かあっと顔が熱くなる。
シャーリーリーン様に、ボクの気持ちが筒抜けだったなんて。
でも、その恥ずかしさよりも、期待に胸が高鳴ってしまう。
本当は、こんな気持ちを抱いてはいけないのに……。
メイワード伯爵とアイゼスオート殿下の邪魔はしたくないのに……。
だけど、アイゼスオート殿下から一歩下がった位置なら……。
そしてメイワード伯爵家の存続のために迎えるだろう本物の女の子の側室の人からも一歩下がった位置なら……。
ボクにも……メイワード伯爵の気持ちを向けて貰えないかな。
……そんな風に、期待してしまう。
一番になりたいなんて、贅沢なことは言わない。
最後の最後でもいい。
ただ、当たり前のように女の子として見てくれて、女の子として愛して欲しい。
ボクの望みは、ただそれだけ。
本当はそれが何よりも難しいことは分かってる。
そんな人は、わずかでも期待を持てるような人は、今まで一度も現れたことがなかったから。
メイワード伯爵以外は。
もしメイワード伯爵がボクを女の子として愛してくれたなら……もう他には何もいらない。
他の全てを捨ててでも、ボクはメイワード伯爵に付いて行く。
「聞いたら……教えてくれないかな?」
だって、メイワード伯爵に嫌われるようなことはしたくないから。
勝手に盗み聞いたり、コソコソと探ったりしたら、印象が悪くなっちゃう。
でも、いくらなんでも普通に聞いたところで、教えて貰えるとも思えない。
「ボクの事情を説明したら……メイワード伯爵ならどうにかしてくれないかな……?」
ちゃんと王女として認めて貰えるって、シャーリーリーン様と約束したって。
そして、メイワード伯爵と結婚も許して貰えるかも知れないって。
思わず顔が熱くなって、鼓動が激しくなってしまう。
「それって、ほとんどプロポーズするのと同じだよね……」
自分で言ってて、ますます顔が熱くなってきちゃった。
でも……。
今の関係のまま、そんな話をしても多分無理。
だってメイワード伯爵は、ボクのこと、きっとそういう対象として意識してくれてないから。
「……まずはボクのこと、ちゃんと一人の女の子として意識して貰わないと」
メイワード伯爵領に留学すれば、メイワード伯爵ともっと会える機会が増える。
きっとチャンスがあるはず。
「恥ずかしいけど……絶対、頑張ろう」




