516 マリーリーフが示す対価
「返す返すも口惜しいですね。それほどの知識と発想力。私の研究を手伝って貰えれば、どれほどの発展が望めるか。ましてや秘伝の深遠なる叡智があれば、この世界の有り様すら一変させることが出来るかも知れないと言うのに」
改まった真剣な顔で、真っ直ぐに俺を見つめてくる。
「その秘伝、開示しては戴けませんか」
「申し訳ありません」
「こちらも、私の研究の全てを開示しましょう。これまでの成果と、これからの成果も含めて全てを」
後ろの侍女と護衛の騎士が真っ青な顔になってるけど……。
うん、国家機密や軍事機密に類する成果の開示を、多分王様や他の誰の許可もなく、この場の勢いで言い出してるんだろうな。
マリーリーフ殿下の研究成果にはすごく興味があるけど……。
「残念ながら」
「対価は、それがなんであれ、どれだけであれ、望むままに支払いましょう」
「以前も言った通りです」
淡々と冷たく聞こえるかも知れないけど、前に迫られた時と同じ、答えはノーだ。
「では、両国で共同研究所を設立するのではどうでしょう? 私とあなたが所属して研究し、情報の開示は両国へ等しく行い、その成果を共有するのです」
お、切り口を変えてきたな。
それは、すごく面白そうだ。
「共同研究であれば、その成果を以て互いが互いを牽制するにせよ、抑止力とするにせよ、定められた品質と数に限定すれば、大きな問題にはならないと思いますが」
でも、やっぱり駄目だな。
「それを定めるにしても、マイゼル王国とフォレート王国では種族差の上、人口や国力に違いがありすぎですよ」
「ですから、双方、定められた品質と数に限定するのです」
「マリーリーフ殿下は約束を守ってくれると思います。でも、仮に攻撃魔法に転用されたら、指をくわえて黙って見てるだけの、お行儀のいい貴族ばかりじゃないでしょう? 人数の制限? そんな約束なんか、なんの当てにもならない」
言い切った俺に、マリーリーフ殿下はわずかに目を見開いた後、眉間の皺を深くしただけで反論を口にしなかった。
つまり、そういうことをしそうな連中に心当たりが多いんだろう。
侍女と護衛の騎士は、今にも無礼者と怒鳴りつけてきそうな顔をしてるけど。
仮に使える精霊魔術師の人数を限定したとしても、マイゼル王国はそもそも精霊魔術師の数が人口比率で圧倒的に少ないから、全ての貴族の領軍に行き渡ったとしても、フォレート王国だと、行き渡らない者達の方が圧倒的に多いのは考えるまでもない。
そうなったら、フォレート王国の貴族達が黙って素直に従うなんて、到底思えない。
当然、裏で陰謀を巡らせて、あの手この手でそのその知識を入手して、自分の領軍の全員に広めるだろう。
そして表向きは、知りません、使えませんとシラを切るんだ。
王様だって軍事力が増すならと見て見ぬ振りをして、マイゼル王国が仮に抗議したとしても、約束は守ってるって、いけしゃあしゃあと言うに決まってる。
厄介なのは、それが知識である以上、取り上げることが出来ないことだ。
一度知った者達を処刑して数を調整?
そんな真似、誰がするんだよ。
そして圧倒的な軍事力を背景に、一方的に約束を破棄されて攻め込まれたら?
そんなことになったら、さすがの俺だって勝てるって断言するのは難しい。
個人的には、マリーリーフ殿下との共同研究は、すごく面白そうだからやってみたいって思うよ。
でも、リスクがあまりにも大きすぎる。
そこが変わらない以上、頷けない。
言わずもがなだと思うけど、敢えてそれらの懸念を言葉にして説明した俺に、マリーリーフ殿下はわずかに思案して、その目に力を込めて挑むように俺を睨んできた。
「では、あなたが我が国に渡したくない研究成果は除外するのでどうでしょう? もちろん、全てをそれに指定されては困りますが」
「いや、そもそも――」
「共同研究所が駄目でしたら、マイゼル王国で研究所を設立し、私がそこに所属することで、フォレート王国へ開示する情報に制限を設けると言うのはどうでしょうか。これはかなりの譲歩だと思いますが」
「――いやいや、そんな勝手は許されないでしょう、だからですね――」
「それに先立ち、不可侵条約を締結するのではどうですか? そうすればあなたが我が国を警戒する必要は欠片もなくなるでしょう」
「――ちょ、待って下さい、いきなりそんな重要なこと――」
「ええ、必ず陛下を説得してみせます。シャーリー姉様……いえ、第二王女シャーリーリーン殿下を始めとした全ての王子王女達も、この国へ一切の手出し無用と説得してみせましょう」
「――それはすごく助かりますけど、でも――」
「可能かどうか疑うのも無理はない話ですが、あなたの秘伝を手に入れられると分かれば説得は可能です。もちろん手に入れた後、条約を反故にするとの懸念もあるでしょうが、そんな真似はさせません。これでも私は第三王女です。政治的な影響力はさほどではありませんが、それでもこれまでの研究による実績と評価、利権があります。陛下も私の意見を無下には出来ないはずです」
「――いやだから――」
「これでも私はあなたを高く評価しているのです。あなたが歴史の表舞台に立って二年足らず、私が親善大使として訪れ半年と少し。たったこれだけの期間でしかありませんが、あなたの成してきたことは驚嘆すべき事ばかりであり、大いに称えられることばかりです。しかもそれを支える精霊魔法の叡智を独占することなく、必要とあらば他者にもそれを授けることが出来る度量の広さと姿勢は賞賛に値します」
「――そ、それはどうも。でもですね――」
「ですが、いえ、だからこそ、私は納得がいかないのです。有象無象の他の者達には安い対価でその叡智を授けておきながら、この私だけ、そう、この世界で誰よりもその叡智を欲し、精霊魔法の深淵を覗くことを願ってやまないこの私だけ、どのような対価を支払おうとその叡智を授けられないと拒まれ続けている。それはあまりにも、あまりにも理不尽ではありませんか!? そのような口惜しい思いを抱き、日々眠れぬ夜を過ごしているこの私に対し、一切の配慮も考慮もする素振りすら見せずに、にべもなく断り続けるあなたのその態度に、私がどれだけ悔しく情けない思いをしていることか! それは生半な言葉では言い表せないほどの屈辱であると、あなたは一度正しく知るべきです!」
一気にまくし立てて、はあはあと大きく肩で息をしているマリーリーフ殿下。
その恰好は、両手をテーブルに着いて腰を浮かし、今にもテーブルを乗り越えて迫ってこようとしてるみたいに、俺の方へ思い切り身を乗り出してる。
対して、これ以上下がれないソファーの背もたれにまで下がって、両手を胸の前まで上げて、まあまあと宥めるポーズを取ってる俺。
見る間に、かあっとマリーリーフ殿下の顔が耳まで真っ赤に染まっていった。
「コホン、失礼いたしました」
慌てて座り直して、俺から顔と視線を思い切り逸らして咳払いする。
うん、最初の対談でも、こんな感じだったよな。
でも、真剣に、本気で、フォレート王国の王女だからじゃなく、国益のためでもなく、純粋に研究者だからこそ知りたい、その気持ちは伝わってきた。
俺だって本当なら、ここまで純粋に学問や研究のために知りたがってる人にこそ、教えてあげたいよ。
大きく息を吐き出す。
「これは、マリーリーフ殿下の人柄がどうとかって話じゃなくて、その政治的な背景のせいだってことは改めて言っておきます」
ここまでの熱量をぶつけられたら、俺も伝えずにはいられない。
「今、俺のことを高く評価してるって言ってくれましたよね。それは俺も同じです。俺だって、マリーリーフ殿下を高く評価してるんです。真逆に聞こえるかも知れないですけど、もしマリーリーフ殿下がそこらの有象無象程度なら、たとえそれがフォレート王国の王族だったとしても、マインドロックとせいぜい派手に吊り上げた対価を条件に、秘伝の触り部分だけを適当に教えて、これで満足だろうってお引き取り願ってますよ」
それこそ今、欲と打算にまみれた貴族達が送り込んできた領兵や使用人達に教えてるように。
「あなた程の精霊魔術師に高く評価して戴けることは大変名誉なことですが……」
「マリーリーフ殿下こそ、俺がどれほど高く評価してるのかを一度ちゃんと知るべきですね。マリーリーフ殿下は、周囲は元より、自分で自身の評価が低すぎです。有象無象じゃない、そこらの半端な学者風情でもない。その知識と研究意欲、そして類い希な発想力を持つマリーリーフ殿下だからこそ、俺は怖くて教えられないんです」
「私が怖い……?」
思ってもいなかったことを言われたって目を丸くするけど、それこそ、自分で自身の評価が低すぎるって証拠だ。
「そうですよ。その発想力がすごすぎて、周りが全然分かっていないみたいだから、マリーリーフ殿下も自分がどれだけすごい存在か全く気付いてないみたいですけど、俺は最初の対談でちょっと話しただけで理解しました。マリーリーフ殿下はあまりにも早く生まれすぎたんです」
「それは……どういう意味ですか?」
「もし今から数百年後に、もっと科学技術が進歩して、様々な研究機器や観測機器が開発されていて、それを使って研究できたなら、どれだけの発見、発明をして、歴史に名を残したことか。マリーリーフ殿下の観察力、洞察力、発想力は未来を生き過ぎてるんです。だから周りが誰も付いてこられなくて、それを理解出来ないし、それに気付かないし、それを生かせるだけの環境を整えられないんです」
だからこそ俺は、マリーリーフ殿下を警戒しないといけない。
「俺はよく、どこでそんなことを知ったのか、よくそんなことを思い付くな、なんて言われますけど、結局俺の評価は、俺が学んだ知識と発想の手持ちを持ち出してるからに過ぎないんです」
所詮俺は平凡な学生でしかなかったからな。
明らかに限界がある。
「でもマリーリーフ殿下は違う。俺が学んだ知識と発想を持ち合わせてないのに、その差を埋めてしまうだけの、余りある程の観察力、洞察力、発想力を持ってる、まさに天賦の才を持つって言ってもいいくらいの人物なんです。もしマリーリーフ殿下が俺の持つ知識を得て、発想の仕方を学んだら、それこそ俺なんて有象無象になるくらいの、今後数百年、もしかしたら千年を超えても並び立つ者が他に現れないような、それほどの研究者で精霊魔術師になると思ってます。だから俺はマリーリーフ殿下が怖い」
「……!」
「マリーリーフ殿下なら、俺の手伝いなんて必要とせず、本当に世界の有り様を大きく変えるくらい発展させられる。それこそ、一足飛びで、何十年、何百年と文明は発展すると思います。人々の暮らしを平和で豊かにするためなら、俺程度が知ってるより、むしろマリーリーフ殿下が知っておくべきだ。そのためなら、惜しみなく俺の持つ全てを伝授してもいい」
マリーリーフ殿下が息を呑む。
だけど、俺は首を横に振るしかない。
「でも、時代が、人々の意識が、国家の垣根がそれを許さない。もし俺の秘伝の全てを知ったら、フォレート王国はどう動くでしょう? 民のため、国際平和のために尽力しますか? マリーリーフ殿下の研究をそのために使ってくれますか? マリーリーフ殿下にそのための研究を許しますか?」
大国が、そんなことを許すわけがない。
軍事力の強化。
そして周辺国の制圧。
なんなら世界の全てを手中に収めようと動くかも知れない。
人権なんて言葉どころか概念すらない、力が正義で弱肉強食の世界で、それを考えない権力者はいないだろう。
何もそれはフォレート王国に限った話じゃない。
俺が今、その片棒を担がされずに済んでるのは、姫様とフィーナ姫と結婚する約束をして、俺が王様になるって決めてるからだ。
俺が知らないだけで、二人にそんなことを進言してる貴族が皆無とは思わない。
でも、そんな立場で俺が利用されることを、二人が許すわけないからな。
ただ、それだけの話だ。




