511 激怒のエミリーレーン
◆◆◆
「たかが下等な人間風情が、なんて生意気な!」
エミリーレーンは自身の応接室で、シェーラル王国の大使からの報告を受け、広げていた扇を一瞬で畳みテーブルに叩き付けた。
その癇癪と怒りに、大使は首を竦めて縮こまる。
しかしエミリーレーンはそんな大使の姿など目に入っていないように、手にした扇を折れんばかりにギリギリと握り締めた。
シェーラル王国の大使からの面会希望を受けて、自身の策が完璧に上手くいったとの確信から、上機嫌に大使を招いた。
優雅に扇を弄び、前祝いとばかりに極上の茶葉で紅茶を淹れさせたのだ。
ところが、応接室に入ってきた大使の顔色は悪く、エミリーレーンの顔色を窺うオドオドとした態度に、失敗を悟った。
そして前置きを抜きにして報告させ、その内容に驚愕すると同時に、腸が煮えくりかえる程の怒りが噴き上がったのである。
「お前達は、たかが元農民の成り上がり者すら意のままに操れないどころか、言い負かされておめおめと引き下がる無能の集まりなの!?」
「はっ、た、大変申し訳なく……」
「申し訳ないどころではないわ!」
握り締められた扇が今にも折れそうな悲鳴を上げる。
そもそもが、言いがかりを付けて無理筋の屁理屈で手玉に取ろうとしたのだから、本来ならば失敗してもおかしくない。
しかし、相手はたかが農民上がりの、それも貴族になって一年かそこらの貴族とも呼べない、成人したばかりの若輩者が相手だったのだ。
エルフの寿命は人間のおよそ五倍もある。
百数十年以上も貴族として生き、数十年も外交の場で要職を務めているのだ。
たかが十五年しか生きていない、しかも貴族として一年しか生きていない、そんな若造一人、どんな言いがかりだろうが、無理筋だろうが、屁理屈だろうが、脅し、言い負かし、失言を引き出し、言質を取って、手玉に取れて当然なのだ。
「し、しかし、メイワード伯爵は噂通り……いえ、噂以上の切れ者で難物です。良心の呵責に付け込もうと、外交問題に発展しかねないと敢えて事を大げさにしてみせ、動揺を誘い引き下がらせようとしても、まるでそよ風のように平然と受け流す、豪胆とも言える胆力と、まるでこちらの意図を全て見抜いているかのような慧眼を持つとのことです。元農民、にわか貴族などと侮るべきではないと、生まれながらの傑物であり、救国の英雄の名声は伊達ではないと、リューテイン伯爵より驚愕の報がもたらされております。かの者は決して無能ではありません。無能どころか真に優れた外交官なのです。そのリューテイン伯爵程の男を逆に手玉に取る程の男なのです」
大使は、ことさら大げさにエメルの能力を誇張し、難物で、難敵で、自分達長命種のエルフを相手に互角以上に渡り合える、不世出の英雄であると、必要以上に持ち上げる。
さらに、直接対峙した在マイゼルシェーラル王国全権大使リューテイン伯爵の存在をことさら強調することで、瑕疵は全てリューテイン伯爵にあり、自分にはないと全力で責任逃れに走っていた。
「それなら経済制裁でもなんでも、直接あの男ではなく国に圧力をかけて動かざるを得ないように仕向ければいいでしょう!」
「メイワード伯爵はそれすら看破し、仮に経済制裁をしようと自領で賄い、また他国へ輸入先を変えると、マイゼル王国よりの外貨獲得と戦費調達を盾に、そのようにその場で牽制してきたとのことです。見透かされ、先手を打たれてしまっているのです」
エミリーレーンは奥歯が砕けんばかりに歯がみする。
様々に、信じる方がどうかしている馬鹿げた内容の報告書には目を通してた。
エメルを目の敵にしているシャーリーリーンの内偵とは別に、自身もエメルの身辺と領地の状況を報告させていたのだ。
フォレート王国からの小麦などの穀物の輸出量は絞っているし、値上げもしている。
しかし、マイゼル王国が音を上げる様子は全くない。
信じられないことに、エメルの領地から、作付面積の数倍にもなる作物の輸出が確認されていて、それがマイゼル王国の食糧不足を補っているのである。
さらに、幾つもの特産品を生産する計画が複数平行して進行中で、まるで時計の針を十数倍早回しにして見ているかのような発展ぶりを見せているとの、到底信じられない報告まであった。
加えて、勝者の権利を放棄するも同然の非常識な帰国事業により、周辺国の大使や外務貴族がエメルに接触し、礼を名目にした諜報活動や、外交上のパイプ作りに動いているとの報告も上がっている。
そして、そんな外交上のパイプをエメルが持った以上、シェーラル王国から輸入先を変えても問題がない状況になった。
むしろここでシェーラル王国が経済制裁を発動すれば、マイゼル王国が他国との結びつきを強め、仕掛けたシェーラル王国が一人負けする可能性が高くなってしまったのだ。
そうならないよう、マイゼル王国の周辺国へ圧力をかけ、それが成果を上げ、それから経済制裁に踏み切るとしても、圧倒的に時間が足りなかった。
次の春まで、もう一季節もないのだから。
「忌々しい……!」
それはエメルに対するものと、自分自身にも向けられた言葉だった。
ここにきてようやく、評価で自分の上を行く政敵のシャーリーリーンが失策を重ねている理由を実感し、納得してしまったことに対しての、自身の認識の甘さへの怒りだった。
しかしその忌々しさは、何もエメルと自分だけに向けられたものではなかった。
「いやはや全く、げに恐ろしきはメイワード伯爵かと」
「黙りなさい!!」
テーブルに叩き付けられた扇が、遂に折れ飛ぶ。
もし相手が自分の部下であったなら、自らの無能をひけらかすその口を閉じさせるため、顔に向けて扇を叩き付けていたところだ。
追従し、自分からの怒りの矛先を逸らそうと必死な大使、そして手玉に取られ追い返されたリューテイン伯爵、そしてシェーラル王国の全ての王族、貴族に対して、その無能ぶりに怒りが吹き荒れていた。
「何故王権をくれてやらなかったの!!」
「なっ!?」
「あの男が自ら条件を出して来たのよ!? 自ら隙を見せ、墓穴を掘ったのよ!? 一度呑んでしまえば、国王の地位に縛り付け、いくらでもあの男を自由に操れたと言うのに!! 新生シェーラル王国のためだなんだと理屈を付けて秘伝の全てを吐き出させ、むしり取れるだけむしり取り、全てを手に入れる千載一遇のチャンスだったでしょう!!」
そうすれば、シャーリーリーンを出し抜き、さらにガンドラルド王国方面の戦線を安定させるどころか、好きなだけ逆侵攻を仕掛けて領土を奪い取れる『力』が手に入っていただろう。
それほどの功績、シャルターリーンを追い抜き、一気に王太女の座が転がり込んできたに違いない。
そしてその後、マイゼル王国がどうなろうと知ったことではない。
エメルが国際的に信用を失い、不戦条約を一方的に破棄されたガンドラルド王国が怒りのまま再び侵攻を開始し、国土が蹂躙されたマイゼル王国が大きく国力を落とし、裏から操る価値が暴落してしまえば、シャーリーリーンはさぞ悔しい思いをしたことだろう。
だからこそ、何よりも、誰よりも、シェーラル王国の無能どもに怒りを抑えられなかった。
「そ、それは、いかなエミリーレーン殿下といえど、あまりにも無体な仰りようでしょう」
「考えるまでもないでしょう! 国王に据えて、使い倒せるだけ使い倒し、全ての秘伝を引き出した後は、冤罪でもなんでも被せて処刑するか、追放すれば済む話よ! お前達を処刑せず、平民落ちさせるだけなどと甘いことを言っていたのならなおさらでしょう! お前達の復権など、後からいくらでもお膳立てしてやれたのだから!」
「っ……!」
エミリーレーンの言い様はある意味で理不尽だが、復権することが出来るのならば、一時的にその状況を堪えることで、圧倒的にそれ以上の価値を持つ、最大の成果を引き出すことが出来た策であることは間違いなかった。
咄嗟にそれに思い至り、即座にその決断を下せなかった。
自らの権力と地位に固執して、たった一時手放すことを惜しんだ。
その結果、本来得られたはずの莫大な成果を、千載一遇のチャンスを、みすみす見逃したのだ。
そしてそのチャンスはもう二度とやってこない。
慌てて出向いて、やっぱり王権を差し上げますと言っても、何を今更と一蹴されるのが落ちだ。
まさに、無能と誹られても無理からぬ失態である。
そして、動き出した計画はもう止められない。
「分かっているでしょうね? こうなった以上、死に物狂いで戦いなさい」
「っ…………御意のままに」




